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(かわら)とは、主に屋根葺きに使われる、建材のことである。

目次

[編集] 概要

瓦は本来粘土瓦を指し、例えばドイツでは粘土製のものをほかのものと区別してZiegel(ツィーゲル=瓦、煉瓦)と呼んでいる。日本でも、単に瓦という場合には本瓦のものや桟瓦のもの等の一定の形をした粘土瓦のことであるという認識が多い。スタイル・用途・焼成法・色・等級・産地など様々な分類法があり、分類すると1000を越えるほどの種類がある。特に鬼面が施された「鬼瓦(おにがわら)」は、芸術品としての評価もある[1]

日本国内で現在稼働している最大の瓦窯は、容積としては長さ110m×幅F形12列1段のトンネル窯である。最長は、125mのトンネル窯(幅、F形9列1段)である。[2]

瓦が葺かれた屋根を「瓦葺(かわらぶき)」、「瓦葺屋根」、「甍(いらか)」とも言う。日本の甍は天辺が水平なものが多い。瓦を屋根に施工することを瓦を葺くといい、その施工に携わる業者を瓦葺き職人と呼ぶことがある。

粘土瓦以外に、別の材料を用いて造られた瓦型をした建材も「瓦」に瓦の材料名を冠したものを名称として用い、歴史的にも石瓦や銅瓦等と付けられ用られている。現在でも、セメントや金属などの材料も使われ、通常の粘土瓦が使用できない寒さの厳しい地域や個人の好み等によって粘土瓦の代わりに葺かれることがある。

[編集] 用途

瓦は、屋根に葺く建材であることは前述している(瓦葺きも参照のこと)。その本来の屋根建材としての用途のみに限らず、平瓦を、壁に用いて漆喰で継ぎ手を板かまぼこ状に盛り固めた「海鼠壁(なまこかべ)」や、瓦や石などを粘土で接着し固めて造る「練塀(ねりべい)」などの壁材[3]、寺院の基壇のタイルのような役目や雨落ちや雨落溝の一部としても用いられる[1]

土木建築以外では、空手道中国拳法試割り瓦割り)にも用いられる[4]。また、「瓦割り」は屋根業界では、瓦を葺くため、屋根に割り付けをするという意味で用いられる。「地割り」ともいわれる。

[編集] 粘土製以外の瓦

粘土瓦以外のものに日本の粘土瓦の形を模した標準的な形をしたものも材料名を冠して瓦と呼び製造、使用されている。粘土製以外のものには、現在、金属瓦、セメント瓦、ガラス瓦などと呼ばれて使用されている。ヨーロッパ由来であるコンクリート瓦もある。 

金属瓦
古くは、平瓦、丸瓦、役瓦の形に造られた木の形に銅や鉛の薄い板を貼り付け粘土瓦と同じような方法で葺いた。現在では、木型はなく、鉄やアルミなどの金属板のみである。徳川家康が、名古屋城大天守や江戸城天守の最上階に葺いたのが始まりとも言われており、高層建築を建てる上での瓦の重量を軽減させるために用いたと考えられている。ほかに、寒冷地域では、割れてしまう粘土瓦の代わりに葺かれることがある[3]
セメント瓦
文字通りセメントで造られた瓦である。セメント1に対して砂3の割合で調合したモルタルを用いて造られる。比較的安価で、多彩な形があった。顔料を練りこむか、固まった後で、塗布して色を付ける。そのため、年月が過ぎると風化し、色や表面の艶を失ってしまう欠点があったため、吹付け塗装などを行って維持管理をする必要があった。
ガラス瓦
ガラス製の瓦のこと。透明にはせずにソーダガラスのように曇らせる。桟瓦型に造られているものなどがあり、天窓の変わりに用いられることが多い。
石瓦
石製の瓦。古い例では丸岡城現存天守に葺かれている凝灰岩製のものがある。寒冷地域では葺けない粘土瓦の代わりとして葺かれたのが始まりである。古いタイプの石瓦は、重く、製造も容易ではない。他に粘板岩(スレート)製のものを使う。
厚形スレート
元々スレートとは、粘板岩のことを言うが、粘板岩を用いた瓦ではなく、セメント1に対して砂2の割合で調合したモルタルを用いて造られるセメント瓦のことである。

[編集] 歴史

現存日本最古(飛鳥時代)の瓦(本瓦葺き、元興寺

史上、初めて瓦が登場するのはおよそ2800年前の中国とされる。日本にはおよそ1420年前の西暦588年百済から仏教と共に伝来。飛鳥寺で初めて使用されたとされる。仕様は平瓦を並べ、そのジョイント上に丸瓦を並べた現在でも使われている本瓦葺きとほぼ同じである。飛鳥時代では、瓦葺きの許された建物は寺院のみである。現存日本最古の瓦は飛鳥時代のもので、元興寺の極楽坊本堂と禅室に葺かれている瓦とされる。

7世紀末に建設された藤原京では、大極殿などの宮殿は瓦葺きで建てられていることが考古学的に確認されていることから、初めて寺院以外で瓦が使用されたとみられている。この頃の瓦窯遺構としては宗吉瓦窯(現在の香川県三豊市三野町吉津)の17号窯[5]がある。しかし、地方においては、8世紀中頃以前は瓦葺きは寺院に限られると見てよい[6]

奈良時代平安時代にはいると、瓦は寺院、宮殿の他、官衙にも用いられるようになる。特に、地方でも国府国分寺といった国家権力を象徴する建物にも用いられるようになる。しかし、絵画史料から、貴族の邸宅は桧皮葺で、瓦は公的な建物にしか用いなかったことがわかる。各地には瓦屋(がおく)と呼ばれる瓦を生産、供給する役所が設けられ、決められた寺院や役所に瓦を納品していた。

中世になると、再び、寺院以外の天皇将軍御所の屋根も桧皮で葺かれることが多くなる。

近世に入ると、瓦は、それまでは仮設建物が多かった城郭の建築物へも用いられるようになる。特に、安土桃山時代には瓦や鬼瓦、軒瓦に金箔を施したもの(金箔瓦)もあった。江戸時代前後には屋根の軽量化を図るために銅や鉛の金属で作られた瓦(金属瓦)も用いられ始めた。また、延宝4年(1674年)に瓦職人西村半兵衛が丸瓦を必要としない桟瓦を開発したと言われている。これにより、瓦を用いる量が減り、瓦を用いるための建物強度のハードルが低くなった。さらに、太平の世の課題として火事対策が幕府の急務となり、耐火建築用品として瓦の使用が奨励され、一般にも普及することになった。ただし、積雪が多い地域や冬の気温が低い地域では瓦葺きはあまり普及しなかった。これは現代でもみられる現象で、北日本の家屋では金属板葺き(瓦棒・平板(一文字など)など)、スレート葺きなどが多い。

近代明治時代には、洋瓦の開発や輸入が行われ始め、また、桟瓦を改良した引掛桟瓦が開発された。1926年以降、引掛桟瓦は当時の内務省の奨励により瓦葺きに用いる標準的なものとして現在も用いられている。

[編集] 慣用句

  • 「瓦解(がかい)」は組織が崩れると言う意味に使われる。
広辞苑では瓦解に関して「一部が落ちれば、その余勢で他の多くの瓦が崩れ落ちるように」と形容されるが、この場合の瓦とは、「瓦笥(かわらけ・素焼きの食器)」などの中国での素焼き土器のことであり[7]、屋根瓦が崩れ落ちる様子ではなく素焼きの土器が砕ける様子であるという(「部首のはなし2」中公新書)。

[編集] 脚注

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  1. ^ a b 近藤豊著『古建築の細部意匠』大河出版 1972年
  2. ^ 日本セラミックマシナリー協会編『セラミックマシナリーハンドブック』日刊工業新聞社 2006年7月
  3. ^ a b 三浦正幸著『城のつくり方図典』小学館 2005年
  4. ^ ただし、その際は本瓦は用いず、試し割り専用の瓦、又は棟積みに用いる熨斗瓦を使う。
  5. ^ - 香川県三豊市- 宗吉瓦窯跡
  6. ^ 菱田哲郎『丹後地域の古代寺院』(『丹後地域史へのいざない』ISBN 978-4-7842-1348-1 所収)、2007。
  7. ^ 小林信明編『新選漢和辞典』小学館 1963年

[編集] 関連項目