アラビア半島
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アラビア半島は、アジアとアフリカを繋ぐ場所に位置する西アジア南西の巨大な半島である。
紅海、アカバ湾、アラビア海、アデン湾、ペルシア湾、オマーン湾等に囲まれており、北の付け根はイラクとヨルダンにあたる。半島の南東方面にはルブアルハリ砂漠が広がっている。
政治的には、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、カタール、オマーン王国、イエメン共和国に分かれており、カタールとサウジアラビアの沖にバーレーンがある。
アラブ地域ではجزيرة(ジャズィーラ。「島」の意)に定冠詞を付けたالجزيرة(アル・ジャズィーラ)と言えば一般にアラビア半島のことをさし、「アラブ地域」の代名詞として慣習的に用いられる。
[編集] 歴史
- 5世紀頃 商業発展し、マッカとヤスリブ(マディーナの旧称)を中心に栄える。
- 570年頃 マッカにイスラム教の開祖ムハンマド誕生。
- 622年 初期イスラム教団がマッカを離れ、本拠地をヤスリブに移す。ヤスリブは「預言者の町」を意味するマディーナ・アン=ナビー(略称:マディーナ)に改名。これをヒジュラ(聖遷)と称する。この年をイスラムの暦であるヒジュラ暦(1年を354日とする太陰暦)の元年とする。
- 630年 ムハンマドのマッカ入城。ムハンマド率いるイスラム軍がアラビア半島統一。
- 632年 ムハンマド死去。初代正統カリフとしてアブー=バクルが選出される。首都はマッカ。
- 661年 ウマイヤ家のシリア総督ムアーウィヤが第4代正統カリフ・アリーからカリフ位を奪い、ウマイヤ朝成立。帝国の首都はマッカからウマイヤ家の本拠地ダマスカスに遷都。
- 750年 アッバース革命。ウマイヤ朝は滅亡。アッバース朝の成立。
- 10世紀後半 マッカを含む半島西部のヒジャーズ地方は、ファーティマ朝の保護下となる。
- 12世紀後半 アイユーブ朝建国。ヒジャーズ地方はアイユーブ朝の領土となる。
- 1250年 マムルーク朝建国。ヒジャーズ地方はマムルーク朝の領土となる。
- 1517年 オスマン帝国のセリム1世、マッカ・マディーナの保護権獲得。
- 1744年 サウード家が主催するワッハーブ王国(第一次サウード王国)が建国。
- 1802年 ワッハーブ王国がヒジャーズ地方に進出。
- 1818年 エジプト総督ムハンマド・アリーがワッハーブ王国を滅ぼす。
- 1824年 第二次サウード王国が建国。
- 1891年 第二次サウード王国が滅びる。オマーンがイギリスの保護国になる。
- 1902年 サウード家がリヤド奪還。サウード王国復興。
- 1914年 第一次世界大戦勃発。
- 1915年 イギリスは大戦に勝利するために、敵である三国協商の一角を占めるオスマン帝国の弱体化を謀る。オスマン支配下にあったアラブ人独立(アラブ反乱)を支持することを確約した(フサイン=マクマホン協定)。
- 1916年 マッカのシャリーフであったフサイン・イブン・アリーが、オスマン帝国からの独立とアラブ民族の統一を大義に掲げて、4人の息子たちとともに、アラブ反乱を起こす。その陰にはイギリスの軍属トーマス・エドワード・ロレンスの隠密活動もあった。ヒジャーズ地方の独立が達成され、ヒジャーズ王国となる。一方で、イギリスは秘密裏にサイクス・ピコ協定をフランス、ロシア帝国との間で結び、旧オスマン領土の分割を約していた。
- 1917年 ロシア革命のせいで、サイクス・ピコ条約がアラブ側の知るところとなる。
- 1918年 第一次世界大戦終結。パリ講和会議で民族自決が唱えられた。オスマン帝国のアラビア半島最南端の領土からイエメン王国が独立。
- 1920年 オスマン帝国はセーヴル条約により、ヒジャーズ王国の独立を承認。イラク、シリア、レバノン、パレスチナの領土からも撤退。シリア・アラブ王国が独立。しかし新王国は独立後わずか数か月後にフランス軍により潰された。その後はフランスの委任統治下に入った。
- 1921年 旧オスマン領から、ヒジャーズ王の息子たちを王とするトランスヨルダンとイラク王国が成立。ただし、これら2王国は、イギリスの委任統治下に置かれた。半島中部ではサウード家がラシード家を滅ぼして勢力を拡大する。
- 1923年 トルコ革命。オスマン帝国滅亡。トルコ共和国建国。
- 1924年 トルコ共和国でカリフ制度が廃止される。これに伴いヒジャーズ国王フサインがカリフを自称。しかし支持を得られず孤立する。ヒジャーズ王は長男のアリー・イブン・フサインに王位を譲り隠遁する。
- 1925年 サウード家のイブン=サウードがヒジャーズに侵攻。ヒジャーズ王国は建国後わずか9年で滅亡。
- 1931年 サウード家のイブン=サウードがヒジャーズ=ネジト王国の建国を宣言。
- 1932年 サウード家のイブン=サウードがヒジャーズ=ネジト王国をサウジアラビア王国に改称する。同年、イラク王国がイギリスから独立。初代イラク国王は、滅亡したヒジャーズ王国の初代王の三男であったファイサル1世。
- 1946年 クウェート(当時はイギリスの自治保護領)にあるブルガン油田が生産開始。
- 1951年 ガワール油田が生産開始。サウジアラビア王国に莫大な富をもたらす。
- 1958年 イラクの王政が倒れ、イラク共和国となる。
- 1961年 クウェートがイギリスから独立。
- 1971年 バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンがイギリスから独立。
- 1990年 イラク共和国がクウェートに侵攻。
- 1991年 湾岸戦争勃発。

