クオック・グー

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上段がクオック・グー(國語)による表記で、下段はチュノム(下線部)と漢字による表記である。「私はベトナム語を話します」という意味。

クオック・グーChữ Quốc Ngữ𡨸國語?)は、ラテン文字を使用してベトナム語を表記する方法。アクセント符号を併用することにより、ベトナム語の6声調を表記し分ける。「クオック・グー」とは、「国語」のベトナム語読みである。

1651年カトリック教会のフランス人宣教師、アレクサンドル・ドゥ・ロードが作成した『ベトナム語-ラテン語-ポルトガル語辞典』において、ベトナム語をラテン・アルファベットで表記したものに起源をもつ。ベトナムフランス植民地化後、公文書などで使用されるようになったことから普及し、1945年のベトナム独立時に漢字に代わりベトナム語を表記する文字として正式に採択され現在に至る。

アルファベット・声調記号[編集]

  • アルファベット

使用するアルファベットは、次の29文字である[1]。F, J, W, Zは外来語、借用語、造語でしか用いない。なお、下線をつけた子音字は音節末に立つことができる。

読み アー アッ ベー セー ゼー デー エー エー ジェー ハッ イー カー エル エム
大文字 A Ă Â B C D Đ E Ê G H I K L M
小文字 a ă â b c d đ e ê g h i k l m
読み エン オー オー アー ペー クー エール エス テー ウー ウー ヴェー イクス イグレッ
大文字 N O Ơ Ô P Q R S T U Ư V X Y
小文字 n o ơ ô p q r s t u ư v x y

子音は2字の組み合わせで音を表すものがある。

綴り ch gh kh ng ngh
読み チャ行(末尾ではク音) ガ行(I,E,Êの前) カ行とハ行の中間 ガ行(末尾ではン音) ガ行(I,E,Êの前)
綴り nh ph th tr
読み ニャ行(末尾では母音のィン音) ファ行 タ行 チャ行
  • 声調記号

記号なしを含め以下の6種類を母音字の上部(タィンナンのみは下部)に付記する(例:Ẫ, ở, ý, ặ)

番号 声調名 読み 記号 平仄
1 thanh ngang タィンガン (なし) bằng (平)
2 thanh huyền タィンフイェン ` (グレイヴ)
3 thanh sắc タィンサッ(ク) ´ (アキュート) trắc (仄)
4 thanh hỏi タィンホーイ  ̉ (フック)
5 thanh ngã タィンガー ˜ (チルダ)
6 thanh nặng タィンナン  ̣ (ドット)
  • 分かち書き

分かち書きは、ではなく音節ごとに行う。固有名詞で複数音節の場合は、全音節の頭を大文字にする(例:○ Hồ Chí Minh, ✕ Hồ chí minh)

歴史[編集]

アレクサンドル・ドゥ・ロードが作成した、ベトナム語のローマ字表記の辞書。クオック・グーの原型となった。
1938年に北圻で発行された行政文書。左にはクオック・グーと漢喃文が併記され、右にはフランス語の訳と印章がある。

ベトナムでは、公式な書き言葉として、20世紀に至るまで漢文が用いられてきた。また、漢字語彙以外のベトナム固有の語を表記するための文字であるチュノム13世紀に発明されて以降徐々に発展し、知識人の間などで使用されてきたが、漢字をより複雑にしたものであり習得が難しく統一した規範も整備されなかった。18世紀西山朝などの一時期を除き、公文書では採用されなかった。

1651年に、フランス人宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが、現在のクオック・グーの原型となるベトナム語のローマ字表記を発明したが、主にヨーロッパ宣教師のベトナム語習得用、教会内での布教用に使用されるのが主であり、一般のベトナム人に普及することはなかった。

こうした状況に変化を生じさせたのが、19世紀後半以降のフランスによるベトナム阮朝の植民地化である。まず、初めにクオック・グーの普及が始まったのは南圻(ナムキ:ベトナム南部)からである。1862年サイゴン条約によりフランスは柴棍(サイゴン:現在のホーチミン市)など南圻一帯を領有することとなったが、領有と同時に当該地域でのフランス語の公用語化、補助言語としてのクオック・グーによるベトナム語のローマ字表記化が図られた。1867年にはサイゴンにて、ベトナム初のクオック・グー紙である『嘉定報 (Gia Định báo)』が刊行されている。1887年清仏戦争に勝利したフランスは仏領インドシナを成立させ、阮朝の帝都・順化(現在のフエ)が所在する安南(中圻:チュンキ)、古都・河内(ハノイ)が所在する東京(トンキン、または北圻:バッキ)を含めたベトナム全域を植民地化、保護国化した。当該地域でもフランス当局は、フランス語とクオック・グー教育の推進を図ったが、クオック・グー教育はあくまでも補助的なものであり、最終的なフランス語の公用語化を円滑に進めるため、ベトナム語のローマ字化を図ったに過ぎなかった。ベトナムの伝統・文化を軽視するフランスの教育政策には反発が強く、漢文の素養を重んずる伝統的な知識人に受け入れられるところではなく、またローマ字表記のクオック・グーは蛮夷の文字であるとの認識は一般大衆の間でも根強かったことから、20世紀初めの段階では国民文字としてベトナム人の間で認識されるまでには至らなかった。

1906年に、フランス当局はベトナム人植民地エリートの養生を目的として、フランス語、クオック・グー教育を柱とした「仏越学校」を設立した。しかし、クオック・グーは初等教育の3年間のみ教授され、漢文は中等教育での選択科目に留められるなど、フランス語を中心とした教育体制であることに変化はなかった。また科挙においても、漢文に加えて、クオック・グー、フランス語の課目が必修となった。

しかし、この時期、支配を受けるベトナム人知識人の間からもクオック・グーを蛮夷の文字として排斥するのではなく、むしろ受容することにより、ベトナム語の話し言葉と書き言葉を一致させて民族としてのアイデンティティを獲得しようとする動きも出てきた。1905年にはハノイで初めての漢文、クオック・グー併記の新聞『大越新報 (Đại Việt tân báo)』が創刊された。さらに1907年には、ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)らとともに当時のベトナム独立運動の中心にいたファン・チュー・チン(潘周)により、ハノイに「東京義塾 (Đông Kinh Nghĩa Thục)」が創立され、同校では、漢文に加え、クオック・グー、フランス語が教授された。

フランス当局の後ろ盾により、総督府寄りの姿勢ではあったものの、クオック・グーを使用した文芸誌として、1913年にグエン・ヴァン・ヴィン(阮文永)主筆の『インドシナ雑誌(東洋雑誌/Đông Dương tạp chí)』、1917年にファム・クィン(范瓊)主筆の『南風雑誌 (Nam Phong tạp chí)』が創刊された。南風雑誌は、漢文とクオック・グーが併用されており、時期を経るごとにクオック・グーの使用比率が高まっていったことから、当時のベトナムの文字環境の推移に関する重要な研究材料となっている。

このように、クオック・グーが浸透した都市部では、新興のエリート層を中心にクオック・グーの識字率が高まり、伝統的な漢文・チュノム識字層を少しずつ圧倒していく形になった一方、地方では依然として漢学教育が権威をもっており、科挙の元受験生の私塾などに子を通わせる家庭も多かった。この時期には、識字率は低かったものの、クォック・グーと漢文・チュノムの両方(およびフランス語)を使いこなせるトップエリート層、漢文・チュノムしか読み書きできない伝統的な知識人層や、クオック・グーしか使いこなせない新興の知識人層が併存し、雑誌、書籍なども複数の文字により刊行されていた。

このような状況に終止符を打ったのが、1945年ベトナム民主共和国の独立であり、政府は、識字率の向上を意図して、クオック・グーをベトナム語の公式な表記文字とすることを定めた。現在のベトナムでは漢字、漢文の使用は廃され、ベトナム語はもっぱらクオック・グーのみにより表記されている。

問題点[編集]

クオック・グーは起源からしてフランスの植民地権力に近い側の知識人に由来するため、その綴りにはフランス語中心的な視点にたち、必ずしもベトナム語に適していないものもある。ベトナム語で同じ音素であっても、フランス語で書き分けるものやフランス人が聞いて違う音と判断したものは書き分ける。例として音素kは、フランス語の規範にのっとりc、k、quを使い分ける。また、音素ngも場合によってngやnghと書きわけられる。

またクオック・グーは中国のピンイン注音字母と違い、正式な文字として採用されたため、それまで多くの著作を著すのに使用されてきたチュノム表記ベトナム語や漢文を破滅に追いやったという側面もある。これも、クオック・グーはキリスト教徒や植民地権力が、ベトナムの儒教や仏教、そしてベトナムの文明を、フランス文明、キリスト教、西ヨーロッパ文明へと置き換えるために道具として利用したことに起因する。

参考文献[編集]

  • 村田雄二郎、C・ラマール編『漢字圏の近代 ことばと国家』東京大学出版会, 2005年

脚注[編集]

  1. ^ 田原洋樹 『ベトナム語のしくみ』 白水社、233頁。ISBN 978-4-560-06756-7

関連項目[編集]