漢字文化圏
漢字文化圏(かんじぶんかけん)とは、「文化圏」概念の一つ。漢字に代表される漢文化(中国文化)を使用しているか、過去に使用していた地域のことであり、漢字の他に漢文や儒教などに由来する文化を共有している[1]。
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[編集] 概要
漢字文化圏とは、中国と中国皇帝からの冊封を受けた周辺諸民族のうち、漢文を媒体として、中国王朝の国家制度や政治思想を始めとする文化、価値観を自ら移入し、発展させ、これを中国王朝とゆるやかに共有しながら政治的には自立を確保した地域上記の双方を合わせた地域を指す。注意を要するのは、媒体は漢文であって中国語ではないことである。漢字文化圏では漢文は中国語だと考えられていない。現在の地域区分で言うと「東アジア」と重なる部分が大きく、現在の中国大陸、台湾、ベトナム、南北朝鮮、日本に代表される地域がここに含まれる。日本の歴史学者・西嶋定生が提唱した「東アジア世界論(冊封体制論)」をきっかけとして定着し、歴史学における「文化圏」概念形成のモデルの一つとなった。
[編集] 漢字文化圏の内包と外延
[編集] 南北朝から宋代まで
歴史学上の概念としての漢字文化圏の外延を考える場合、西嶋「冊封体制論」が想定する南北朝時代から唐代にかけての地域秩序が第一の参照例となる。西嶋は「東アジア世界」を定義する指標として、冊封のほか、漢字、儒教、仏教、律令制の4件を挙げており、これに該当する主な朝貢国には 新羅、渤海、日本(倭国)がある。この他、律令制の導入が確認できない高句麗、百済も加えて差し支えないだろう。なお北宋以降は高麗が新羅に取って代わり、また新しく大越が加わる。
このほか、南詔及び大理については、その政治制度と文化の漢化度を漢籍資料だけから測ることは難しいが、南詔が唐の、大理が北宋の冊封を受けており、中国密教が流行していたこと、また移住した漢人が政治に関与していることは、新羅、百済など典型的な「東アジア世界」の朝貢国と並行的である[2]。また遼、金、西夏は、軍事的に北宋、南宋を圧迫し、漢文を排除して独自の文字を制定、使用した[3]点で狭義の定義からは外れるが、一方いずれの国も皇帝を称し廟号を贈り、独自の元号を建てるなど、何らかの形で中国王朝に倣った国制を取り入れている。これらをいずれも「グレーゾーン」に含めることは可能であろう[要出典]。
[編集] 明代以降
「冊封体制」が復活した明代以降になると、漢字文化圏に入る要件を満たす国家(ないし地域)は現在まで続く安定性をほぼ確立しており、李氏朝鮮、琉球、大越(後の越南)、そして日本がこれにあたる。この時期には、日本が「冊封体制」から離れているほか、律令制が形骸化し、代わって科挙官僚制が発達するなど、西嶋の挙げた4件は全てを満たされなくなった。特徴的な文化要素として第一に挙げるべきは書記言語である。漢文の移入は漢字による自言語の文字化を促したため、日本の仮名、朝鮮の口訣、吏読[4]、ベトナムのチュノムなど、漢字から派生した独自の文字や用法が発達し、それぞれの国家の固有性を保障する書記言語が確立した[5]。宗教面では土着化した仏教、道教などが、地域的な濃淡と混淆(シンクレティズム)を見せながら民衆に普及し、政治思想としての儒教と合わせて、圏内でゆるやかに共通する思惟の枠組みが定着するに至った。食事における箸の使用、喫茶の習慣、建築における瓦の使用など、生活文化の中にも漢字文化圏を起源とし、これを中心に分布する特徴が見られる。
[編集] 用語選定の要因
「文化圏」概念の設定と命名に際しては、地名による場合と、文化の主要な規定要因となる宗教名または書記言語名を冠する場合とがある。漢字文化圏の場合、「東アジア文化/文明圏」「儒教文化圏」などの用語も並行的に使われているが、「東アジア」という地域名称には具体的な意味内包がなく抽象的すぎること[6]、中国、日本、朝鮮、ベトナムなどにおいて「儒教」の受容のされ方にそれぞれ違いがあることから、「漢字」が全体を平等にカバーする中立的かつ具体的な文化要素として適切と判断され、もっとも普及したものと考えられる[7]。
[編集] 近現代における漢字の存廃について
漢字文化圏内に現存する各国の書記言語の多くは漢文から発達するか漢語からの語彙借用を行ったため、その語彙には漢語系語彙が多く含まれ、音声言語にも流入し通用ている。現在、日本語や朝鮮語、ベトナム語では辞書に掲載されている語彙の6割程度が漢文に起源を持つ単語である[8][9][10]。ラテン文字の存在が知られて以降、漢字の学習の困難さや、表意文字(表語文字)を主体とする漢字では表音表現(表音文字)が難しく、不便な性質に対する不満から、漢字廃止論が唱えられるようになった。主に近代になり、従属国で、中国からの文化的自立がナショナル・アイデンティティ確立の課題とされ、漢字そのものが中国文化への従属の象徴と見なされるようになったため、漢字を廃止、または制限する政策が取られるようになった。主に、南北朝鮮のそれである。なお、ベトナムではフランスの植民地支配下において流入したローマ字表記のクオック・グー(国語)が一般に使用されており、高齢者や一部の専門家、中国語の学習者以外で漢字を理解する人は少ない。また大韓民国では教育用基礎漢字1800字が中等教育で教えられているが、一般には李氏朝鮮の第4代国王世宗の時代に制定された訓民正音(現在のハングル)が使用され、新聞等でも漢字はほとんど使われることはない。韓国における漢字#「文字戦争」を参照のこと。
一方、その他の漢字使用国でも、康熙字典体を簡略化するのかしないのか、するとしたらどのようにするのかは各国の事情に基づいてのみ行われ、日本漢字、簡体字、繁体字の間に字体の異なりが生じた。
2011年の漢字文化圏の版図は大きいが、そのうち20%の地域はチベットや内モンゴルなど漢文主体の体制によって支配されているものの実際はインド文化圏の地域である。これらの地域では古くからの言語による会話が今でも残っている。しかし21世紀以降、経済力や識字人口などの影響によりインド文化圏内に限らず他の文化圏においても漢字文化圏者の勢力拡大を見越して子供や師弟に漢字文化圏の教育を施す者は多くなっている。
[編集] 脚注
- ^ 「漢字文化圏」とは
- ^ この文の記述にあたっては林謙一郎「南詔・大理国の統治体制と支配」『東南アジア-歴史と文化-』28号、1999年、28-54ページを参考にした。
- ^ しかし、これらの文字の制字原理にはいずれも漢字からの影響が見られ、「擬似漢字」と見なすことも不可能ではない。
- ^ いわゆるハングルは漢字から派生した文字ではないが、その音節文字的特徴に漢字からの影響があることは明らかである。なお言語学者・西田龍雄は契丹文字からヒントを得た可能性を指摘している。
- ^ ただしこれらの書記言語が漢文に優越する公用文としての地位を確立するのは近代以降のことである。
- ^ 「東アジア」自体、政治的ニュアンスを帯びた「東亜」の代替として戦後に新しく作り出された用語であり、むしろ余分な意味内包を持たない中立的用語であることが求められたのである。
- ^ この語の初出は亀井孝・大藤時彦・山田俊雄『日本語の歴史2文字とのめぐりあい』平凡社、1963年と言われている。亀井孝は後に自分が「漢字文化圏」という用語を初めて使ったと述べている。
- ^ The Languages of Japan, Cambridge University Press, 1990.
- ^ The Korean Language, Cambridge University Press, 2001.
- ^ What’s so Chinese about Vietnamese?[1]
[編集] 参考文献
- 亀井孝・大藤時彦・山田俊雄『日本語の歴史2文字とのめぐりあい』平凡社、1963年。ISBN 4582766013
- 藤堂明保『漢字とその文化圏』光生館、1971年
- 西嶋定生『中国古代国家と東アジア世界』東京大学出版会、1983年。ISBN 4130210440
- 西田龍雄『漢字文明圏の思考地図』PHP研究所、1984年。ISBN 4569212042
- 福井文雅『漢字文化圏の思想と宗教 : 儒教、仏教、道教』五曜書房、1998年。ISBN 4795253935
- 福井文雅『漢字文化圏の座標』五曜書房、2002年。ISBN 4896197410