アラビア半島
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| アラビア半島 | |
|---|---|
| 座標 | 北緯19度29分29秒 東経47度26分56.5秒座標: 北緯19度29分29秒 東経47度26分56.5秒 |
| 面積 | 3,237,500km2 |
| 最高標高 | 3,666m |
| 最高峰 | ナビー・シュアイブ山 |
| 最大都市 | |
| 所在海域 | 紅海・アラビア海 |
| 所属大陸・島 | ユーラシア大陸 |
| 所属国・地域 | |
アラビア半島(アラビアはんとう)は、アジアとアフリカを繋ぐ場所に位置する西アジア南西の巨大な半島である。半島としては世界最大である。
紅海、アカバ湾、アラビア海、アデン湾、ペルシア湾、オマーン湾等に囲まれており、北の付け根はイラクとヨルダンにあたる。半島の南東方面にはルブアルハリ砂漠が広がっている。
政治的には、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタール、オマーン王国、イエメン共和国に分かれており、カタールとサウジアラビアの沖にバーレーンがある。
アラブ地域ではجزيرة(ジャズィーラ。「島」の意)に定冠詞を付けたالجزيرة(アル・ジャズィーラ)と言えば一般にアラビア半島のことをさし、「アラブ地域」の代名詞として慣習的に用いられる。
アラビアの語源 [編集]
アラビアという名の起源は極めて古い。既にローマ帝国のときからアラビア属州という名前が存在することから、それより以前からこの地域はアラビアと呼ばれていたことになる。記録ではアッカド人が彼らのことをArabiと読んでいたことが知られている。
歴史 [編集]
- 5世紀頃 商業発展し、マッカとヤスリブ(マディーナの旧称)を中心に栄える。
- 570年頃 マッカにイスラム教の開祖ムハンマド誕生。
- 622年 初期イスラム教団がマッカを離れ、本拠地をヤスリブに移す。ヤスリブは「預言者の町」を意味するマディーナ・アン=ナビー(略称:マディーナ)に改名。これをヒジュラ(聖遷)と称する。この年をイスラムの暦であるヒジュラ暦(1年を354日とする太陰暦)の元年とする。
- 630年 ムハンマドのマッカ入城。ムハンマド率いるイスラム軍がアラビア半島統一。
- 632年 ムハンマド死去。初代正統カリフとしてアブー=バクルが選出される。首都はマッカ。
- 661年 ウマイヤ朝成立。帝国の首都はマッカからウマイヤ家の本拠地ダマスカスに遷都。
- 10世紀後半 マッカを含む半島西部のヒジャーズ地方は、ファーティマ朝の保護下となる。
- 12世紀後半 アイユーブ朝建国。ヒジャーズ地方はアイユーブ朝の領土となる。
- 1250年 マムルーク朝建国。ヒジャーズ地方はマムルーク朝の領土となる。
- 1517年 オスマン帝国のセリム1世、マッカ・マディーナの保護権獲得。
- 1802年 ワッハーブ王国がヒジャーズ地方に進出。
- 1818年 エジプト総督ムハンマド・アリーがワッハーブ王国を滅ぼす。
- 1824年 第二次サウード王国が建国。
- 1891年 第二次サウード王国が滅亡。オマーンがイギリスの保護国になる。
- 1902年 サウード家がリヤド奪還。サウード王国復興。
- 1915年 イギリスは来るべきアラブ反乱(アラブのトルコからの独立戦争)の支持を確約(フサイン=マクマホン協定)。
- 1916年 アラブ反乱勃発。ヒジャーズ王国成立。
- 1918年 イエメン王国独立。
- 1920年 オスマン帝国はセーヴル条約により、ヒジャーズ王国の独立を承認。
- 1924年 トルコ共和国でカリフ制度が廃止されると、ヒジャーズ国王フサインがカリフを自称。しかし支持を得られず孤立。ヒジャーズ王は長男のアリー・イブン・フサインに王位を譲り隠遁する。
- 1925年 サウード家のイブン=サウードがヒジャーズに侵攻。ヒジャーズ王国滅亡。
- 1931年 イブン=サウードがヒジャーズ=ネジト王国の建国を宣言。
- 1932年 ヒジャーズ=ネジト王国がサウジアラビア王国に改称される。
- 1951年 ガワール油田が生産開始。サウジアラビア王国に莫大な富をもたらす。
- 1971年 バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンがイギリスから独立。
- 1991年 湾岸戦争勃発。
- 1996年 アルジャジーラ開局。
- 2010年 ブルジュ・ハリーファ竣工。