ティルス
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アル・ミナーの遺跡(ローマ時代のアゴラ)
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| 英名 |
Tyre |
| 仏名 |
Tyr |
| 登録区分 |
文化遺産 |
| 登録基準 |
文化遺産(iii) (vi) |
| 登録年 |
1984年 |
| 公式サイト |
ユネスコ本部(英語) |
| 地図 |
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| 使用方法・表示 |
ティルス(Tyrus)(テュロス(Tyros))は、レバノンの南西部、地中海に面する都市遺跡。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された史跡でもある。ティルスの現在の名前はスールないしはティール(アラビア語で岩という意味)といわれる[1]
[編集] 概要
ティルスは、現在小さな漁村であるスールの位置にかつてあった都市である。都市の起こりは紀元前2500年ごろといわれている。ティルスは紀元前1000年頃、ティルス王ヒラムが陸地から1キロメートルほど離れた小島に移した。紀元前332年に半島となった。
以後、フェニキア人の造った都市国家でも最大級にまで発展する。また、アレクサンダー大王に対して唯一抵抗したフェニキア国家でもあった。
[編集] 歴史
紀元前2500年、ビブロスやベイルートと共に、フェニキア人の都市として成立。 紀元前11世紀から紀元前9世紀に最盛期。ティルスの植民都市としてカルタゴを建設。 紀元前9世紀から紀元前8世紀にアッシリアの強大化によって勢力を失い、他のフェニキア諸都市と同様にアッシリアに従属する。 紀元前701年、エジプトと同盟しアッシリアに反乱。アッシリア王センナケリブの遠征軍に包囲され5年間抵抗するが、服属。 紀元前669年、エジプトと同盟しアッシリアに反乱。アッシリア王エサルハドンの遠征軍の攻撃を受ける。 紀元前585年、新バビロニア王ネブカドネザル2世の遠征軍に包囲され13年間にわたり抵抗した後、服属。 紀元前332年、マケドニアのアレクサンダー大王の東征軍に対し、フェニキア人の中で唯一激しく抵抗したが、包囲され、要塞化されたティルスの島に立てこもった。しかし、アレクサンダー大王は艦隊で海上を封鎖し、7ヶ月かけて島との間の約1キロメートルを埋め立て陸続きにしてしまう。その後の総攻撃によりティルスは陥落。この戦いによるティルス側の戦死者は8,000人、陥落後さらに2,000人が殺害され、3万人のティルス市民が奴隷として囚われたといわれる。後にアレクサンダー大王の許しを得てティルスは再建されるが、政治的にも経済的にも弱体化し、かつての繁栄は失われた。
その後、セレウコス朝シリアやローマ帝国の支配下に置かれ、12世紀には十字軍の支配を受ける。その後、イスラム化が進行するにつれ、ティルスは縮小され、ついには放棄される。
現在は、ローマ帝国支配時代の遺跡があまり風化せず数多く残るが[2]、都市としての面影は無い。周辺地域にてスールやアナーといった小さな村が点在するだけである。
[編集] 主な史跡
[編集] 姉妹都市
[編集] ギャラリー
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
- (vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。
[編集] 脚注
- ^ 堀口(2005) 28ページ
- ^ 高さ十数メートルの円柱が両サイドに数十本ずつ立ち並ぶ大通りが続いている。この都市遺跡は1920年代に土の中から発見されたので、破壊されずに残っていた。また、この都市遺跡から少し離れたところにほとんど破壊されていない巨大な競技場が残っている。(堀口(2005) 29ページ)
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
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