ヒッタイト

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赤:ヒッタイト帝国の最大勢力圏 緑:古代エジプトの勢力圏
赤:ヒッタイト帝国の最大勢力圏 緑:古代エジプトの勢力圏

ヒッタイト(英:Hittites)は、インド・ヨーロッパ語族ヒッタイト語を話しアナトリア半島王国を築いた民族。ハッティの英語名で、旧約聖書の Hitti(ヘテ人ヘト人)をもとにして、イギリスのA.H.セイスが命名した。

また、この民族が建国したヒッタイト帝国(王国とも)を指す。首都はハットゥシャボアズキョイ遺跡)。

目次

[編集] 概要

ヒッタイト人は黒海を渡って来た北方系民族といわれてきた。しかし、近年、逆にインド・ヨーロッパ語族が、この地域アナトリアを故郷として広がって行ったという説も提唱されている。紀元前1680年頃にクズルウルマック("赤い河"の意)周辺に王国を建国し、後にメソポタミアなどを征服した。エジプトの遺跡には、3人乗りの戦車でラムセス2世と戦うヒッタイト軍(ムワタリ2世の軍)のレリーフが描かれている。

青銅器時代、最初にを使い始めたことで知られている。当時、鉄は隕石からごくまれにしか採れなかったが、トルコのカマン・カレホユック遺跡にて鉄滓が発見される。近年、ヒッタイト以前の紀元前18世紀頃(アッシリア商人の植民都市がアナトリア半島一帯に展開した時代)に鉄があったことが明らかにされた。鉄の製法はヒッタイトが滅びるまでは秘密にされた。その他にも、他国に青銅を輸出或いは輸入していたと見られる大量の積荷が、海底から発見された。通説では紀元前1190年に、民族分類が不明の「海の民」によって滅ぼされたとされている。

なお、ヒッタイト王の称号は、タバルナであるが、これは古王国の初代王であるタバルナ1世、また、ラバルナの名を継承したハットゥシリ1世の個人名に由来し、後にヒッタイトの君主号として定着したものである。ヒッタイト王妃の称号タワナアンナであるが、これも初代の王妃であるタワナアンナの名を継承したといわれている.

[編集] 歴史

  • 紀元前2000年頃、ヒッタイト人、アナトリアに侵入。
  • 紀元前1680年頃、ヒッタイト古王国の成立。
  • 紀元前1595年頃、メソポタミア古バビロニアを滅ぼす。
  • 紀元前1450年頃、ヒッタイト新王国の成立。フリ文化の色彩強まる。
  • 紀元前1330年頃、シュッピルリウマはミタンニを制圧する。この時、前線に出たのは、王の息子達であった。
  • 紀元前1285年頃、古代エジプトシリアカデシュで衝突。ラムセス2世のエジプトを撃退する。ラムセス2世は、勝利の記録を戦いの様子と共にルクソールなどの神殿に刻んでいるが、実際にはシリアはヒッタイトが支配を続けた(カデシュの戦い)。この際に、世界最古の講和条約が結ばれた。
  • 紀元前1190年頃に滅びる。地中海諸地域の諸種族混成集団と見られる「海の民」によって滅ぼされたといわれているが、最近の研究で王国の末期に起こった3代におよぶ内紛が深刻な食糧難などを招き、国を維持するだけの力自体が既に失われていたことが明らかになった。
  • 王国が滅びたあと、東南アナトリアに移動し紀元前8世紀頃まで、新ヒッタイトと呼ばれる都市国家群として活動した。ただし、この都市国家群の住民はかなりの程度フリ人と同化していたと考えられている。

[編集] 歴代君主

[編集] 古王国以前の支配者

[編集] 古王国

[編集] 新王国

[編集] 遺跡

ハットゥシャ遺跡
ハットゥシャ遺跡

[編集] 関連作品

[編集] ボードゲーム

  • コマンドマガジン日本語版 第67号 付録ゲーム:「カデシュの戦い」国際通信社

[編集] 関連項目

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