メソポタミア
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メソポタミア(Mesopotamia、ギリシャ語で「複数の河の間」)は、チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野であり、過去のペルシアの一部、現在のイラクにあたる。漢字による当て字は「米所並大迷亜」。メソポタミア文明 はメソポタミアに生まれた文明を総称する呼び名で、世界最古の文明であると言われていた。文明の初期の中心となったのはシュメール人であるが、シュメール人は民族系統が不明である。 地域的に、北部がアッシリア、南部がバビロニアで、バビロニアのうち北部バビロニアがアッカド、下流地域の南部バビロニアがシュメールとさらに分けられる。南部の下流域であるシュメールから、上流の北部に向かって文明が広がっていった。土地が非常に肥沃で、数々の勢力の基盤となったが、森林伐採の過多などで、上流の塩気の強い土が流れてくるようになり、農地として使えなくなってしまい、衰退した。
メソポタミアは、数多くの文明の栄えた土地であり、また数多くの文明によって征服されもした。それら諸文明の中には、シュメール、バビロニア(バビロン)、アッシリア、アッカド(ムロデ王国の四つの都市のひとつ)、エジプト文明、ヒッタイト、そしてエラム古代王国がある。
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[編集] 特徴
ティグリス・ユーフラテス両河は水源地帯の雪解けにより定期的に増水するため、運河を整備することで豊かな農業収穫が得られた。初期の開拓地や文化から始まり、エジプトなどよりも早く農業が行われた地域として知られている。
暦は太陰太陽暦を用い、1週間を7日(七曜)にしたのも彼らといわれる。暦と共に占星術(天文学の雛形)も発達し、「カルデア人の智恵」と呼ばれた(カルデアはメソポタミア地域の別名)。六十進記数法もメソポタミアで生まれたものであり、現在の時間の単位に用いられている。また、金属の鍛錬も知っていたとされている。
文字は象形文字を発展させた楔形文字を創始し、後世の西アジア諸国のさまざまな言語を表すのに利用され、記録媒体は粘土板が用いられた。楔形文字によって書かれたものとしてはハンムラビ法典がよく知られている。話していた言語は外交用語として用いられていたようで、エジプト文明の外交文書に、その言葉で書き記されたものが残っている。
ジッグラトと呼ばれる階段型ピラミッド(聖塔といわれているが詳細は不明)を中心に、巨大な都市国家を展開した。また、農耕の面でも肥沃な大地・整備された灌漑施設・高度な農耕器具により単位面積当たりの収穫量は現代と比較しても見劣りしなかったという。さらに、旧約聖書との関連も指摘されており、始祖アブラハムはメソポタミアの都市ウルの出自とされている。エデンの園はメソポタミアの都市を、バベルの塔はジッグラトを、ノアの洪水は当地で突発的に起こる洪水を元にした逸話との説がある。 そして貿易の交易範囲は広大で、エジプト文明やインダス文明との交易も予想される。
紀元前3500年前ごろにメソポタミア文明がつくられた。
[編集] メソポタミア周辺の歴史
[編集] シュメール文明
詳細は「シュメール」を参照
- 紀元前9000年頃、シュメール人が移住して来て、農耕が始まった。これがシュメール文明の始まりとされる。シュメール人の民族系統は不明である。
- 紀元前6500年頃にはいくつかの集落が発達していた。
- 紀元前3500年頃に楔形文字が発明された。この時期に粘土板に書かれた楔形文字は現在知られている文字体系では最古のものである。 楔形文字は以後2000年以上にわたってメソポタミアで使用されることになる。
- 紀元前3100年頃に南部でシュメール人の都市国家が発達しはじめる。
- 紀元前2700年頃までにウル、ウルク、ラガシュなどの多数の都市国家を形成した。
- そのほか彩文土器や青銅器などを作った。暦は月の満ち欠けに基づく日付が使用された。
- 都市国家間の戦争が絶えることなく、シュメール人の都市国家は衰退していった。
- 紀元前2350年頃、アッカド王サルゴンがメソポタミアを最初に統一して中央集権国家を作ったが、後に衰退した。
- 紀元前2100年頃、ウル第三王朝がウル・ナンムによって建てられメソポタミアを支配した。
[編集] バビロニア
詳細は「バビロニア」を参照
- 紀元前1900年頃にはセム人系のアムル人が巨大都市バビロンを都として古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を始めた。
- 紀元前1700年頃、古バビロニア王国、第6代のハンムラビ王(紀元前1729年-紀元前1686年)が30年間にわたる戦争の後にメソポタミアを征服した。ハンムラビ法典(ハムラビ法典。「目には目を、歯には歯を」の復讐法が有名)は彼によって作られた。
[編集] ヒッタイト
詳細は「ヒッタイト」を参照
- 紀元前1595年頃、現在のトルコにあったヒッタイト帝国により古バビロニア帝国は滅ばされる。
- 紀元前14世紀中頃、アッシリア帝国が独立する。アッシリアは、メソポタミアのバビロニアより上流の地方で、バビロニアとは異なった民族で、セム人系の民族である。
- 紀元前1200年頃、突然ヒッタイト帝国は滅亡。ヒッタイトの滅亡の原因については、「海の民」によって滅ぼされたとする説と、国内の内紛が深刻な食糧難などを招き滅亡に繋がったとする説があるが、記録が乏しいため決定的な原因は明かされていない。
[編集] アッシリア
詳細は「アッシリア」を参照
- 紀元前13世紀、アッシリア帝国がバビロンを占領。
- 紀元前11世紀、ヒッタイトの衰退に伴いアッシリア帝国が勢力を広げる。馬や戦車、鉄器を使用した。軍隊の維持は現地での掠奪によるため、残虐行為によって恐れられた。
- 紀元前745年即位したティグラト・ピレセル3世の時代にアッシリア帝国はメソポタミア全域とシリア、パレスチナを支配した。
- 紀元前722年、アッシリア帝国によりイスラエル王国(分裂後の北王国)が滅ぼされた。
- 紀元前671年、アッシリア帝国によりエジプトが支配され、アッシリア帝国はオリエント地域全体を支配する大帝国になった。
- 紀元前612年、新バビロニアとメディアの反撃により、アッシリア帝国の首都ニネヴェが陥落して破壊される。
- 紀元前609年、アッシリア帝国の滅亡。4帝国時代を迎える(70年間)。イラン高原のメディア、メソポタミアの新バビロニア、小アジアのリディア、エジプト第26王朝。
[編集] 4帝国時代
- 紀元前593年、ユダヤ人のユダ王国(南王国)の侵略に対し新バビロニアは反撃する。王族は捕えられてバビロンに送られる。
- 紀元前586年、ユダ王国が再び反乱を起こしたがバビロニアに鎮圧され、捕囚の身となって新バビロニアのニップール付近に強制移住させられた「バビロン捕囚」(紀元前538年まで)。
[編集] ペルシャ
詳細は「ペルシア帝国」を参照
[編集] ローマ属州時期
116年、トライアヌスが率いるローマ帝国軍は、メソポタミアを支配していたパルティアへ侵入し占領するが、翌年トライアヌスが死去(117年)すると、後継皇帝ハドリアヌスは翌118年にメソポタミアから撤退した。
[編集] パルティア
118年以後、再びパルティアの支配下に戻る。
[編集] 歴史的分類
- 新石器時代の開拓地。例:ジャルモ、テル・アブ・フレイラ、イェリコ
- ハッスナ期
- ハラフ期(またはハラフィナ期)
- サーマッラー期(またはサマラン期)
- ウバイド期、例:エリドゥ
- ウルク期、都市ウルクにより名前がつけられた。
- シュメール初期王朝時代
これらの時代の頃の都市や、開拓の場所:
[編集] メソポタミアの神々
多神教であったが、時代の支配民族によって、最高神は変わっていった。
- アンシャル - 天国の父
- アヌ - 最も高い天国の神
- アプスー - 神々と地下世界の海の支配者
- アシュル - アッシリアの国神
- ダムキナ - 地球の母なる女神
- エア - 知恵の神
- エンリル - 天候と嵐の神
- エヌルタ - 戦争の神
- ハダド - 天候の神
- イシュタル - 愛の女神
- キングー - ティアマトの夫
- キシャル - 地を司る女神(アンシャルの妻にして妹)
- マルドゥク - バビロニア人の国神
- ムンム - 霧の神
- ナブー - 書記の守護神
- ニンツ - 全ての神々の母
- シャマシュ - 太陽と正義の神
- スィン - 月の神
- ティアマト - 原初の女神
- ラフム アプスーとティアマトの子。ラハムの夫。アンシャルとキシャルの父。
- ラハム アプスーとティアマトの娘。ラフムの妻。アンシャルとキシャルの母。
[編集] その他
- 多くの点で、メソポタミア文明は世界の文明の基礎となっている。
- シュメール文明の遺跡から発掘された粘土板では「ワイン」や「ビール」を指す単語がシュメール楔形文字ではなく、違う系統の文字が使われていた例が存在する。一部の考古学者の見解では、「シュメール以前にも何らかの文明が存在し酒を醸造していた可能性がある」と指摘されている。「酒は人類の友」という言葉があるが、事実その通り酒は古代文明の歴史と遜色ないほど古いものである。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 古代近東の歴史(英文)
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