地獄の黙示録
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| 地獄の黙示録 Apocalypse Now |
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|---|---|
| 監督 | フランシス・フォード・コッポラ |
| 製作 | フランシス・フォード・コッポラ |
| 脚本 | ジョン・ミリアス フランシス・フォード・コッポラ |
| 出演者 | マーロン・ブランド マーティン・シーン ロバート・デュヴァル デニス・ホッパー |
| 音楽 | カーマイン・コッポラ フランシス・フォード・コッポラ |
| 撮影 | ヴィットリオ・ストラーロ |
| 編集 | リサ・フラックマン ジェラルド・B・グリーンバーグ ウォルター・マーチ |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 上映時間 | 153分(劇場公開版) 202分(特別完全版) |
| 製作国 | |
| 言語 | 英語 |
| 制作費 | $31,500,000 |
| 興行収入 | |
| allcinema | |
| キネマ旬報 | |
| allmovie | |
| IMDb | |
『地獄の黙示録』(じごくのもくしろく、原題:Apocalypse Now)は、1979年製作のアメリカ映画。フランシス・フォード・コッポラによる戦争映画。ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』を原作に、物語の舞台をベトナム戦争に移して翻案した作品。日本では1980年2月23日に公開された。2001年にコッポラ自身の再編集による特別完全版も公開され話題になった。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 映画製作の背景
映画の原案は1902年に出版されたジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』(原題:Heart of Darkness)である。当初は1970年代初頭に、同じ南カリフォルニア大学の映画学科に在籍していたジョージ・ルーカスとジョン・ミリアスが共同で進めていた企画であった。しかし当時はベトナム戦争が行われていた最中であり、その企画は通らなかった。のちにルーカスが『スター・ウォーズ』を製作するにあたり、権利をフランシス・フォード・コッポラに譲り渡したのが始まりである。
コッポラは映画化にあたり、『闇の奥』以外にも様々な作品をモチーフにした。映画中でT・S・エリオットの『荒地』(原題:The Waste Land)や『うつろな人間たち』(原題:The Hollow Man)の一節が引用されたり、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』(原題:The Golden Bough)から「王殺し」や「犠牲牛の供儀」のシーンが採用されるなど、黙示録的・神話的イメージが描かれている。この他、監督の妻エレノア・コッポラの回想録によると、コッポラは撮影の合間、しばしば三島由紀夫の『豊饒の海』を手に取り、本作品の構想を膨らませたそうである。三島と同じく現代文明に疑問を抱き、もはや中年といえる38歳の年齢で特殊部隊に志願するカーツ大佐の人物造型、作品の各所にちりばめられた隠喩や世界観、作品の最後で示される東洋的なニヒリズム等からその影響が窺える、という意見もある。
コッポラは映画の製作初期段階から、音楽をシンセサイザーの第一人者である冨田勲に要請していた。しかし契約の関係で実現には至らず、結局監督の父親であるカーマイン・コッポラが音楽を担当した。このあたりの事情は、『地獄の黙示録』完全版のサウンドトラック盤のライナーノーツで、コッポラ自身が詳細に語っている。
[編集] 撮影中のトラブル
撮影ロケは、フィリピンのジャングルで行われた。アメリカ軍の協力が得られなかったため、映画に登場するF-5戦闘機やUH-1ヘリコプターは全てフィリピン軍の協力に拠った。当時フィリピンは共産ゲリラとの内戦や南部イスラム教住民の反乱に直面しており、そのため彼らの実戦出動によってヘリコプターシーン撮影のスケジュールが乱れる事もしばしばであった。途中、フィリピンを襲った台風によりセットが全て崩壊したこともスケジュールの遅延に影響した。この時の台風の模様は撮影され、ストーリー上急遽役割が与えられた。フランス人入植者たちのエピソードのように、莫大な費用と期間を掛けて細部まで拘りぬいた撮影が行われたものの、劇場公開版からは最終的に削除されてしまったシーンも数多く発生した。以上のような要因で、映画の撮影期間は予定を超えてどんどん延びていった。
コッポラはキャスティング面でも多くの困難に対処する必要に迫られた。当初ウィラード大尉を演じる予定であったハーヴェイ・カイテルは撮影開始2週間で降板し、新たに起用されたマーティン・シーンも撮影途中の1977年3月5日に心臓麻痺で倒れ、一時生死の境をさまようほどの状態になってしまった[2]。報道写真家役のデニス・ホッパーは麻薬中毒でセリフが覚えられず、事あるごとにコッポラと衝突した。それ以外にも主演のマーロン・ブランドが撮影当時極度に肥満していたため、物語の設定を一部変更する必要が生じたこともあった[3]。ブランドはキャスティングや脚本に対して自己中心的な主張をすることも多く(デニス・ホッパーとセットで共演する事を拒否したという)、遂には監督であるコッポラが心労で倒れる事態にまで陥ってしまう。トラブルは以降も続いたため、ストーリーも大きく変更され、後に脚本担当のジョン・ミリアスが不快感を表明するに至る。
制作発表時、ベトナム戦争やアメリカ及びアメリカ軍を批判的に扱った最初の映画として物議を醸したが、スケジュールの遅延やキャスティング面でのトラブル、監督であるコッポラの完璧主義によって撮影と編集が異常に長引いてしまった。撮影は17週間の予定が61週間(1976年3月~1977年5月)にも延びて、編集にも2年余りの時間が掛けられた。同様にベトナム戦争を題材にし、この映画の後から制作が始まった『ディア・ハンター』の方が先に公開されたほどである。映画の完成が遅れるに伴って、映画の制作費も当初の予定を大幅に上回る結果となった。最初の予算は1200万ドル(当時の日本円で約35億円)だったが、実際に掛かったのは3100万ドル(約90億円)だった。そのうち、1600万ドル(約46億円)はユナイテッド・アーティスツ社が全米配給権と引きかえに出資したが、残りはこの映画を自分の思いのままに作りたかったコッポラが自分で出した。資金の一部は、日本の配給元でもある日本ヘラルドから支援されたともいわれる。
コッポラの妻エレノア・コッポラは後に撮影手記『ノーツ―コッポラの黙示録』を出版。また、彼女が撮影の舞台裏を撮影したビデオや録音テープにスタッフ、キャストへのインタビューを加えたドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(原題:Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse)が1991年11月に公開された。当時の制作現場がいかに「戦場」のようであったかが窺える記録映画となっている。
[編集] 映画公開後
1979年のカンヌ国際映画祭で未完成のまま出品され、映画祭の最高賞に相当するパルム・ドールを獲得した。北米で一般公開されたのは同年の8月15日である。映画製作中の様々な困難にも関わらず、『地獄の黙示録』は公開後全世界で大ヒットを記録し、巨額の制作費を無事回収することが出来た。批評家たちからは映画の内容を巡って様々な評価が下された(詳細は後述)。
1979年度のアカデミー賞で作品賞を含む8部門でノミネートされ、そのうち撮影賞と音響賞を受賞した。それ以外にもゴールデングローブ賞の監督賞と助演男優賞、全米映画批評家協会賞の助演男優賞、英国アカデミー賞の監督賞と助演男優賞などを受賞。
1998年にアメリカ映画協会が選んだ映画ベスト100中第28位、2007年に更新されたリストではベスト100中第30位にランクインした。2000年にはアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。
[編集] 特別完全版
2001年には53分もの未公開シーンが追加されたディレクターズ・カットが公開された。この特別完全版では台風により不時着したヘリコプターとそれに乗っていたプレイメイト達の幕間劇、フランス人入植者たちとの交流のエピソードなども復元された。解説的なナレーションが増えたわけでは無いが、全体的にアメリカの偽善や欺瞞を告発するような場面が増え、初公開版とは大きく印象が異なるものとなった。例えばフランス人入植者たちとの会食の席で、ウィラードが「ベトコンを創り出したのはアメリカ人」とその由来を知らされ愕然とするシーンなどである。
特別完全版のプレミアは初公開時同様、カンヌ国際映画祭で行われた。特別完全版の公開に時を同じくしてアメリカはターリバーン勢力の殲滅を名目にアフガニスタン侵攻を開始。ターリバーンの母体となったムジャーヒディーンを冷戦中にやはりアメリカが支援していたといった事情を考慮し、日本の配給会社によって「コッポラは『地獄の黙示録』でアメリカ同時多発テロ事件を予見していた」という内容の宣伝もされた。
[編集] ストーリー
注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。
ベトナム戦争の最中、CIAによる要人暗殺の秘密作戦に従事していた特殊部隊員のウィラード大尉。彼はサイゴンのホテルに滞在中、突如軍上層部に呼び出され元グリーンベレー隊長のカーツ大佐暗殺の密命を受ける。カーツは軍の指令を無視して暴走し、カンボジアのジャングルの中に独立王国を築いていた。
ウィラードと彼の部下は、海軍の河川哨戒艇で大河を遡行する。彼らはその途中で戦争の狂気を目の当たりにする。サーフィンをするためにベトコンの駐屯地を襲撃する騎兵部隊の指揮官、ジャングルに突如として出現したプレイメイトのステージ、司令官抜きで戦い続ける最前線の兵士たち。そしてカーツの王国に近づくにつれて、ウィラード自身も少しずつ心の平衡を保てなくなっていく。
何人も部下を失いながらも、何とか王国にたどり着いたウィラード。彼は王国の支配者カーツと邂逅し、その言葉に動揺する。一時は監禁されたものの、改めて自由を与えられたウィラードは、水牛を生贄にする祭りの夜にカーツの暗殺を決行する。
[編集] キャスト
| 役名 | 俳優 | 日本語版1 | 日本語版2 |
|---|---|---|---|
| ウォルター・E・カーツ大佐 | マーロン・ブランド | 石田太郎 | 石田太郎 |
| ベンジャミン・L・ウィラード大尉 | マーティン・シーン | 大出俊 | 堀勝之祐 |
| ビル・キルゴア中佐 | ロバート・デュヴァル | 羽佐間道夫 | 小林修 |
| ジェイ・“シェフ”・ニックス | フレデリック・フォレスト | 池田勝 | 樋浦勉 |
| ランス・B・ジョンソン | サム・ボトムズ | 塩沢兼人 | 大滝進矢 |
| タイロン・“クリーン”・ミラー | ラリー・フィッシュバーン | 田中和実 | 二又一成 |
| チーフ・フィリップス | アルバート・ホール | 玄田哲章 | 玄田哲章 |
| ルーカス大佐 | ハリソン・フォード | 家弓家正 | 谷口節 |
| 報道写真家 | デニス・ホッパー | あずさ欣平 | 富山敬 |
| コーマン将軍 | G・D・スプラドリン | 内田稔 | 筈見純 |
| フランス植民農園の主人 | クリスチャン・マルカン | ||
| フランス植民農園の未亡人 | オーロール・クレマン |
[編集] 備考
ウィラード大尉は当初ハーヴェイ・カイテルが演じる予定だったが、撮影開始2週間で契約のトラブルが原因で降板。これ以降カイテルはハリウッドを干され、インディペンデント映画中心に活躍することになる。その後ハリソン・フォードの起用も検討されたが、『スター・ウォーズ』の撮影との関係により最終的にマーティン・シーンに落ち着いた。しかしフォードは撮影の見学に来た折に端役として出演しており、その時の役名は「ルーカス大佐」となっている。
報道班ディレクターとしてフランシス・フォード・コッポラが、報道班カメラマンとしてヴィットリオ・ストラーロがカメオ出演している。また、ヘリコプターの操縦手をリー・アーメイが演じている。
[編集] スタッフ
- 監督:フランシス・フォード・コッポラ
- 製作:フランシス・フォード・コッポラ
- 脚本:ジョン・ミリアス、フランシス・フォード・コッポラ
- 音楽:カーマイン・コッポラ、フランシス・フォード・コッポラ
- 撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
- 編集:リサ・フラックマン、ジェラルド・B・グリーンバーグ、ウォルター・マーチ
- 提供:ゾエトロープ・スタジオ
- 配給:ユナイテッド・アーティスツ(1979年)、ミラマックス(2001年)
- 日本配給:日本ヘラルド映画
[編集] 評価と解説
『地獄の黙示録』は公開直後から映画に対する賛否両論が噴出した。批評家たちの間で「ストーリーもあるようでないようなものである」「戦争の狂気を上手く演出できている」「前半は満点だが後半は0点」など、意見が分かれがちな映画である。作品としての質は別にして、批評家たちは「泥沼のベトナム戦争がアメリカ市民に与えた心の闇を、衝撃的な映像として残した怪作である」と結論付けた。
映画の冒頭はドアーズの「ジ・エンド」をBGMに、ベトナム戦争を象徴する兵器であるナパーム弾が全てを焼き払うかのような映像シーンである。そして、ウィラードがカーツ殺しに至るシーンで流れているのも、やはり「ジ・エンド」である。この他にもキルゴア中佐率いる部隊がワーグナーの『ワルキューレの騎行』を鳴らしながら、9機の武装したUH-1ヘリが敵の拠点である村落を攻撃していくシーンなど、様々な意味で話題となったシーンは多い。これらのシーンを巡って様々な解釈が公開当時から行われていた。また、キルゴア中佐の台詞にある「朝のナパーム弾の臭いは格別だ」(原文:I love the smell of napalm in the morning)は、アメリカ映画協会による名台詞ベスト100中第12位に選ばれている。
キルゴア中佐はさらにサーフィンをするために村を焼き払う。また、多くの戦闘の場所に指揮官たちがおらず、アメリカサイドにおけるベトナム戦争のいい加減さを強調し、アメリカが仕掛けたといわれるベトナム戦争に対するアメリカへの戦争批判がみられる。
ウィラード大尉は、原住民を無情に殺害した後、最後に自分の腕力を使い、カーツの暗殺に成功する。ウィラード大尉の行為は矛盾している。軍上層部のやり方が大きな矛盾や偽善を含んでいる事に気が付きながら(「それはウソだった、アメリカ軍のウソを見れば見るほど、俺はそれらのウソに憎しみを覚えた」、映画中のセリフ)、その命令に不要な犯罪を犯しさえしながら忠実に服従している。製作者コッポラは、『ゴッドファーザー』三部作で非常に高名であるが、『ゴッドファーザー』の第一作と第二作で、マフィアの暴力を間接的に礼賛しているとして、映画の人気とは対照的に知識人たちから批判を受けた事を自ら告白している[4]。本作品は戦争の非情さ、狂気を強調し、アメリカのベトナム戦争への加担を強く批判したという点で評価される面がある。その陰に隠れがちなものの、『ゴッドファーザー』第一作と第二作同様、暴力、殺人を積極的に描写してその一見「かっこいい」雰囲気を肯定的に表現している傾向があるという解釈も可能である[5]。映画の評価は評論家、個人によって違ったものになった[6]。また、ギリシャ神話を隠喩的に織り込んでいるともいわれる[7]。
『ゴッドファーザーPARTIII』において、監督であるコッポラが暴力を強く否定する必要があったのは大変な皮肉であったともいえる。『地獄の黙示録』は『ゴッドファーザー』の第一作目と第二作目と同様、最高レベルの人気をアメリカにおいて長期に渡って維持しており[8]、映画製作者としてコッポラは大成功を収めた。彼は映画界の最重要人物の一人といえる。一方、倫理的、論理的面で批判を受け続けたあと、それを容認し反省する映画(『ゴッドファーザーPARTIII』)を監督した点で[4]、倫理的矛盾を揶揄される弱みをコッポラは持っている。
[編集] 主な受賞
- 1979年度(第52回)アカデミー賞
- 1979年度(第37回)ゴールデン・グローブ賞
- 1979年度(第14回)全米映画批評家協会賞
- 助演男優賞:フレデリック・フォレスト(『ローズ』に対しても)
- 1979年度(第33回)英国アカデミー賞
- 監督賞:フランシス・フォード・コッポラ
- 助演男優賞:ロバート・デュヴァル
- 1979年度(第32回)カンヌ国際映画祭
- パルム・ドール:フランシス・フォード・コッポラ
- 国際映画批評家連盟賞:フランシス・フォード・コッポラ
[編集] 脚注
- ^ BOX OFFICE MOJO、“Apocalypse Now (1979)”(参照:2009年5月16日)
- ^ Cowie p. 128
- ^ Cowie p. 127
- ^ a b 『ゴッドファーザーPARTIII』に付随するコッポラ監督へのインタビューより
- ^ “This provocative film did for the Vietnam War genre what The Godfather did for the gangster movie.”Tim Darks、“Apocalypse Now (Redux) (1979) (2001)”、Filmsite。(参照:2009年5月25日)
- ^ “Sweeping Cannes”. Time(. June 4, 1979) 2008-11-22 閲覧。.
- ^ 立花隆著『解読「地獄の黙示録」』、文藝春秋、2002年2月、ISBN 978-4163584904
- ^ The Internet Movie Database、“IMDb Top 250”(参照:2009年5月25日)
[編集] 参考文献
- Peter Cowie (1989). Coppola. London: Andre Deutsch limited. ISBN 0-571-19677-2.
- Michael Schumacher (1999). Francis Ford Coppola: A Filmmaker’s Life. New York: Crown Publishers. ISBN 0-517-70445-5.
[編集] 関連項目
| カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作 |
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