フレデリック・ショパン

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フレデリック・ショパン
1835
1835
基本情報
出生名 Fryderyk Franciszek Chopin
出生 1810年3月1日(異説あり)
出身地 ポーランドの旗 ポーランド ジェラゾヴァ・ヴォラ
死没 1849年10月17日
フランスの旗 フランス パリ
ジャンル ロマン派音楽
職業 作曲家ピアニスト
活動期間 1817 - 1849
ショパンの署名

フレデリック・フランソワ・ショパンフランス語: Frédéric François Chopinポーランド語Fryderyk Franciszek Chopin[1] (フルィデールィク・フランチーシェク・ショペーン)[2]1810年3月1日2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説もあり) - 1849年10月17日)はポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名であった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。ノクターンワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人でもある。また、強いポーランドへの愛国心からフランスの作曲家としての側面が強調されることは少ないが、父の出身地で主要な活躍地であった同国の音楽史に占める重要性も無視できない。

目次

[編集] 生涯

  • 1810年 - 0歳:ポーランドワルシャワ公国の国土ほぼ中央に位置するジェラゾヴァ・ヴォラ(Żelazowa Wola)に、ウォンチニスキ伯爵家によって子弟の家庭教師としてフランスから招かれポーランドに帰化した父ニコラ(ポーランド名ミコワイ)、シュラフタ(ポーランド貴族)の娘である母ユスティナの間に生まれる。
  • 1816年 - 6歳: ヴォイチェフ・ジヴヌィの指導を受ける。
  • 1817年 - 7歳:ジヴヌィよりピアノを習いはじめる。現存する初めての作品『ポロネーズ ト短調』を作曲、出版される。
  • 1818年 - 8歳:ワルシャワではじめて公開演奏。
  • 1823年 - 12歳:ユゼフ・エルスネル(ワルシャワ音楽院長)より対位法、和声学を学び始める。
  • 1826年 - 16歳:ワルシャワ音楽院に入学。(父親の勧めによる。DEAGOSTINI刊、The Classic Collection 第3号より)
  • 1828年 - ベルリンに行き、2週間ほど滞在してウェーバーの歌劇『魔弾の射手』、チマローザの歌劇『秘密の結婚』、ヘンデルの『聖セシリア』を聴く。
  • 1829年 - コンスタンツィア・グワトコフスカ(声楽)への初恋(『ピアノ協奏曲第2番』第2楽章に結実)。 ワルシャワ音楽院を首席で卒業、ウィーンで演奏会を開く。
  • 1830年 - ワルシャワを去りウィーンに向かう。 告別演奏会で『ピアノ協奏曲第1番』を披露、コンスタンツィアも歌を披露。この時、ショパンの友人がポーランドの土が入った杯を渡したという伝説があるが、これはショパンの伝記を書いた著者の作り話である。ショパンのウィーン到着後まもなくワルシャワ蜂起が起こると、ウィーンでは反ポーランドの風潮が高まり、十分な演奏の機会も得られなかったため、パリ行きを決断する。
  • 1831年 - ウィーンを去りパリへ向かう。 途上、ワルシャワ蜂起失敗の報に接し『革命のエチュード』を作曲したとの伝説。 パリ到着、終生の友となるデルフィヌ(デルフィナ)・ポトツカ夫人と再会。
  • 1832年 - 2月26日 パリで初の演奏会を開く。
  • 1835年 - カルロヴィ・ヴァリ(カールスバート)で両親と最後の再会。 かつて親交のあったポーランド人貴族ヴォジンスキ伯爵家のマリアとドレスデンにて再会、ワルツを献呈(後に『別れのワルツ』と呼ばれる)。
  • 1836年 - 26歳:マリアに求婚。 マリー・ダグー伯爵夫人(リストの愛人)のサロンでジョルジュ・サンドを紹介される。
  • 1837年 - ヴォジンスキ家から婚約が破棄される(マリアからもらったバラの花と手紙の束は彼の死後「わが哀しみ」と書かれた紙包みの中から見つかった)。その原因は、当時明らかに彼が健康を害していたからだったとされる(DEAGOSTINI刊、The Classic Collection 第3号より)。
  • 1838年 - サンドとの交際が始まる。 マジョルカ島に半年間結核療養で滞在するも悪化。
  • 1839年 - 冬はパリ、夏はノアンのサンドの別荘で暮らす生活が始まる(1847年まで)。
  • 1844年 - 冬 インフルエンザにかかる。
  • 1847年 - 36歳:ジョルジュ・サンドと別れる。その後脱出できない鬱状態に陥る。これ以降の彼にとっての支えはかつての弟子、ジェーン・スターリングであったと言う。(DEAGOSTINI刊、The Classic Collection 第3号より)。
  • 1848年 - 2月26日 パリでの最後の演奏会。 ロンドンに滞在、ヴィクトリア女王の御前演奏など好評を博す。しかしながら、日程の厳しさが故に体調を更に悪化させる羽目になり、同年11月にはパリに戻る。(DEAGOSTINI刊、The Classic Collection 第3号より)
  • 1849年 - 39歳:姉、ルトヴィカと最後の再会。 ポトツカ夫人、病床を見舞い歌う。 10月17日パリで永眠。葬儀はパリのマドレーヌ寺院にておこなわれ、レクイエムが演奏された。これは、自らの葬儀に際してはモーツァルトのレクイエムの演奏をしてほしいとの生前の希望によるものであった。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬される(4つ左隣はルイジ・ケルビーニの墓)。しかし、彼の意向により心臓だけは、姉によってポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会の柱の中に納められている。

[編集] 人物

生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬等、その徴表が見られるが、そうした繊細なイメージとよくマッチした作風のものばかりでなく、そうした自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、情熱的な作風の曲も多く見られる。

幼少の頃からいろいろな面で才能を発揮し、ユーモアにあふれ、ものまねと漫画を描くのが得意で学校ではクラスの人気者だったという。

後半生は大部分をフランスで過ごした。しかし望郷の思いは終生止むことがなく、死後心臓が遺言によりポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」(シューマン)と評されることもしばしばである。

ジョルジュ・サンドの肖像画(1835年)

また、女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』、『幻想曲』、『バラード第4番』、『英雄ポロネーズ』、『舟歌』、『幻想ポロネーズ』等数多くの傑作が生まれた。

ピアノの技術革新の時代に生きたショパンは新しい演奏技術の開拓に果敢に挑み、自身の練習の意味も込めて『練習曲集』(『3つの新練習曲』を除く12曲)を2つ編んだ。一方で古典の作曲家への敬意は強く(実際ショパンは自身がロマン派に属するという考えを否定した)、特にバッハモーツァルトは彼の作品に影響を及ぼした。例えば『24の前奏曲集』は5度循環で24の全長短調を経る小品集だが、これは明らかにバッハの『平均律クラヴィーア曲集・24の前奏曲とフーガ』を意識したものである。また心を落ち着けるためにバッハの平均律をしばしば好んで弾いた。前奏曲作品28を作曲したマヨルカ島に持っていった印刷された楽譜は、バッハの平均律クラヴィーア曲集のみであったという。

また彼自身は同時代の有名な作曲家にして評論家でもあったシューマンとは違い、批評活動は全く行わず、音楽作品と文筆作品(ことに詩)との融合にもあまり積極的ではなかったという。

性格が激しく、それ故にしばしば欲求不満に陥ることもあったらしい(Exempli gratia: 1830年にウィーンに来た時の、一般大衆の音楽的嗜好が浅薄なものであったことに対してのそれ。DEAGOSTINI刊、The Classic Collection 第3号より)。

死の直前に撮影された写真

きちんとした写真がほとんど残されておらず、死の直前にルイ=オーギュスト・ビソンの手によって撮られた写真が有名である(もう一枚現存する1846年の写真は損傷が激しい)。

ショパンの病気は一般的には肺結核とされている。ショパンの解剖報告書、死亡診断書は失われたが、関係者の手紙で一部言及されており、それによれば、肺が侵されていたものの、死因までは特定できなかったと言う。この点や、ショパンの症状などから、ショパンの病気は他の疾患(たとえば遺伝子疾患の一種嚢胞性線維症など)ではないかとする説もある([2])。『音楽と病 病歴に見る大作曲家の姿』(ジョン・オシエー著、法政大学出版局、ISBN 4-588-02178-8)でも、嚢胞性線維症が主張されている。

[編集] ショパンの書簡に関する問題

ショパンの書簡については、作品同様に戦乱によってその大部分が消失していること、ティトゥス・ヴォイチェホフスキら一部の友人及びモーリッツ・カラソフスキら後世のポーランドの伝記作家が国粋主義的な動機から改竄を加えたことなどから、友人による写しなどソースが極めて怪しいものが多く、それらに基づく虚実不明のエピソードが現在に至るまで流布している。

代表的な事例としては、第二次大戦直後にポーランドの音楽研究家パウリーナ・チェルニツカが、ショパンがデルフィヌ・ポトツカ伯爵夫人に書いたという大量の書簡を公表した、というケースがある。これらにはショパンの私生活に対する言及や彼の音楽思想、他の音楽家に対する批評が多く含まれていたため論議を巻き起こした。彼女は原本の公開を拒否したまま謎の自殺を遂げたが、現在では(一部に議論はあるが)少なくとも大部分が彼女による偽作であるとされている。1950-60年代に書かれた伝記などにはこれらの書簡を引用したものが多い。ちなみに、ショパンがポトツカ伯爵夫人に書いた本物の手紙は一点のみ現存している。

  • 参考文献:『贋作ショパンの手紙』イェージー・マリア・スモテル著、足達和子訳、音楽之友社、1985年。ISBN 4-276-22433-0

[編集] 作品

ショパンは、数多くのピアノの作品を残したが、その中には未知の作品や、原稿消失作品が複数あることが確認されている。出版されている作品についても、戦乱により自筆譜が失われているものが多い。

ショパンの作品にはいろいろと逸話のあるものが多く、それらの中にはきちんと確証の持てないものも多い。サブタイトルは、ショパンが曲にタイトルを付けることを好まなかったため、ほとんどはショパン自身によるものではない。

ショパンは、遺言で自分の未出版作品の破棄を希望していたが、その希望は受け入れられず、友人でもあったユリアン・フォンタナをはじめとするショパン研究者によって出版された。主な遺作には、幻想即興曲、レント・コン・グラン・エスプッレシオーネ 嬰ハ短調(ノクターン 第20番)などがある。

フォンタナは、ショパンの原稿に手を加え、また作曲年代に関係なく作品番号を付けて出版した。遺作にあたる作品66から74は、フォンタナによって付けられた作品番号である。

なおショパンの作品の分類番号は2つあり、1つはKK(クリスティナ・コビラィンスカによる作品番号のついていない作品)とBI(モーリス・ブラウンによる作品分類番号)の2つである。ヤン・エキエルは、彼自身が編纂しているナショナル・エディション(ショパン全集)の中で、作品番号の付いていない作品に限って、WN(Wydanie Narodowe = ナショナル・エディション)というエキエル独自の作品分類番号を記している。

[編集] ピアノ独奏曲

マズルカ
4つのマズルカ 作品6
  • 嬰ヘ短調 作品 6-1 / 嬰ハ短調 作品6-2 / ホ長調 作品6-3 / 変ホ短調 作品6-4
5つのマズルカ 作品7
  • 変ロ長調 作品7-1 / イ短調 作品7-2 / ヘ短調 作品7-3 / 変イ長調 作品7-4 / ハ長調 作品7-5
作品6と作品7のマズルカ集は、フランスドイツ1832年にそれぞれ同じ出版社から発表された。フランス初版では作品6に5曲、作品7に4曲収められたが、ドイツ初版では作品6に4曲、作品7が5曲となっている。ここでは、一般的と思われるドイツ初版の曲順で記される。
4つのマズルカ 作品17
  • 変ロ長調 作品17-1 / ホ短調 作品17-2 / 変イ長調 作品17-3 / イ短調 作品17-4
4つのマズルカ 作品24
  • ト短調 作品24-1 / ハ長調 作品24-2 / 変イ長調 作品24-3 / 変ロ短調 作品24-4
4つのマズルカ 作品30
  • ハ短調 作品30-1 / ロ短調 作品30-2 / 変ニ長調 作品30-3 / 嬰ハ短調 作品30-4
4つのマズルカ 作品33
  • 嬰ト短調 作品33-1 / ニ長調 作品33-2 / ハ長調 作品33-3 / ロ短調 作品33-4 (ショパンの自筆譜の曲順では、嬰ト短調→ハ長調→ニ長調→ロ短調)
4つのマズルカ 作品41
  • 嬰ハ短調 作品41-1 / ホ短調 作品41-2 / ロ長調 作品41-3 / 変イ長調 作品41-4 (ショパンの自筆譜の曲順では、ホ短調→ロ長調→変イ長調→嬰ハ短調)
3つのマズルカ 作品50 1841年から1842年にかけて作曲
  • ト長調 作品50-1 / 変イ長調 作品50-2 / 嬰ハ短調 作品50-3
3つのマズルカ 作品56 1843年から1844年にかけて作曲
  • ロ長調 作品56-1 / ハ長調 作品56-2 / ハ短調 作品56-3
3つのマズルカ 作品59 1845年作曲
  • イ短調 作品59-1 / 変イ長調 作品59-2 / 嬰ヘ短調 作品59-3
3つのマズルカ 作品63 1846年作曲
  • ロ長調 作品63-1 / ヘ短調 作品63-2 / 嬰ハ短調 作品63-3
4つのマズルカ 作品67
  • ト長調 作品67-1 / ト短調 作品67-2 / ハ長調 作品67-3 / イ短調 作品67-4
4つのマズルカ 作品68
マズルカ イ短調 「ノートル・タン」 1840年から1841年にかけて作曲。
12人の作曲家たちの作品を収めたピアノ曲集「ノートル・タン」(我々の時代)の2番目にある。
マズルカ イ短調 エミール・ガイヤール嬢へ 1840年作曲。1841年出版。
マズルカ 変ロ長調 1826年作曲
マズルカ ト長調 1826年作曲
マズルカ ニ長調 1829年作曲
マズルカ 変ロ長調 アレクサンドラ・ヴォウォフスカ嬢へ 1832年作曲
マズルカ ハ長調 1833年作曲
マズルカ 変イ長調 1834年作曲
マリヤ・シマノフスカのアルバムの中に書かれていた。
マズルカ ニ長調 作品番号なし
ワルツ
華麗なる大円舞曲 変ホ長調 作品18
3つの華麗なる円舞曲 作品34
  • 変イ長調 作品34-1 / イ短調 作品34-2 / ヘ長調 作品34-3 - 俗称『猫のワルツ』
ワルツ 変イ長調 作品42 『大円舞曲』
3つのワルツ 作品64
2つのワルツ 作品69
3つのワルツ 作品70
ワルツ ホ短調 作品番号なし 1830年作曲
ワルツ ホ長調 作品番号なし 1829年作曲
ワルツ 変ホ長調 作品番号なし 1827年から1830年の間に作曲
ワルツ 変イ長調 作品番号なし 1827年から1830年の間に作曲
ワルツ 変ホ長調 作品番号なし 1840年作曲
ショパンの自筆譜には、『ワルツ』ではなく、「ソステヌート」と表示されている。
ワルツ イ短調 作品番号なし
ワルツ 嬰ヘ短調 作品番号なし(未出版)
夜想曲(ノクターン)
3つの夜想曲 作品9
  • 変ロ短調 作品9-1 / 変ホ長調 作品9-2 / ロ長調 作品9-3
3つの夜想曲 作品15
  • ヘ長調 作品15-1 / 嬰ヘ長調 作品15-2 / ト短調 作品15-3
2つの夜想曲 作品27
  • 嬰ハ短調 作品27-1 / 変ニ長調 作品27-2
2つの夜想曲 作品32
  • ロ長調 作品32-1 / 変イ長調 作品32-2
2つの夜想曲 作品37
  • ト短調 作品37-1 / ト長調 作品37-2
2つの夜想曲 作品48
  • ハ短調 作品48-1 / 嬰ヘ短調 作品48-2
2つの夜想曲 作品55
  • ヘ短調 作品55-1 / 変ホ長調 作品55-2
2つの夜想曲 作品62
  • ロ長調 作品62-1 / ホ長調 作品62-2
夜想曲 ホ短調 作品72-1
「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」(夜想曲) 嬰ハ短調 作品番号なし 遺作
夜想曲 ハ短調 作品番号なし 遺作
バラード
バラード第1番 ト短調 作品23
バラード第2番 ヘ長調 作品38
バラード第3番 変イ長調 作品47
バラード第4番 ヘ短調 作品52
スケルツォ
スケルツォ第1番 ロ短調 作品20
スケルツォ第2番 変ロ短調 作品31
スケルツォ第3番 嬰ハ短調 作品39
スケルツォ第4番 ホ長調 作品54
前奏曲
24の前奏曲 作品28
  • 第15番:雨だれの前奏曲 変ニ長調
前奏曲 作品45 (嬰ハ短調)
作品番号なし (変イ長調)
ショパンの自筆譜には、『前奏曲』ではなく「プレスト・コン・レジェレッツァ」とだけ記されている。
前奏曲 作品番号なし (変ホ短調) – 俗称 『トリル前奏曲』
練習曲
12の練習曲 作品10
  • 第1番 ハ長調
  • 第2番 イ短調
  • 第3番 ホ長調 :『別れの曲』(「別れの歌」)
  • 第4番 嬰ハ短調
  • 第5番 変ト長調:『黒鍵』(「黒鍵のエチュード」)
  • 第6番 変ホ短調
  • 第7番 ハ長調
  • 第8番 ヘ長調
  • 第9番 ヘ短調
  • 第10番 変イ長調
  • 第11番 変ホ長調
  • 第12番 ハ短調:『革命』(「革命のエチュード」)
12の練習曲 作品25
  • 第1番 変イ長調:『エオリアン・ハープ』『エオリアのハープ』(『牧童』『牧童の笛』)
  • 第2番 ヘ短調
  • 第3番 ヘ長調
  • 第4番 イ短調
  • 第5番 ホ短調
  • 第6番 嬰ト短調 (3度のエチュード)
  • 第7番 嬰ハ短調
  • 第8番 変ニ長調 (6度のエチュード)
  • 第9番 変ト長調:『蝶々』(「蝶々のエチュード」)
  • 第10番 ロ短調 (オクターヴのエチュード)
  • 第11番 イ短調:『木枯らし』(「木枯らしのエチュード」)
  • 第12番 ハ短調:『大洋』(「大洋のエチュード」)
3つの新練習曲 - モシェレスフェティス編纂の「メトード中のメトード」(Methode des methodes)のために 作品番号なし
  1. ヘ短調
  2. 変イ長調
  3. 変ニ長調
ポロネーズ
2つのポロネーズ 作品26
2つのポロネーズ 作品40
ポロネーズ 嬰ヘ短調 作品44
ポロネーズ 変イ長調 作品53 『英雄ポロネーズ
幻想ポロネーズ 変イ長調 作品61
3つのポロネーズ 作品71
  • ニ短調 作品71-1 / 変ロ長調 作品71-2 / ヘ短調 作品71-3
ポロネーズ ト短調 作品番号なし 1817年作曲
ポロネーズ 変ロ長調 作品番号なし 1817年作曲
ポロネーズ 変イ長調 作品番号なし 1821年作曲
ポロネーズ 嬰ト短調 作品番号なし 1822年作曲
ポロネーズ 変ロ短調 作品番号なし『別れのポロネーズ』 1826年作曲
ポロネーズ 変ト長調 作品番号なし 1829年作曲
即興曲
即興曲第1番 変イ長調 作品29
即興曲第2番 嬰ヘ長調 作品36
即興曲第3番 変ト長調 作品51
即興曲第4番『幻想即興曲』 嬰ハ短調 作品66
ピアノソナタ
ピアノソナタ第1番 ハ短調 作品4
ピアノソナタ第2番 変ロ短調 作品35
第3楽章が『葬送行進曲』であることから、「葬送ソナタ」、「葬送行進曲付き」と呼ばれる。
ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58
変奏曲
華麗なる変奏曲 変ロ長調 作品12
エロール作、アレヴィ補完の歌劇「リュドヴィク」の中のロンド・ファヴォリ「私はストールを売る」を主題としている。
ドイツ民謡「スイスの少年」の主題による変奏曲 ホ長調 作品番号なし
変奏曲 パガニーニの思い出 イ長調 作品番号なし
ヘクサメロン 第6変奏 ホ長調 作品番号なし
1837年作曲。ベッリーニの歌劇「清教徒」の第2幕の行進曲の主題による変奏曲。ウィーン初版の表紙の副題には「演奏会用作品・華麗なる大変奏曲」と記されている。ヘクサメロンとは、ギリシア語で「6つの詩」という意味である。クリスティーヌ・ベルジョジョーゾ(旧姓トリヴルツィオ)王妃が企画したフランスに住むイタリア移民のための慈善コンサート用に、リストタールベルクピクシスエルツチェルニー そしてショパンの6人の作曲家に依頼して作曲された。ショパンは第6変奏を担当。曲全体をまとめたのはリストである。また、リストは、オーケストラ用にも編曲している。
4手のための変奏曲 (ニ長調) 作品番号なし
1826年作曲。
ロンド
ロンド ハ短調 作品1
ロンド・ア・ラ・マズル『マズルカ風ロンド』 ヘ長調 作品5
ロンド 変ホ長調 作品16
ロンド ハ長調 作品番号なし
このうち『ロンド ハ長調』は、ショパン自身によって2台ピアノ用に編曲され、ショパン亡き後、友人のユリアン・フォンタナによって『ピアノ2台のためのロンド ハ長調 (作品73)』として出版された。
単独曲
序奏と華麗なポロネーズ ハ長調 (ピアノ独奏ヴァージョン)
チェロとピアノのための2重奏曲からのショパン自身による改作。
ボレロ ハ長調 作品19
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22(ピアノ独奏ヴァージョン)
ピアノとオーケストラのための協奏作品からの改作。
タランテラ 変イ長調 作品43
アレグロ・ド・コンセール演奏会用アレグロ イ長調 作品46
幻想曲 ヘ短調 作品49
子守歌 変ニ長調 作品57
舟歌 嬰ヘ長調 作品60
葬送行進曲 ハ短調 作品72-2
3つのエコセーズ 作品72-3(ショパンの自筆譜の曲順では、ト長調→変ニ長調→ニ長調)
  1. ニ長調
  2. ト長調
  3. 変ニ長調
『春』 ト短調 (ピアノ独奏ヴァージョン)
歌曲「春」 (作品74-2)からのショパン自身による改作。
フーガ イ短調
ラルゴ 変ホ長調
作曲当初、「前奏曲集 作品28」の19曲目に組み入れる予定であったという説もある。
カンタービレ 変ロ長調
モデラート (アルバムの一葉) ホ長調
コントルダンス (変ト長調
2つのブレー
  • I. ト長調 II. イ長調
ギャロップ・マルキ (変イ長調)
アレグレットとマズル (マズール) ("アレグレット" 部分は、イ長調→イ短調、"マズル" 部分は、ニ短調)
アレグレット (嬰ヘ長調)
ポーランド国歌『ポーランドいまだ滅びず』(ドンブロフスキのマズルカ)のピアノ独奏用編曲・リフレーン部分のみ (変ロ長調)
原曲は、ヘ長調であるが、ショパンは変ロ長調で書いている。
カノン ヘ短調
未完成作品である。「オクターヴのカノン」ともいわれる。

[編集] ピアノとオーケストラのための楽曲

[編集] 室内楽曲

[編集] 歌曲

  • 17の歌曲 作品74(歌とピアノ)
    • 「願い」(「乙女の願い」とも呼ばれる) ト長調
    • 「春」 ト短調 1838年作曲
    • 「悲しみの川」 嬰ヘ短調 1831年作曲
    • 「酒宴」(「浮かれた女」とも呼ばれることがある。) ハ長調 1830年作曲
    • 「好きな場所」 イ長調
    • 「消え失せよ・・・」 ヘ短調 1827年に作曲され、後年(1830年頃)改作された。
    • 「使者」 ニ長調 1831年作曲
    • 「美しき若者」 ニ長調 1841年作曲
    • 「メロディー」 ホ短調 1847年作曲
    • 「つわもの」 変イ長調 1831年作曲
    • 「二つの死」 ニ短調 1845年作曲
    • 「我がいとしき人」 変ト長調
    • 「なくてはならぬもののなき」 イ短調 1845年作曲
    • 「指輪」 変ホ長調 1836年作曲
    • 「許婚」 ハ短調 1831年作曲
    • 「リトアニアの歌」 ヘ長調
    • 「舞い落ちる木の葉」 変ホ短調 1836年作曲
  • 魔力 ニ短調 - 原題である”Czary”は、「魔力」の他に「魅惑」と訳されることもある。
  • ドゥムカ イ短調 1840年作曲 - 17の歌曲 作品74の13曲目「なくてはならぬもののなき」と同じ ザレスキ 作の詩に作曲された。こちらの方が5年前に書かれていて、調性も同じであることから、13曲目の原曲と考えられる。
  • マズル『どんな花』 ト長調 1829年作曲 - ピアノ伴奏はなく、詩と旋律のみの歌曲である。
  • ベッリーニ作曲の歌劇「ノルマ」のカヴァティーナ「カスタ・ディーヴァ(清らかなる女神)」とアリア「愛しい人よ、我が元へ」のためのピアノ伴奏 (未完)- 原曲は、ヘ長調であるが、ショパンはホ長調で書いている。ショパンの弟子で、歌手のポーリーヌ・ヴィアルドの私的な伴奏のために書かれたと考えられる。

[編集] 未知の作品、原稿消失作品

  • マズルカ(4曲、調性不明)
  • マズレク (調性不明)
  • ポロネーズ(3曲、調性不明)
  • ワルツ(4曲、調性不明)
  • コントルダンス 変ホ長調
  • コントルダンス 変ロ長調
  • 舞曲 (調性不明)
  • アンダンテ・ドレンテ 変ロ短調
  • 行進曲 変ロ短調
  • 行進曲 ヘ短調
  • 行進曲(調性不明)
  • 軍隊行進曲 1817年作曲(調性不明)- 吹奏楽ヴァージョンの楽譜が存在したが、ショパン自身のものかどうかは不明である。
  • 2つの小品
    • I 前奏曲 (ヘ長調)
    • II アンダンティーノ (ニ短調)
  • 変奏曲 (調性不明)
  • レント (調性不明)
  • 3声のカノンのコントラバス・パート(F.メンデルスゾーンによる)1832年4月に作曲。
  • 4手のためのソナタ (全4楽章)
  • 4手のための変奏曲 (ヘ長調)
  • 2つの教会音楽「エアロパンタレオンのための2つの作品」
    • 「主よ、来たりませ」- ショパンは、1846年11月、弟子の1人であるゾフィヤ・ザレスカ(旧姓ローゼンガルド)の結婚を機に宗教的な特色のあるピアノ作品を2曲作曲しており、その内の1曲がこの作品である。(未出版)
  • 歌曲 (5曲、題名及び調性不明)
  • アントニ・ラジヴィウによる歌とピアノのための作品 1830年作曲
  • 2つの歌 1840年作曲

[編集] 他者による編曲

[編集] オーケストラ

特に有名なものとして、いくつかの楽曲がオーケストレーションを施されまとめられ数種のバレエ音楽が存在する。

  • レ・シルフィード(Les Sylpheedes) - 1909年初演のバレエ曲目。バレエ演目としてのショパンの編曲では最も有名なもの。編曲者は多数にわたるが、次項のグラズノフを含む。ラ・シルフィード(La Sylpheede) - 1835年初演のバレエ曲目と混同される事があるが、こちらはショパンとは関係ない。
  • ショピニアーナ(Chopiniana) - グラズノフ編曲によるもの。バレエ音楽としての『レ・シルフィード』そのものを指す場合と、『レ・シルフィード』からグラズノフの編曲によるものをさらに抜粋した演奏会用組曲を指す場合がある。英雄ポロネーズや軍隊ポロネーズ、ノクターンやマズルカなどにオーケストレーションが施されている。

[編集] ピアノ曲

[編集] 歌曲

  • ポーリーヌ・ヴィアルド 『6つのマズルカ』 - ルイ・ポメ(Louis Pomey)のフランス語の詞による歌曲への編曲。ショパンの面前でも演奏された。[3]
    • 第1集(1864年出版)作品6-1、作品7-1、作品24-1、作品33-3、作品50-2、作品68-2の編曲。
    • 第2集(1888年頃出版)作品6-4、作品7-3、作品24-2、作品33-3、作品50-1、作品67-1の編曲。

[編集] 余談

ショパンはよく、「ポロネーズに始まり、マズルカに終わる」と言われる。これはショパンが初めて作曲した曲がポロネーズで、最後に作曲された作品がマズルカだからである。

[編集] 楽譜

ポーランド音楽出版社(パデレフスキ版およびエキエル版)やヘンレ社やペータース社などの原典版楽譜では、ショパンの自筆の楽譜とフォンタナやその他の編集者による楽譜が掲載されており比較することができる。

ポーランド音楽出版社 (PWM = Polskie Wydawnictwo Muzyczne )版
ショパン全集 (全27巻) イグナツィ・パデレフスキ編集。通称 「パデレフスキ版」または「クラクフ版」
全27巻の中から1曲または数曲を収めたピース版と作品選集も刊行されている。
ショパン・ナショナル・エディション財団(FWN = Fundacja Wydania Narodowego Dziel Fryderyka Chopina )版
ショパン全集 (全37巻) ヤン・エキエル編集。通称「エキエル版」または「ナショナル・エディション」 (補遺作品集以外は、2010年に完結)
1995年に装丁デザインが変更された。要約及び校訂報告がポーランド語版だけでなく英語版も出版された。一部の楽譜ではフランス語版とドイツ語版も出版されている。
ペータース社
ブロニスラウ・フォン・ポツニアク (ブロニスワフ・プズニャク)とヘルマン・ショルツ編集
ショパン全集・新校訂による原典版 (ロンドン・ペータース社から現在刊行中)
ウィーン原典版
ヤン・エキエル編集。但し、エチュード集がパウル・バドゥラ=スコダ編集で24の前奏曲作品28がコンラート・ハンゼン編集。
ヘンレ社原典版 (通称「ヘンレ版」)
サラベール社版(アルフレッド・コルトーによる校訂、通称 「コルトー版」)
デュラン社版(ガブリエル・フォーレおよびクロード・ドビュッシーによる校訂)
音楽之友社
春秋社版(井口基成による校訂)
全音楽譜出版社
エチュードのみ山崎孝校訂による原典版もある。

[編集] 参考文献

  • 下田幸二『聴くために 弾くために ショパン全曲解説』(1997年、ショパン)

[編集] ショパン国際ピアノコンクール

ワルシャワのショパン像

ショパンは、第一次世界大戦で解放されるまで他国によって虐げられたポーランド人の誇りである。大戦後ポーランド人は、ショパンの名を冠した国際ピアノコンクールを、ショパンの誕生日を中心とした期間に開催することにした。現在国際音楽コンクールは数多く開催されているが、このショパン国際ピアノコンクールは現在も続く国際音楽コンクールの中では最古のものである。

5年に一度のコンクールは、現在では10月17日のショパンの命日を中心とした期間に開かれ、公式日程のほか、市民が気に入ったピアニストを(たとえ予選で落ちた者でも)私的に囲んで演奏会を催したり、期間中遠方からの参加者がピアノを貸してくれる市民宅に逗留したりするなどのイベントが開催されている。1990年の第12回と1995年の第13回では2年続いて第1位優勝者が輩出されないという状況となったが、2000年の第14回コンクールにおいて中国のユンディ・リが15年ぶりに優勝した。2005年の第15回コンクールの模様はインターネットで全世界に配信された。この回、初の試みとして書類選考を通過した参加者全員をワルシャワへ呼び集め、テープやビデオ審査ではない生演奏による「予備審査」が導入されたが、2つの会場で同時にコンクール予備審査が行われるという審査方法は問題となった。

[編集] 主な弟子一覧

[編集] メディア

[編集] フレデリック・ショパンが題名及び歌詞に出てくる楽曲

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 姓のショパンについては、ショパンと同時代のポーランド語文献では Szopę (Chopin) というポーランド語式発音綴りと仏語式綴りの併記が多く見られ[要出典]ę [ɛɰ̃] は鼻母音)、近世以降はポーランド語化が進み格変化をもつ Szopen という綴りが Chopin と共に一般的であった。
  2. ^ 国際音声記号による発音表記は [frɨˈdɛrɨk franˈt͡ɕiʂɛk ʂɔˈpɛn]
  3. ^ Urszula Kryger (mezzo), Charles Spencer (piano) "Chopin Polish Songs" Hyperion CDH55270 のMieczyslaw Tomaszewskiによるライナーノーツ


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