広西チワン族自治区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
広西壮族自治区
簡称: 桂 (拼音: Guì)
広西チワン族自治区の位置
簡体字 广西
繁体字 廣西
拼音 Guǎngxī
カタカナ転記 コワンシー
自治区首府 南寧市
最大都市 南寧市
区委書記 彭清華
自治区主席 馬飆(前南寧市委書記、元百色市委書記)
面積 236,700 km² (9位)
人口 (2005年)
 - 人口密度
49,250,000 人 (10位)
208 人/km² (20位)
GDP (2008年)
 - 一人あたり
7,172 億 (17位)
14,966 (26位)
HDI (2006年) 0.755 () (21位)
主要民族 漢民族 - 61.46%
チワン族 - 32.6%
ヤオ族 - 3%
ミャオ族 - 1%
トン族 - 0.7%
コーラオ族 - 0.4%
地級行政区 14 個
県級行政区 109 個
郷級行政区 1396 個
ISO 3166-2 CN-45
公式サイト
http://www.gxzf.gov.cn

広西チワン族自治区(こうせいチワンぞくじちく、チワン語: Gvangjsih Bouxcuengh Swcigih中国語: 广西壮族自治区)は、中華人民共和国南部の自治区。中国最大の少数民族チワン族の原住地。隣の広東省と併せて「両広」と言われることもある。首府は南寧市。かつては広西省

地理[編集]

西は雲南省、北は貴州省湖南省、東は広東省と接し、南はトンキン湾に面する。南西はベトナムと国境を接する。北部には東西に南嶺山脈が走り、湖南省との境をなす。珠江の流域が区の内陸部の多くを占める。

亜熱帯性気候で、二期作、三期作が可能である。

著名な観光地桂林が東北部に所在する。

民族[編集]

歴史[編集]

広西チワン族自治区は約5万年前の旧石器時代は柳江人白蓮洞人の活動地域であった。史書の中では古くは百越あるいは百粤の名称で登場し、チワン族は古代の百越の西甌及び雒越支系の末裔であると考えられ、広西に最も古くから居住していた民族である。

前221年、中国統一を達成した秦朝は広西に桂林郡及び南海郡象郡(後者2郡は一部)を設置している。宋代になると広南東路及び広南西路が設置され、現在の広西全域及び雷州半島及び海南島を管轄した。元末になると広西行中書省が設置され、ここで「広西」の名称が使用されて以降中華人民共和国初期に至るまで広西省の名称が使用された。

中華民国時代は新桂系軍閥の勢力下に於かれていた。1949年12月11日、中国共産党により「解放」されている。1958年3月5日、広西チワン族自治区に改編された。

行政区画[編集]

Map of Province in China 450000 広西壮族自治区.svg
拡大表示 (SVGファイル対応ブラウザのみ)

行政区域は14の地級市からなる。

教育[編集]

経済[編集]

広東省の製造部門 広州市から高速道路で数時間 大型港湾を複数保有する、沿海地域 ベトナムに隣接

農業[編集]

伝統的な棚田

サトウキビ桑蚕繭漢方薬材、松脂ロジン) - サトウキビから作る砂糖は全国の60%のシェア 

工業[編集]

発電機械工業アルミニウム製紙(サトウキビの搾りかす利用)、冶金建材食品加工

自動車 
上汽通用五菱汽車上海汽車ゼネラルモーターズ合弁会社
東風汽車
一汽集団柳州トラックなどを生産

自治区政府は自動車部品産業振興に重点を置き、柳州に部品生産基地を開発中。

外資投資[編集]

広西統計年鑑(2004年)によると、香港企業による投資が一番多い。

日系企業[編集]

NECミヨタシチズン子会社)、ダイセイ化学王子製紙丸紅荒川化学など。

交通[編集]

空港[編集]

5カ所の空港

[編集]

欽州港、防城港、北海港があり、いずれも大型コンテナ船の乗り入れが可能。鉄道があるため、貨物の積み降ろしも便利である。

道路[編集]

  • 2005年末、重慶市 - 貴州省 - 広西 - 広東省湛江市を結ぶ全長 1,314 キロメートルの高速道路が開通
  • 広東省と梧州を結ぶ「広梧高速道路」が建設中
  • 桂林と梧州を結ぶ「桂梧高速道路」が建設中
  • 南寧 - 友誼関(中越国境)を結ぶ「南友高速道路」(全長 180 キロメートル)

鉄道[編集]

雲南省、貴州省、湖南省、広東省、ハノイに結ばれている。

ベトナムとの関係[編集]

自治区南部の憑祥市にある友誼関は中国とベトナムとの主要な門戸となっている。これ以外にも自治区はベトナムと長大な国境線で接しており、住民同士が日常的に行き来している。1979年中越戦争勃発によって中国とベトナムの経済関係は断絶してしまったが、1989年になってソ連の崩壊が始まると中越関係は改善の兆しが見られるようになり、小規模な国境での民間貿易が始まり、ソ連崩壊後の1992年中越国交は完全に正常化した。

友好関係にある自治体[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]