パリ国立オペラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ガルニエ宮の舞台。9月のシーズン初日には同バレエ団の団員が勢ぞろいするデフィレ(行進、"Defile du Ballet")が行われる。

パリ国立オペラOpéra national de Paris)は、フランスを代表するオペラバレエ団体である。文化省が管轄する『商工業的性格の公共機関』(Établissement public industriel et commercial français)の一つで、過去・現在のオペラとバレエ作品の紹介を使命としている。主にパリガルニエ宮オペラ・バスティーユで公演している。この団体を指してオペラ座と呼ぶこともある。

後進育成の教育施設を持ち、また、青少年のための催しを毎シーズン開く。

2004年からジェラール・モルティエが総裁に就任している。

歴史[編集]

『パリ国立オペラ』とは、パリの『国立オペラバレエ劇団』の、1994年以降の名前である。みなもとは、下記『劇団名の変遷』の項にある『音楽アカデミー』で、それは、作曲家ロベール・カンベール(Robert Cambert)と組んで宮廷用オペラを作っていた詩人ピエール・ペラン(Pierre Perrin)の請願が、財務総監コルベールの仲立ちで、ルイ14世に認められ、1669年に設立された。

その後、『王立』、『帝国立』を冠したことも、単に『オペラ』と呼んだときもある。その『オペラ座』または『パリ・オペラ座』の呼称がいつごろから広まったかは、明らかにできないが、1875年開場のガルニエ宮の所在地は、『オペラ広場』で、1878年敷設の、ガルニエ宮コメディ・フランセーズとを直に結ぶ街路は、『オペラ大通り』である。日本のある仏和辞典は『opéra:歌劇、歌劇場』、『Opéra:パリのオペラ座』と書いている。

劇団が本拠とする劇場も《世界初演とそのときの劇場》にあるように移り変わった。

1672年イタリア生まれのジャン・バティスト・リュリがペランとカンベールを逐い、多くの自作を公演した。しかし、後継の親族らの経営は低迷し、1733年以降のラモーのオペラは評判を呼んだが、赤字は積もった。

フランス革命の10年ほど前には、ドイツグルックイタリアピッチンニのオペラが、競り合った。革命期には、迎合的な作品も上演された。経営者が次々と代わり、ナポレオン政府の1807年の経済的措置でようやく救われた。

1821年からの11代目の劇場サル・ル・ペルティエでは、まずパリに滞在中のイタリアロッシーニが活躍した。ドイツのマイヤベーア、イタリアのドニゼッティもパリに住んでオペラを書いた。初演ではないが、ワーグナーは、『タンホイザー』のオペラ座公演(1861年3月13日)のため、パリ人が好きなバレエを書き加えた(「パリ版」と呼ばれる)。

1880年3月22日には、ヴェルディが、ガルニエ宮で『アイーダ』の棒を振った。

300余年前の発足時から、この劇団は、内外の多くのオペラとバレエとを舞台にかけ、諸国の指揮者・歌手・演奏家・舞踊家・管弦楽団・歌劇団・バレエ団などを広く招き、世界的な歌劇団としての役割を果たしてきた。

劇団名の変遷[編集]

劇団名のフランス史の節目ごとの変遷を列記する。

  • ブルボン朝時代
    • 1669:音楽アカデミー(Académie de musique)
    • 1672:王立音楽アカデミー(Académie royale de musique)
  • フランス革命
    • 1791:オペラ(Opéra)→ 音楽アカデミー → 王立音楽アカデミー
    • 1792:音楽アカデミー
    • 1793:国立オペラ(Opéra national)
  • ナポレオンの帝政・失脚・百日天下・失脚
    • 1804:帝室音楽アカデミー(Académie impériale de musique)
    • 1814:音楽アカデミー → 王立音楽アカデミー
    • 1815:帝室音楽アカデミー → 王立音楽アカデミー
  • ルイ・フィリップの退位、第二共和制の成立
    • 1848:国立劇場(Théâtre de la nation)
    • 1849:国立オペラ劇場(Opéra-théâtre de la nation)
    • 1850:国立音楽アカデミー(Académie national de musique)
  • ナポレオン3世即位
    • 1852:帝室音楽アカデミー
    • 1854:帝室オペラ劇場(Théâtre impériale de l'opéra)
  • ナポレオン3世退位、第三共和制
    • 1871:国立オペラ劇場(Théâtre national de l'opéra)
  • 第二次世界大戦
    • 1939:国立オペラ劇場連合(Réunion des Théâtres lyriques nationaux)
  • オペラ・バスティーユ開場
    • 1989:パリ・オペラ劇場協会(Association des Théâtres de l'Opéra de Paris)
    • 1994:パリ国立オペラ(Opéra national de Paris)

世界初演とそのときの劇場[編集]

以下、[1][2][3]……と、常打小屋を年代順に列記し、その劇場で初演された作品を、年代順に並べる。

☆印はバレエ作品で、作曲家名の次に隅付き括弧でくくったのは振付け師の名である。

[1] サル・ド・ラ・ブテイユ(1671年 - 1672年)、現在の6区、マザラン街。座主交代で放棄。

[2] サル・ド・ベル・エール(1672年 - 1673年)、リュクサンブール公園の北隣り。老朽化で移転。

  • リュリ:カドミュスとエルミオーヌ(1673年2月1日)

[3] 第1次サル・デュ・パレ・ロワイヤル(1673年 - 1763年)、現在のルーヴル美術館北隣り。1763年に火災。

  • リュリ:アルセスト(1674年1月19日)
  • リュリ:アティス(1676年1月10日)
  • リュリ:プロセルピーヌ(1680年11月15日)
  • リュリ:愛の勝利(1681年5月6日)
  • リュリ:ファエトン(1683年1月6日)
  • リュリ:アルミードとルノー(1686年2月15日)
  • マルカントワーヌ・シャルパンティエ:メデ(1693年12月4日)
  • カンプラ:優雅なヨーロッパ(1697年10月24日)
  • カンプラ:タンクレード(1702年11月7日)
  • マラン・マレー:アルシオーヌ(1706年2月18日)
  • ラモー:イポリトとアリシー(1733年10月1日)
  • ラモー:優雅なインド(1735年8月23日)
  • ラモー:カストールとポリュックス(1737年10月24日)
  • ラモー:エベの祭り(1739年5月12日)
  • ラモー:ダルダニュス(1739年11月19日)
  • ラモー:プラテ(1749年2月4日)
  • ラモー:ゾロアストル(1749年12月5日)

[4] サル・デ・マシーヌ(1764年 - 1770年)、現在のテュイルリー公園の東端。仮住まい。

  • モンシニー:アリーヌ、ゴルゴンドの王妃(1766年4月15日)

[5] 第2次サル・デュ・パレ・ロワイヤル(1770年 - 1781年)、ルーヴル美術館の北隣り。1781年に炎上。

[6] サル・ド・ムニュ・プレジール(1781年)、現在のガルニエ宮の東1km。仮住まい。

[7] サル・ド・ラ・ポルト・サン=マルタン(1781年 - 1794年)、10区のサン=マルタン門付近。強度不足で移転。

  • サリエリ:ダナオスの娘たち(1784年4月16日)
  • サリエリ:タラール(1787年6月8日)
  • サッキーニ:アルヴィルとエヴリナ(1788年4月29日)

[8] テアトル・デ・ザール(1794年 - 1820年)、2区の国立図書館の西、現在は『ラモー公園』。テロ事件で取り壊し。

  • ケルビーニ:アナクレオン(1803年10月4日)
  • スポンティーニヴェスタの巫女(1807年12月15日)
  • スポンティーニ:フェルナンド・コルテス(1809年11月28日)
  • ケルビーニ:アバンスラージュ(1813年4月6日)
  • スポンティーニ:オランビ(1819年12月22日)

[9] サル・ファヴァール(1820年 - 1821年)、現在のガルニエ宮の東400m。仮住まい。

[10] サル・ルヴォア(1821年)、2区の国立図書館の道路越し西正面。仮住まい。

[11] サル・ル・ペルティエ(1821年 - 1873年)、現ガルニエ宮の東400m。1858年にテロ事件、1873年に焼失。

[12] サル・ヴァンタドゥール(1874年)、現在のガルニエ宮の南南東500m。仮住まい。

[13] ガルニエ宮(1875年 - )

[14] オペラ・バスティーユ(1989年 - )

総支配人とメートル・ド・バレエ[編集]

フランス語版ウィキペディアに記載されている。

参考文献[編集]

いろいろなウェブ情報のほか、

関連項目[編集]

外部リンク[編集]