アンドレ・メサジェ

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アンドレ・メサジェ
André Messager
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基本情報
出生 1853年12月30日
フランスの旗 フランス帝国モンリュソン
死没 1929年2月24日(満75歳没)
フランスの旗 フランス共和国パリ
ジャンル 宗教曲
オペラ
オペレッタ
職業 作曲家
指揮者

アンドレ・シャルル・プロスペ・メサジェAndré Charles Prosper Messager, 1853年12月30日 モンリュソン - 1929年2月24日 パリ)は、フランス近代の作曲家指揮者。もとは宗教曲の作曲家だったが、後期ロマン派音楽の流れを汲むオペラオペレッタの創作に転じた。オペラでは異国趣味の要素も見られる。

略歴[編集]

パリに学び、ニーデルメイエ宗教音楽学校にて一時期サン=サーンスに師事。1874年サン=シュルピス教会オルガニストに就任。1874年に作曲家協会に提出した交響曲により金メダルを獲得し、1880年にサント・マリー=デ=バティニョル教会の楽長に就任。

1883年にフィルマン・ベルニカのコミック・オペラ《青靴下のフランソワ François des bas bleus 》を完成させ、1885年には自作のオペレッタ《神殿のツグミ La Fauvette du temple 》と《ベアルンの女 La Béarnaise 》を創作。後者は1886年ロンドンで上演された。また同年、バレエ音楽二羽の鳩 Les Deux pigeons 》がパリ・オペラ座で上演された。

しかしながらメサジェの名声を確立したのは、コミック・オペラ《 La Basoche 》のオペラ=コミック座における1890年の上演である(英語版は1891年ロンドン上演)。メサジェの名声は、口ずさみやすく品の良いライト・オペラ《お菊さん Madame Chrysanthème 》(1893年)や《ミレルト Mirelte 》(1894年)、《 Les p'tites Michu 》(1897年)、《ヴェロニク Véronique 》(1898年)によって上向いていった。中でも《ヴェロニク》はイギリスで大当たりを取っている。

指揮者としては、数年間パリのオペラ=コミック座で活動したほか、1901年にはロンドンでも活動しており、その後はコヴェント・ガーデンでも指揮者のひとりに名を連ねた。

ガブリエル・フォーレと《小ミサ曲》、ピアノ連弾曲《バイロイトの思い出》を共作している。

外部リンク[編集]

先代:
ジュール・ダンベ
オペラ=コミック座
首席指揮者
1877年 - 1898年
次代:
アレクサンドル・ルイジーニ
先代:
ジョルジュ・マルティ
パリ国立オペラ
音楽監督
1908年 - 1919年
次代:
フィリップ・ゴーベール
先代:
ポール・ヴィダル
オペラ=コミック座
首席指揮者
1914年 - 1919年
次代:
アルベール・ヴォルフ