歌曲

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歌曲(かきょく)は、クラシック音楽における独唱声楽曲(または小人数の重唱声楽曲)のジャンルの代表的なものである。特に18世紀後半から19世紀初頭にかけて確立し、ロマン派時代に興隆を迎えた。ドイツではリート(LiedあるいはKunstlied。複数形はリーダー)、フランスではメロディまたはシャンソン、イタリアではカンツォーネ、イギリスではアート・ソング、などと呼ぶ。

宗教音楽としての声楽を含む楽曲、たとえばJ.S.バッハの独唱用教会カンタータなどはオーケストラ伴奏の歌曲であるともいえるが、ここでは扱わない。

また、オペラなどの大規模な楽曲の1曲としての声楽曲も歌曲と通常呼ばない。アリア、その他、その性格によって呼び分けている。

目次

[編集] 演奏形態

通常、ピアノ伴奏で歌われるものが多いが、ロマン派の作品にはオーケストラ伴奏のものも多く見られる。歴史的には無伴奏のもの、小型の楽器で伴奏するもの、小編成の器楽で伴奏するものなどがあった。

[編集] 歴史

[編集] 中世まで

声楽曲自体は、作品が再現できない古代ギリシア時代はさておき、西洋音楽では中世初期の教会音楽であるグレゴリオ聖歌(単旋律の無伴奏斉唱)までさかのぼることができる。その後教会音楽はオルガヌム(9~13世紀)、コンドゥクトゥス、モテトゥス(以上13世紀)などの多声音楽に発展する。14世紀フランスのアルス・ノヴァやイタリアのトレチェント音楽ではバラード、ロンド、マドリガル、カッチアなど多声の世俗音楽が発展する。ギヨーム・ド・マショーはアルス・ノヴァの代表的な作曲家である。

一方、11世紀~13世紀のフランスにはトルバドゥールトルヴェールという宮廷貴族の音楽家が活躍し、宮廷生活や恋愛をテーマの世俗歌曲を広めた。またドイツでも12世紀から14世紀にかけてミンネゼンガーと呼ばれる貴族が同様に自らの作品を歌った。これに対しマイスタージンガーは15~16世紀に活動した市民階級の音楽家で、定式化されたマイスターの歌を歌った。ヴァーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』はハンス・ザックスを始めこの時代の主要人物を実名で登場させている。

[編集] ルネサンス時代

15世紀前半のブルゴーニュおよびイングランドでは多声であるが最上声を重視する様式に特徴がある。また15世紀後半からのフランドル楽派では四声部のアンサンブルが定着した。またドイツで流行した世俗歌曲がリートと呼ばれるようになるのもこのころである。

イングランドではジョン・ダウランドらがマドリガルリュート歌曲などの世俗的な声楽作品を書いた。

[編集] バロック時代

16世紀からのバロック音楽の時代の声楽曲でもっとも注目すべきことはオペラの誕生であろう。「イタリア歌曲」として知られる18世紀イタリアの作品(『すみれ』『私を死なせてください』など)は、19世紀末の音楽研究者パリゾッティがバロック時代のオペラのアリアなどを元にロマン派風のピアノ伴奏形式に編曲したものであり、厳密には歌曲ではないが、声楽家を目指す学生の教材の他、歌曲リサイタルの演目として取り上げられることもある。

またイタリアのほか、ドイツやイギリスでも世俗的な独唱声楽曲の伝統が続いた。A.スカルラッティはカンタータ・ダ・カメラとよばれる世俗的な内容を持つ演奏会用カンタータを多数書いている。フランスのM.A.シャルパンティエ、ドイツのテレマンJ.S.バッハもこのジャンルで活躍した。バッハの世俗カンタータとしては『コーヒー・カンタータ』『農民カンタータ』『結婚カンタータ』などが良く演奏される。

[編集] ドイツ歌曲

一般的に知られるドイツ歌曲は、古典派時代に先駆的な作品が生まれ、ロマン派時代に発展したものである。オペラから切り出したアリア演奏会用アリアではなく、独立した詩歌に音楽を付けてひとつの完結した音楽作品としてまとめたものである。

この背景には、ロマン派文学の詩人の活躍がある。ゲーテシラーメーリケアイヒェンドルフらの詩作に霊感を刺激されて多くの作曲家が歌曲に取り組み、様々な表現を発展させた。

18世紀末に活躍したモーツァルトの歌曲は、イタリア・オペラのアリエッタ(小規模なアリア)風の作品から始まり、単純な有節形式の小曲が多いが、ゲーテの詩による『すみれ』、あるいはカンペの詩による『夕べの想い』や、まるでオペラの一場面であるかのような『ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき』などは通作形式で作曲され、内容的にもロマン派の世界をうかがわせるものとなった。

ベートーヴェンも『はるかな恋人に』で連作歌曲を導入したが、ドイツ歌曲は大きく発展させたのはシューベルトである。彼の600曲以上の歌曲作品は単独の作品のほか、『美しき水車小屋の娘』、『冬の旅』、そして死後出版社がまとめたものではあるが『白鳥の歌』の「3大歌曲集」がよく知られ、演奏・録音頻度も高い。他にも、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』による竪琴弾きやミニヨンの歌、『ファウスト』に主題を得た一連の歌曲が知られるが、これらは必ずしも一気に書かれたものではない。シューベルトは選んだ詩の全体的な気分を反映して、民謡調で自然や恋を描く曲から近代的な疎外感を描いたものまで多様な音楽を創造し、ドイツ・リートを確立したといってよい。

その後メンデルスゾーンバラードのジャンルで知られるレーヴェなどを経て、シューマンクララ・ヴィークとの結婚を控えた1840年(歌の年)に一気に大量の歌曲を創作した。シューマンはその後も歌曲の作曲を続け、シューベルトに続きドイツ・リートの世界を拡大した。シューマンの作品はシューベルトの多くの作品に見られる、詩から触発されて自然に流れ出たような作風と異なり、詩の選択・分析などで緻密な計算のもとで作曲され、より文学的な傾斜を強めている。シューマンはかつてピアニストも志していたこともあり、歌曲のピアノパートが充実していることも特徴の一つである。

シューマンに見出されたブラームスは主に器楽作品で知られるが、生涯を通じて多くの歌曲作品を作曲している。交響曲協奏曲の重厚な作風とは異なり平明素朴な民謡調も見せるのが興味深い。実際、当時の民謡ブームを反映した『ドイツ民謡集』を作曲・編纂している。著名な『子守唄』『眠りの精』はこの作品集に含まれる。重要な歌曲作品としては連作歌曲集ティークの『美しきマゲローネ』によるロマンス(マゲローネのロマンス)」や、単独の作品として有名なものでは、作品43に含まれる「永遠の愛」Von ewiger Liebeや「五月の夜」Die Mainachtなどがある。

ワグネリアンでもあったヴォルフはゲーテ、メーリケ、アイヒェンドルフなど特定の詩人の作品に短期集中的に取り組んで「歌曲集」として作曲を行い、独特の語るような旋律で詩の内容に鋭く迫る作品を残した。一方、イタリアなど南欧への憧れを反映した『イタリア歌曲集』『スペイン歌曲集』では、集中力は維持しながらも陽気で開放的な作品も見られる。

さらにドイツ・リートはマーラーリヒャルト・シュトラウスに引き継がれた。マーラーは民謡調の詩に好んで作曲し、しばしば作品を自作の交響曲に転用するとともに歌曲自体もオーケストラ伴奏のものを多く残した。シュトラウスは濃厚な後期ロマン派の作風を反映した作品を残したが、晩年の作品では彼のオペラ同様に枯れた印象を与える。すでに『4つの最後の歌』の第4曲『夕映えに』はそうした諦念を示す、ロマン派の幕引きのような曲となった。

他にリストワーグナーフランツレーガープフィッツナーツェムリンスキーシュレーカーなども特徴のある作品を残している。

シェーンベルクをはじめとした新ヴィーン楽派の作曲家達も、初期においては後期ロマン派の作風で、後には無調十二音技法によって優れた歌曲を残している。また、さらに後の世代の作曲家ではクレネクヘルマン・ロイターが優れた歌曲を残しているが、シューベルトに始まったドイツ歌曲の黄金時代は、新ヴィーン楽派によってその幕を閉じると考えてよいのではないだろうか。

また、ドイツに限らず、ヨーロッパを中心としたクラシック音楽の先進地域では、歌曲が豊かに発展した時代は20世紀の前半で終わったと言ってよいだろう。

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古典派以降

[編集] フランス歌曲

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[編集] 主な歌曲作曲家

[編集] イタリア歌曲

オペラの国イタリアでは、厳密には歌曲とは言えない前述の「古典歌曲」として知られる作品を除くと、19世紀前半にはロッシーニドニゼッティベッリーニなどのオペラ作曲家が歌曲を書いているが、ドイツのように芸術歌曲として深く発展することはなかった。そのご19世紀中期にフランチェスコ・パオロ・トスティがサロン風歌曲を多数残すが、ようやく19世紀後半になってオペラ一辺倒の風潮に異を唱えたマルトゥッチによって、本格的な芸術歌曲と呼べるようなものが書かれた。この流れを受け継ぎ、20世紀前半にはレスピーギピツェッティなどが優れた歌曲を残している。

20世紀前半にはまた「オー・ソーレ・ミオ」に代表されるようなナポリターナ又はカンツォーネ(「イタリア民謡」と呼ばれたこともあるが本来の意味での民謡ではない)が流行するが、ピツェッティに代表される芸術歌曲とは別な物と考えるべきであろう。

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[編集] イギリス歌曲

イギリスにおいては、19世紀には家庭向けの通俗的バラードが「楽譜がよく売れる」という理由もあって多く書かれていたが、本格的な芸術歌曲はドイツ、フランスからやや遅れて19世紀末から現れ始め、20世紀前半に豊かに発展した。シェイクスピアブレイクテニスンハーディらの自国の詩に曲をつけたものの他、民謡キャロルからの編曲も多い。

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[編集] その他の国の歌曲

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