アッコ

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アッコ
עַכּוֹ
عكّا
Acre
イスラエルの旗
アッコ旧市街
アッコ旧市街
位置
アッコの位置の位置図
アッコの位置
座標 : 北緯32度55分40秒 東経35度4分54秒 / 北緯32.92778度 東経35.08167度 / 32.92778; 35.08167
行政
イスラエルの旗 イスラエル
 行政区 北部地区
 市 アッコ
地理
面積  
  市域 13.533 km2 (5.225 mi2)
人口
人口 (2007年現在)
  市域 約46,000人
その他
等時帯 イスラエル標準時 (UTC+2)
夏時間 イスラエル夏時間 (UTC+3)
公式ウェブサイト : http://www.akko.org.il
世界遺産 アッコ旧市街
イスラエル
アッコの塔
アッコの塔
英名 Old City of Acre
仏名 Vieille ville d’Acre
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (3), (5)
登録年 2001年
公式サイト ユネスコ本部(英語)
使用方法表示
Akkon hafen altstadt israel datafox.jpg
旧市街の海城

アッコヘブライ語: עַכּוֹ‎、アラビア語: عكّا‎、英語: Acre)は、イスラエル北部の西ガリラヤ地方に位置する北部地区にある。「アッコ」はヘブライ語での読み方であり、アラビア語ではアッカー(アッカ)と呼ばれる。また、アッコンアクレアークルサン・ジャン・ダクルSaint-Jean-d’Acre)などとも呼ばれる。

概要[編集]

アッコは地中海に面した港湾都市であり、歴史的には東地中海交易の拠点として栄えた。イスラエル独立後も、イスラエルに残ったパレスチナ人が多く定住し、人口のおよそ3分の1を占めている。

アッコ旧市街は、2001年ユネスコ世界遺産リスト(文化遺産)に登録された。旧市街は地上にオスマン帝国時代の各種建築物が残っているだけでなく、地下により古い十字軍時代の大規模な遺構が現存していることが確認されている。

歴史[編集]

1104年第1回十字軍によりボードゥアン1世が街を占拠して、パレスチナの中心都市にした。1187年アイユーブ朝サラディン率いる軍隊により、イスラム勢力が街を奪還するが、1189年8月、ギー・ド・リュジニャンによって陸と海から、街が包囲される。1191年7月にリチャード1世らが率いる第3回十字軍が来るまでは持ちこたていたが、十字軍によって再び占拠される。1192年エルサレム王国の首都となる。1229年ホスピタル騎士団の支配下となる。

その後、アイユーブ朝やマムルーク朝の反撃によってシリアにおける十字軍国家の領域は徐々に奪われていき、アッコは13世紀後半には十字軍国家に残された数少ない重要拠点となった。1291年、マムルーク朝スルターンアシュラフ・ハリールが率いる軍によってアッコは落城し、これにより十字軍国家はシリアにおける拠点をほぼ失った。以後200年以上、アッコはマムルーク朝によって統治された。

1517年にマムルーク朝が滅びると、アッコはオスマン帝国によって統治された。18世紀にはザーヒル・ウマルジャッザール・パシャといった中央から半ば自立した有力者による支配のもと、城塞の修復や公共施設の建設などの都市整備が進められた。18世紀はヨーロッパとレヴァントを結ぶ東地中海交易が再び盛んとなった時期で[1]、貿易港であったアッコも発展した。旧市街に残るオスマン時代の町並みはこの時期に整備されたもので、当時の繁栄やオスマン帝国における地方有力者の強大な権力を物語っている。

1799年にはナポレオンエジプト・シリア戦役の舞台の1つとなった(アッコ攻囲戦)。第一次エジプト・トルコ戦争ではアッコへ侵攻したイブラーヒーム・パシャのエジプト軍に対し守備隊が頑強に抵抗したが[2]1832年に陥落しアッコはムハンマド・アリー朝によって支配された。1840年ロンドン条約が結ばれると再びオスマン帝国によって支配され、20世紀初頭にはヒジャーズ鉄道の支線が開通している。

第一次世界大戦末期の1918年9月にメギッドの戦いでオスマン軍が敗れるとオスマン帝国による支配は終焉を迎え、イギリス軍がアッコを占領した。戦後、イギリス委任統治領パレスチナが成立するとアッコもその領域に含まれた。第二次世界大戦中の1941年にはこの地でイギリス軍とシリアに駐屯するヴィシー・フランス軍の間にサン・ジャン・ダクル休戦協定が結ばれている。1948年、アッコは現在のイスラエル領となった。

スポーツ[編集]

友好都市[編集]

関連項目[編集]

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。[3]

脚注[編集]

  1. ^ 加藤博『イスラーム世界の危機と改革』(世界史リブレット37) 山川出版社、1997年、p.27.
  2. ^ G・アントニウス(木村申二訳) 『アラブの目覚め』 第三書館、1989年、p.17.
  3. ^ 社団法人日本ユネスコ協会連盟 - 世界遺産活動

外部リンク[編集]