内モンゴル自治区

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内モンゴル自治区
OvormonggolAR.svg
簡称: 内蒙古 (拼音: Nèi Měnggǔ)
内モンゴル自治区の位置
簡体字 内蒙古
繁体字 內蒙古
拼音 Nèi Měnggǔ
カタカナ転記 ネイモングー
自治区首府 フフホト市
最大都市 ウランチャブ市
区委書記 王君(前山西省長)
自治区主席 バートル(巴特爾、元鳥海市委書記)
面積 1,183,000 km² (3位)
人口 (2004年)
 - 人口密度
23,840,000 人 (23位)
20.2 人/km² (28位)
GDP (2008年)
 - 一人あたり
7,762 億 (16位)
32,214 (8位)
HDI (2006年) 0.779 () (14位)
主要民族 漢民族 - 79%
モンゴル族 - 17%
満州族 - 2%
回族 - 0.9%
ダウール族 - 0.3%
地級行政区 12 個
県級行政区 101 個
郷級行政区 1425 個
ISO 3166-2 CN-15
公式サイト
http://www.nmg.gov.cn/ ([1]; [2])

内モンゴル自治区(うちモンゴルじちく、: 内蒙古自治区: Inner Mongolia Autonomous Region)は、中華人民共和国が1947年にモンゴルの南部に設置した級の自治体。中国領土の北沿に位置する自治区モンゴル語での名称は日本語に直訳すると「南モンゴル自治区」となる。

地理[編集]

東西に長く伸びており、東から順番に黒竜江省吉林省遼寧省河北省山西省陝西省寧夏回族自治区甘粛省と南に接し、北はモンゴル国ロシア連邦と接している。面積は、日本の約3倍。

民族[編集]

内モンゴル自治区と名のつくものの、中華人民共和国建国以来60年間にわたる漢民族移入によって漢民族が人口の80%以上を占めるにいたっており[1]、その他モンゴル族ダウール族エヴェンキ族オロチョン族回族満洲民族朝鮮族などが居住している。このため自由を求めるモンゴル族は分裂主義者として拘禁されることとなっている[1]。内モンゴル自治区内のモンゴル族は発表統計から400万人を超えているとみられるが、モンゴル国の270万人(2004年)と比べるとあきらかに自治区内のモンゴル族の人口の方が多い。

歴史[編集]

モンゴル帝国以前[編集]

50万年前から20万年前ごろの原人の化石が見つかっている。紀元前4700年から紀元前2900年にかけては紅山文化燕山山脈の北方に栄え、紀元前20世紀ごろにはオルドス人が住みつき始め、春秋戦国時代には匈奴との間で抗争が繰り広げられた

モンゴル帝国[編集]

1206年に建国した大モンゴル国(後に大モンゴル帝国)のチンギス・ハーンの弟ジョチ・カサルの領地となり、のちにはその子孫が支配する。1368年モンゴル人が作った漢民族によって滅び、帰還したモンゴル人が、西部のオイラート・モンゴル(現在のカザフスタン中央アジア)、ハルハ・モンゴル(現在のモンゴル国)、内モンゴルに大きく三つに分けられ、互いに権力争いを続ける。そうした中、1646年満州女真人が内モンゴルと手を結び、明を倒し、の時代が始まる。

清朝による征服[編集]

1688年、モンゴル西部オイラート・モンゴルが作ったジュンガル王国ガルダン・ハーンが対ハルハ戦争を行い、成功したが、ハルハ・モンゴルの貴族が逃げ、1691年に清の支配を認める。ガルダン・ハーンがハルハ戦時中に甥のツェウェーン・ラウダンに王位を奪われ、後ろからの援助が止まる。1694年、事実上、最後の統一したモンゴルの王ガルダンが現在のモンゴルの中心部(現在のウランバートルのあたり)で清、ハルハ・モンゴル、内モンゴル軍の連合軍と死ぬか生きるかの戦いに出たが、圧倒的に強い連合軍に破れ、大敗する。その後、半世紀にわたり、1755年、ハルハ・モンゴルと内モンゴルの手を借りた清がジュンガル王国を倒し1755年モンゴルが独立を失う。

辛亥革命後[編集]

1911年、中国では辛亥革命中華民国が成立するとともに、モンゴルが独立を宣言し、内モンゴルも合併を申し出た。1913年にモンゴル軍が内モンゴル解放戦争をはじめ、ほぼ全域から中華民国軍を追放した。しかし、帝政ロシアの介入で、この解放戦争は失敗に終わる。1915年6月7日、モンゴルの国境にあるキャフタで露・蒙・華三国の間でキャフタ協定が結ばれ、中華民国北京政府は内モンゴルと外モンゴルを自治区とした(ただし外モンゴルは広範な自治権を獲得した)。

その後、内モンゴルでは、中国に進出していた日本関東軍の援助で、皇帝愛新覚羅溥儀を元首として建国された満州国チャハル部出身のデムチュクドンロブ(徳王)によって1939年張家口蒙古聯合自治政府が成立した。1945年8月、ソビエト連邦軍(赤軍)の侵攻に満州国と蒙古連合自治政府は崩壊する。

内モンゴル自治区の成立[編集]

中国共産党の影響下で蒙古自治邦政府(1941年蒙古聯合自治政府が改称、戦後解散)に対し抵抗運動を指揮したモンゴル族のウランフ(烏蘭夫)が、1947年に内モンゴル自治区の成立を宣言し、内モンゴル自治区人民政府が成立した。これが現在の内モンゴル自治区の起源で、中華人民共和国の自治区としては最も早い成立である。徳王は内モンゴルを追われ、外モンゴル(モンゴル人民共和国)へ逃亡を図り、逮捕される。外モンゴルは独立の道を歩んだが、内モンゴルは中国共産党の影響があったとはいえ、同じモンゴル族同士の運動と対立の結果自治区となった。

その後ウランフは文化大革命の勃発により失脚し、1966年から内モンゴル人民革命党粛清事件によってモンゴル人数十万人が粛清された[2]1967年フフホトに革命委員会が成立した。中ソ対立の軍事的緊張下に1969年には内モンゴル生産建設兵団が設置され、1970年には行政区画の大幅な変更が行われた。これによって内モンゴル東部は東北三省に、西部は寧夏甘粛に分割されたが、1979年旧に復した。

現在ではモンゴル自由連盟党内モンゴル人民党などが内モンゴル独立運動を行っている[2]南モンゴル民主連盟en)代表のハダが拘束されるなどモンゴル民族の運動は徹底的に取り締まられている[3]

行政区画[編集]

9地級市(地区クラスの市)、3盟を管轄する。下級行政区単位としては21市区、11県級市(県クラスの市)、17県、49旗、3自治旗がある。

内モンゴル自治区の行政区画 # 名称 政庁所在地 中国語表記
拼音
モンゴル語 人口 (2010)
Nei Mongol prfc map.png
地級市
2 バヤンノール市 臨河区 巴彦淖尔市
Bāyànnào'ěr Shì
ᠪᠠᠶ᠋ᠠᠨᠨᠠᠭᠤᠷᠬᠣᠲᠠ 1,669,915
3 烏海市 海勃湾区 乌海市
Wūhǎi Shì
ᠦᠬᠠᠢᠬᠣᠲᠠ 532,902
4 オルドス市 東勝区 鄂尔多斯市
È'ěrduōsī Shì
ᠣᠷᠳᠤᠰᠬᠣᠲᠠ 1,940,653
5 包頭市 ホンドロン区 包头市
Bāotóu Shì
ᠪᠤᠭᠤᠲᠤᠬᠣᠲᠠ 2,650,364
6 フフホト市首府 新城区 呼和浩特市
Hūhéhàotè Shì
ᠬᠥᠬᠡᠬᠣᠲᠠ 2,866,615
7 ウランチャブ市 集寧区 乌兰察布市
Wūlánchábù Shì
ᠤᠯᠠᠭᠠᠨᠴᠠᠪᠬᠣᠲᠠ 2,143,590
9 赤峰市 紅山区 赤峰市
Chìfēng Shì
ᠤᠯᠠᠭᠠᠨᠬᠠᠳᠠᠬᠣᠲᠠ 4,341,245
10 通遼市 ホルチン区 通辽市
Tōngliáo Shì
ᠲᠥᠩᠯᠢᠶᠠᠣᠬᠣᠲᠠ 3,139,153
12 フルンボイル市 ハイラル区 呼伦贝尔市
Hūlúnbèi'ěr Shì
ᠬᠥᠯᠦᠨᠪᠤᠶᠢᠷᠬᠣᠲᠠ 2,549,278
1 アルシャー盟 アルシャー左旗 阿拉善盟
Ālāshàn Méng
ᠠᠯᠠᠱᠠᠨ ᠠᠶᠢᠮᠠᠭ 231,334
8 シリンゴル盟 シリンホト市 锡林郭勒盟
Xīlínguōlè Méng
ᠰᠢᠯᠢ ᠶᠢᠨ ᠭᠣᠤᠯ ᠠᠶᠢᠮᠠᠭ 1,028,022
11 ヒンガン盟 ウランホト市 兴安盟
Xīng'ān Méng
ᠬᠢᠩᠭ᠋ᠠᠨ ᠠᠶᠢᠮᠠᠭ 1,613,250

経済[編集]

農業畜産業を主要な産業として、鉄鋼業林業などもある。主要な農作物はソバで、日本に輸出されている。ブドウ栽培とワイン製造を始めた地域もある。豊富な石炭と天然ガスのほか、希土類の生産量は中国一。石炭は年間5億トンの産出を目指す。独立国モンゴルよりも内モンゴル自治区は経済発展を遂げている。 2009年のGDPは1420億ドルで、前年より17%伸びた。この高い経済成長で、他の中国都市と同じように商業施設やマンションの建設ブームとなっている。風が強いため風力発電を始めた地域がいくつかある。 最西部に衛星打ち上げ基地の一つ酒泉衛星発射中心がある。1958年に中国で初めて設立された。内モンゴルは宇宙船の帰還場所でもある。

文化[編集]

言語[編集]

省都・フフホトにあるKFC; 看板や道路標識はモンゴル語と標準中国語の両方で表記することが義務付けられている

中国語モンゴル語が公用語である。ただし、モンゴル国で使用されるモンゴル語と内モンゴル自治区で使用されるモンゴル語には違いがあり、前者はハルハ方言、後者はチャハル方言である。

漢族は地域により様々な方言を話す。東部では官話方言に属する東北方言を話す傾向があるが、黄河盆地一帯の中部では晋語が話されている。フフホトパオトウではそれぞれ独特の晋語方言が使われており、ハイラル区など、北東地域で話される晋語方言と互いに意思疎通が困難な場合がしばしば見受けられる。

交通[編集]

空港[編集]

教育[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Andrew Jacobs (2010年12月13日). “Ethnic Mongolian Dissident Released by China Is Missing”. New York Times. 2010年12月31日閲覧。
  2. ^ a b モンゴル自由連盟党 日本支部. “モンゴル自由連盟党とは?”. モンゴル自由連盟党. 2010年12月15日閲覧。
  3. ^ 内モンゴルで服役中のハダが健康を悪化させている”. Southern Mongolian Human Rights Information Center (October 2,2004). 2010年12月30日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]