リングワ・フランカ

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リングワ・フランカもしくはリンガ・フランカ(Lingua franca)は、「フランク語」、「フランク王国の言葉」を意味するイタリア語であるが、それから転じて、共通の母語を持たない人同士の意思疎通に使われている言語のことを指すようになった。現在では、「共通語」や「通商語」の意味で使われることが多い。

本来のリングワ・フランカ[編集]

本来のリングワ・フランカは、実際にレヴァント地方で用いられた、ロマンス諸語ギリシャ語アラビア語の混成語である。特に典型的なサビール語(Sabir)は、イタリア語を土台に、アラビア語ペルシャ語ギリシャ語フランス語などの単語や表現が混交したもので、近代前期に地中海地域の交易用に用いられた。フランスの劇作家モリエールの17世紀の戯曲町人貴族』でリングワ・フランカの台詞が登場する。

現代的なリングワ・フランカ[編集]

現代の言語学用語としてのリングワ・フランカは、広く外交商取引で使われる通商語、あるいは共通語という意味で用いられる。ピジン言語クレオール言語といった複数の言語の混合によって成立することもあるが、ある地方で政治的・経済的に大きな影響を持つ言語がリングワ・フランカとして用いられる場合もある。

実例[編集]

リングワ・フランカとして使われる、または過去に使われていた言語の実例を挙げる。

アラム語[編集]

アラム語は紀元前500年ごろより中東一帯における共通語であった。最終的にはイスラームの勃興によりアラビア語に地位をとってかわられる。

アラビア語[編集]

イスラム帝国の成立により、中東および北アフリカにおける共通語となる。またクルアーンはアラビア語の原文のままで読むべきものとされるため、その他の地域のアラビア語を母語としないイスラーム教徒にも普及している。

現代では口語(アーンミーヤ)の地域ごとの差異が著しいため、現代標準アラビア語(フスハー)が共通語として用いられる。国連公用語に採用されたアラビア語は現代標準アラビア語である。また、使用人口が多くメディアで流布されるカイロ方言などが、出身地の異なるアラブ人同士のコミュニケーションに用いられることもある。

漢文[編集]

中国をはじめ、日本朝鮮ベトナム台湾モンゴルといった東アジアにおいては、紀元前後から近世に至るまで、古代中国の漢文(現代中国語では文言文という)が、リングワ・フランカおよび外交用語としての役割を果してきた。漢字表意文字であることから、これらの国では互いの言語を理解できなかったとしても、漢文による意思疎通が可能であった。中国国内でも、中国語の方言の差異は著しく、発音のみならず文法まで異なる場合もあり、実質上は別言語であり相互理解不能なほどであるが、文語であれば相互理解が可能であった(共通口語としては官話が用いられている)。

漢文そのものでなくても、漢字が多用されている文章であれば、異なる言葉を用いる者の間でもある程度の意思疎通が可能になる場合もあり、例えば日本で発達した漢字仮名交じり文は、朝鮮語の話者であっても、漢字さえ理解できれば、あとは平仮名で書かれた助詞の意味さえわかれば、ある程度は理解ができる。しかし近現代の韓国北朝鮮ベトナムでは漢字の使用を廃止したり、近代までは共有されていた古典漢文の教養が失われたことによって、現在では通商語としての地位は失われていると言ってよい。

ギリシャ語[編集]

航海技術に優れた古代ギリシア人は地中海一帯に植民市を形成し、また通商に携わったことからギリシア語は地中海地域で広く用いられた。更にアレクサンドロス大王の征服とそれを継承するヘレニズム諸王朝により、ギリシア語はエジプトと西アジアの支配層の言語となる。ギリシア語の用いられた地域の多くは古代ローマに併呑されるが、ローマ文明は学術の面でギリシア文化を範としたことから、ギリシア語はローマでも教養人の必須科目であり、ローマ領域の東部では依然ギリシア語が用いられ続けた。新約聖書はギリシア語によりローマ帝国内で形成されたものである。

ローマ帝国がイタリア半島を含む国土の西部を失い東ローマ帝国の枠組みが成立すると、ギリシア語が東ローマ帝国における公用語として扱われるようになる。また帝国の国教である東方正教会の典礼語として、布教とともに帝国領外にも普及していった。しかし、宗教文書の現地語への翻訳と東ローマ帝国の領域縮小・滅亡を経て、コミュニケーション言語という面ではギリシア人の民族語以上のものではなくなった。しかしながら、現在でも学術用語の語彙においては、ギリシア語の単語が多用されている。

なお、以上の「ギリシア語」は時代による変化が大きく、必ずしも同一の言語とは言いがたい面もある。記事ギリシア語#歴史参照。

ラテン語[編集]

ローマの公用語であったラテン語は、西ローマ帝国滅亡後、民衆の言語としてはロマンス諸語に変容したが、西欧中欧においてはカトリック教会の公用語および学術・外交用語として用いられ続けた。むしろ西ローマ帝国滅亡後は知識人の必須教養としてのギリシア語の地位が失われたために、それに代わってラテン語が西欧における知識人の必須教養としての地位を得たと言ってよい。活版印刷で現地語の印刷物が普及するとラテン語の地位は相対的に低下し、宗教改革国民主義の勃興はこれに拍車をかけた。現代ではラテン語はリングワ・フランカと言うほど話されているとは言いがたいが、それでも欧米人の間での教養として、学名や学術用語、成句や一般の語彙にその名残りを見ることができる。

フランス語[編集]

ラテン語に代わって、およそ17世紀ごろから20世紀に英語にその地位を取って代わられるまで、ヨーロッパでリングワ・フランカおよび外交語としての地位にあったのがフランス語であった。これは英国においてはノルマン・コンクエストにより支配者階級がフランス語の話者であった事、イタリアやドイツは国内統一、ひいては言語の統一がフランスよりも遅れていたため、フランス語の地位が高まったためである。現在でも多くの旧フランス植民地で話されている。現在でも万国郵便連合では唯一の公用語である。国際連合では6つの国連公用語のひとつであるが、歴代の国連事務総長はいずれも英語と並びフランス語も堪能な人物であり、この2言語が使えることは国連事務総長に選ばれるための事実上の必要条件といわれる。フランスはフランス語を国際語として使用することを推進しており、フランス語をリングワ・フランカとする諸国の機構であるフランコフォニー国際機関も活動している。

英語[編集]

第二次世界大戦後から現在にいたるまで、国家間での貿易科学外交などといった分野でリングワ・フランカとして最も多く用いられているのは英語である。外交用言語としての英語の使用は、イギリス帝国の勃興に合わせて拡散していった。1919年には第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約で、フランス語と英語が併記されている。また20世紀に入って、同じく英語を公用語とするアメリカの政治的・経済的・文化的隆盛によって、英語はその国際語としての地位を確固たるものとした。第二次大戦後、イギリスは植民地の独立などによって国際外交的な影響力を失っていくが、言い換えれば英語を公用語ないしそれに準ずる言語としている独立国家が増加した事を意味する。例えばイギリスの旧植民地で最大の人口を持つインドにおいては、多民族・多言語国家であるがゆえに、英語が共通語としての地位を得た(インドはヒンディー語を公用語としているが、ヒンディー語を母語とする者とそうでない者の差別につながるため、どの民族の母語でもない英語の地位が高まっている)。現在、英語を母語とする人の人口は3から4億人、第二外国語として学ぶ者も含めると10億人前後に話されているとされている。

ロシア語[編集]

第二次世界大戦後、ワルシャワ条約機構COMECONに加盟する東側諸国ではロシア語が国際語の地位にあった。東欧革命後も旧ソ連CIS諸国ではロシア語が広く用いられる。一方中欧バルカン半島の旧東側諸国では英語ドイツ語の影響力が急速に拡大し、両言語の普及状況は拮抗している。

スワヒリ語[編集]

スワヒリ語は、東アフリカ沿岸の原住民と同地を訪れるアラビア商人たちの交流から生まれた言語である。東アフリカ沿岸に分布するバントゥー諸語にアラビア語の影響が加味されている。

マレー語・インドネシア語[編集]

マレー語は、インドネシアスマトラ島東部の方言がシュリーヴィジャヤ王国の繁栄と共にマレー半島にまで広まり、マレー商人の活躍に伴って15世紀ころからインドネシア各地、インドシナ半島海岸地方で用いられるようになり、東南アジアにおける共通語として発達した言語である。例えば東南アジアの最東に位置するフィリピンにおいても、交易のためマレー語を話す者が多く、フィリピンに到達したマゼランが、現地人にマレー語を理解できる者がいた事から、世界を一周した事を確認した逸話がある。

現在、マレーシアとシンガポールの国語である。またブルネイでは標準マレー語が公用語となっており、一般には語彙の90%が一致するブルネイ語(ブルネイ・マレー語)が主に話されている。

のちにインドネシアになる地域では、海峡マレー語のほか数多くの地方語が話されていたが、宗主国オランダからの独立を求める民族主義運動によって海峡マレー語が「インドネシア民族の共通の言葉」として採用され、独立後に国語として制定された。

サンスクリット[編集]

古代のインドで用いられた言語が、サンスクリットである。古代から中世にかけて各地域において地方口語が発達するが、それら諸地域の公用語として機能した。また仏教の普及拡大により、東南アジア、東アジアにおいて、限定された形であるが普及した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]