ウイグル人
| 维吾尔人 ئۇيغۇر / Uyghur / Уйғур |
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| 総人口 |
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約840万人[1] |
| 居住地域 |
| 言語 |
| ウイグル語 |
| 宗教 |
| イスラム教スンナ派[2] |
| 関連する民族 |
| 脚注 |
ウイグル人(ウイグル語:ئۇيغۇر Uyghur、中国語:维吾尔族、ピンイン:Wéiwúĕrzú)は、主に中央アジアのタリム盆地に居住するテュルク系民族。人口は1千万人弱。テュルク諸語のウイグル語を話すムスリム(イスラム教徒)で、伝統的にはオアシスに定住して農耕や商業に従事する。人種的には北東アジア人と古インド人の混血といえるが、個人差も大きく、見た目はトルコ人や漢族と区別がつきにくい者もいれば、インド人に近い者もいる。古代にモンゴル高原などで活動したテュルク系遊牧民族ウイグル(ウイグル)と区別するため、現代ウイグルまたは维吾尔と呼ばれる。
目次 |
[編集] 居住地域
维吾尔人の居住地域はウイグル語で東トルキスタン(Shärqiy Turkistan)あるいはウイグリスタン(Uyghuristan)と呼ばれる。現在は中華人民共和国の新疆维吾尔自治区となっており、大多数のウイグル人は中国の少数民族として維吾爾(维吾尔)族と呼ばれている。また、カザフスタンやキルギス、ウズベキスタンなどにも少数居住する。これらの大多数は、19世紀後半以降移住した人々の子孫である。
[編集] 民族名の起源
現代ウイグル人の祖先と仮託されているウイグル人は自らの民族をテュルクと呼び中核集団をウイグルと呼んだが、東西トルキスタンのオアシス都市の住民は、都市国家単位での緩い民族名称しかもたず、異教徒に対してはムスリム、他所者に対してイェルリク(土地の者)と呼ぶ程度で、熱狂的な民族自決意識は持っていなかった。しかし、ロシア革命により成立したソビエト政権は、民族政策として「民族別の自治」を掲げ、西トルキスタンでも遊牧諸集団やオアシス都市の定住民の間に無理矢理な「民族的境界区分」が引かれ、諸民族が「設定」されていった。西トルキスタンには、1881年のロ清イリ条約の締結の際にロシア領に移住したタリム盆地出身者が多数おり、彼らは1921年、カザフスタンのアルマトイにおいて、古代のウイグルという呼称を復活させ、自らこれを名乗ることを決定した。この呼称は中国統治下の東トルキスタンにも次第に知られるようになり、従来より当局が用いていた「纆回(ぼくかい)」という呼称を「ウイグル」に改めるよう求める運動がおこった。この改名運動は、盛世才政権のもとで受け入れられ、1934年、省府議会が正式にこの呼称を採用、「維吾爾」という漢字表記もこの時に正式に確定し、現在に至っている。
[編集] 歴史
北アジアの古代遊牧民族としてのウイグルおよびその末裔による諸政権の歴史についてはウイグルを参照
近代のウイグルの歴史については新疆ウイグル自治区#歴史、新疆省、東トルキスタン共和国を参照
[編集] 起源
現代ウイグル人は言語的にはウイグル語という共通した言語を話すものの、人種的にテュルク人と古インド人の混血である。これは彼らの住地であるタリム盆地が様々な民族の交流地であり、抗争地であったためであり、紀元前からすでにモンゴロイドと古インド人の混血が始まっていた。しかしながら、歴史的にタリム盆地の民族は東イラン語やトカラ語を話し、古インドやイランの人種に属す人々を元として幾波にも渡って北のトルコ民族や東の漢民族の支配を受けた、11世紀まではソグド語やトカラ語を使い続けた。彼らが現在のようにテュルク系の言語を話すようになった(テュルク化した)のは、9世紀から12世紀にタリム盆地東部を支配した天山ウイグル王国、タリム盆地西部を支配したカラハン朝においてである。以降、タリム盆地はモンゴルの侵入があったものの、先のテュルク化の影響でモンゴル化はせず、現代に至るまでテュルク系の言語を使い続けた。タリム盆地の言語はカラキタイ(西遼),チャガタイ・ハン国,モグーリスタン・ハン国といった統一国家の支配が長らく続いたため、独自のテュルク語方言を形成し、現在のウイグル語が生まれた。
[編集] 前史
- 前1世紀 - タリム盆地のオアシス諸都市、前漢の支配下に。
- 7世紀 - タリム盆地のオアシス諸都市、唐の支配下に。
- 13世紀 - タリム盆地のオアシス諸都市、モンゴルの支配下に。
- 15世紀前半 - タリム盆地のオアシス諸都市、オイラトの支配下に。
- 17世紀 - タリム盆地のオアシス諸都市、 オイラトのジュンガル部やホシュート部の支配下に。
- 17世紀中の中国史料に「黄頭ウイグル」の名で、東トルキスタンの地の遊牧民として登場
- 1758年から1759年 - 清の乾隆帝による「回部」(=東トルキスタン)征服
- 東トルキスタンは新疆(「新たに帰った故き領土」)と名付けられ清朝の支配下に服す。
[編集] 20世紀
- 1912年 - 辛亥革命
- 1931年 - 1933年 - 東トルキスタンのイスラム教諸民族の抗中蜂起
- 1933年 - 1934年 東トルキスタン・イスラム共和国(第一次)
- 1934年 - 「ウイグル(維吾爾)」の民族呼称が正式に定められる。
- 1944年 - 東トルキスタン共和国(第二次)建国を宣言。
- 1949年10月 中華人民共和国の成立。中国共産党は東トルキスタンに進駐。
- 1955年 - 中国で2番目の自治区 新疆维吾尔自治区となる。
詳細は「東トルキスタン分離独立運動」を参照
清朝崩壊の混乱を突いて行われたイギリス・ドイツによる東トルキスタン分離工作は、多数の工作員と数百の軍勢を送り込んだが同調を得られず失敗に終わった。第二次東トルキスタン独立運動はソ連の後援をうけ、当時の新疆省当局による鎮圧行動を退け基盤を確立することに成功した。しかし、中華人民共和国が成立するとその統治下に入った。しかし、新疆が中国の統治下に入った経緯や新疆統治に不服な人々は国内外で独立運動を続けており、中国が抱える民族問題のひとつとなっている。
[編集] 文化
[編集] 宗教
[編集] 文学
カラハン朝の詩人ユースフ・ハーッス・ハージブの『クタドグ・ビリク』(1069年) 最初のテュルク語文学
- マフムッド・カッシュガリ(11世紀)
- アフマット・ユグナキ(13世紀)
- ユスーフ・サッカキ(14世紀)
- ルットフィ(15世紀)
- ヒルキティ(17-18世紀のウイグル古典文学の代表)
- ゼリリ(同上)
- ノビティ(同上)
[編集] 音楽
古典音楽として、「ムカム」(マカム、マカームとも)と呼ばれる楽曲(体系)が伝わっている。同様の伝統音楽は中央アジア・中近東に広く行われるが、ウイグルにおいては代表的なものとして、カシュガルのウイグルが伝えるムカム(12ムカム)などが比較的よく知られている。演奏に使われる楽器は十数種類と豊富であるといわれる。
[編集] 舞踊
現代ウイグル人は音楽と踊りが好きなことで有名。次のような踊り(ウスーリ)がある。
- セナーム・ウスーリ
- 最も一般的な自由な踊り。祭りや結婚式、パーティなどでよく踊られる。地方ごとに「カッシュガール・セナーミ」「イリ・セナーミ」「クチャ・セナーミ」等がある。
- ドラーン・ウスーリ
- 楽曲「ドラーン・ムカム」(ムカムの一種)に合わせて踊る古い民間のダンス。ヤルカンド河流域のマキット、マラルベシ、ヤルカンド、アワット等の地域に広まる。
- サマ・ウスーリ
- シャーマニズム信仰から来た踊りと言われる。主にカシュガル、ヤルカンド方面に普及された踊りで、普通は男性だけで踊る。
- シャディヤナ
- 祭礼や大集会で踊る集団舞踊。
- ナズリクム
- これも祝賀や集会で人々が踊るものでトルファンのウイグル人の間に伝わる。
[編集] 料理
ウイグル料理と呼ばれる羊肉や野菜を多用した伝統的な料理がある。
ほぼすべての現代ウイグル人がムスリムであるため、その口にする料理も当然ハラールである。 ナンや様々な麺類など小麦粉食的な面がある一方で、ハレの日などに作られる「ポロ」という料理は米料理である。 よく利用される食材としては、羊肉、トマト、ニンジン、ジャガイモなど。スパイスでは、クミン、唐辛子、花椒などが挙げられる。
[編集] 弓
遊牧民の弓の文化が残っており、伝統的な弓の復興も図られている。 現在はアーチェリーも盛んで、中華人民共和国の代表選手も輩出している。
[編集] 画像
現代ウイグル人の定義としては「ウイグル語を話す人々」なので、人種的には漢族と区別がつきにくい者もいれば、トルコ人やインド人に近い者(古インド人)もいる。
[編集] 脚注
[編集] 参考資料
- 小松久男編『世界各国史4 中央ユーラシア史』(山川出版社、2005年、ISBN 463441340X)
- 「回教概論」大川周明著、中公文庫、1993年
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Introduction to Uyghur History and Culture(英語)
- 日本語 - ウイグル語辞書
- テュルク&モンゴル ethnos.exblog.jp > 東トルキスタン
- CHINA-ウイグル族
- http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2987245/?tool=pmcentrez
- http://secher.bernard.free.fr/Articles/R1b_Myres.pdf
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