ダンス・ダンス・ダンス

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ダンス・ダンス・ダンス
著者 村上春樹
イラスト 佐々木マキ
発行日 1988年10月24日
発行元 講談社
ジャンル 小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
ページ数 346(上巻)
340(下巻)
コード ISBN 4-06-204122-7(上巻)
ISBN 4-06-204123-5(下巻)
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ダンス・ダンス・ダンス』は、村上春樹の6作目の長編小説。

概要[編集]

1988年10月、講談社より上下巻で刊行された。表紙の絵は佐々木マキ1991年12月、講談社文庫として文庫化された。2004年10月、文庫版の新装版が刊行された。

作中の「僕」は『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の主人公と同一人物。前三作に比べて、活字の量・物語性が増している。資本主義の高度発展への社会批判、空虚感と孤独感が本書の特徴として挙げられる。

村上は本作のタイトルの由来について次のように述べている。

「『ノルウェイの森』とは違って、『ダンス・ダンス・ダンス』の場合はか書き始める前にまずタイトルが決まった。このタイトルはビーチボーイズの曲[注 1]から取ったと思われているようだが、本当の出所は(どちらでもいいようなものだけれど)ザ・デルズという黒人バンドの古い曲である。」[1]「日本を出発する前に、(中略)自家製オールディーズ・テープを作っていったのだが、その中にこの曲がたまたま入っていた。(中略)その曲をローマで毎日聴くともなくぼんやり聴いているうちよ、タイトルにふとインスパイアされて書き始めたのだ。」[1]

あらすじ[編集]

「僕」は3年半の間、フリーのライターとして「文化的雪かき」に従事していた。1983年3月のはじめ、函館の食べ物屋をカメラマンと二人で取材した。書き上げた原稿をカメラマンに託すと、「僕」は札幌行きの特急列車に乗る。「いるかホテル」に行ってキキ[注 2]と会うためだ。しかし「いるかホテル」(正式名はドルフィン・ホテル)は26階建ての巨大なビルディングに変貌していた。

「いるかホテル」の一室で羊男と再会し、札幌の映画館で中学校の同級生の出演する映画を見る。同級生の五反田君は生物の先生を演じていた。ベッドシーンで、カメラが回りこむようにして移動して女の顔を映し出すと、それはキキだった。

眼鏡のよく似合う女性従業員から、ホテルに取り残された13歳の少女を東京まで引率するよう頼まれる。少女の名はユキといった。

奇妙で複雑なダンス・ステップを踏みながら「僕」は暗く危険な運命の迷路をすり抜けていく[3]

登場人物[編集]

僕(主人公)
元翻訳事務所勤務。現在はフリーライターとして「文化的雪かき」に従事している。
五反田君
「僕」の中学時代の同級生で、人気俳優。フルネームは五反田亮一。芸名で活動している。映画「片想い」でキキと共演する。
ユキ
「僕」が「ドルフィン・ホテル」で出会った13歳の美少女。特別な感受性を持つため周りに馴染めず、不登校。
アメ
ユキの母親で新進写真家。独創的で力強い写真を撮る。写真のこととなるとユキを放ったらかしにして旅行に行くなど、熱中すると周りが見えなくなる。
牧村拓
ユキの父親。作家。自分の作家としての才能はアメとユキによって吸い取られてしまったと思っている。アメとは離婚し、現在は辻堂で書生と暮らしている。
ディック・ノース
詩人でアメの付き人。ベトナム戦争で片腕を失った。
ユミヨシさん
「いるかホテル」の跡地に建てられた「ドルフィン・ホテル」のフロントで働く眼鏡の似合う女性。
キキ
前作『羊をめぐる冒険』に登場した、耳に特別な力を持つ「僕」の元恋人で元高級コールガール
メイ
キキの同僚だったコールガール。「僕」とセックスをした後しばらくして何者かに殺される。
マミ
キキの同僚だったコールガール。メイとともに「僕」と五反田君に買われる。
ジューン
ハワイで過ごす「僕」のために牧村拓が用意したコールガール。
書生のフライデー
牧村拓の付き人。名字は中村。ユキは彼をゲイだと断言する。
羊男
羊の皮を被った謎の男。ドルフィン・ホテルで「僕」と再会する。
文学
赤坂のホテルの一室で殺されたメイの事件を担当する赤坂署の刑事。一昔前の文学青年を髣髴とさせる見た目から「僕」に「文学」と名づけられた。
漁師
その同僚。漁師のような日焼けの仕方をしているため、「文学」同様「僕」によってそう名づけられた。

登場する文化・風俗[編集]

  • レイ・チャールズ - 米国の歌手、ミュージシャン。ラジオからレイ・チャールズの歌う「ボーン・トゥー・ルーズ」が流れる[注 3]。「ボーン・トゥ・ルーズ」はTed Daffan's Texansの古いカントリーソング。
  • キース・ヘリング - 1990年に31歳の若さで他界した米国の画家。「僕」のハーフコートにはキース・ヘリングのバッジがついている[5]
  • ジェネシス - 英国のロックバンド。ユキのトレーナー・シャツに「GENESIS」というレタリングが入っているのが「僕」の目に入る。「ジェネシス――また下らない名前のバンドだ」と「僕」は思う[6]
  • ダンキンドーナツ - 1948年に米国で創業したファーストフードチェーン店。1998年を境に、米軍基地内を除いて日本から姿を消した[注 4]。本書では8回登場する[8][9]
  • バージニア・スリム - タバコの銘柄の一つ。2010年に「バージニア・エス」と改称した。ユキがバージニア・スリムを吸う仕草を「僕」は次のように表現する。「ナイフで切り取ったような薄い鋭角的な唇にフィルターがそっとくわえられ、火をつけるときに長いまつげが合歓の木の葉のようにゆっくりと美しく伏せられた。額に落ちた細い前髪が彼女の小さな動作にあわせて柔らかく揺れた。完璧だった」[10]
  • カウント・ベイシー - 米国のジャズ・ピアニスト、バンド・リーダー。本書では2回登場する。「毎日が同じような繰り返しだった。そうこうするうちにエリオットの詩とカウント・ベイシーの演奏で有名な四月がやってきた」「風呂を出ると僕はカリフラワーを茹で、それを食べながらビールを飲み、アーサー・プライソックがカウント・ベイシー・オーケストラをバックに唄うレコードを聴いた。無反省にゴージャスなレコード。十六年前に買った。一九六七年。十六年間聴いている。飽きない」[11]。「カウント・ベイシーの演奏で有名な」とあるのは、ベイシーが1957年にアルバムの中で発表した "April in Paris" のことを指す。
  • T・S・エリオット - 英国の詩人、文芸批評家。上記の引用部分は、エリオットの長編詩『荒地』の書き出しが「April is the cruellest month」であることにちなんでいる。
  • ロバート・フロスト - 米国の詩人。ピューリッツァー賞を4度受賞している。「僕は一度ディック・ノースがロバート・フロストの詩を朗読するのを聞いた。詩の内容まではもちろんわからなかったけれど、なかなか上手い朗読だった。リズムが美しく、情感がこもっていた」[13]
  • 佐藤春夫 - 近代日本を代表する詩人、小説家のひとり。「佐藤春夫の短編を久し振りにゆっくりと読みかえしてみた。何ということもなく気持ちの良い春の宵だった」という箇所がある[14]
  • イザベル・アジャーニ - フランスの女優。「泉に車を落としたらイザベル・アジャーニみたいな泉の精が出てきた」と「僕」がユキに説明する場面がある[16]

その他[編集]

  • 作品中に登場する牧村拓(まきむら ひらく)は、村上春樹(むらかみ はるき)のアナグラムである。このアナグラムは英語アルファベット表記において成立する (MAKIMURA HIRAKU - MURAKAMI HARUKI)。神戸で行われた村上の自著朗読会の場で、村上作品英訳の研究者の塩濱久雄がこの件に関して質問すると、村上自身がそれを認めたという[注 5]。本作品における牧村拓は、当初「文壇の寵児」のような存在として成功するも、アメと結婚後に行き詰まり、実験的前衛作家に転向、1970年代の初め頃に「冒険作家」というふれこみで名を馳せた作家として描かれている[17]
  • 村上は本書にハワイが出てくる理由について、本書執筆の大半を費やしたローマの家があまりにも寒かったので、完成したらハワイに行こうと妻に提案し、それからはハワイのことを考えながら執筆を続けたからであるとしている[18]
  • 執筆に関して村上は、「(『ノルウェイの森』とは異なり)自分の書きたいようにのびのびと好きに書いた。」、「書くという行為をこれほど素直に楽しんだことは、僕としても稀である。」と述べている[19]
  • また、自分の小説に関していえば後悔というものはないが本書は「唯一悔やまれる作品」と述べている。「半年くらい寝かせて、もう一度じっくり書き直したら、もっと大柄で深みのある、そしてより温かみを持った作品になっていただろうな、という感触があるのです」と後年書き記している[20]
  • また、本書を執筆した動機について、『羊をめぐる冒険』を書いた後に、「主人公に申し訳ないことをした」という思いを抱いたことであると語っている[要出典]
  • 本書の続編を書くつもりはないとも語っている[21]
  • 牧村拓が主人公に向かって「君は俺に何かを連想させる。何だろう?」と問いかけると、「何だろう? ピカソの『オランダ風の花瓶と髭をはやした三人の騎士』だろうか?」と「僕」が自問する場面がある[22]。ピカソにこのような作品は存在しない[注 6]
  • 本書は2002年時点で、単行本・文庫本を合わせて229万部が発行されている。

翻訳[編集]

翻訳言語 翻訳者 発行日 発行元
英語 アルフレッド・バーンバウム 1994年1月 講談社インターナショナル
1995年1月31日 Vintage Press
フランス語 Corinne Atlan 1995年8月25日 Seuil
ドイツ語 Sabine Mangold 2002年 DuMont Buchverlag Gmbh
イタリア語 ジョルジョ・アミトラーノ 1998年 Einaudi
スペイン語 Gabriel Álvarez 2012年 Tusquest Editores
カタルーニャ語 Núria Parés, Alexandre Gombau 2012年 Empúries
ポルトガル語 Maria João Lourenço 2007年 Casa das Letras (ポルトガル)
Lica Hashimoto, Neide Hissae Nagae 2005年 Estação Liberdade (ブラジル)
オランダ語 Luk Van Haute 2008年6月 Atlas
デンマーク語 Ib Høy Hansen 1999年 Klim
ノルウェー語 Kari Risvik, Kjell Risvik 1994年 Pax forlag
ポーランド語 Anna Zielińska-Elliott 2005年 Muza
スロバキア語 Lucia Preuss 2006年 Slovart
ハンガリー語 Erdős György 2010年 Geopen Kiadó
セルビア語 Divna Tomić 2005年 Geopoetika
ロシア語 Dmitry Viktorovich Kovalenin 1998年
ラトビア語 Ingūna Bek̦ere 2008年 Zvaigzne ABC
リトアニア語 Milda Dyke, Irena Jomantienė 2004年 Baltos lankos
ウクライナ語 Дзюб Іван Петрович 2006年
ヘブライ語 2010年
中国語 (繁体字) 頼明珠 1996年11月11日 時報文化
葉蕙 1992年
中国語 (簡体字) 林少華 1996年
韓国語 ユ・ユジョン 1989年12月20日 文学思想社
タイ語 นพดล เวชสวัสดิ์
ベトナム語 Trần Vân Anh 2011年 Nhã Nam

英訳版『Dance Dance Dance』は、未成年の飲酒・喫煙のシーンや、文化的に英語圏の人間にはわかりづらい箇所、ボーイ・ジョージに関する描写などが諸々の理由からカットされている。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ザ・ビーチ・ボーイズの「ダンス・ダンス・ダンス」は1964年10月にシングルとして発表された。
  2. ^ 小説の本文には次のような記述が記されている。「読者に・彼女は名前を必要としている。(中略)僕はその名前を後になって知ることになる。その事情は後で詳述するが、僕はこの段階で彼女にその名前を付与することになる。彼女はキキなのだ」[2]
  3. ^ 本文の該当箇所は以下のとおり。「レイ・チャールズの『ボーン・トゥー・ルーズ』だった。それは哀しい曲だった。『僕は生まれてからずっと失い続けてきたよ』とレイ・チャールズが歌っていた。『そして僕は今君を失おうとしている』。その唄を聴いていて、僕は本当に哀しくなった」[4]
  4. ^ 1998年、経営元を取材した読者から「9月いっぱいで完全撤退になるとのことです」というメールを受け取った村上は、その返事にこう書いている。「僕は思うのですが、ダンキンの失敗のいちばんの原因はドーナツの味が途中からがくんと落ちてしまったことです。このダンキン好きの僕でさえ、あとの頃はちょっと店に入る気になれなかったですから。どうしてそうなったかというと、ダンキンがセントラル・キッチン制をとって、現場で揚げたてのドーナツを出すのをやめちゃったからです。(中略) だいたい牛丼屋が・・・というのはまあともかく、ドーナツのことになると、僕もついムキになってしまいます」[7]
  5. ^ 塩濱は現・神戸山手大学准教授で、自論文中で経緯の記述がある。
  6. ^ レイモンド・チャンドラーの長編小説にもこれと似通った場面が登場する。依頼者がフィリップ・マーロウに向かって言う。「このあいだ手に入れた。アスタ・ディアルの『暁の精神』だ」。マーロウは答える。「私はまた、クロプステインの『尻の上の二つのイボ』かと思いましたよ」[23]

出典[編集]

  1. ^ a b 村上春樹『遠い太鼓』講談社、1990年6月、334頁。
  2. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、45頁。
  3. ^ 本書、上巻、講談社文庫、裏表紙の解説文より。
  4. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、37頁。
  5. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、61頁。
  6. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、72-73頁。
  7. ^ スメルジャコフ対織田信長家臣団』朝日新聞社、2001年4月、読者&村上春樹フォーラム163(1998年9月14日~9月17日)。
  8. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、110頁、129頁、184頁。
  9. ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、15頁、16頁、37頁、156頁、345頁。
  10. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、225頁。
  11. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、291頁、337頁。
  12. ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、35頁、51頁、165頁。
  13. ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、121頁。
  14. ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、161頁。
  15. ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、161-162頁。
  16. ^ 本書、下巻、講談社文庫、旧版、196頁。
  17. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、219-220頁。
  18. ^ 村上『遠い太鼓』前掲書、337頁。
  19. ^ 村上『遠い太鼓』前掲書、335頁。
  20. ^ 「村上朝日堂ホームページ」 読者&村上春樹フォーラム63・2006年5月8日~9日。
  21. ^ 『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』朝日新聞社、2000年8月、15頁。
  22. ^ 本書、上巻、講談社文庫、旧版、372頁。
  23. ^ レイモンド・チャンドラー『さよなら、愛しい人ハヤカワ・ミステリ文庫、村上春樹訳、78頁。