テリー・ギリアム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テリー・ギリアム(Terence Vance Gilliam, 1940年11月22日)は、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス市生まれのイギリスの映画監督である。イギリスのコメディグループモンティ・パイソンのメンバーの一人。また、アニメーターでもある。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 青少年期
1940年11月22日、ミネソタ州メディシンレイクに生まれ。家庭環境を述べると、兄弟は2歳下の妹と10歳下の弟の2人。父親はフォルガーズ・コーヒーの訪問販売員。(その後大工に転職。)
妹の気管支喘息治療の為、家族はカリフォルニア州に移り住み、テリーはここでバーミンガム高校に入学。生徒会長を勤めたりもしている。優等生で、シニア・プロム(高校卒業を祝うダンスパーティ)では「最も成功しそうな男」としてプロム・キング(日本における学生生活に当てはめれば、ミスター・コンテストのグランプリ)に選出される。また高校時代、後に影響を受けることとなる漫画雑誌「マッド (Mad) 」を見つけている。
高校卒業後、オクシデンタル大学に進学。物理学を専攻するが、ファインアートへと専攻を切り替え、最終的には政治学専攻に変更することとなる。学生運営雑誌「ファング (Fang) 」の作業を受け持ち、3年生の時は編集者として参加。誌面傾向を「マッド」の編集者アルビー・カーツマン (Harvey Kurtzman) のトリビュートとしていく。また、この雑誌のコピーをカーツマンに送っている。卒業後、広告代理店に就職するがそれは長いことは続かず、カーツマンの誘いにより雑誌「ヘルプ!」 (Help!) の編集者に転職する。
[編集] 活動
テリーはコミック・ストリップ家、アニメーターとしての仕事を始める。後にモンティ・パイソンで仲間となるジョン・クリーズを写真コミック・ストリップ作品として特集し、「ヘルプ!」誌上にて掲載している。その後の1960年代半ば、イギリスへ渡りフリーのイラストレーターとしてロンドンで雑誌の仕事をする。また、知人となっていたジョン・クリーズの紹介で子供向け番組、『ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット』 (Do Not Adjust Your Set) に参加、アニメーションを製作する。この番組で、後にモンティ・パイソンで仲間となるエリック・アイドルやマイケル・ペイリン、テリー・ジョーンズと出会っている。
モンティ・パイソン内では唯一の英国人以外のメンバーとして、BBCの製作番組『空飛ぶモンティ・パイソン』に参加する。ここで、アニメーションを担当し、シュールなアニメーションを製作。このアニメーションはしばしば、番組内のスケッチにリンクし、モンティパイソン内におけるヴィジュアル・ランゲージの一つとして機能した。また、いくつかのスケッチには脇役として出演もしている。
モンティ・パイソンにおけるテリーのアニメーションには独自の様式がある。古い写真(ほとんどはヴィクトリア朝のもの)を背景に、自分が描いたイラストと写真から切り抜いたモチーフとを動かすというものである。この手法は、アニメーションやフラッシュアニメ作品などの多くの場所において模倣されている。テリーのアニメーションは「ギリアニメーション」(Gilliamations)と呼ばれる。
その後、映画監督としての仕事を始め、主な活動をこれに移して行く。映画監督としての初めての仕事は、1975年製作の『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』であるが、これはテリー・ジョーンズとの共同監督であった。1977年、初の単独監督作『ジャバーウォッキー』を監督。その後、多くの映画作品の監督を務める。
『未来世紀ブラジル』は米国内では改ざんされたヴァージョンが公開され配給のユニヴァーサルとの闘争が展開。次作『バロン』ではプロデューサーの杜撰な製作管理によって予算が膨れ上がり、当初のヴィジョンが反映されなかった上興業的にも製作費回収には程遠い成績に終わった。この体験で「映画作りが嫌になった」と語っている。
しかしその次に製作した『フィッシャー・キング』ではマーセデス・ルールがアカデミー助演女優賞を、作品自体もヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞している。
2002年、ナイキのワールドカップキャンペーンの一環であるテレビCM「シークレット・トーナメント」(The Secret Tournament)の監督を務めた。これは、世界のベスト・プレーヤーたちが巨大なタンカーの中で3対3で戦うという内容で、BGMにはエルヴィス・プレスリーの”A Little Less Conversation”が使われた。このCMは高い人気を集め、批評家からも絶賛された。
[編集] その他
- 進行中のプロジェクトがいくつかあるが、ニール・ゲイマン、テリー・プラチェットのファンタジー小説 ”Good Omens” の映画化もそのひとつ。
- 1990年代半ば、Charles McKeownと共に『バンデットQ』の続編の脚本を執筆したが、本編の俳優たちの何人かが亡くなったためプロジェクトは実現しなかった。また、ディケンズの『ニ都物語』を監督するはずだったが、予算面で折り合いがつかず頓挫した。
- 1999年から2000年にかけて、セルバンテスの『ドンキホーテ』を原作とする映画『ドンキホーテを殺した男』( ”The Man Who Killed Don Quixote”)の制作が暗礁に乗り上げたのは『ロスト・イン・ラマンチャ』(2002)に描かれたとおり。ほかにも、1989年と1996年にAlan Moore作のコミック・ブック 『ウォッチメン』(”Watchmen”) を映画化しようとしたが、これも実現しなかった。
- アニメによるヴァーチャル・バンド、ゴリラズの映画を監督(あるいは制作に関与)する話もあるという。
- 1992年に東宝とトライスターが『GODZILLA』の製作に合意した際、監督としてギリアムの名がアナウンスされた。しかしその件はいつの間にかうやむやになり、『GODZILLA』の監督はその後ヤン・デ・ボンを経てローランド・エメリッヒが担当した。
[編集] 主な作品
- 空飛ぶモンティ・パイソン Monty Python's Flying Circus (1969-1973) テレビシリーズ
- モンティ・パイソン・アンド・ナウ And Now for Something Completely Different (1971)
- モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル Monty Python and the Holy Grail (1975)
- ジャバーウォッキー Jabberwocky (1977)
- モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン Life of Brian (1979)
- バンデットQ Time Bandits (1981)
- モンティ・パイソン/ライブ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル Monty Python Live at the Hollywood Bowl (1982) 脚本・出演
- モンティ・パイソン/人生狂騒曲 The Meaning of Life (1983)
- クリムゾン終身雇用会社 The Crimson Permanent Assurance (1983) 脚本・出演
- 未来世紀ブラジル Brazil (1985)
- バロン The Adventures of Baron Munchausen (1988)
- フィッシャー・キング The Fisher King (1991)
- 12モンキーズ Twelve Monkeys (1996)
- ラスベガスをやっつけろ Fear and Loathing in Las Vegas (1998)
- ロスト・イン・ラ・マンチャ Lost In La Mancha (2001) ドキュメンタリー。出演のみ
- ブラザーズ・グリム The Brothers Grimm (2005)
- ローズ・イン・タイドランド Tideland (2005)
- パルナッサス博士の想像力The Imaginarium of Doctor Parnassus (2009)
[編集] 著書
[編集] 参考文献
- en:Terry Gilliam 4/19/2004 2:24 (UTC)
- Gilliam, Terry and Christie, Ian (Ed.) (1999). Gilliam On Gilliam. Faber & Faber. ISBN 0571191908
[編集] 外部リンク
グレアム・チャップマン | ジョン・クリーズ | テリー・ギリアム | エリック・アイドル | テリー・ジョーンズ | マイケル・ペイリン
関連人物
ダグラス・アダムス | コニー・ブース | キャロル・クリーヴランド | ニール・イネス
テレビシリーズ
映画
モンティ・パイソン・アンド・ナウ | モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル | ライフ・オブ・ブライアン | ライブ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル | 人生狂騒曲
舞台
関連商品

