ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー

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ターナーの自画像

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーJoseph Mallord William Turner1775年4月23日 - 1851年12月19日)は18世紀末~19世紀イギリスロマン主義画家である。イギリスを代表する国民的画家であるとともに、西洋絵画史における最初の本格的な風景画家の1人である。

目次

[編集] 人物・経歴

解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号
ミノタウルス号の難破
雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道(1844)
トラファルガーの戦い(1822)

1775年ロンドンコヴェント・ガーデンに理髪師の子として生まれる。母親は精神疾患をもち、息子の世話を十分にすることができなかった。ジョゼフは学校教育もほとんど受けず、特異な環境で少年時代を過ごしたようである。13歳の時、風景画家トーマス・マートンに弟子入りし絵画の基礎を学んだ。当時の「風景画家」の仕事は、特定の場所の風景を念入りに再現した「名所絵」のような作品を制作することであった。マートンの元で1年ほど修業したジョゼフはロイヤル・アカデミー附属美術学校に入学。1797年にはロイヤル・アカデミーに油彩画を初出品し1799年には24歳の若さでロイヤル・アカデミー準会員となり、1802年に27歳の時には同・正会員となっている。

初期のジョゼフはアカデミー受けのする、写実的な風景を描いていた。アカデミー準会員となって以降、約20年間は有力なパトロンに恵まれ批評家のジョン・ラスキンからも好意的に評価されるなど画家として順調な歩みを続けた。『カレーの桟橋』(1803年)、『アルプスを越えるハンニバルとその軍勢』(1812年)などはこの時期の作品でロマン主義的な大気、光、雲の劇的な表現が特色である。

ジョゼフにとって転機となったのは1819年、44歳の時のイタリア旅行であった。ルネサンス期以来、長らく西洋美術の中心地であったイタリアへ行くことはイギリスのような北方の国の画家たちにとってのあこがれであり、ジョゼフもその例外ではなかった。イタリアの明るい陽光と色彩に魅せられたジョゼフは特にヴェネツィアの街をこよなく愛し、その後も何度もこの街を訪れ多くのスケッチを残している。イタリア旅行後の作品は画面における大気と光の効果を追求することに主眼がおかれ、そのためにしばしば描かれている事物の形態はあいまいになりほとんど抽象に近づいている作品もある。

1842年に制作された『吹雪-港の沖合の蒸気船』では蒸気船はぼんやりとした塊に過ぎず巨大な波、水しぶき、吹雪といった自然の巨大なエネルギーを描き出している。印象派を30年も先取りした先駆的な作品であったが、発表当時は石鹸水と水漆喰で描かれたなどと酷評された。この作品を制作するためにジョゼフはマストに4時間も縛りつけられ、嵐を観察したという逸話が残っている。

ジョゼフは手元にあった主要作品をすべて国家に遺贈したため、彼の作品の多くはロンドンナショナルギャラリーテート・ギャラリーで見られる。

[編集] 彩色の傾向

ジョゼフが好んで使用した色は黄色である。現存している彼の絵具箱では色の大半が黄色系統の色で占められている。逆に嫌いな色は緑色で、緑を極力使わないよう苦心した。ジョゼフは知人の1人に対して「木を描かずに済めばありがたい」と語っている。また別の知人からヤシの木を黄色く描いているところを注意された時には、激しく動揺している。

[編集] 代表作

  • 『トラファルガーの戦い』(1822年)(国立海洋博物館、ロンドン)
  • 『戦艦テメレール号』(1838年)(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)
  • 『吹雪-港の沖合の蒸気船』(1842年)(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)
  • 『セント・ベネデット』(1843年)(テート・ギャラリー)
  • 『雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道』(1844年)(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)

[編集] 関連項目

ジョゼフの名にちなんだ、イギリスの美術家に対して毎年贈られる賞。1984年から開始された。
瀬戸内海、松山市の沖にある島。夏目漱石の小説『坊つちやん』で登場人物がこの島の松の枝振りを見てジョゼフの絵のようだと言い、勝手に「ターナー島」と名付けるシーンがある。

[編集] 外部リンク

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