黄河

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黄河
蘭州における黄河の流れ
蘭州における黄河の流れ
延長 5,464 km
水源の標高 4,800 m
平均流量 1,774 /s
流域面積 745,000 km²
水源 青海省
河口・合流先 渤海
流域 中国
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黄河流域

黄河(こうが)とは、中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ。全長約5,464kmで、中国では長江(揚子江)に次いで2番目に長く、世界では6番目の長さである。なお、という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。

概要[編集]

青海省を流れる黄河上流
臨夏回族自治州で黄河上流の本流に設けられている劉家峡ダム
黄河中流の壺口瀑布。山西省吉県と陝西省宜川県の間
甘粛省蘭州市
黄河下流の山東省済南市に架かる洛口浮橋。遠方の岡は鵲山

黄河流域は地理的にはいくつかに大きく区分できる。チベット高原黄土高原、オルドス・ループ、華北平原である。黄河は玉樹チベット族自治州の東端に近い青海省バヤンカラ山脈に源流があり、7つの省と2つの自治区を縫って流れる。バヤンカラ山脈に端を発した黄河は、チベット高原の中を大きく蛇行しながら北へと流れ、青海省の西部で黄土高原の中に入る。甘粛省に入ると甘粛三峡と呼ばれる劉家峡・塩鍋峡・八盤峡を流れる。劉家峡から八盤峡までは70㎞ほどしかないが、この3つの峡谷にはそれぞれ劉家峡水力発電所(1969年完成)・塩鍋峡水力発電所(1962年完成)・八盤峡水力発電所(1980年完成)があり、発電および周辺地域の灌漑に利用されている。この地域までは黄河は基本的に深い谷をなしながら流れ、灌漑などに水を利用することも中華人民共和国成立まではほぼ行われてこなかったが、この3つの峡谷を抜けたところで黄河は初めて開けた土地へと流れ込む。蘭州盆地である。蘭州盆地の中心都市である蘭州は黄河の渡河地点から発達した都市で、人口は300万人以上に上り、中国北西部の中心都市である。蘭州から北へと向きを変えた黄河が市を抜けてしばらくするとふたたび切り立った崖に周囲を囲まれ、寧夏に入ると青銅峡と呼ばれる渓谷へと流れ込む。この渓谷にもダムが建設され、寧夏の豊かな農業生産を支えている。

青銅峡を抜けると、黄河は寧夏の広大な盆地へと流れこむ。銀川平原(寧夏平原ともいう)は黄河のほとりに広がる広いオアシスであり、「天下黄河富寧夏」(天下の黄河が寧夏を富ます)という言葉通り古くからその肥沃さと水の豊富さで知られ、「塞上の江南」とも呼ばれる。西夏王朝もこの銀川に本拠地を置いた。この地域は回族が比較的多く、寧夏回族自治区を形成している。銀川平原を抜けると、黄河はオルドス高原の中をなおも北上したのち、内モンゴル自治区バヤンノール市で東へと向きを変え、包頭市の先で今度は南へと向きを変える。その後、再び黄土高原の中をほぼ真南に向かい、陝西省で渭水と合流して、今度はまっすぐ東へと向かう。蘭州から渭水との合流地点までは、黄河は漢字の「几」の字のような形で大きく屈曲する。この部分はオルドス・ループ (Ordos Loop)とも黄河屈曲部とも呼ばれる。古くは河套と呼ばれ、屈曲部北端の平原は河套平原と呼ばれていた。

西へと向かった黄河は、三門峡ダム、小浪底ダムといったダムを抜け、洛陽市の北方で山岳地帯を抜けて、広大な華北平原へと流れ込む。ここからはじまる黄河の下流域は中原と呼ばれる。この地は黄河文明発祥の地であり、中国文明の中核地域として過去に歴代王朝の都が置かれた。

黄河は鄭州市を抜け、開封市付近で東から北東へと向きを変え、あとは河口までほぼ北東に流れる。この部分の黄河は、上流の黄土高原で流れ込んできた大量の黄土が含まれている。黄河が流送する土砂は年間16億tと言われ、この土砂の堆積によって、下流部は天井川となる。このため、華北平原には黄河にそそぎ込む支流はなく、本流を除いては華北平原は黄河流域とは厳密には言えない。華北平原の河川は、黄河以北は海河、黄河以南は淮河の流域に属する。しかし一方で、海河・淮河ともに黄河の河道変遷(後述)によって黄河本流となったことがあり、また黄河によって運ばれてきた黄土が華北平原そのものを形成し、平原全域を覆っていることから考えても、華北平原全域が黄河の影響下にある地域であるといえる。黄河は山東省西部において大運河と接続したのち、山東省の省都済南市の北側を通り、渤海湾に注ぐ。上流から流れてくる膨大な量の土砂の堆積により、山東省河口付近には広大なデルタ地帯を形成している。

流路変遷と治水[編集]

黄河は上流部で黄土のただなかを流れるが、この黄土はシルトであり、粒子が細かいため浸食されやすい。そのため、黄河には膨大な土砂が流れ込み、黄河との名称のもととなった。この土砂は流域に建設されたダム群にも堆積し、小浪底ダムにおいては堆積土砂を押し流すための放水がたびたびおこなわれている[1]

黄河下流域は膨大な土砂の堆積によって天井川となっているため、古来よりたびたび氾濫し、大きく流路を変えてきた。[1]。それらの元流路は黄河故道と呼ばれている。黄河の治水は歴代王朝の重大な関心事の一つであった。古代には渤海北部の天津付近に河口があったが、1194年に黄河の堤防が決壊し、黄河は大きく南遷して南の淮河に合流し、黄海へと流れ込むようになった。この黄河の南流は1855年に再び黄河が北流し、現在の流路を流れるようになるまで700年近く続いた。黄河の現在の流路にはもともと済水と呼ばれる大河が流れており、済南市の市名はこの済水の南に位置していたことからきたものだが、この流路変更によって済水の河道のほとんどは黄河本流となってしまった。また、日中戦争中の1938年には日本軍の侵攻を阻止しようとした中国国民党によって堤防が爆破され、流路が変わった(黄河決壊事件)。1947年に堤防の修復が完了し、河口が現在の位置になった。

戦後、三門峡ダムなど大規模なダムが建設され、大水害は減少した。しかし、1970年代以降、工・農業用水の需要増大に伴って、下流部で流量不足になり、河口付近では長期にわたって断流するなどの問題が起きている(1999年以降、断流は発生していない)[† 1][2]2001年には三門峡ダムの下流に小浪底ダムが建設され、黄河の水位調節を行うようになって断流は発生しなくなった[3]。とはいえ、黄河の根本的な水量不足は解消したわけではなく、これを解決するために南水北調計画が開始され、西線工区では水量の豊富な長江上流地域から黄河上流へと水を流し、黄河水量の増加によって甘粛や寧夏、内モンゴル、陝西省などの水不足を解消する計画が立てられたが、この西線工区は3000m級の険しい山岳地帯に位置し、非常な難工事が予想されるため、ほかの2工区と違い全く着工がなされず、計画段階にとどまっている。また、源流域のチベット高原では重要な水源となる湿原の消失が続いており、長江や黄河といった大河川の水量への影響が懸念されている[4]

歴史[編集]

黄河流域には紀元前7000年ごろに黄河文明が成立した。黄河文明はやがて南の長江流域に成立した長江文明と一体化し、中国文明となるが、黄河流域は基本的に中国文明の中心地であり続けた。黄河の治水は古くより中国文明においての重大事であり、伝説上の中国初の王朝である夏王朝が、が黄河の治水事業に成功してより禅譲を受けたことにより成立したという伝説も、その一端を示している。紀元前17世紀ごろには確認できる中国最古の王朝であるが成立した。

支流[編集]

橋・トンネル・渡し[編集]

黄河には多くの渡し船(中国語:渡口)がある[5][6][7]。その主なものを、下流から上流に向かう順に列挙する。

山東省

河南省

山西省河南省

陝西省山西省

  • 韓城禹門口黄河大橋

寧夏回族自治区

内蒙古自治区

甘粛省

青海省

  • 達日黄河大橋
  • 扎陵湖渡口 - 黄河最上流の渡しといわれる。

黄河の下を潜る初めてのトンネルとして、蘭州の地下鉄用トンネルが2014年に着工されている[8]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1972年4月23日、山東省で断流が最初に観測された。

出典[編集]

  1. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2957966 「迫力満点、黄河のダムで大放水 中国・河南省」 AFPBB 2013年07月25日 2015年2月25日閲覧
  2. ^ 石弘之著 『地球観測報告II』 岩波書店 《岩波新書(新赤版)592》 1998年 42ページ
  3. ^ 「大河失調 直面する環境リスク」(叢書 中国的問題群9)p54 上田信 岩波書店 2009年8月4日第1刷
  4. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/2255509 「気候変動で中国の湿原が減少 アジア全土に影響を及ぼす恐れ」AFPBB 2007年07月18日 2015年2月25日閲覧
  5. ^ 黄河大橋(百度百科)(中国語)
  6. ^ 黄河大橋の写真集(百度)(中国語)
  7. ^ 黄河公路大橋(百度)(中国語)
  8. ^ 兰州开建首条穿越黄河地铁”. 北京日報 (2014年3月29日). 2015年1月22日閲覧。

関連項目[編集]