羊をめぐる冒険

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羊をめぐる冒険
著者 村上春樹
イラスト 佐々木マキ
発行日 1982年10月15日
発行元 講談社
ジャンル 小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
ページ数 406
コード ISBN 4-06-200241-8
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羊をめぐる冒険』(ひつじをめぐるぼうけん)は、村上春樹の3作目の長編小説

概要[編集]

文芸誌『群像1982年8月号に掲載され、同年10月講談社より単行本化された。表紙の絵は佐々木マキ。1985年10月に講談社文庫として上下二分冊で文庫化され、2004年11月には文庫版の改訂版が出版された。本書により村上は第4回野間文芸新人賞(1982年)を受賞した。また、1991年にフランス語訳版『La Course au mouton sauvage』を翻訳した功績により、パトリック・ドゥヴォスが第2回野間文芸翻訳賞を受賞した。

「鼠三部作」の3作目。村上がジャズ喫茶「ピーター・キャット」をやめ、専業作家として初めて書いた長編小説である。1981年10月北海道取材旅行を行った後、千葉県習志野にあった自宅で約4か月間集中して第一稿を書き上げた。なお、1988年には更なる続編(実質的に完結編)『ダンス・ダンス・ダンス』を発表している。

2002年時点までに、単行本・文庫本を合わせて247万部が発行されている。

あらすじ[編集]

1978年7月、大学時代に関係を持ったことのある女の子がトラックに轢かれて死んだ。妻と別れた直後のことだった。8月のはじめ、「僕」は耳専門の広告モデルの女の子と知り合い、彼女は「僕」の新しいガール・フレンドとなった。

9月後半の昼下がり、仕事を休んでベッドの中で彼女の髪をいじりながら鯨のペニスや妻のスリップについて考えていると、ガール・フレンドが言った。「あと十分ばかりで大事な電話がかかってくるわよ」

彼女ははっか煙草を吸って「のことよ」と言った。「そして冒険が始まるの」

「僕」が相棒と共同経営している広告代理店に、右翼の大物の秘書が現われた。秘書は相棒に担当者(僕)と直接会って話がしたいと言った。「僕」が右翼の大物の屋敷に行くと、会社で製作したPR誌のページを引きのばした写真を見せられる。写真には星形の斑紋のある羊が一匹まぎれこんでいた。その羊を探し出さなければ「君の会社も君もおしまいだ」と脅迫される。

羊が写っている写真は、「僕」の友人の「鼠」によって北海道から送られてきたものだった。「僕」は会社を辞め、ガール・フレンドと共に北海道へ渡る。

登場人物[編集]

作中の語り手。29歳。1948年12月24日生まれ。山羊座A型
ガール・フレンド
21歳。専門のパーツモデル、小さな出版社のアルバイトの校正係、コールガールなど様々な職を持つ。耳に特殊な力を持っている。
25歳。4年間の結婚生活の後、1978年6月に「僕」と離婚し家を出て、27歳のジャズギタリストと暮らしている。「僕」が共同経営する事務所の事務員だった。
相棒
30歳。「僕」の大学時代からの友人。卒業後一緒に翻訳事務所を設立し、1975年からPR誌や広告関係の仕事に手を広げる。最近アルコール摂取量が増え続けている。
先生
右翼の大物。1913年に北海道十二滝町に生まれる。1936年に「羊」が入り込み、夏に出獄すると右翼のトップに躍り出る。1937年中国大陸に渡って情報網と財産を築き、戦後A級戦犯となるが釈放。政権政党と広告業界を牛耳る。に血瘤があり、1978年春に羊が離れると意識不明になる。その経歴より児玉誉士夫がモデルであるという説がある[1]
先生の秘書
先生の第一秘書。組織のナンバー・ツー。12年前から組織で働く。日系二世。スタンフォード大学卒。
先生の運転手
クリスチャンで神様に毎晩電話をかけている。「僕」の飼い猫を「いわし」と名付ける。
29歳。「僕」の親友で、1973年に黙って故郷の街を出てから多くの街を放浪している。
ジェイ
ジェイズ・バーのバーテンダー。中国人。ジェイと言う名前は戦後米軍基地で働いていた時に米兵がつけたあだ名。1954年に基地の仕事をやめ、近くに初代ジェイズ・バーを開店。店が落ち着いた頃に結婚するが、5年後に死別。1963年街に二代目ジェイズ・バーを開店。1974年道路拡張のために店を移転し、現在は三代目。同年、飼い猫が12歳で死亡。
鼠の恋人
33歳。1973年に鼠が街を出て別れた。設計事務所に勤務。21歳で結婚し、22歳で離婚している。
いるかホテル支配人
羊博士の息子。頭の禿げかけた中年男。左手の小指と中指の第二関節から先がない。
羊博士
73歳。1905年仙台生まれ。旧士族の長男で神童。東京帝国大学農学部を首席卒業後、農林省に入省。1935年7月満州で緬羊視察に出かけ行方不明になり、「羊」が入り込む。日本に戻ると「羊」は抜け、羊博士は左遷され、農林省を辞職して北海道で羊飼いになる。その後いるかホテルの2階に引きこもってしまう。
十二滝町営緬羊飼育場の管理人
40代後半。新兵教育係の下士官のような外見。
羊男
羊の皮の衣装を頭からすっぽりかぶっている。十二滝町生まれ。戦争に行きたくなかったため隠れて暮らしている。村上は「地霊」みたいなものを意識して書いたと述べている[2]。著者直筆のイラストが本文中に掲載されている[3]
アイヌの青年
「十二滝町の歴史」という書籍に登場する人物。アイヌ語で「月の満ち欠け」と言う名前を持つ。目が暗く、やせている。開拓民を十二滝町に案内するとそのまま留まり、定住に奮闘した。村が発展すると緬羊の飼育に取り組み、日露戦争後は村を離れ牧場にこもって暮らした。享年62。
誰とでも寝る女の子
「僕」は1969年に17歳の彼女と出会い、1970年秋から1971年春まで週に一度会う。25歳で死ぬと言い、1978年7月、26歳で死亡する。

登場する文化・風俗[編集]

  • 峠の我が家」 - アメリカの民謡で、カンザス州の州歌。原題は "Home on the Range"。「僕」とガール・フレンドは次のような会話を交わす。「ああいう人ばかりが住んでいる場所があるんだよ。そこでは乳牛がやっとこを探しまわってるんだ」「なんだか『峠の我が家』みたいね」[7]
なお短編『ニューヨーク炭鉱の悲劇』にも同曲は登場する。
「私、『蛍の光』って大好きよ。あなたは?」
「『峠の我が家』の方が良いな、かもしかやら野牛やらが出てきて」[8]

『群像』版と単行本と『村上春樹全作品』の本文異同[編集]

以下は『群像』1982年8月号掲載版と単行本と『村上春樹全作品1979~1989』の本文異同である(主なもののみ)。山﨑眞紀子著『村上春樹の本文改稿研究』(若草書房、2008年1月)に拠った。

『群像』 単行本 『村上春樹全作品1979~1989』
ヘヤー・ドライヤー 同左 ヘア・ドライヤー[12]
蟻に引かれる死んだかぶと虫のように、過去だけがその影をゆっくりと伸ばしていく。
 ゼリーのようなその一ヵ月は僕をどこにも導かなかった。僕は一ヵ月前と同じ場所に立って、一ヵ月前と同じ風景を眺めていた。(中略) たった一枚のスリップさえない。
削除 削除
いずれにせよ、何周めかのサイクルはこれで終ったのだ。 削除 削除
「ファラ・フォーセット・メジャーズの鼻を見るたびにくしゃみが出る人を知ってるわよ」 「ファラ・フォーセット・メジャーズの鼻を見るたびにくしゃみが出る人を知ってるわよ。くしゃみってそういう精神的要素が大きいのね。一度原因と結果が結びついてしまうとなかなか離れなくなってしまうの」 同左
非現実的なファクターをある種のソフィスティケーションによって現実の 非現実的なファクターをソフィスティケートされた形態に置き換えて現実の 同左
これは希望というよりは確定的な事実です。なぜなら今回の発行中止は既に決定されているからです。 これは希望というよりは既に確定した事実です。正確に言うなら、我々の希望に沿った決定が既になされたわけです。 同左
僕は川に沿って歩きながら「歌は終りぬ」を口笛で吹いた。さびの部分がとてもむずかしい。 削除 削除
海のかわりに埋立地と高層ビルが見えた。まるでジャン・リュック・ゴダールの「アルファヴィル」みたいな眺めだった。 海のかわりに埋立地と高層アパートが眼前に広がっていた。 同左
しかし僕にはもう文句を言う筋合はなかった。 しかし僕にいったい何を言うことができるだろう? 同左
円板の下側は暗くてじめじめしていて、いつも細かい雨が降っていた。もしそこにマリン・ブルーのグランド・ピアノとひらひらしたワンピースを着たピアニストを送り込んでやれたら、象や亀はとても喜び、そして慰められるに違いない。ぱちぱちぱち、どうもありがとう、次の曲は「スターダスト」です。――等々。 削除 削除
きっと長いあいだに耳に焼きついちゃったのね 同左 きっと長いあいだに耳の奥にしみついちゃったのね[13]
死にものぐるいで体をこすりあわせていた。 同左 死にものぐるいで羽をこすりあわせていた。[14]
そしてショパンのバラードが車内に流れ出した。 同左 そしてチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」が車内に流れ出した。[15]
「シャーロック・ホームズの冒険」を読んでいた。 「シャーロック・ホームズの事件簿」を読んでいた。 同左
スクリアビンのピアノ・ソナタ 同左 スクリャービンのピアノ・ソナタ[16]

その他[編集]

舞台となった地[編集]

物語のモデルとされる美深町仁宇布地区の牧場
  • 最後の舞台となった鼠の別荘がある地は、北海道美深町と推測される。「アイヌ人に率いられた一行が、旭川から北へと行き、その後東へ向かったこと」、「主人公たちが、旭川から北へ向かう列車に乗りつぎ、塩狩峠を越え、東に走るローカル線に乗り、終点が終着駅であること。また全国三位の赤字線であること」、「東から西へ流れる川(ニウプ川)があり、台地があること」などがその根拠である[17]。「東に走るローカル線」は廃止となった国鉄美幸線、終着駅は仁宇布駅である。このため、仁宇布地区の農場が物語の舞台のモデルのひとつではないかといわれている。

他作品からの影響[編集]

三島由紀夫との関連性[編集]

  • 本書は「第一章 1970/11/25 水曜の午後のピクニック」という章および見出しで始まる。三島由紀夫陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内で割腹自殺したのは、1970年11月25日水曜日の午後であった(三島事件)。『宝島』1981年11月号のインタビューで「三島由紀夫が死んだときは大学ですね。読みませんでしたか?」という質問に対し村上は次のように答えている。「ええ、読まないし、わかんないですね。でも、今度の三作目の小説は、三島由紀夫の死から始まるんです。1970年11月25日から。アメリカの雑誌なんか読んでると、友達と話できないんですよね。みんな吉本隆明とかね。(笑) あとはジョルジュ・バタイユとか、ジャン・ジュネとかね。あとは大江健三郎とかあのへんがはやりでしょ」
  • 本書は三島の長編小説『夏子の冒険』のパロディあるいは、書き換えであるという仮説がある[19][20][21]

評論『同時代としてのアメリカ』[編集]

村上は1981年から1982年にかけて、文芸誌『』に『同時代としてのアメリカ』という評論を寄稿している(単行本未収録)。

第1回 - 「疲弊の中の恐怖 --スティフン・キング」 (1981年7月号)
第2回 - 「誇張された状況論 --ヴェトナム戦争をめぐる作品群」 (1981年9月号)
第3回 -「方法論としてのアナーキズム --フランシス・コッポラと『地獄の黙示録』」 (1981年11月号)
第4回 - 「反現代であることの現代性 --ジョン・アーヴィングの小説をめぐって」 (1982年2月号)
第5回 - 「都市小説の成立と展開 --チャンドラーとチャンドラー以降」 (1982年5月号)
第6回 - 「用意された犠牲者の伝説 --ジム・モリソンザ・ドアーズ」 (1982年7月号)

翻訳[編集]

翻訳言語 翻訳者 発行日 発行元
英語 アルフレッド・バーンバウム 1989年10月 講談社インターナショナル
2000年4月20日 Harvill Press(英国)
フランス語 Patrick De Vos 1990年10月24日 Seuil
ドイツ語 Annelie Ortmanns 1991年 Insel
イタリア語 Anna Rusconi 1992年 Longanesi
Antonietta Pastore 2010年3月15日 Einaudi
スペイン語 Fernando Rodríguez-Izquierdo, Gavala 1995年1月 Editorial Anagrama
ポルトガル語 Maria João Lourenço 2007年4月 Casa das Letras (ポルトガル)
Leiko Gotoda 2001年 Estação Liberdade (ブラジル)
オランダ語 ヤコバス・ウェスタホーヴェン 1991年 Bert Bakker
デンマーク語 Ib Høy Hansen 1996年 Klim
ノルウェー語 Kari Risvik, Kjell Risvik 1993年 Pax forlag
フィンランド語 Leena Tamminen 1993年 Tammi
ポーランド語 Anna Zielińska-Elliott 1995年 Wilga
スロバキア語 Lucia Kružlíková 2004年 Slovart
ハンガリー語 Erdős György 2007年 Geopen
ルーマニア語 Andreea Sion 2003年 Polirom
スロベニア語 Sabina Lodrant 2004年 Založniški atelje Blodnjak
クロアチア語 Dušan Janić
ボスニア語 2011年 Šahinpašić
ブルガリア語 Емилия Л. Масларова 2008年11月20日 Колибри
ギリシア語 Στέλιος Παπαζαφειρόπουλος 1993年 Εκδοσεισ Καστανιωτη
ロシア語 Dmitry Viktorovich Kovalenin 1998年 Alphabet
ラトビア語 Ingūna Bek̦ere 2004年 Zvaigzne ABC
リトアニア語 Marius Daškus, Dalia Saukaitytė 2003年 Baltos lankos
ウクライナ語 Дзюб Іван Петрович 2004年
トルコ語 Nihal Önol 2008年10月 Dogan Kitap
ヘブライ語 Einat Cooper 2004年
中国語 (繁体字) 葉蕙 1992年7月 博益出版(香港)
頼明珠 1995年8月15日 時報文化(台湾)
中国語 (簡体字) 林少華 1997年5月 漓江出版社
韓国語 シン・テヨン 1995年11月1日 文学思想社
タイ語 นพดล เวชสวัสดิ์ สำนักพิมพ์มติชน
ベトナム語 Minh Hạnh 2011年 Nhã Nam

脚注[編集]

  1. ^ 加藤典洋編『村上春樹』荒地出版社、1996年、70頁
  2. ^ 『幻想文学界3月号』幻想文学会出版局、1983年
  3. ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、149頁。
  4. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、56頁。
  5. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、197頁。
  6. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、210-211頁。
  7. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、242頁。
  8. ^ 中国行きのスロウ・ボート中公文庫、旧版、96頁。
  9. ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、65頁。
  10. ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、139頁。
  11. ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、184頁。
  12. ^ 2004年11月に出版された改版の文庫は、『村上春樹全作品』と同じく「ヘア・ドライヤー」。
  13. ^ 2004年11月に出版された改版の文庫は、単行本と同じく「耳に焼きついちゃったのね」。
  14. ^ 2004年11月に出版された改版の文庫は、『村上春樹全作品』と同じく「羽」。
  15. ^ 2004年11月に出版された改版の文庫は、『村上春樹全作品』と同じく「チャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』」。
  16. ^ 2004年11月に出版された改版の文庫は、『村上春樹全作品』と同じく「スクリャービン」。
  17. ^ 2012年6月18日 NHKニュース 「村上春樹作品 羊の放牧場で朗読会」
  18. ^ 「対話 R・チャンドラー、あるいは都市小説について」『ユリイカ』1982年7月号。
  19. ^ 佐藤幹夫村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる』PHP研究所、2006年。
  20. ^ 高澤秀次吉本隆明 1945-2007』インスクリプト、2007年。
  21. ^ 大澤真幸『不可能性の時代』岩波書店、2008年。

関連項目[編集]