サッカー中華人民共和国代表
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| 国または地域 | ||||
| 協会 | 中国サッカー協会 | |||
| 愛称 | 竜の隊、万里長城、国足 | |||
| 監督 | ||||
| 最多出場選手 | 李明(141試合) | |||
| 最多得点選手 | 郝海東(41得点) | |||
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| 初の国際試合 | 1952年8月4日対フィンランド 0-4 |
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| 最大差勝利試合 | 2000年1月26日対グアム 19-0 |
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| 最大差敗戦試合 | 1992年4月4日対アメリカ合衆国 0-5 |
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| FIFAワールドカップ | ||||
| 出場回数 | 1回(初出場は2002) | |||
| 最高成績 | 本大会出場 | |||
| アジアカップ | ||||
| 出場回数 | 10回 | |||
| 最高成績 | 準優勝 (1984, 2004) | |||
サッカー中華人民共和国代表は、中国サッカー協会 (CFA)によって編成されるサッカーのナショナルチーム。アジアサッカー連盟および東アジアサッカー連盟所属。
目次 |
[編集] 歴史
FIFAワールドカップには政治的な背景もあって(1958年のスウェーデン大会にエントリーして地区予選敗退した以外は)1970年代まで不参加の状態が続いていた。民主化の波が高まり始めた1980年代から再び参加を表明したが、1980年代から1990年代を通じてアジア地区予選敗退が続いた。
2002年日韓W杯のアジア予選では、開催国として日本と韓国が予選を免除され、当面のライバルは中東に絞られることになった。アジア最終予選のグループ分けでは、最も警戒すべきサウジアラビア、イラン、イラクが全て別グループ(グループA)へと回り、中国の属するグループBの相手はUAE、ウズベキスタン(とオマーン、カタール)と対戦相手に恵まれることとなった。そして名将ボラ・ミルティノビッチに率いられた中国代表は、アジア最終予選グループBを6勝1敗1分のトップで通過。初の本大会初出場権を獲得したが、その本大会では1次リーグ・グループCに入り、ブラジル、コスタリカ、トルコと対戦。勝利はおろか1得点も挙げられないまま3戦全敗、グループ最下位で敗退となった。
その後、自国開催となったAFCアジアカップ2004で準優勝。しかし2006年ドイツW杯のアジア予選では、1次予選でクウェートに総得点で僅差で及ばず(勝点、当該国同士の対戦成績、得失点差は同点。総得点でクウェートが1点多かった)で及ばず敗退となった。予選敗退後は、2008年の北京オリンピックに照準を合わせ世代交代を進め、2005年の東アジア選手権では優勝した。
ここ数年は安定した成績を残してきたが、2010年南アフリカW杯のアジア予選では、オーストラリア、イラク、カタールと同じ組と、組み合わせに恵まれず3次予選でグループ最下位に終わり、最終予選進出を果たすことなく敗退した。
2014年ブラジルW杯のアジア予選でも3次予選敗退。3大会連続でアジア最終予選にも進めなかった。
ラフプレーが多くサポーターから非難を受け、国内外から「カンフーサッカー」[1]「野蛮人サッカー」などの不名誉な称号を冠せられている。
韓国に対しては恐韓症とも称されるほどの苦手意識があったが、2010年の東アジア選手権では、初対戦から32年、28試合目にして韓国に3-0で初勝利した。
[編集] FIFAワールドカップの成績
[編集] AFCアジアカップの成績
[編集] 東アジアサッカー選手権の成績
[編集] 歴代監督
ボビー・ホートン 1998-2000
ボラ・ミルティノビッチ 2000-2002
アリー・ハーン 2003-2004
朱広滬 2004-2007
ヴラディミル・ペトロヴィッチ 2007-2008
高洪波 2009-2011
ホセ・アントニオ・カマーチョ 2011-
[編集] 歴代所属選手
- GK
- 安琦 1995-
- DF
- MF
- FW
- 郝海東 1992-2004
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
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