ジョルジュ・バタイユ
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ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille, 1897年9月10日 - 1962年7月8日 )は、フランスの思想家・作家。
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[編集] 概説
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少年期を敬虔なクリスチャンとして過ごす。その後ニーチェの読書体験を通して徹底的な無神論者となる。「死」と「エロス」を根源的なテーマとして、経済学・社会学・人類学・文学・芸術・思想・文化・宗教・政治など多岐の方面にわたって執筆。発表方法も批評や論文・評論、対談集から詩・小説・哲学書まで様々な形態をとる。名門グランゼコールの一つである国立古文書学校を卒業後、パリ国立図書館に勤務していた。
哲学的にはアレクサンドル・コジェーヴの影響のもとに徹底的なヘーゲルの継承と批判から出発する。ロード・オーシュ名義で発表された処女作「眼球譚」をはじめとして、トロップマン、ルイ三十世、ピエール・アンジェリック等の様々な筆名を使ったことでも有名。
特に、フロイトの『快感原則の彼岸』に着想を得て「一般経済学」を打ち出した『呪われた部分』は、後世に多くの影響を与える。また、西欧キリスト教神秘主義の後継かつ換骨奪胎でもあるような「内的体験」の思考の鋭さは、その断言的な飛躍の多い文体を弱点とみなしても、再読の余地があるとされる。
神秘主義に傾倒する前は共産主義を伝統的な(制度的)至高性souverainetéに最も対抗できる運動として称揚し、1931年から後のフランス共産党の創設者の一人ボリス・スヴァーリヌ率いる「民主共産主義サークル」のメンバーになるなど革命的知識人の側面があった。この団体が解散された1934年でも新たにトロツキスト団体に加入したが、バタイユはこの頃に「内的体験」や「瞑想の方法」に目覚めたとされる。
また、ナチスのニーチェ濫用を早い段階から非難し、著作で「(主体的な)至高性が足りない」「ドイツの教授先生」と批判したハイデガーから、「フランス最高の頭脳」という賛辞を呈せられたことは有名。ジャック・デリダ(『エクリチュールと差異』にバタイユ論がある)やミシェル・フーコー(「侵犯の思考」というバタイユ論がある)への影響も見逃せない。しかし、フーコーとドゥルーズはのちにバタイユを批判した。
[編集] 生涯
[編集] 逸話
- 信じがたい苦痛とともにその生涯を終えたという。
[編集] 主要著作
- 『眼球譚』 "Histoire de l'œil"
- 『死者』 "Le Mort"
- 『マダム・エドワルダ』 "Madame Edwarda"
- 『エロティシズム』 "L'Érotisme"
- 『エロスの涙』 "Les Larmes D'Éros"
- 『呪われた部分』 "La Part Maudite"
- 『有用性の限界』 "La Limite de L'Utile"
- 『空の青』 "Le Bleu du ciel"
- 『宗教の理論』 "Théorie de la Religion"


