アリス (フォークグループ)

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アリス
Alice
ALICE
基本情報
出身地 日本の旗 日本大阪府
ジャンル フォーク
フォークロック
ロック
活動期間 1971年 - 1981年
2000年
2009年 -
レーベル 東芝音楽工業→東芝EMI(現:ユニバーサル ミュージック/EMI Records Japanレーベル)
1971年 - 1979年2009年
ポリスター
1980年 - 1981年1987年
ゼティマ(現:アップフロントワークス/ゼティマレーベル)
2000年2013年 -)
avex io
2010年

アリス(Alice、ALICE)は、日本フォークグループ

メンバー[編集]

  • 谷村新司(たにむら しんじ、チンペイ/リードボーカル、ギター)
  • 堀内孝雄(ほりうち たかお、ベーヤン/ボーカル、ギター)
  • 矢沢透(やざわ とおる、キンちゃん/ドラム)

来歴[編集]

結成[編集]

1970年のアメリカコンサートツアーで、大阪のフォークグループ、「ロック・キャンディーズ」のリーダーだった桃山学院大学出身の谷村と、東京のソウルバンド、「ブラウン・ライス」のゲストドラマーだった矢沢が知り合い意気投合した。二人は帰国したらプロとして一緒にグループを組もうと約束する。

帰国後谷村は、同じ神戸の音楽サークル、ポート・ジュビリーで知り合いだった、アマチュアロックバンド、「フーリッシュ・ブラザーズ・フット」のボーカル京都産業大学出身の堀内をグループに勧誘した。

1971年12月25日に谷村と堀内で西心斎橋二丁目にあるビジネスホテル・大阪帝国ホテル[1]の一室にて、矢沢が合流することを前提に「アリス」を結成。翌1972年3月5日、シングル走っておいで恋人よ」でデビュー。同年5月5日開催の奈良市民会館での公演から、矢沢が正式に合流し、晴れて現在のアリスになった。

下積みから中心的存在に[編集]

プロデビュー当時はヒット曲に恵まれず、メンバー三人とマネージャーの合計四人で運搬できる楽器として、矢沢は本来ドラマーなのに手荷物として持ち運びが可能なコンガを持って、谷村、堀内のフォークギター二本とともにツアーやライブに明け暮れる毎日だった。

しかし、「特急の停まる市の市民会館にはほとんど行った(谷村)」と語るほどの地道なツアー活動をすることで潜在的ファンを増やしていった。1974年には年間303ステージという無茶苦茶な記録が残っている。その中には知名度向上だけを目的にしたノーギャラ・交通費事務所側負担の赤字ツアーもあったという。

ツアーの成果と、谷村のMBSヤングタウンセイ!ヤングのDJ、そして関西カレッジフォーク界で有名だった立命館大学同志社大学のOB三人組ウッディ・ウーの「今はもうだれも」のカバーヒットを契機に、オリジナル曲である「帰らざる日々」「冬の稲妻」「涙の誓い」「ジョニーの子守唄」「チャンピオン」「秋止符」「狂った果実」等のヒット曲を連発した。

1978年には日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させるなど、一時代を築いた。 日本武道館ではその後活動停止まで何回も公演し、他に後楽園球場甲子園球場横浜スタジアム、といった当時の野球場や、東京厚生年金会館大ホール、大阪フェスティバルホールといった全国の主だった音楽ホールなどを軒並みに満員にするほど、アリスは多数のファンを獲得していった。 なお武道館のコンサートでは、谷村が当時DJを勤めていた文化放送ペパーミントストリート・青春大通りで、相棒を勤めていたばんばひろふみの司会で、生中継が行われた。アリスのライブレコード『栄光への脱出』や『限りなき挑戦』にも、ラジオを聴いているリスナーへのメッセージが収録されている。

1979年に、ユニセフの「国際児童年」の募金イベント「Hand in Hand 100円玉の大行進」に、テーマ曲として「美しき絆〜Hand in Hand〜」を提供するほか、自らも街頭で募金活動に参加した。「Hand in Hand 100円玉の大行進」は12月31日午後1時から1時間だけの募金活動を呼び掛けたものだったが、全国で約7万3000人を動員した。その後、谷村の提唱で、音楽ファンの募金活動による音楽ホールの建設目指す「シアター・フレンズ」プロジェクトを、小室等南こうせつ井上陽水らとコンサート会場で始めるが、諸般の事情で挫折。当時の記録映画「ALICE THE MOVIE 美しき絆」(東宝製作・坪島孝監督)が公開されただけ[2]に終わっている。

活動停止[編集]

しかし谷村と堀内のソロ活動活発化とともに音楽の方向性の違いが顕在化して、1981年5月21日にアリスの活動停止を記者発表。北京香港バンコク海外ツアーを含む最後の全国ツアーの後で1981年11月7日の後楽園球場のコンサート「アリス・ファイナル」を最後に活動停止した。

後に完全再始動をし、アリスとしてテレビ出演をした際に活動停止の真の理由について堀内が「チンペイさんへのやきもち(劣等感)」と語っている。これは、アリスとして(1978年12月発売、最大のヒット曲『チャンピオン』のグループでのメイン歌唱・作詞・作曲)、他者への提供[3]、谷村新司ソロとして[4]と才能をいかんなく発揮してそれぞれの形でヒットを飛ばしまくり、しかも時期がおおよそ重なったことによる。そこで堀内から谷村に、谷村を通して矢沢に活動停止の意向が伝えられ、谷村矢沢の両名がそれを受け入れたために活動停止に至った、とのことである。ただし、この際に谷村は「(活動を停止したら)そう簡単にアリスに戻ることは出来なくなるぞ(アリスは辛い時に駆け込む逃げ場所ではないという意味)。」と堀内に言ったそうである。なお、堀内が後にソロ活動で行き詰まり谷村にアリス再始動の相談を持ちかけたところ、同じようなことを言われたことがあるらしい。

堀内は実質的に演歌歌謡曲に転向してソロ活動。谷村はソロ活動を一時休止して中国上海音楽学院教授に就任、後にソロ活動も再開する。矢沢は音楽グループ「BLEND」[5]参加ののち音楽活動を休止し、六本木串焼きを中心とした飲食店と、神保町でギターショップを経営している。

再始動[編集]

1981年の活動停止後、アリスは4回の活動再開実績があり、2013年にも新たな活動が予定されている。

  • 1987年の1回目の再始動では、アルバム『ALICE X』とシングル「BURAI」などの発表、そして数回の放送出演のみで終わった。
  • 2回目の再始動は2000年1月17日神戸での阪神淡路大震災追悼コンサート開催が契機となって再結成の機運が高まったことによる。同年8月にAlice名義からALICE名義に変更されて再結成が記者発表され、プレビュー扱いの同年12月31日第51回NHK紅白歌合戦出場の後、2001年には1月17日の神戸国際会館でのコンサートを皮切りにアルバムALICE 0001』発表のほか夏から秋にかけて全国ツアーも行われ、日本武道館が再び満員になった。
  • 3回目の再始動は2005年12月31日の第56回NHK紅白歌合戦出場だった。
  • 4回目の再始動は2008年3月19日発売の谷村のベスト盤「音帰し(おんがえし)」に「明日への讃歌」が収録され、堀内と矢沢もレコーディングに参加したというもの。これにより再結成の機運が高まった。2009年3月4日上野文化会館大ホールで記者会見、3人が還暦を迎えるこのタイミングで28年ぶりの活動再開を発表。同年7月から11月にかけて全国ツアーを33会場で全35公演開催することを発表した。その後に決定した追加公演を含め最終的に36会場40公演を行っている。さらに、2010年2月28日東京ドームでも公演を行い、休憩をはさんで5時間におよぶライブとなった。
  • 5回目の再始動となる2013年には『ALICE XI』を制作すると共に、47都道府県ライブツアーの敢行も予定されている[6]

エピソード[編集]

主に谷村と堀内がヴォーカルを担当するが[7]、メイン・シンガーがどちらかということもなく(ツイン・ヴォーカル)、ともにほぼ対等の立場だった[8]

鳴かず飛ばずの下積み時代が長かったが、「冬の稲妻」で大ブレイクし、当時黎明期だったニュー・ミュージック界の中心的存在のひとつと見なされるようになる。ただその落差の大きさから、地方局のラジオなどに出演した際には「大ヒット『冬の稲妻』でデビューした今話題のグループ、アリスです」(ジョークを含めた谷村談)などと紹介されていた。

無名の活動開始時期は、自他ともにフォークソングのジャンルに分類されるというポジションだったが、ドラムスが加わっているという点で、同時期のミュージシャンとの差別化を狙っていた。「冬の稲妻」でブレイク後は、フォークの枠にとらわれることなく独自の世界を展開し、ファンを次第に獲得していった。曲調は次第にロック寄りになり、バックミュージシャンも、エレキギター、シンセサイザーなどを従え本格的バンド編成となり派手なステージ活動を展開していた。

このように結成時のフォーク・シンガーの路線の枠からは完全にはみ出ていたアリスだったが、1981年の休止ライブでは原点に戻り、コーラスもバックミュージシャンもない、3人だけでの演奏を行った。

全盛期は『NHK紅白歌合戦』に出場しなかった。これは、アリスとしてNHKの番組オーディションに応募したが落選した経緯があるため、「意地として断っていた」とのことである。

海外公演でメキシコに行った際、「日本で今一番売れているアーティスト」というフレコミで観客7万人のフェスティバルコンサートに出演。演奏を行ったものの観客は静まり返ってしまい、ヤケクソで「アミーゴ!」「ビバ!」と叫びながら走り回ったら観客は多いに沸いたという。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

発売日 タイトル c/w 発売元 チャート最高順位
1 1972年3月5日 走っておいで恋人よ さよなら昨日までの悲しい思い出 東芝音楽工業 85位
2 1972年7月5日 明日への讃歌 あなたのために 東芝音楽工業 -位
3 1973年7月5日 愛の光 帰り道 東芝EMI -位
4 1973年12月5日 青春時代 地図にない町 東芝EMI 46位
5 1974年6月20日 二十歳の頃 青春ノート 東芝EMI 62位
6 1975年3月20日 紫陽花 言葉にならない贈りもの 東芝EMI 48位
7 1975年9月5日 今はもうだれも 明日への讃歌 東芝EMI 11位
8 1976年4月5日 帰らざる日々 あの日のままで 東芝EMI 15位
9 1976年9月20日 遠くで汽笛を聞きながら もう二度と… 東芝EMI 51位
10 1977年3月20日 さらば青春の時 最後のアンコール 東芝EMI 39位
11 1977年10月5日 冬の稲妻 街路樹は知っていた 東芝EMI 8位
12 1978年3月5日 涙の誓い 何処へ 東芝EMI 4位
13 1978年6月20日 ジョニーの子守唄 センチメンタル・ブルース 東芝EMI 6位
14 1978年12月5日 チャンピオン 君よ涙でふりかえれ 東芝EMI 1位
15 1979年4月5日 夢去りし街角 逃亡者 東芝EMI 6位
16 1979年12月20日 美しき絆〜Hand in Hand〜 美しき絆〜Hand in Hand〜(カラオケ) 東芝EMI 54位
17 1979年12月20日 秋止符 ゴールは見えない 東芝EMI 4位
18 1980年7月5日 狂った果実 ピンク・シャンパン POLYSTAR 6位
19 1980年10月25日 それぞれの秋 過ぎゆくものは… POLYSTAR 27位
20 1981年6月5日 エスピオナージ GUILTY&PENALTY (罪と罰) POLYSTAR 15位
21 1987年12月8日 BURAI アガサ POLYSTAR 34位
22 1988年8月25日 平凡 (ニュー・ヴァージョン) 4月の魚 POLYSTAR -位

アルバム[編集]

オリジナルアルバム[編集]

発売日 タイトル 発売元 チャート最高順位
1 1972年9月5日 ALICE I 東芝音楽工業 -位
2 1973年6月5日 ALICE II 東芝EMI 93位
3 1973年12月25日 ALICE III 東芝EMI 34位
4 1975年5月5日 ALICE IV 東芝EMI 20位
5 1976年7月5日 ALICE V 東芝EMI 3位
6 1978年4月5日 ALICE VI 東芝EMI 1位
7 1979年6月5日 ALICE VII 東芝EMI 1位
8 1980年8月25日 ALICE VIII POLYSTAR 1位
9 1981年7月5日 ALICE IX 謀反 POLYSTAR 3位
10 1987年12月15日 ALICE X POLYSTAR 11位
11 2001年7月11日 ALICE 0001 ZETIMA 28位
12 2013年4月10日 ALICE XI ALICE 17位

ベストアルバム[編集]

発売日 タイトル 発売元 チャート最高順位
1 1980年3月5日 ALICE MEMORIAL 1972〜1975 東芝EMI 8位
2 1980年6月21日 ALICE MEMORIAL 1976〜1979 東芝EMI 9位
3 1981年10月21日 THE BEST OF ALICE 東芝EMI 21位
4 1991年10月23日 The Best Of All ALICE 東芝EMI -位
5 1996年9月16日 ALICE TWIN BEST 東芝EMI -位
6 2009年7月22日 ALICE 30 SONGS〜member's best selection〜 EMIミュージック・ジャパン -位

ライヴアルバム[編集]

発売日 タイトル 発売元 チャート最高順位
1 1973年1月20日 ALICE ファースト・ライヴ! 東芝EMI -位
2 1974年7月5日 ALICE セカンド・ライヴ 東芝EMI 36位
3 1977年6月5日 エンドレス・ロード 東芝EMI 15位
4 1978年10月5日 栄光への脱出〜武道館ライブ 東芝EMI 1位
5 1979年11月20日 限りなき挑戦/アリス・ライブ 美しき絆-Hand in Hand- 東芝EMI 4位
6 1981年10月5日 アリス3606日 FINAL LIVE at KORAKUEN POLYSTAR 8位
7 1982年11月7日 3人だけの後楽園 VERY LAST DAY POLYSTAR 47位
8 2010年1月6日 ALICE GOING HOME 〜TOUR FINAL at BUDOKAN〜 avex io 83位

カセットのみ[編集]

発売日 タイトル 発売元 チャート最高順位
1 1974年 DYNAMIC SPECIAL '74 東芝EMI -位
2 1976年5月16日 BEST NOW 東芝EMI -位
3 1977年11月16日 BEST NOW 東芝EMI 1位
4 1978年12月1日 best10 東芝EMI 1位
5 1979年7月5日 best selection 東芝EMI -位
6 1979年11月5日 BEST NOW/アリス(1) 東芝EMI -位
7 1979年12月20日 BEST NOW/アリス(2) 東芝EMI -位
8 1980年10月21日 PURE GOLD BEST 10/アリス PART1 東芝EMI -位
9 1980年10月21日 PURE GOLD BEST 10/アリス PART2 東芝EMI -位

脚注[編集]

  1. ^ 大阪帝国ホテルは帝国ホテルグループ帝国ホテルとは無関係。大阪帝国ホテルの現在のオーナーはぼんちおさむ
  2. ^ この時期は文化放送ではなくニッポン放送で短期間だが毎週土曜日夜にこの「ハンド・イン・ハンド」にまつわるレギュラー番組があった
  3. ^ 「チャンピオン」発売の約2週間前、山口百恵の代表曲となり谷村本人をはじめ多くの歌手に歌い継がれている『いい日旅立ち』の作詞・作曲
  4. ^ 1980年、谷村のソロの代表曲である『昴 -すばる-』のソロ歌唱・作詞・作曲
  5. ^ 鷺巣詩郎もメンバーだった
  6. ^ アリス26年ぶりアルバム、全国ツアーも 日刊スポーツ 2012年8月16日閲覧
  7. ^ 矢沢もアルバム曲などでは歌っている
  8. ^ 谷村が作曲の場合は谷村メイン、堀内の場合は堀内メインというパターンが多かった。ただし、代表曲『チャンピオン』など谷村作曲の場合は二人で歌うことが多い。この場合谷村が作曲を行っており、かつリードヴォーカルということもあり、やや谷村がメインに寄ることが多かった

外部リンク[編集]