塩狩峠

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国道40号標識

塩狩峠(しおかりとうげ)とは、北海道比布町和寒町の間にあるである。国道40号JR北海道宗谷本線、及び道央自動車道が通過している。国道40号の峠の標高は263m。北緯44度付近に位置する天塩国石狩国の境界にあり、天塩川水系と石狩川水系の分水界上でもある。また、道央道北の境界とされる場合もある。

1898年(明治31年)に、国道40号の前身である仮定県道天塩線が峠を越えて開通した[1]。当初は難所の一つであったが、後年改良され、現在では曲線、勾配とも緩やかな峠となっている。 また、1899年(明治32年)に宗谷本線の前身である官設鉄道天塩線が開通している。 2000年(平成12年)には道央自動車道が開通した。峠部分は大規模な切通しとなっている。

目次

[編集] 鉄道事故

1909年(明治42年)2月28日、ここ塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかける事故がおこった。その車両に乗り合わせていた鉄道院(国鉄の前身)職員の長野政雄(ながの まさお)が、暴走する客車の前に身を挺して暴走を食い止めた。下敷きとなった長野は殉職したが、これにより乗客の命が救われた。現在、塩狩峠の頂上付近にある塩狩駅近くに顕彰碑[2]が立てられている。

なお、1947年(昭和22年)9月1日、類似した事故が長崎県の旧時津村(現・西彼杵郡時津町)の打坂峠で起こっている(詳しくは打坂地蔵尊を参照されたい)。

[編集] 小説『塩狩峠』

鉄道事故の実話を元に、三浦綾子が小説『塩狩峠 』を著し、1966年(昭和41年)4月から約2年半にかけて日本基督教団出版局の月刊雑誌『信徒の友』に掲載された。これを記念し、塩狩駅近くには、塩狩峠記念館及び文学碑が建てられた。

[編集] 登場人物

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永野信夫
本作品の主人公。永野家の長男。待子の兄。1877年(明治10年)2月、東京本郷生まれ。祖母・トセから、母・菊は信夫を産んで二時間後に死んだと聞かされ、士族の子として厳しく、しかし愛情をもって育てられる。トセの死後、母が実際生きていたと知り、祖母と父が嘘をついていたとショックを受ける。尋常小学校4年生時、級友たちとの約束がきっかけで修と仲良くなる。その年の夏、修一家は夜逃げ同然で蝦夷(北海道)へ引っ越してしまうが、修の父が死んでからは文通で親交を深める。旧制中学校卒業後、裁判所の事務員に就職。その数年後、10年振りに修と再会。修の勧めで北海道に行くことを決める。3年後、1900年(明治33年)7月の23歳で北海道の札幌に移住し炭鉱鉄道株式会社に就職。その1年後、和倉の強い勧めにより旭川へ転勤。元々はキリスト教嫌いであったが、後に、父母、ふじ子の影響で、鉄道会社に勤めながら、キリスト教信者になる。1909年(明治42年)、ふじ子との結納の2月28日当日、名寄駅から鉄道で札幌へ向かう途中、塩狩峠の頂上にさしかかろうという時、信夫の乗る最後尾の車両の連結部が外れる事故が起きる。信夫は乗客を守るため、レールへ飛び降りて、汽車の下敷きとなり自ら命を落とした。享年32。乗客は無事に助かったが、彼の死のショックは大きいものとなった。その年の3月2日に葬儀が行われ、郊外の墓地に埋葬された。
永野待子
永野家の長女。信夫の妹。信夫より4歳年下。母・菊が実家に離れて生活していた頃に生まれた。そのため、信夫は妹がいることは全く知らなかった。信夫と対照的に明るく人懐っこい性格。1899年(明治32年)、18歳で帝国大学出身の医者の岸本と結婚。
永野菊
貞行の妻。信夫と待子の母。キリスト信者のため、信夫が物心が付かないうちに、祖母・トセに実家から追い出された。トセが亡くなるまで、実家と離れて生活していた。幼な子の信夫を置いてまで信仰を守る強さを持った女性。
永野貞行
菊の夫。信夫と待子の父。心優しい性格であるが、士族も平民もみな同じ人間だと信夫を教育する。日本銀行に就職している。
永野トセ
永野家の祖母。大のキリスト教嫌いで、母・菊がキリスト信者のため、実家を追い出した。後に、脳溢血で亡くなる。
吉川修
吉川家の長男。ふじ子の兄。信夫の同級生。子どもの頃はお坊さんになるのが夢であった。尋常小学校4年生時、級友たちとの約束がきっかけで信夫と仲良くなる。しかしその年の夏、父の借金のため蝦夷(北海道)へ移住することになる。10年後、東京で一時信夫と再会し北海道に行かないかと勧め(その後すぐに北海道へ戻った)、さらにその3年後、北海道の札幌にて再び交流が深まるようになった。妹や母を大切にする心優しい青年。
吉川ふじ子
吉川家の長女。修の妹。生まれつき足に持病があり、成長してからは肺結核とカリエスを患い、病床でキリスト教に目覚める。元々明るい性格であったが、キリスト教信者になってからはより心豊かになり、信夫のキリスト教入信に多大な影響を与える。信夫との結納の日が決まり、信夫が旭川から帰ってくることを心待ちにするが・・・。
松井
信夫と修の同級生。クラスのガキ大将的な存在。
大竹
信夫と修の同級生。クラスの副級長。
虎雄
信夫の親友であり、幼馴染み。信夫より2歳年下。幼い頃、時々信夫と遊んでいたが、その後足が遠ざかって行ったまま交流を途絶えてしまう。しかし、信夫が裁判所の事務員に就職していた頃、窃盗と傷害で逮捕され囚人とされていた頃に信夫と再会(但し、お互い話しかけることはなかった)。その後、結婚して2児の父親となり、札幌の小間物屋で働いていた。後に、信夫のお葬式にも参加した。
浅田隆士
母・菊の甥。信夫と待子の従兄。大阪在住。登場人物の中、唯一関西弁で話す。
中村春雨
実在する人物。隆士と同期。「無花果」を信夫に読ませた。
和倉礼之助
北海道・札幌の炭鉱鉄道株式会社の信夫と修の上司。
和倉美沙
礼之助の娘。1901年(明治34年)、峰吉と結婚し2児の母親となる。
三堀峰吉
北海道・札幌の炭鉱鉄道株式会社の信夫と修の同僚。ある不祥事件がきっかけで一時は解雇されそうになったが、信夫や母からの説得で礼之助から許しを得た後、復職するとともに旭川へ栄転することになった。後に、礼之助の娘・美沙と結婚し、2児の父親となる。後に、キリスト信者となる。
伊木一馬
伝道師。

以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。


[編集] 映画

小説をもとに、1973年松竹(監督:中村登、主演:中野誠也)によって映画化された。

スタッフ
キャスト

[編集] 道徳の教科書

小説版の話を元に埼玉県の道徳の教科書『かけがえのないきみだから』(3年生版)に塩狩峠が掲載されてい る。

[編集] 脚注

  1. ^ 北海道道路史 路線史編 北海道道路史調査会 1990年 400頁
  2. ^ 「明治四十二年二月二十八日夜、塩狩峠に於て、最後尾の客車、突如連結が分離、逆降暴走す。乗客全員、転覆を恐れ色を失い騒然となる。時に乗客の一人、鉄道旭川運輸事務所庶務主任、長野政雄氏、乗客を救わんとして、車輪の下に犠牲の死を遂げ、全員の命を救う。その懐中より、クリスチャンたる氏の常持せし遺書発見せらる。「苦楽生死均しく感謝。余は感謝してすべてを神に捧ぐ」右はその一節なり 三十才なりき」と書かれている

[編集] 外部リンク

北の道ナビ 峠情報

[編集] 関連項目

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