ジョルジュ・バタイユ
| フルネーム | ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ Georges Albert Maurice Victor Bataille |
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| 生誕 | 1897年9月10日 |
| 死没 | 1962年7月8日(満64歳没) |
| 時代 | 20世紀の哲学 |
| 地域 | 西洋哲学 |
| 学派 | 大陸哲学 |
| 研究分野 | 形而上学、認識論 倫理学、性 文学、文学理論 社会哲学、政治哲学 |
| 主な概念 | 一般経済 消費、蕩尽、浪費 |
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影響を与えた人物:
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| 文学 |
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| 各国の文学 記事総覧 出版社・文芸雑誌 文学賞 |
| 作家 |
| 詩人・小説家 その他作家 |
ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille, 1897年9月10日 - 1962年7月8日 )は、フランスの哲学者、思想家、作家。
目次 |
概説[編集]
両親は無宗教であったが、本人の意志でカトリックに入信。敬虔なクリスチャンとして過ごす。その頃から神秘主義的な素養が芽生え始めている。その後ニーチェの読書体験を通して徹底的な無神論者となる。「死」と「エロス」を根源的なテーマとして、経済学・社会学・人類学・文学・芸術・思想・文化・宗教・政治など多岐の方面にわたって執筆。発表方法も批評や論文・評論、対談集から詩・小説・哲学書まで様々な形態をとる。1922年に名門グランゼコールの一つである国立古文書学校を卒業後、パリ国立図書館に勤務していた。
哲学的には、レオン・シェストフから基礎をおっている[1]。シェストフとは、ドストエフスキーとニーチェから出発して哲学の出発をした哲学者であり、バタイユはシェストフの本を共訳でロシア語から訳してもいる(1924年)[2]。この頃から、シュルレアリストたちと行動を共にし始める。精神的に変調をきたし始め、アドリアン・ボレルの精神分析の治療を始める(1925年から26年まで)。一年で打ち切られるが、ボレルがバタイユに書くように励まし勇気づけたことで、その結果『眼球譚』という作品が生まれる。1929年から雑誌『ドキュマン』の編集に携わり、グラヴィアを交えながら様々な論を展開する。アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲルに関する講義に、衝撃を受け、打ちのめされる[3]。ロード・オーシュ名義で発表された処女作「眼球譚」をはじめとして、トロップマン、ルイ三十世、ピエール・アンジェリック等の様々な筆名を使ったことでも有名。
バタイユには、主として3つの作品群が存在する。ひとつは、論理的な整合性を欠いた文章群。代表としては、戦間期に書かれた『無神学大全』三部作(『内的体験』、『有罪者』、『ニーチェについて――好運への意志』)がある。この三部作は、断片形式で書かれていること、主として従来では「神秘体験」と称されてきた「体験」――語ることの困難な体験――を論理的な整合性を欠きながらも、語っていることがその特徴にある。第二に、バタイユがいうところの「学問的/科学的」な明晰な文章であり、『無神学大全』が「体験」を内在的に語るのに対して、ここでは外在的に、ときには歴史的に「体験」を探求している。『呪われた部分 普遍経済学の試み』(第一巻:『呪われた部分――普遍経済学の試み』[4])、第二巻:『エロティシズムの歴史』、第三巻:『至高性』)が象徴的である。第三に、小説群。これは『眼球譚』、『空の青み』、『わが母』、etc...いわずもがなである。
バタイユが思想的にとりわけ影響を受けたのは、1920年代に読み始めたフロイトおよびニーチェ、そしてコジェーヴの講義以降終生彼を捉えることとなるヘーゲル、そして西欧の神秘家たち(アンジェラ・ダ・フォリーニョ、ディオニシオス・アレオパギタ、アビラの聖テレサ、十字架の聖ヨハネ、etc...)である。
神秘主義に傾倒する前は共産主義を伝統的な(制度的)至高性souveraineteに最も対抗できる運動として称揚し、1931年から後のフランス共産党の創設者の一人ボリス・スヴァーリヌ率いる「民主共産主義サークル」のメンバーになるなど革命的知識人の側面があった。この団体が解散された1934年でも新たにトロツキスト団体に加入したが、バタイユはこの頃に「内的体験」や「瞑想の方法」に目覚めたとされる。
また、ナチスのニーチェ濫用を早い段階から非難し、著作で「(主体的な)至高性が足りない」「ドイツの教授先生」と批判したハイデガーから、「フランス最高の頭脳」という賛辞を呈せられたことは有名。ジャック・デリダ(『エクリチュールと差異』にバタイユ論がある)やミシェル・フーコー(「侵犯の思考」というバタイユ論がある)への影響も見逃せない。しかし、フーコーとドゥルーズはのちにバタイユを批判した。
生涯[編集]
1897年ビヨンに生まれる。1908年ランスのリセに入学するも1913年中退し、エペルネーのコレージュに入学。1918年、パリに移転し、国立古文書学校に入学、1922年に卒業し、国立図書館司書に任命される。1928年、シルヴィア・マクレスと結婚し、『眼球譚』を偽名で出版。1929年から1930年まで雑誌『ドキュマン』編集長を務める。1937年、私的結社『アセフィル』を結成。1946年月刊書評誌『クリティク』を創刊する。1955年、頸部動脈硬化症と診断され、1962年、病状が急速に悪化し、永眠する。聖マドレーヌ教会堂裏の墓地に埋葬される。詳しくは、ミシェル・シュリヤ『G・バタイユ伝』上・下(西谷修ほか訳 河出書房新社、1991年)
主要著作[編集]
[5] ・1920年代に書かれた著作・論考・文学作品
- 『眼球譚』 "Histoire de l'œil"
- 『W.C.』
・1930年代に書かれた著作・論考・文学作品
- 雑誌『ドキュマン』(1929-1931)所収の各論文(邦訳『ドキュマン』バタイユ著作集第11巻、2002年(第八版))
- 『太陽肛門』(1931)
- 雑誌『社会批評』所収の各論文(ex. 「ヘーゲル弁証法の根底批判」(1932年3月)、「消費の概念」(1933年1月)、「国家の問題」(1933年9月)、「ファシズムの心理構造」(1933年11月、および1934年3月)
- 『空の青』(1934年) "Le Bleu du ciel"
- 雑誌『アセファル』所収の論考
- 『社会学研究会』(聖社会学)で発表した論考(講演含む)
・1940年代に書かれた著作・論考・文学作品
- 『内的体験』(主要部分は、1941-1942に書かれた。刊行は43年。)L'expérience intérieur
- 『マダム・エドワルダ』(1941年12月)
- 『有罪者』(1944年出版)
- 『ニーチェについて、好運への意志』(1945年2月出版)
- 『有用なものの限界』(1930年代後半から45年までに書かれた草稿)
- 『呪われた部分・I・消尽』(45-49年に書かれた。49年に刊行)
- 『宗教の理論』(推定48年頃に書かれた。生前刊行されず、1974年にガリマールから刊行。)
・1950年代に書かれた著作・論考・文学作品
- 『C神父』(1950年)
- 『エロティシズムの歴史』(51年頃に書かれる。『呪われた部分』の第二巻となるよう予定されていた草稿。)
- 『ラスコー』(1953年から執筆され、55年に刊行。)
- 『マネ』(1953年から執筆され、55年に刊行。)
- 『わが母』(1954-55に書かれた。)
- 『文学と悪』(1957年ガリマールから出版。)
- 『エロティシズム』(1957年ミニュィ社から出版。)
・1960年代に書かれた著作・論考・文学作品
- 『エロスの涙』(61年出版)
脚注[編集]
- ^ Ouvres Completes, VIII, note par l'editeur, p. 563、バタイユとシェストフの関係については、『G・バタイユ伝(上)』、西谷修、中沢信一、川竹英克訳、河出書房新社、1991、pp. 78-86
- ^ ジョルジュ・バタイユ「自伝ノート」西谷修訳(『ユリイカ』青土社、1986年2月号、特集ジョルジュバタイユ、pp. 112-115)
- ^ バタイユが「ヘーゲル」を語る場合、主としてコジェーヴのヘーゲルである。コジェーヴのヘーゲル解釈は、バタイユのみならず、ジャック・ラカンにも影響が認められている。フランスにおけるヘーゲル受容については、以下を参照すべし。西山雄二「欲望と不安の系譜学――現代フランスにおける『精神分析学』の受容と展開」(『滝口清栄、会澤清編『ヘーゲル現代思想の起点』社会評論社、2008、所収)
- ^ 邦訳としては、二見書房のバタイユ著作集に所収されている。ちくま学芸文庫、中山元訳『呪われた部分 有用性の限界』は「呪われた部分」をつくるための草稿群である。ベンヤミン『パサージュ論』同様未完成の仕事。
- ^ ミシェル・シュリヤ『G・バタイユ伝』河出書房新社、1991年、下巻の年表より。
参考文献[編集]
雑誌[編集]
- 『現代思想 特集=バタイユ』(1982年、vol. 10-2)、青土社。
- 『ユリイカ 詩と批評 特集ジョルジュ・バタイユ』(1986年、2月号)、青土社。
- 『ユリイカ 詩と批評 特集バタイユ』(1997年、7月号)、青土社。
- 『水声通信 特集ジョルジュ・バタイユ』(2009年、No.30)、水声社。
バタイユに言及した論考・著作[編集]
- ピエール・クロソウスキー「虚無の肉体 ニーチェにおける神の死の体験 およびジョルジュ・バタイユにおける本来的体験への郷愁」(『わが隣人サド』豊崎光一訳、1969年、所収)
- ピエール・クロソウスキー「ジョルジュ・バタイユのミサ(『C神父』について)(評論集『かくも不吉な欲望』河出書房、2008年、所収。原本は、1963年に刊行)
- Jean-luc Nancy, La Communauté désoeuvrée, Christian Bourgois éditeur, 1986. (邦訳、ジャン=リュック・ナンシー『無為の共同体』(西谷修訳)以文社、2001年。)
- Michel Surya, Georges Bataille, la mort à l'oeuvre, Paris gallimard, 1992.(邦訳、ミシェル・シュリヤ『G・バタイユ伝』(西谷修・中沢信一・河竹英克訳)河出書房新社、上・下巻、1991年。)
バタイユに言及した論考・著作(日本人)[編集]
- 岡本太郎「わが友 ジョルジュ・バタイユ」(『呪術誕生』みすず書房、1998年、所収)
- 湯浅博雄『バタイユ 消尽』、講談社、1997年、のち講談社学芸文庫、2006年。
- 岩野卓司『ジョルジュ・バタイユ 神秘経験をめぐる思想の限界と新たな可能性』、水声社、2010年。
- 酒井健『バタイユ入門』、ちくま新書、1996。
- 酒井健『バタイユ そのパトスとタナトス』、現代思想新社、1996年。
- 酒井健『バタイユ 聖性の探究者』、人文書院、2001年。
- 酒井健『バタイユ 魅惑する思想』、白水社、2005。
- 酒井健『バタイユ』青土社、2009年。
- 古永真一『ジョルジュ・バタイユ 供儀のヴィジョン』早稲田大学出版部、2010年。
- 吉田裕『バタイユの迷宮』、書肆山田、2007年。
- Kneji Hosogai, Totalité en excès -- Georges Bataille, l'accord impossible entre le fini et l'infini --, Keio university press,2007.
- 吉田裕『バタイユ 聖なるものから現在へ』名古屋大学出版会、2012年。
美学
- 江澤健一郎『ジョルジュ・バタイユの≪不定形≫の美学』水声社、2005年。
- ヴィンフリート・メニングハウス「聖なる吐き気(バタイユ)と実存のべとつくマーマレード」(『吐き気 ある強烈な感覚の理論と歴史』法政大学出版局、2010年、所収)
時間論
- 和田康『歴史と瞬間 ――ジョルジュ・バタイユにおける時間思想の研究』、溪水社、2004年。
文学
- 福島勲『バタイユと文学空間』水声社、2011年。
エピソード[編集]
- 信じがたい苦痛とともにその生涯を終えたという。晩年特異な脳の病と闘病を強いられた。
- ※シュリアの伝記、酒井健『バタイユ入門』(ちくま新書、1996年)、『バタイユ』(青土社、2009年)等を参照。
- 三島由紀夫は自決する前、一番親近感を持っているのはバタイユと述べている。
- TVインタビュー動画 該当する動画が開始されない場合は、画面左上の ina RECHERCHER で検索する。
- 二見書房で『ジョルジュ・バタイユ著作集』全15巻がある。一部が新版で再刊
- 生田耕作は『眼球譚』ほかを訳し改訳を度々した。三島は『小説とは何か』で生田の訳文を誉めた。
関連[編集]
- フリードリヒ・ニーチェ
- エルンスト・ユンガー
- モーリス・ブランショ
- アンドレ・ブルトン
- ミシェル・レリス
- 岡本太郎 - 1930年代のパリ在住時にコントル・アタックやアセファルに参加している。
- マダムエドワルダ - バタイユの著作に由来した名前の日本のロックバンド
