ナイキダンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ナイキダンク(NIKE DUNK)は、ナイキが1985年に発売したバスケットボールシューズ。1999年に復刻。

概要[編集]

1980年代半ばの全米大学バスケットボールリーグの隆盛を背景に、スクールカラーでアッパーを配色したナイキダンクが誕生する。白ベースが主流だった当時の選手の足元でナイキダンクはチームモデルの意義を唱えた。生産終了後はスケートボーダーやヴィンテージコレクターの間で支持され、1999年には復刻版が登場する。以来、オールドスクールなキックスから多種多様なバリエーションを増殖し、スケート仕様のナイキダンクプロSBと共にコラボレーションも加速する内、いよいよ不動の人気を確立した。ナイキダンクはいまやスニーカーカルチャーを象徴する存在として世界各国で広く親しまれている。

スクールカラーの歴史遺産[編集]

カレッジリーグの強豪校を対象にスクールカラーのコンビを計7色展開したナイキダンクは、その鮮やかな配色でバスケットボールファンに衝撃を与えた。1980年代後半のバスケットボールシューズのトレンドを牽引した先駆的なモデルという点でも、ナイキダンクの果たした役割は小さくない。

スケーターとの運命的な出逢い[編集]

カラーバリエーションの多彩さと接地感に優れたソールユニットが支持され、ナイキダンクは1980年代後半のスケートボードコミュニティで人気を得た。この歴史的な背景を踏まえて、2002年に登場したのがナイキダンクプロSBである。スケーターの出逢いからナイキダンクの未知なる可能性が切り拓かれたのは紛れもない事実だ。

ナイキダンクのコラボ遍歴[編集]

1999年の復刻後まもなく登場したWU-TANG CLANのプロモを皮切りに、ミュージシャン、グラフィティライター、アパレルブランドほか様々なパートナーを迎えて共同企画を展開してきたナイキダンク。それぞれの時代を反映したコラボレーションの数々は、常に新しい感性を求め続けたナイキダンクのクリエイティビティの賜物だろう。

進化するアイコン[編集]

オールドスクール世代のキックスカルチャーを代表したナイキダンクが、コラボレーションを繰り返し先進テクノロジーを導入する度、新たな形態を輩出し自らの世界観を拡張してきた。その源泉は機能をデザインしたオリジナルダンクの潜在的な汎用性にあり。こうして進化するアイコンは誕生した。

歴史的考察[編集]

ナイキダンクの四半世紀に及ぶ軌跡を歴史的な視点から考察する。前編はオリジナルダンクの誕生以前から現役時代を経て、バスケットコートの外側で活躍の機会を得た1980年代初頭~1990年代後半、後編はナイキダンクの復刻から進化の過程をたどった1999年以降とし構成した。


オリジナル時代 | 1985年~[編集]

ナイキダンクとターミネイター[編集]

NCAA(全米大学体育協会)バスケットボールリーグをマイケル・ジョーダン、パトリック・ユーイング、アキーム・オラジュワンなど未来のスター候補生が席巻していた1980年代半ば、ナイキは新しい販売戦略を企画した。カレッジカラープログラムとは、カレッジリーグの選手が着用するシューズやアパレルを各大学のスクールカラーで統一し、それぞれカラー別に製品をパッケージで販売するもの。その主力機種を務めたのがナイキダンクとターミネイターである。まずターミネイターは、ジョージタウン大学がチームモデルに採用していたレジェンドの生産終了をきっかけに、優れた耐久性を受け継ぐ次世代機として開発され、実戦配備はナイキダンクに先駆けて1984年度のリーグ戦から。ジョージタウン大学バスケットボール部「HOYAS」のロゴをヒールに刻印した。次いでナイキダンクは、カレッジカラープログラムのために開発された生粋のチームモデルであり、計11校を対象に全7色のカラーバリエーションをハイカットとローカットにそれぞれ展開した。この二つのモデルは言わば兄弟のような関係にあった。ここではナイキダンクがサポートした大学をカラー別に紹介する。

カレッジカラープログラム[編集]

ナイキダンクとターミネイターのカラーバリエーションをアパレルと共に掲載した1985年発売当時のキャンペーン"BE TRUE TO YOUR SCHOOL."。自分の学校に誇りを……と促すコピーは、まさにナイキダンクがスクールカラーを配色した意味そのもの。伝統あるスクールカラーを身にまとい、選手とファンが愛校心や試合に臨む心構えを共有する。それがカレッジカラープログラムの核となるコンセプトだった。こうした意図を以て誕生したナイキダンクの2トーンカラーのバリエーションは、真っ白なアッパーに挿し色程度が主流だったカレッジリーグのコートで圧倒的な存在感をアピールした。

折しも、NBA(全米バスケットボール協会)ではシカゴ・ブルズに入団したマイケル・ジョーダン着用のエア・ジョーダン1の配色が協会規約に違反するとして物議を醸し、チームスポーツの保守的な習慣に変革の時が迫っていたのだろう。それを裏付けるように翌年には他社でもチームカラーで配色したバスケットボールシューズを続々と展開し、たちまちバスケットコートの景色は一変した。

機能とデザイン[編集]

ナイキダンクは1980年代のバスケットボールシューズが共有した既存のディテールを見事に凝縮していた。エアクッショニングシステムを導入しなかったことを除けば、当時のテクノロジーの粋を集めて設計されたモデルだったに違いない。その最大の特徴である前足部とアンクルのスタビライザーストラップは、同時代の最高機種であるエアジョーダン1にも採用され、ナイキダンクが機能性を純粋に追求したパフォーマンスモデルだったことを物語る。以下、ナイキダンクを構成する機能的なディテールである。

  • ベンチレーションホール
トウ(つま先)に穿たれた通気孔。
  • フォアフットフレックスノッチ
前足部の屈曲性を向上するトウガードの凹み。
  • フォアフットスタビライザーストラップ
クイックな動きの中で前足部の安定性を確保する姿勢制御ベルト。
  • 可変幅レーシングシステム
波状に配置されたアイレット(ヒモ穴)が足全体を包み込むようなフィットを提供。
  • アンクルフレックスノッチ
足首の屈曲性を向上するレーシングシステムの凹み。
  • アンクルスタビライザーストラップ
レーシングシステムと連動し足首の安定性を確保し、捻挫などの事故を防ぐ。
  • アンクルパッド
足首の快適なフィットを提供するためのクッション。
  • アキレスビロウ
アキレス腱の負荷を軽減し、屈曲性も向上するアコーディオン状の縫製。
  • ソールユニット
側面のピラー状の構造が足への衝撃を吸収し、底面のピボットパターンが旋回や跳躍などクイックな動きをサポート、ロープロファイル(低重心)な形状は優れた接地感を提供する。

謎に満ちた選手仕様[編集]

カレッジリーグの強豪校に供給されたナイキダンクには選手仕様のスペシャルバージョンが存在した。なかでも特に有名なのが"ワイルドキャッツ"の織りネームをシュータンに縫い付けたケンタッキー大学カラーのチームモデル。一方、選手個人のリクエストに応じて製作されたプレイヤーズスペシャルの中には、エアフォース1ともエアジョーダン1とも異なる形状のエアクッショニングソールを装着した「ナイキダンクエアA-1ハイ」なるもの、中敷きにエアバッグを内蔵したエアライナーを忍ばせるものなど様々。また、のちにデッドストックの発掘により解明されたケースでは、ナイキダンクの全7色とされたカラーバリエーションに未見のカレッジモデルといった第一級の未確認情報も報告されている。ナイキダンクの現役時代には想像もできないようなレアモデルが存在していたに違いない。

スケータとの蜜月時代[編集]

カレッジリーグのコートを離れ、販売期間も終了した1980年代後半、ナイキダンクがスケートボードコミュニティで脚光を浴びる。元々、1970年代のナイキブレイザーも愛用していたスケーターにとって、耐久性に優れた本革製のバスケットボールシューズは理想的な存在だった。1980年代には様々なバスケットボールシューズが市場に出回り、スケーターを大いに喜ばせたが、なかでもナイキダンクの魅力は際立っていた。2トーンカラーの鮮やかな配色、足の裏でボードを捉える接地感の良さ、そして在庫処分のセール価格は日常的にシューズを履き潰してしまう彼らの悩みまで解消したのだ。そこでは利き足の違う相手と片足だけ交換し、左右色違いのナイキダンクを履く奇抜なスタイルが一時流行したとか。スポーツショップの店頭から在庫が消えるまでの短い期間ではあったが、ナイキダンクとスケーターの蜜月はそれぞれの記憶に深く刻まれた。

ヴィンテージコレクターの崇拝[編集]

1990年代にはバスケットボールシューズとしてのナイキダンクを見掛けることも無くなり、人々の記憶から徐々にフェードアウトしつつあったが、ヴィンテージ市場においては格別の待遇を得ていた。デニムやミリタリーウェアと同様にアンティークとして扱われ、その稀少価値を見出されたオールドスクール世代のキックスたち。とりわけエアジョーダン1と共に最高峰に君臨したナイキダンクは、コレクター垂涎の的であるが故にデッドストックの発掘も全世界規模で繰り広げられた。そうして絶滅危惧種の最高位にランクされることでナイキダンクに対する求心力も上昇の一途を辿り、1990年代後半の復刻待望論が醸成される。


復刻以後の時代 | 1999年~[編集]

甦るナイキダンク[編集]

日本市場を中心にヴィンテージスニーカーへの関心が最高潮に達した1990年代末期、それまで何度も噂されたナイキダンクの復刻が遂に実現する。1999年初頭より発売開始した新生ナイキダンクは、まず往年のカレッジカラーを彷彿させるハイトップを計6色、次いでローカットを3色展開。その後、NYC刺繍のリミテッドエディションなど数型を挟んで登場したのが"裏ダンク"である。東京シティアタックと命名された新たな戦略のもと、アッパーの配色を反転した各2色組み全18型のナイキダンクは、その復刻を世界で最も待ち望んでいた日本市場に猛烈なダンク旋風を巻き起こし、暫く後の2001年には東京・原宿のスニーカーショップ「ATMOS」共同企画のターミネイターカラーからストリートファッションの世界ブランド「STUSSY」共同企画のオストリッチおよびスネークスキン仕様へと爆発的なブレイクを連鎖していった。さらにスエ-ドアッパーをマルチカラーで配色した2001年発売の"クレイジーダンク"然り、カーフレザーを贅沢に採用した2003年発売の初代プレミアムもまた然り、いずれも日本限定のリミテッドエディションであり、ナイキダンクの復刻当初をいかに日本市場が支えていたかは言う迄もない。

増殖するコラボレーション[編集]

ナイキダンクの復刻と共に1999年制作されたWU-TANG CLANのプロモーションモデルが記念すべきコラボレーションの第1号となる。以来、2001年のATMOSおよびSTUSSY共同企画の記録的なヒットを経て、常にブランドの求心力を刺激するカンフル剤としての役割を果たしてきたナイキダンクのコラボレーション。L.A.スニーカーカルチャーの最前線「UNDEFEATED」のプロモーションモデルを相次いで手掛けた2002年。翌年には世界的なグラフィティライターのスタッシュとエリック・ヘイズがそれぞれ作品を発表する。スタッシュはわずか50足限定のカスタムダンクを、ヘイズはスプレーペイントによるハイカットとローカットを制作。また同じ2003年末、NBAのスーパースターに捧げるレブロン・ジェームスのプロモーションモデルが登場し、いずれも大きな話題を呼んだ。そうしたキックスカルチャーを専門に扱う『SOLE COLLECTOR』誌との共同企画が実現したのは2005年のこと。ここで日本の国内事情に目を向けると、アーティストをパートナーに迎えた共同企画では、2005および2006年に木村カエラが、2006年にマイティクラウンがそれぞれナイキダンクとコラボしている。ちなみに2006年には年度別リリース型数がピークを記録し、サンフランシスコ「HUF」共同企画のクラック(ひび割れ)モデルやSTUSSY共同企画の第2弾などコラボレーションでも話題作に恵まれた。以降、2007年のデストロイヤー、2008年のハウス・オブ・フープスといった大型コラボも展開し、ナイキダンクの絶対的な人気を支える重責を担っている。

先進テクノロジーの導入[編集]

ナイキの次世代テクノロジーを専門に研究する「iK」ことイノベーションキッチンが開発したエッチング加工、レーザーによりブラッシュアップされたナイキダンクが登場する。2003年のこと。ワンピースという一枚仕立てのアッパーにレーザーで焼き付けられた精緻なグラフィックは、まさに芸術と呼ぶ他ないシロモノだった。このテクノロジーを駆使したシリーズは断続的にリリースされ、2006年にはゴアテックス仕様の全天候型ブーツへと発展。その後も同じ仕様のモデルをアップデイトしている。かたやエコテクノロジーとして注目されたのが2005年リリースのNL(ノーライナー)モデル。これはシューズの製造工程における接着剤の使用を軽減すべく開発されたニューコンセプトシリーズ。その第1弾のカラーリングを担当したのがN,Y,グラフィティ界の大御所、フューチュラであった。さらに2006年には既にカテゴリーを越えてナイキ全体のプロジェクトになっていたハイブリッドコンセプトがナイキダンクに導入された。初代クロストレーニングのエアトレーナ-1とナイキフリーのフレキシブルソールを融合したトレーナーダンクが登場。次いでTシャツ感覚の履き心地と形容されるエアプレストの軽量・通気・クッション・屈曲性に着目し、メッシュアッパー、ズームエア内蔵のインソール、プラスチック製のアンクルスタビライザーストラップによりナイキダンクをアップデイト。ナイキダンク+プレスト=ダンケストが2007年に発売された。

ナイキSBという進化[編集]

ナイキダンク復刻後まもなく、厚タンにガムソールを採用したナイキダンクロープロBが2000年発売される。その開発を担当したのが2002年にナイキスケートボーディングを立ち上げるナイキSBチームの面々だった。彼らはかつてオリジナルダンクがスケーターに寵愛された歴史をひも解き、再びスケーターのニーズに応えるテクノロジーを導入したナイキダンクの研究に取り組んだ。ナイキのあらゆるプロダクト開発がそうであるように、チームではプロスケーターのフィードバックに基づき、耐久性や接地感の良さに加えて衝撃吸収性をも備えたナイキダンクプロSBを完成する。ダニー・スパやジーノ・イアヌッチらプロスケーターのシグネチャーと老舗スケートブランドとのコラボレーションを第1世代に2002年発表。ズームエア内蔵のインソールを履いたSBモデルはシリアスなスケーターにも支持され、たちまちスケートシーンに一大勢力を築き上げた。その後、SUPREMEからMEDICOM TOYまでストリートカルチャーの最前線からパートナーを迎えてスペシャルエディションを創出し、フューチュラやDE LA SOULといったジャンルを超えたアーティストの共同企画を手掛けることで、圧倒的な人気を市場で拡大するスキームはナイキダンクと同様である。なかでも後述のWHITE DUNK展を記念して2003~2004年限定発売されたパリ・ロンドン・東京モデルや、ナイキSB初制作のスケートムービー『Nothing But The Truth』完成披露に際して2007年発表された"WHAT THE DUNK"はナイキスケートボーディング史上屈指のエポックメイキングと言えるだろう。これらナイキダンクプロSBの名機がスケートカルチャーを媒介にナイキダンクの新しい価値観を創造したのは紛れもない事実だ。

ナイキダンクの社会活動[編集]

ただ闇雲にスニーカー市場をにぎわすだけの存在でなく、ナイキダンクはときに社会的な活動にも取り組んできた。その最たる例がチャリティ企画である。2003年、eBayチャリティオークションに出品された世界に1足しか存在しないナイキダンクSBは、その30,000ドルとも言われる収益金をスケートパークの建設事業に寄附した。同じく2003年にはファレル・ウィリアムス率いるN.E.R.D.共同企画のチャリティモデルをナイキタウンにて限定発売。また2006年よりスタートしたオレゴン健康科学大学との共同プロジェクトは、同大学病院で治療を受ける子供たちからデザインを募集、その売上金の一部を小児病院の建設基金に寄附するもの。これら公に資する活動以外では、やはり2003~2005年に開催したWHITE DUNKが最大のエポックメイキングだろう。日本人アーティスト25名がナイキダンクをテーマに制作した作品展をパリ、東京、ロサンゼルスの3都市で巡回。フィギュアやジオラマなど前衛的な作品群を通して"進化するアイコン"への新たなアプローチを試みた。ナイキダンクとアートの親密な関係を窺わせる一大プロジェクトであった。

原点回帰するナイキダンク[編集]

2008年、"BE TRUE."キャンペーンが開幕する。オリジナルダンクへのオマージュとして、カレッジカラープログラムを彷彿させるナイキダンクとターミネイターにユーズド加工を施したヴィンテージシリーズをはじめ、チームカラーの基本色によるクレイジーマルチパターンに総革張りのズームエア内蔵インソールを採用したのサプリームモデルなどをラインナップ。また世界7都市限定のシティパックより同じく豪華仕様のサプリームモデルが登場。日本国内でも東京、名古屋、大阪、福岡発のローカルモデルを展開し、カレッジサポートの原点に通じる地域主義を実践した。そして2010年現在、オリジナルダンクのキャンペーンにちなんだ"BE TRUE TO YOUR STREET."をテーマに掲げ、自らのスタイルを表現することの魅力を謳う。ストリートの最前線を歩み続けるナイキダンクに相応しいシーズンが始まった。

主な種別[編集]

NIKE DUNK[編集]

フルグレインレザーアッパーにポリウレタンミッドソールを採用した競技用のバスケットボールシューズとして誕生。当初はハイカットとローカットの2型を展開。のちにスポーツクラシックのカテゴリーから復刻されると、スエードやシンセティックレザーなど素材はもちろんデザインも多様化。新たにミッドカットが追加される。ナイキダンクという一つのスタイルを根幹で支えるスタンダードモデル。

NIKE DUNK PREMIUM[編集]

ナイキダンクの上級機種として登場したプレミアムは上質なカーフレザー製の初代モデル以来、特別仕様の称号として運用される。ただし時代と共にその意味合いは変化し、2008年にはズームエア搭載という新基準が制定、ナイキダンクの体系化が進む。2010年現在はズームエア搭載に限らず、柔軟な運用が始まっている。

NIKE DUNK SUPREM[編集]

ナイキダンクプレミアムを上回る最高機種として登場したサプリームは、主に一枚仕立てのアッパーのワンピースがその対象とされた。プレミアム同様、2008年にはズームエア搭載に加えて、総革張りのインソールなど贅沢を極めた仕様に。ナイキダンクの可能性を拡張したハイエンドモデルの称号。

NIKE DUNK PRO SB[編集]

厚タンとガムソールを採用した試作機を経て完成したスケートボード仕様のナイキダンク。第1世代のローカットに次いでハイカットも展開。遅れてミッドカットも導入。スケートカルチャー特有の創造性に溢れたデザインやギミックの名機を数多く輩出。プレミアムやカスタムシリーズなど特別仕様を独自に運用する等、ナイキダンクから派生したインディペンデントモデル。

NIKE DUNK iD[編集]

スタンダードなナイキダンクをベースにアッパーやソールの素材から配色まで自分好みにカスタムできるナイキiDモデル。1億通り以上の組み合わせが存在する究極のバリエーション。WHITE DUNKを記念し運用を開始したナイキダンクiDは、その後プレミアム仕様を追加する等、随時モデルをアップデイト中。

リミテッドエディション大綱[編集]

都市・地域限定[編集]

1999年式ナイキダンクハイLEのNYC限定が起源。東京シティアタックの"裏ダンク"や"クレイジーダンク"も同様に日本限定。以降、数々のリミテッドが登場したが、近年ではBE TRUE.発のシティパックや日本国内のご当地モデルがこれに該当する。またナイキSBではブラジル限定のカスタムシリーズが代表的な存在。

アカウント別注[編集]

いわゆる大手シューズチェーンのリミテッドエディションは、1999年式ナイキダンクハイLEのフットロッカー限定が起源。ほかにフットアクションやJDスポーツなども展開。日本国内ではABCマートがその筆頭。

コンセプト[編集]

カレッジリーグの最終盤に投入する"メイアタック"、スワヒリ語の医者を意味する"ダクタリ"など企画もの全般。レーザーシリーズやエアジョーダンをモチーフにしたシリーズなどもこれに該当する。

コラボレーション[編集]

ナイキが第三者の企業や個人をパートナーに迎えて共同企画するリミテッドエディション。

アーティスト[編集]

スタッシュ、エリック・ヘイズ、フューチュラといったグラフィティライターから、DE LA SOULやPUSHEADなどのミュージシャンまでパートナーは様々。ナイキSBでは例えばGUNS & ROSESの楽曲にインスピレーションを受けたモデルなども展開する。

ブランド[編集]

STUSSY共同企画の2001年式ナイキダンクハイプラスBが起源。ナイキダンクプロSBではCHOCOLATEやZOO YORKといったスケートブランドからMEDICOM TOYなど異業種ブランドとのコラボレーションも展開。

ショップ[編集]

ATMOS共同企画のターミネイターカラー、キックスハワイ、COURIR限定のダンク20周年記念、地割れ模様のHUFモデルなどが有名。SUPREME共同企画のナイキダンクプロSBもこのカテゴリー。

メディア[編集]

米国のキックスカルチャー専門誌『SOLE COLLECTOR』と共同企画した2005年式"カウボーイスペシャル"をはじめ、MTV欧州ミュージックアワード2007のプロモもこれに該当する。

チャリティ[編集]

eBayチャリティオークション出品の2003年式ナイキダンクSBをはじめ、N.E.R.D.共同企画の2003年式ナイキダンクハイ、オレゴン健康科学大学と共同企画したナイキダンクロープレミアムなどがこれに該当する。

プロモーション[編集]

1999年式ナイキダンクハイLEに刻まれたWU-TANG CLANのロゴを起源に、UNDEFEATED共同企画のナイキダンクCLハイトップ、レブロン・ジェームスのルーツにちなんだナイキダンクローなどが存在するも、ほとんど市場で流通することのない筋金入りのレアモデル。

脚注[編集]

外部リンク[編集]