ナイキ
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ナイキ(Nike)は、アメリカ・オレゴン州に本社を置く、スニーカーやスポーツウェアなどスポーツ関連商品を扱う世界的企業。1972年設立。ニューヨーク証券取引所に上場。
社名の由来は、社員の一人ジェフ・ジョンソンが夢で見た、ギリシャ神話の勝利の女神「ニケ(Nike)」から。
スタンフォード大学で経済学を学んでいた学生フィル・ナイトと、オレゴン大学の陸上コーチであったビル・バウワーマンが前身であるブルーリボンスポーツ(BRS)社を設立。同社は日本からオニツカタイガー(現アシックス)の運動靴を輸入し、アメリカ国内で販売していた。より高い利益を求め、オニツカタイガーの技術者引き抜きなどを行い、オニツカタイガーの競合社である福岡のアサヒコーポレーションでスニーカーを生産、ナイキのブランド名で販売した。提携終了後もオニツカタイガーがビル・バウワーマンのデザインした靴を販売していたため、1億数千万の和解金を受け取る裁判を起こす。
現在、運動靴のみならず多くのスポーツ製品を手がけている。
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[編集] スウッシュ
スウッシュ(Swoosh)は1971年に商標登録されたナイキのロゴマークであり、世界で最も有名なロゴマークの一つ。「勢いよく動く」という意味で、その形状は躍動感やスピード感を表現している。広告などでは、ナイキの社名ロゴを出さなくともこのスウッシュが出るだけで、ブランドが想像できるほど知られている。日本では「スウォッシュ」と誤読されることが多い。
ロゴのデザインは1971年、創設者であるフィル・ナイトが会計学の講師をしていたポートランド州立大学で出会った、キャロライン・デビッドソンが制作した。ナイトは、グラフィックデザインを専攻していたキャロラインが製図の課題をしていたところを捕まえ、ロゴのデザインを依頼。まだデザインを仕事にして間もないキャロラインは、スウッシュのデザイン料として僅か35ドルの請求書をナイトに提出した。キャロラインはその後もナイキ初期の多くのツールのデザインを手がけることになった。デザイン制作が代理店に移った後の1983年9月、キャロラインは当時スポーツブランドとしてナイキを成功させていたナイトの呼び出しを受け、ナイトからダイヤモンド入りの金のスウッシュリングとナイキ株を受け取った(具体的な株数は不明)。
[編集] シューズ
ナイキは今までにスポーツシューズを数多く世に送り出し、商業的に成功している。 自社工場を持たない委託生産方式や、厳格なマーケティングに加え小売店への出荷は基本的に買取制とし余分な在庫を持たないなど、経営手腕に秀でる。
[編集] エア
衝撃を吸収するためのミッドソールの中に仕込んだエアバッグのこと。1978年発表。クッション性を確保するためのエアバッグは、ビニールパックの内部にガスを充填したものであり、搭載位置は試行錯誤の末、ミッドソールの中に仕込むという方法を発明し、ここに完成した。
[編集] エア・フォース1
AIR FORCE1:「エア」を搭載したバスケットボールシューズ第一号。1982年発売。現在でも高い人気を誇る。
[編集] エア・ジョーダン
AIR JORDAN:マイケル・ジョーダン(元・NBAシカゴブルズ)の名を採ったバスケットボールシューズ。1985年に最初のモデル「エアジョーダンI」が発売された。以降、年1回のペースでモデルチェンジされる。
[編集] エア・マックス
AIR MAX:ナイキを代表するランニングシューズで初代は1987年に発売された。以降、舗装路におけるランニング・トレーニング用シューズの最上位モデルにその名が冠せられている。特に1995年に発売された通称「エアマックス95」は爆発的に売れ、数多くの偽物の流通や「エアマックス狩り」などもあってマスコミにとりあげられ、社会現象化した[1]ことで良くも悪くもナイキの社名と製品を有名にした。 本来ナイキはネーミングに関して厳格で、市場では区別のためにエアマックスの後に数字や西暦の下二桁を付した名称で認識されたモデルも、正式名は常に「AIR MAX」であったが、近年その傾向は薄れ正式なモデル名にも認知度の高い通称を採用するようになった。
[編集] ショックス
かかとなどにコラム(ばね)を搭載し、クッション性と反発性を高めたシューズ。2000年に発売され、2001年にはビンス・カーターのシグネイチャーモデル「Nike Shox VC」が発売された。
[編集] 工場の人権問題
ナイキは製品デザインは自社で行うが、自社工場を持たずに生産は外部の工場に委託している。以前より、ナイキは海外工場において労働力の不当な搾取をしていると噂されていた[要出典]。1997年、NGOによって実際にナイキのベトナムなど東南アジアに所在する委託工場における、児童労働、低賃金労働、長時間労働、性的行為の強要、強制労働、などの問題点の存在が明らかになる[2]。こうした事実を知った、アメリカ合衆国のNGO団体および学生たちは、大学キャンパスやインターネットを使用し、ナイキの姿勢を批判した[2]。運動は製品の不買や訴訟問題に発展した[2]。
これに対してナイキは1999年にグローバル・アライアンスを設立し世界各国の自社を含む多国籍企業における労働環境の調査を行い労働環境の改善に対して迅速に取り組めるよう対応している[3]。
[編集] 日本での活動
- 日本ではナイキジャパン。
- ナイキストア
- ナイキストア成田エアポート(千葉県成田市)
- ナイキストア吉祥寺(東京都武蔵野市)
- ナイキストア軽井沢(長野県北佐久郡軽井沢町)
- NikeOsaka(フラッグシップ)(大阪府大阪市)
- ナイキストア京都(京都府京都市)
- ナイキストアホークスタウン(福岡県福岡市)
- NikeFukuoka(フラッグシップ)(福岡県大名)
- NSW(コンセプトストア)(東京都原宿)

