カルロヴィ・ヴァリ
| Karlovy Vary | |||||
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| 位置 | |||||
位置 |
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| 座標 : 北緯50度13分42秒 東経12度51分58秒 / 北緯50.22833度 東経12.86611度 | |||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 州 | |||||
| Karlovy Vary | |||||
| 市長 | ペトル・クルハーネク | ||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 域 | 59.10km2 | ||||
| 標高 | 447m | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2010年現在) | ||||
| 域 | 53,907人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) | ||||
| 夏時間 | 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2) | ||||
| 公式ウェブサイト : www.karlovy-vary.cz | |||||
カルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)は、チェコ・ボヘミア西部の都市。ドイツ名のカールスバート (Karlsbad, Carlsbad)という呼称もよく知られる。人口は52,022人(2003年)。世界的に有名な温泉地。
目次 |
地勢・産業[編集]
テプラー川とラベ川(ドイツ語ではエルベ川)の支流であるオフジェ川(ドイツ語ではエーガー川)の合流点に発展し、温泉保養地として世界的に有名である。街の伝統産業としては、陶器工業、ボヘミアン・ガラスに代表されるガラス工業、地元のビール産業など挙げられ、近年は化学、機械、製材、食品工業の成長もみられる。
歴史[編集]
14世紀半ば、ボヘミア王であり神聖ローマ皇帝にもなったカール4世(ボヘミア王としてはカレル1世)が偶然に温泉を発見したとされる。街の名称も、そのカール4世(カレル1世)にちなんだものである。
18世紀以降、温泉地として急速な発展を遂げていった。ウィーン体制下の1819年には、オーストリアのメッテルニヒによる主導で自由主義運動を抑圧するカールスバート決議がなされた。19世紀になると、鉄道の開通により、ウィーンなどから多数の湯治客が訪れるようになり、街はさらに発展した。
第二次世界大戦前までは、住民の大半はドイツ系であった(1939年の時点でドイツ系住民は5万3300人)。1938年には、ナチス・ドイツによるズデーテン地方の併合により、ドイツ領となったが、第二次世界大戦後、独立を回復したチェコスロバキア政府のベネシュ布告(ドイツ系住民の国籍剥奪と財産没収を規定)により、ドイツ系住民は、強制的にカルロヴィ・ヴァリから追われることとなった(ドイツ人追放)。
第一次世界大戦後のチェコスロバキア建国に伴って、オーストリアから切り離されたことにより、ハプスブルク帝国の富裕層のための「リゾートを兼ねた湯治場」としての役割を終え、第二次世界大戦後に住民もほぼ入れ代わったカルロヴィ・ヴァリは、以後、映画祭を開催するなどして街の振興に努めている。
温泉と観光、行事[編集]
周辺のカルロヴィ・ヴァリ山塊に水源をもつ鉱泉(泉温43~73度)は、飲用・浴用として用いられている。交通網の整備が進むにつれて、各地から著名人が訪れるようになった。ゲーテ、シラー、ベートーヴェン、ゴーゴリ、ショパンなどが同都市に滞在しており、それを記念した碑が至る所で見られる。
1950年から一年おきに、国際映画祭「カルロヴィ・ヴァリ映画祭」が開かれる。日本は1954年から参加しており、参加した初年度に「原爆の子」が平和賞を受けた。
現在はロシア資本が多く流入し、チェコ語、英語のほか、ロシア語による情報も充実している。
ゆかりの人物[編集]
姉妹都市[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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