三峡ダム

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三峡ダム
三峡ダム
所在地 中華人民共和国の旗 中国湖北省宜昌市三斗坪
位置
河川 長江(揚子江)
ダム湖 -
ダム諸元
ダム型式 重力式コンクリートダム
堤高 185.0 m
堤頂長 2309.47 m
堤体積 16,000,000
流域面積 1,000,000.0 km²
湛水面積 1,084,000.0 ha
総貯水容量 39,300,000,000 m³
有効貯水容量 22,150,000,000 m³
利用目的 洪水調節発電水運
事業主体 長江三峡工程開発総公司
電気事業者 長江三峡工程開発総公司
発電所名
(認可出力)
三峡ダム発電所
(22,500,000kW
施工業者 不明
着工年/竣工年 1993年/2009年
備考 有効貯水容量は洪水調節容量
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三峡ダム
各種表記
繁体字 三峽大壩
簡体字 三峡大坝
拼音 Sānxiá Dàbà
注音符号 ㄙㄢ ㄒ|ㄚˊ ㄉㄚˋ ㄅㄚˋ
発音: サンシア ダーバー
英文 Three Gorges Dam
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三峡ダム(さんきょうダム)は中華人民共和国長江中流域の三峡重慶直轄市から湖北省宜昌市)一帯にある大型重力式コンクリートダムである。

ダムの詳細[編集]

ダム

  • 通常水位 : 175.0m
  • 右岸発電ブロックの長さ : 584.2m
  • 放水ブロックの長さ : 483.0m
  • 左岸発電ブロックの長さ : 643.6m
  • コンクリートの使用量 : 2,700万m³

ダム湖

  • 長さ : 約570km
  • 通常水位 : 標高175m

発電所

  • 年間発電量 : 1,000億kWh
  • 発電機の数 : 32基[1][2]
  • 1基の発電能力 : 70万kW[1]
長江と三峡ダム (Three Gorges Dam) の位置

概要[編集]

三峡ダム発電所のフランシス水車

1993年に着工、2009年に完成した。洪水抑制・電力供給・水運改善を主目的としている。三峡ダム水力発電所は、2,250万kW発電が可能な世界最大の水力発電ダムである[1][2]

ダムは長江三峡のうち最も下流にある西陵峡の半ば(湖北省宜昌市夷陵区三斗坪鎮)に建設された。貯水池は宜昌市街の上流の三斗坪鎮に始まり、重慶市街の下流にいたる約660kmに渡り、下流域の洪水を抑制するとともに、長江の水運の大きな利便性をもたらす。加えて、水力発電所は中国の年間消費エネルギーの1割弱の発電能力を有し、電力不足の中国において重要な電力供給源となる。また、火力発電と比べ発電時のCO2発生も抑制することができる。しかしその一方で、建設過程における住民110万人の強制移転、三峡各地に残る名所旧跡の水没、更には水質汚染や生態系への悪影響等、ダム建設に伴う問題も指摘されている。

ダム建設を含む全てのプロジェクトは、中国人民が、1992年から2009年まで電気料金を通じて支払った特別税によって賄われているが、担当企業の幹部が汚職に手を染めていたことが明らかになっている[3]

発電能力[編集]

三峡ダム水力発電所は、70万kW発電機32台を設置し、2,250万kWの発電が可能[1][2]。これは最新の原子力発電所や大型火力発電所では16基分に相当し、世界最大の水力発電ダムとなる。三峡ダム水力発電所の年間発生電力量は1,000億kWhであり、中国の電気エネルギー消費量が年間約4兆kWhであるから、三峡ダムだけで中国の電気の2.5%を賄えることとなる。この電力を石油を燃やした火力で作るとすれば、1年間に石油1750万トン、CO2排出5450万トンという数値になる。ちなみに、東京電力の一般家庭向け販売電力量はおよそ860億kWhで、日本の年間電気エネルギー消費量は約1兆kWhである。

歴史[編集]

三峡付近の衛星写真。中央左寄りが三峡ダムと発電所、閘門

三峡ダムの構想は、孫文(Sun Yat-sen)によるものとされ、1919年に『建国方策』の中で言及している。以降、国民党政府により調査が進められたものの、戦争や内戦により実現化されることなく白紙となった。

国共内戦を経て、1949年中華人民共和国が建国されると、共産党政府は、1950年に長江水利委員会を設置し予備調査を開始した。調査は1956年に完了し、1963年に着工する方針が発表された。しかし、中ソ対立文化大革命、さらには建設反対論などの影響により、しばらく計画は進展しなかった。

文化大革命が終結すると再び三峡ダムの構想が浮上し、1983年には三峡ダム事業化調査報告が提出される。これ以降、三峡ダムの建設を巡り賛否両論が噴出した。1989年、建設反対派の意見を掲載した『長江 長江-三峡工程論争』が出版されると、全人代の議論にも影響を与え着工が延期になると一時表明された。しかし、同年天安門事件が起き同書の著編者戴晴は逮捕され、同書も発売禁止となる。これ以降、建設反対論は抑制され建設賛成論が勢いを増す。1988-1998年に首相をつとめた李鵬がその中心だったとされる。

1992年、第7期全人代第5回会議は三峡ダムの建設を、出席者2633名中、賛成1767名、反対177名、棄権664名、無投票25名により採択した。全会一致が基本である全人代において、これほどの反対・棄権が出るのは異例のことである[4]。同年5月から、建設予定地の住民の移住が始まった。1993年には三峡ダム建設の事業主体となる「長江三峡工程開発総公司」や資金集めのための「三峡証券」が設立された。

三峡ダムの建設工事は、1993年に準備工事が開始され、翌1994年に着工式が行われるとともに、本工事が始まった。1997年11月8日には、長江の本流が堰止められ、第二期工事を開始した。2003年には、一部貯水(水位135m)と発電を開始し、第三期工事を開始した。そして2006年5月20日、三峡ダムの本体工事が完了した。2009年に発電所等を含めた全プロジェクトが完成。

年表[編集]

三峡ダム工事。船舶用の通路
三峡ダムのモデル。右側に船が通るための船舶用エレベーターや閘門が設けられる
  • 1919年 孫文、三峡ダム建設プロジェクト提唱

(戦争等により進展せず白紙に)

  • 1931年 (長江大洪水、死者13万5千人、家屋流失200万件)
  • 1950年 長江水利委員会設置、予備調査開始
  • 1954年 (長江大洪水、死者3万人・家屋流失100万人)
  • 1956年 調査完了、1963年着工方針発表、長江流域企画弁公室(長弁)設立

(中ソ対立・文化大革命・ダム建設反対論等により中断・進展せず)

  • 1983年 三峡ダム事業化調査報告提出

(以降、建設の賛否を巡り議論が続く)

  • 1989年 天安門事件直後、建設反対派の意見を掲載した『長江 長江-三峡工程論争』の著者、戴晴が逮捕され、同書も発売禁止となる
  • 1992年 全人代、三峡ダム着工を採択(出席者2633名、賛成1767名、反対177名、棄権664名、無投票25名)
  • 1993年 長江三峡工程開発総公司設立、第一期工事開始(準備工事開始)
  • 1994年 着工式(本工事開始)
  • 1997年 第一期工事完成、長江本流を堰止め、第二期工事開始
  • 1998年 (長江大洪水、死者1320人)
  • 2003年 第二期工事完成、一部湛水一部発電開始、第三期工事開始
  • 2006年 三峡ダム本体完成
  • 2009年 完成
  • 2012年 水力発電フル稼働開始[1][2]

三峡プロジェクトを推進する政治家[編集]

中国指導部の胡錦濤元党総書記や李鵬元総理はいずれも発電技師出身であり、三峡プロジェクトを強力に推進している。また中国国務院温家宝元総理は三峡工程建設委員会主任を兼ねている。しかし、2006年5月20日に行われたダムの完工式には彼等は一人として出席していない。この規模の国策事業の節目において最高指導部が欠席することは異例と言ってよく、その背景が注目されている。

問題点[編集]

三峡ダム建設後に作られた巫山県の新しい県城。多数の人々が古い町を退去し新しい町に移住させられた
重慶市万州区の新市街。万州では市街の半分がダム建設で水没し、20万人近い人々が突貫工事で作られた新市街に移転している
三峡ダム建設前と建設後の地形変化

住民の強制移住[編集]

着工前は、移住対象の住民は84万人であったが、最終的に2007年12月の時点で140万人が強制移住を余儀なくされた。また2020年までに更に230万人が退去予定である。

これら「三峡移民」の多くは充分な補償も受けられないまま貧困層へと転落しており社会問題となっている。 2002年には移住先からの帰郷を求めた元住民が逮捕される事件も発生している[5]

文化財・名所旧跡の水没[編集]

三峡は中国の10元紙幣にも描かれるほどの中国を代表する名勝であり、白帝城は孤島化、白鶴梁など貴重な歴史資料でもある史跡は水没の危機があった。文化財は合わせて1108点が水没の影響を受けると予想され、史跡としての価値に応じ移転または放棄の処置がとられた[6]。白鶴梁は水没したが、2009年5月にそのまま博物館(白鶴梁水下博物館)として一般公開された。

多数の船が国内・国外からの観光客を乗せてクルーズしている。しかし、ダムができることで、長年親しまれていた景観が大きく変わってしまうとの懸念があった。

また、土葬されていた住民の墓も消毒・移転が求められていた。

生態系への悪影響[編集]

後述する水質汚染は、生物へも悪影響を与えている。

三峡ダム着工後の1996年、ヨウスコウカワイルカが100頭を切ったことが判明した[7]。2006年の調査で発見されず、水質の悪化で絶滅した可能性が高いとされる。

また、2002年以降、エチゼンクラゲが日本沿岸で大量発生し漁業被害が深刻化しているが、その要因の1つが三峡ダムではないかという仮説が立てられている。日本の国立環境研究所などが検証を始めている。

地すべり・がけ崩れの発生[編集]

地質が脆い場所に作られたダムに貯水を行うと、ダム湖斜面や周辺の地盤への水の浸透と強大な水圧により、地滑りやがけ崩れが発生することがある。三峡ダムでは2008年末時点で132カ所で合計約2億立方メートルのがけ崩れが発生していたために、当局は水位を満水の175mにすることなく172.5メートルで打ち切り、約2000人を緊急避難させている。その後、三峡ダム区地質災害防止作業指導事務室チームが調査を行った結果、5386カ所で地滑りやがけ崩れなどの問題が発生するおそれがあることが判明した。重慶市内の雲陽県涼水井地区では、2009年3月以降、川岸の430メートル、400万立方メートルにわたる土砂が崩落し、長江の主要航路に土砂が流れこむ恐れがあるとして厳重監視対象地域になっている。同地区に近い村では、地盤の変動で民家が徐々に引き裂かれながら移動するなどの被害も出ている[8]

水質汚染[編集]

三峡ダムの水没地及び周辺地域からの汚染物質や大量のゴミの流入により長江流域、黄海の水質悪化、アオコの大量発生および、生態系への影響が発生している。

環境対策としては、三峡ダム地区(湖北省 - 重慶市)の汚水処理施設及びゴミ処理場の設置計画が2001年に了承され(建設費は国が負担)[9]、建設、稼働している。しかし、人口3000万人を超える重慶など上流域での、工業・生活排水対策が不十分であるので、ダムが「巨大な汚水のため池」になっている。運営費は自治体負担のため、完成後稼働していない施設・処理場が多い。国家環境保護局が2005年に行った調査では、「7割がまったく未稼働か、時々しか稼働していない」状態にあったという[9]。そのため、水の富栄養化に大きな影響を及ぼす窒素化合物リンの除去処理を行っていない施設も多い[9]。湖北省と重慶市は、対応策として施設運営費を「国8割、地方2割」とするよう求めている[9]

中国国家環境保護総局は、貯水開始後のダム地区の水質について、「大きな水質変化はない」との観測結果を発表している。だが、一部水域で、大腸菌群や人血吸虫、浮遊物による汚染が発生していることも明らかにしている。また大雨の後にダム湖に大量のゴミが堆積することが常態化している[10]

土砂堆積の懸念[編集]

三峡ダムは、流入する土砂で埋没してしまうのではないかと懸念する意見もある。これに対して当局は、三峡ダムは流域面積108.4万平方Km、土砂流入 5.3億トン/年で、年間平均総流入量4500億トンに対し、有効貯水量は220億トンで5%にも満たない。また、土砂吐きにはダム下流側に7m×9mのゲート23門を設け、6月~9月の洪水時に175m満水位から35m水位を下げて、洪水と共に土砂を排出する計画になっており問題は生じないとしている。 しかし、この手法では、ダム底にたまる砂利や栗石の排出は困難であり、また、そもそも土砂排出が計画通り機能するかに関しても疑問を呈する声がある。

中国の清華大学では、100年にわたる土砂堆積を予測する実験を行い、懸念される土砂の堆積について次のように解説している。「年間平均5.3億トンの土砂流入と推測されるが、ダム完成直後は土砂が貯水池に堆積し、下流への流出土砂は流入してくる土砂より少なくなる。しかし75年経つと流入土砂量とダムから下流へ流出する土砂量とが等しくなる」(これは三峡ダムに限らず、世界中のどのダムにも共通して言えることである)

地震を誘引する懸念[編集]

2006年8月、香港中国人権情報センターは三年以内に三峡ダムが強い地震を引き起こす可能性があると発表した。また中国国務院温家宝総理もこの件について憂慮しているとも添えられている。同発表によると、当局は 1993年より同ダム近辺についての地質調査を行っているが、その結果および重要な地質資料が極秘となっている為に、外部機関が精査することが出来ないとしている。

蓄積された水の重さにダム付近の岩盤や地質が耐え切れずに「地震」を引き起こすのでは無いかという懸念が寄せられているのも事実である。仮に何らかの理由でダムが決壊した場合、その流域に未曾有の大惨事をもたらすことは必至である。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 世界最大の水力発電所 三峡ダム発電所が全面稼働=中国”. サーチナ (2012年7月5日). 2012年7月7日閲覧。
  2. ^ a b c d 中国・三峡ダムが全面稼働、発電量は原発15基分”. AFP (2012年7月6日). 2012年7月7日閲覧。
  3. ^ “中国の三峡ダム汚職、国民の特別税で事業費用賄い怒り沸騰”. Reuters. (2014年2月28日). http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTJEA1R00220140228 2014年2月28日閲覧。 
  4. ^ 1992年4月4日 朝日新聞「中国全人代の三峡ダム決議 異例、大量の不同意票出る」
  5. ^ 2002年7月21日 朝日新聞「中国・三峡ダム移民、帰郷求めた40人を逮捕」
  6. ^ 2003年5月8日 朝日新聞「文化財の『救出』急ぐ 中国・三峡ダム始動:上」
  7. ^ 1996年2月21日 朝日新聞「「このままだと絶滅は確実」 開発進む長江、環境悪化でイルカに危機」
  8. ^ “三峡ダム区で地質上の問題5386カ所…巨大な水圧原因”. サーチナ. (2010年6月15日). http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0615&f=national_0615_029.shtml 2011年2月16日閲覧。 
  9. ^ a b c d 「深刻化する三峡ダム湖の水質汚染 アオコが各地で異常発生、企業の違法排出もやまず」『財経』財経雑誌社、2009年4月27日号
  10. ^ [1]
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]


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