ハングル専用文と漢字ハングル混じり文

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ハングル専用文と漢字ハングル混じり文(ハングルせんようぶんとかんじハングルまじりぶん)では、朝鮮語を表記する際に、 ハングルのみとするか、漢字(ハンチャ)を混ぜるかについて述べる。また、これらとしばしば同時に議論される朝鮮語における言語純化運動についても述べる。

概要[編集]

ハングルを専用する文章や、その主張は、韓国では主に「한글전용 (-專用)(ハングル専用)」と呼ばれ、漢字の熟語外来語を純粋な朝鮮固有語に置き換えようとする言語改革運動(国語醇化, ko:대한민국의 국어순화)ともしばしば合流する。

一方、漢字と混用するものは、現地では「국한문 (國漢文)」や「국한문혼용 (國漢文混用)」と呼ばれる。日本では、漢字ハングル混じり(交じり)文や漢字ハングル混用文と呼ばれるが、国漢文と言った場合は、後述する日本統治時代に、日本の井上角五郎が提案し、朝鮮人儒学者が創造した古典中国語直訳体の朝鮮語文のことに限定する場合がある。ハングルが固有語を、漢字が漢字語を記す点で、日本語漢字かな混じり文とも比較される。

李氏朝鮮時代[編集]

ハングルは、李氏朝鮮第4代国王世宗が創製し、漢字の学習が困難な庶民、特に女性・子どもの識字率の向上に役立った。李朝中後期には両班の中にハングルを用いた文芸活動にあたるものが登場し、漢字ハングル混じり文で書かれた小説、さらにはハングル専用文で書かれた作品が現れた。これらの中には朝鮮王朝期文学の最高峰とも評される『春香伝』などが含まれていた。

しかし、守旧派儒学者の事大思想による漢字至上主義は、ハングルの公用文書への使用を阻害し、李朝の公文書漢文で作成されていた。実務文書でもハングルは漢字表記朝鮮語(吏読)を主としていた。ハングルと漢字混じりの文章が公文書に採用されたのは、李朝最末期であった。

福澤諭吉は、自腹でハングル活字を作り、漢字ハングル混じりの新聞を発行した。清国官憲や朝鮮人の一部から激しい反発があったものの、福澤の弟子、井上角五郎が朝鮮で初の新聞漢城周報の発行に成功した。この新聞は漢文の読めない多くの民衆でも読めるとあって人気を博したといわれる[1]

また、ハングルだけで国語を表記することを提唱した民族主義団体もあった。

日本統治時代[編集]

漢字ハングル混じり文
各種表記
ハングル 국한문혼용
漢字 國漢文混用
発音 ククハンムンホンニョン
日本語読み: こくかんぶんこんよう
ローマ字 Gukhanmunhonyong
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漢字ハングル混じり文の『毎日新報』(1945年8月14日)

日本統治時代の学校教育とメディアにより、ハングル(漢字混じり)は飛躍的に普及した。学校教育における教授言語は日本語となったが、日本統治時代の前期から中期にかけて朝鮮語も科目の一つとし、漢字とハングルを教えた。こうして、この時代を中心に近代的概念を示す和製漢語や日本語発音の単語などが朝鮮に数多く導入された[2]

一方、朝鮮後期から日本統治時代にかけての朝鮮民族主義の高まりにより、ハングルを民族文化の重要な要素とみなす言語学者もいた。

戦後[編集]

韓国[編集]

1948年大韓民国建国と同時に、ハングル専用法を制定[3]

訳文:「大韓民国の公文書は、ハングルで書く。ただし、当面の間、漢字を括弧に入れて使用することが出来る[4]。」
李承晩の独裁に対して蜂起する市民。垂れ幕に漢字とハングルの両方が確認できる(1960年4月19日)

しかし、実際には、漢字の知識を持つ人の漢字使用は禁止せず、代わりに新たな漢字教育の実施を厳しく制限した。一世代かけて漢字を使わずハングルのみを使用するハングル世代ko:한글 세대)を育成する戦略であった。ハングル世代とは、広義では戦後生まれの韓国人全てを指し、若干の漢字教育を受けた可能性はある。狭義のハングル世代は朴正煕が漢字廃止宣言を実行した1970年から1972年の時期に中高生だった世代を指し、彼等は漢字教育を全く受けておらず、自分の名前の漢字さえ知らない場合が少なくない。

ハングル専用主義者の運動が功を奏し、1990年代後半には「漢字を使用すると読者が読めなくなる」と、漢字使用の存続を主張した新聞各社も、漢字使用を徐々に中止。漢字存続の立場に立つ朝鮮日報においても、日刊紙は事実上のハングル専用になった。ただし、同音異義語の判別や意味をわかりやすくするため、漢字を補助表記として括弧つきで表記することがある。しかし、知識人を対象とした月刊朝鮮では漢字の使用を継続し、少年朝鮮で漢字教室を掲載して次代の漢字復活を後押ししている。

同音の漢語系語彙に対する弁別がハングルのみでは困難であるために問題が生じたという事例もある。これは、主に日本語から借用された大量の漢語は、大部分がそのまま使われ続けているためで、例えば、2009年には設計者が同音異義語を誤って解釈したことから、防水の必要のある枕木で漏水が発生した事故が発生した。[5]

そういった日本経由の漢字語に対しての国語醇化政策は、1948年、文教部が『我々の言葉を取り返す (우리말 도로찾기)』という冊子を作成・配布したものが最初である。このとき以来、日本語から流入した「ハナミ(花見)」「ホンダテ(本立)」などを「꽃구경」「책꽂이」の固有語に言い直した他、次のような語がある。

  • スシ」を「チョパプ(초밥、酢飯)」
  • ノリマキ(海苔巻)」を「キムパプ김밥、海苔飯)」
  • カラオケボックス」を「ノレバン(노래방、歌部屋)」
  • テンプラ」を「トゥイギム(튀김、揚げ物)」
  • 「マンタン(満タン)」を「ハンカドゥック(한 가득、いっぱい)」[6]

1951年、科学技術用語制定委員会が設立され語彙の醇化が試みられたが、基本的には日本語排斥運動であり、西洋語の醇化は考慮の対象外であった。

朴正煕政権の1976年以降も、自国語から適当と思われない外来語を排除し、自国固有の言葉に置き換える国語醇化運動が推進され、文化観光部に、政府・各界により構成された「国語純化運動協議会」が設置された[7]

2005年1月27日、ハングル専用を規定した法律として国語基本法第14条第1項が制定された。朝鮮語の使用を促進、及び国語の発展と保全の基盤を用意することで、韓国国民の創造的な思考力増進をはかり、国民の文化的な生の質を向上させ、以て民族文化発展に貢献することを目的としている。これにともないハングル専用法は廃止。比較としては、漢字の使用に関する規定が変更され、漢字の括弧内使用は大統領令が定める場合に限定されることとなった。また文言も「漢字およびその他の外国文字」となり、漢字のみをあげていた旧法に比べて漢字の特権性は下落した。

北朝鮮[編集]

朝鮮労働党の機関紙労働新聞においては、1946年はまだ縦書きで漢字とチョソングル(朝鮮文字の意味。北朝鮮における「ハングル」の言い方)を混用していた。1947年には、縦書きを維持しながら、漢数字に限って使用していた。その後1948年には、横書き移行と同時に漢字使用を全廃した。

しかし、1968年には、金日成の見解で、漢字を使用する必要はないとしながらも、中華人民共和国・大韓民国・日本で漢字を使用していることを理由に高等中学校で漢字学習を義務付けた。これらは、金日成一個人の言語に対する考え方や統治方針が強く反映されている。

また、北朝鮮では、韓国より国語醇化が推進されているが、日本から導入された言葉は韓国に比較すると、そのまま使われている例が多い。

ハングル専用と漢字復活論[編集]

漢字復活を主張する人とハングル専用論者との間の論争は六十年戦争といわれている。

日本統治時代に公教育の主要言語であった日本語が漢字を使用していたことが、ハングル専用を促した一因だったという意見がある。一方で漢字ハングル混じり文を残すべきだとの主張を行う学者たちの意見にも配慮し、韓国ではハングル表記の補助という位置づけながら漢字の使用は認められている。ハングルを専用することに対しては、

  • ハングルのみでは同音異義語が多量に発生するため読みづらくなる。
  • 漢字を用いずして語の正確な意味を知ることは不可能
  • 伝統文化との断絶を回避すべき

との理由で漢字復活を主張する声が知識人を中心に根強いといわれ、また、ハングル専用の弊害として、「漢字を廃止した韓国」で知的荒廃が指摘されている[8]。また、朝鮮語の語彙の約70%が漢字語とも言われる中、日本に留学したハングル世代の韓国人が、日本で漢字を知って朝鮮語がより深く理解できるようになったという感想をもらすことがある。

表記の上では、/sani/ という音をハングルで書くとき、'사니' /sa+ni/ という二文字で書くのが最も自然だが、「山が」という意味で書くときは、形態素を明示して '산이' /san+i/ という綴りで書く(こういったルールを定めたものがハングル正書法朝鮮語綴字法統一案である)。もし漢字ハングル混じり文なら、'山이' /山+i/である。

現在の韓国の小学生の間では漢字学習が一つのブームになっているが、漢字を全く知らない親のハングル世代がわが子には漢字を伝えたいとの想いが背景にあるともいわれる。一方、韓国民に対する世論調査では、漢字復活に70%が反対しており、1990年代から多くのメディアで進められている「同じ意味なら固有語彙を使おう」という醇化推進も手伝って、漢字使用の必然性が低くなっているともいわれる。

表記例[編集]

大韓民国憲法の前文。

ハングル専用文
전문
유구한 역사와 전통에 빛나는 우리 대한 국민은 3•1 운동으로 건립된 대한민국 임시 정부의 법통과 불의에 항거한 4•19 민주 이념을 계승하고, 조국의 민주 개혁과 평화적 통일의 사명에 입각하여 정의•인도와 동포애로써 민족의 단결을 공고히 하고, 모든 사회적 폐습과 불의를 타파하며, 자율과 조화를 바탕으로 자유 민주적 기본 질서를 더욱 확고히 하여 정치•경제•사회•문화의 모든 영역에 있어서 각인의 기회를 균등히 하고, 능력을 최고도로 발휘하게 하며, 자유와 권리에 따르는 책임과 의무를 완수하게 하여, 안으로는 국민 생활의 균등한 향상을 기하고 밖으로는 항구적인 세계 평화와 인류 공영에 이바지함으로써 우리들과 우리들의 자손의 안전과 자유와 행복을 영원히 확보할 것을 다짐하면서 1948년 7월 12일에 제정되고 8차에 걸쳐 개정된 헌법을 이제 국회의 의결을 거쳐 국민 투표에 의하여 개정한다.
1987년 10월 29일
漢字ハングル混じり文
前文
悠久한 歷史와 傳統에 빛나는 우리 大韓國民은 3•1 運動으로 建立된 大韓民國臨時政府의 法統과 不義에 抗拒한 4•19 民主理念을 繼承하고, 祖國의 民主改革과 平和的統一의 使命에 立脚하여 正義•人道와 同胞愛로써 民族의 團結을 鞏固히 하고, 모든 社會的弊習과 不義를 打破하며, 自律과 調和를 바탕으로 自由民主的基本秩序를 더욱 確固히 하여 政治•經濟•社會•文化의 모든 領域에 있어서 各人의 機會를 均等히 하고, 能力을 最高度로 發揮하게 하며, 自由와 權利에 따르는 責任과 義務를 完遂하게 하여, 안으로는 國民生活의 均等한 向上을 基하고 밖으로는 恒久的인 世界平和와 人類共榮에 이바지함으로써 우리들과 우리들의 子孫의 安全과 自由와 幸福을 永遠히 確保할 것을 다짐하면서 1948年 7月 12日에 制定되고 8次에 걸쳐 改正된 憲法을 이제 國會의 議決을 거쳐 國民投票에 依하여 改正한다.
1987年 10月 29日
日本語訳
前文
悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して正義・人道と同胞愛を基礎に民族の団結を鞏固にし、全ての社会的弊習と不義を打破し、自律と調和を土台とした自由民主的基本秩序をより確固にし、政治・経済・社会・文化のすべての領域に於いて各人の機会を均等にし、能力を最高度に発揮なされ、自由と権利による責任と義務を完遂するようにし、国内では国民生活の均等な向上を期し、外交では恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することで我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを確認しつつ、1948年7月12日に制定され8次に亘り改正された憲法を再度国会の議決を経って国民投票に依って改正する。
1987年 10月 29日

脚注[編集]

  1. ^ http://www.wdic.org/w/CUL/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB
  2. ^ 【噴水台】造語後進国2001年7月5日中央日報
  3. ^ 1948年10月9日:「法律第6号」として制定された。
  4. ^ 原文:「대한민국의 공용 문서는 한글로 쓴다. 다만, 얼마동안 필요한 때에는 한자를 병용할 수 있다.」。この法律は、二つの文章から成り立っているが、「公文書」の定義がなければ、「当面の間」がいつまでなのかの規定もない。また、施行規則もなければ、違反者に対する罰則規定もない。従って、ハングル専用法は、法律ではなく宣言文であるとの解釈が、韓国の法曹界でも一般的である。なお、ハングル学会を始めとするハングル専用論者達は、但し書き(「ただし」以降の条項)の廃止を主張していた。
  5. ^ http://news.sbs.co.kr/section_news/news_read.jsp?news_id=N1000546173
  6. ^ 韓国文化体育部1995年発行「日本語式生活用語純化集」。そのほか、鉄道用語にも漢字語が多く残っているとされ、それらの多くも朝鮮固有語に醇化されている。
  7. ^ 韓国文化観光部の傘下である「国立国語院」では、外来語を朝鮮語に変える研究をし、毎年「国語醇化用語資料集」を発表しているが、場合によっては不自然な訳語もあり、必ずしも韓国社会に定着しているとは言えない。
  8. ^ 『「漢字廃止」で韓国に何が起きたか』呉善花

関連項目[編集]