コービー・ブライアント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| コービー・ブライアント Kobe Bryant ロサンゼルス・レイカーズ No.24 |
|
| 名前 | |
|---|---|
| 本名 | Kobe Bean Bryant |
| 愛称 | ブラックマンバ |
| ラテン文字 | Kobe Bryant |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 生年月日 | 1978年8月23日(30歳) |
| 出身地 | ペンシルベニア州フィラデルフィア |
| 身長 | 198cm |
| 体重 | 93kg |
| 選手情報 | |
| ポジション | シューティングガード |
| ドラフト | 1996年 13位 |
| 経歴 | |
| 1996-現在 | ロサンゼルス・レイカーズ |
| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 金 | 2008 | バスケットボール |
コービー・ビーン・ブライアント(Kobe Bean Bryant, 1978年8月23日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。北米プロバスケットリーグNBAのロサンゼルス・レイカーズに所属。ポジションはシューティングガード。現役屈指の実力と人気を誇る。2009年チームを優勝に導いたことにより、名実ともにNBAの頂点に立った。
父親も元NBA選手で、現bjリーグ東京アパッチヘッドコーチのジョー・ブライアント、母親は元NBA選手ジョン・コックスの妹パミラ・コックス。彼の名前「Kobe」は、父親が来日した際に食べ気に入った神戸牛の「神戸ステーキハウス」から取ったものである。2001年12月13日に神戸大使に委嘱した。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 生い立ち
父親がイタリアのリーグへ移籍したため、6歳の時から約7年はイタリアで過ごしている。その為イタリアの習慣が身についており、更に流暢なイタリア語とスペイン語も話すことが出来る。この時期はサッカーに熱中しており、ACミランの大ファンであった。コービーは後に、もしイタリアに住み続けていたらプロのサッカー選手を目指していただろう、と語っているほどである。
1991年にアメリカへ戻ると、高校生活はフィラデルフィアのメーン・ラインで過ごす。この頃からバスケットボール選手として頭角を現し、3年生になると複数のNCAA名門校から勧誘を受けたが、コービーは高校から直接NBA入りすることを決意する。これには、当時すでに引退を目前に控えていた、憧れのマイケル・ジョーダンと対戦したかった事もひとつの理由であると語っている。
[編集] NBA
1996年のNBAドラフトで、コービーは全体13位でシャーロット・ホーネッツの指名を受けた。しかしドラフト前に行われたワークアウトでコービーの才能を見抜いていた当時レイカーズのゼネラルマネージャーだったジェリー・ウェストがコービー獲得に動く。これにより彼はホーネッツへは入団せず、数週間の内にロサンゼルス・レイカーズにブラデ・ディバッツとの交換でトレードされた(このトレードはシャキール・オニール獲得のためのサラリーキャップ調整のためでもあった)。
プロ1年目の1996-97シーズンは控えとしてプレー、シューティングガードの他にスモールフォワード、ポイントガードもこなしたが出場時間は約15分とまだ少なかった。この年はオールスター・ウィークエンドのスラムダンクコンテストに出場し、レッグスルーダンクを決め、見事に優勝した。
2年目の1997-98シーズンになるとプレータイムも増え、その才能を発揮し始める。そのプレーはファンの心を掴み、ベンチスタートであったが、試合途中に交代で出場すると、大きな歓声が起こり多くのファンがいたことがうかがえた。この年のNBAオールスターゲームに10代でありながらファン投票で選出された。また、シーズンの途中までは20点近い得点を挙げており、6thマン賞の受賞が確実と思われていたが、シーズン後半に調子を落とし、記者投票では2位に終わった。
3年目の1998-99シーズンにはリック・フォックスから完全に先発を奪い、プレイタイムも大幅に伸びる。しかし、チームは毎年プレイオフで敗退していたため、コービーはシカゴ・ブルズを優勝に導いた名将フィル・ジャクソンの招聘を要求するようになった。 1999-2000シーズン、コービーの希望通りにフィル・ジャクソンがレイカーズのヘッドコーチに就任するとチームは「プレイオフに出られるチーム」から「リーグ屈指の強豪」へと変貌、コービー自身も自他共に認めるスーパースターへと成長した。特にディフェンスが向上し、初のオール・ディフェンシブ1stチーム入りを果たしている。さらに大黒柱シャキール・オニールの活躍もあり、レイカーズは12年ぶりとなるリーグ制覇を達成した。以後2000-01、01-02シーズンと計3シーズンに亘りレイカーズはNBAチャンピオンとなり黄金期を築いた。しかしこの間、チームの主導権を巡りオニールとしばしば衝突するようにもなり、2002-03シーズンには連覇も途絶えてしまう。
2003-04シーズンにはコービーとオニールの関係に加え、コービーとジャクソンHCとの関係も悪くなっていた。そこでコービーはオフにFAとなり、この先もオニールをチームの中心に据えるなら、ジャクソンの下でプレーしなければいけないのならば移籍するという意志をちらつかせて球団にエースの座を要求した。球団は結局コービーを選択し、オニールとジャクソンはレイカーズを退団した。コービーはレイカーズと7年で総額1億3600万ドルの大型契約を結んだ。この時、クリッパーズはコービー獲得を本気で狙っていた。
2004-05シーズン、晴れてエースとなったコービーだったが、チームはプレイオフ当落線上で苦戦し、シーズン終盤には既にプレーオフ進出が絶望的となってしまう。
2005-06シーズン、レイプ問題で示談が成立したことでようやくバスケットボールに集中できるようになり、またジャクソンHCが復帰すると、レイカーズはプレーオフへと返り咲き、コービー自身も初の得点王となった。このシーズン、彼は3クォーターで62得点やウィルト・チェンバレンの1試合100得点に次ぐ歴代2位の1試合81得点をラプターズとの試合で記録し大きな話題となった。2シーズンぶりにプレーオフにも出場し、屈指の実力者である事を改めて証明。
2007-08シーズン、前年までの二年連続得点王を経てついにレギュラーシーズンMVPを獲得。混戦の西カンファレンスの中でも一際輝き、チームを四年ぶりのファイナルに導いたが、ボストン・セルティックスの硬い守りを崩せずに敗北した。
2008年8月には北京オリンピックに自身初の米国代表メンバーとして出場し金メダルを獲得した。しかし前シーズンに右手の小指の靭帯を断裂しており、手術できずに2008-09シーズンを迎えた。
2008-2009シーズンもレイカーズは終始好調で、カンファレンス首位を独走した。プレーオフでは飛車角落ちしたヒューストン・ロケッツ相手に第7戦までもつれたが、結局圧倒的な強さでファイナルに進出。オーランド・マジックとの対戦では32.4得点、7.4アシスト、5.6リバウンドの活躍でエースの貫禄を見せ、自身4度目の優勝を果たし、ファイナルMVPを獲得した。
[編集] コービーとジョーダン
コービーはしばしばマイケル・ジョーダンと比較されることがある。同期のアレン・アイバーソン、若手のレブロン・ジェームスなど、これまでに多くの選手が同じようにネクスト・ジョーダンと目されてきた。しかし、コービーほど極端に比較されてきた選手は他にはいない。それは、ポジションとプレイスタイル、体格と身体能力、ともに闘争心旺盛でかなりの負けず嫌いであること、果てはフリースローの仕草など、類似点が非常に多いことが理由として挙げられる。 事実、プレイスタイルなどは幼い頃からブルズの試合を何度も見続け、ジョーダンの動きを真似ようと研究していたと本人が話している(ディフェンスに関しては、ジョーダンよりスコッティ・ピッペンを参考にしていたという)。 ジョーダン自身も、1998年のオールスターゲーム終了後、後継者としてコービーを指名している。2003年のオールスターゲーム後も、次代を託した多くの選手の一人としてコービーの名を挙げている。
[編集] プレイスタイル
現在NBAで最も完成された選手の一人。現役屈指の1on1スキルを誇り、そこから繰り広げられるオフェンスバリエーションは実に多彩。ペネトレイトからのレイアップやダンク、ミドルレンジでのターンアラウンドやフェイダウェイなどのジャンパーを主に得意とするが、相手ディフェンダーと正対しながらでも、巧みなフェイクと駆け引きで絶妙な距離を作り、強引にスリーポイントを決めてしまう場面もよく見られ、得点エリアが非常に広い。ファウルをもらう術にも非常に長けており、鍛え上げられた身体と秀でたボディバランスで、バスケットカウントをものにすることもできる。また、視野が広くパスもうまいため、敵のディフェンスが自分に集中した際にはフリーの味方を見つけてアシストする場面も多い。一試合フルに出場できるほどのスタミナも兼ね備えており、随所で見せる高い集中力と相まってゲーム終盤で重要なシュートをことごとく沈める「クラッチシューター」でもある。
名実ともにレイカーズのエースであることは間違いないが、筋金入りの負けず嫌いな性格が災いし、過去には自身の得点にこだわりすぎる一面があったり、チームやメンバーに不満を漏らしたりと、度々「セルフィッシュ」と批判されることがあった。しかし、チームの単独エースとなってからは徐々にそういった面での成長も見受けられ、チームメイトを鼓舞し、彼らを活かすプレイが目立つようになるなど、キャンプテンシーも備えつつある。特に2007-08シーズンはチーム全体を絡めたオフェンスをうまく展開し、単独政権下において自身初となるシーズンMVPの受賞とともにウェスタンカンファレンス首位を獲得したことに対して高い評価を得た。現在はワンプレイごとに自分の役割を把握し、いい意味でオフェンスに対する執着心が緩和されたといえる。
オフェンスでの存在感ゆえにそればかりが注目されがちではあるが、ディフェンスにおいてもリーグ屈指の能力を誇る。現在まで8度オールディフェンシブチームに選出されており、うち6度は1stチームである。ディフェンスはリアクションではなくアクションだといわれる通り、常にアグレッシブにスティールを狙う姿勢を見せている。一方で、相手との絶妙な距離間を保ってチームメイトのいる袋小路に追いつめるなど、駆け引きにも秀でる。1on1ディフェンスのスキルはガードとしてはリーグトップで、正面から突破されることはほとんどない。2008年発行のダンクシュート誌によれば、「現役選手が選んだ最もディフェンスされたくない選手」の1位がコービーであるとのことであった。
[編集] 女性・スキャンダル
ブライアントの若さや容姿、プレイスタイル、成績は彼をNBAで最も人気のある選手の一人としたが、コロラド州のリゾート・ホテルにおけるレイプ・スキャンダルは彼の人気の多くを奪った。ブライアントはスキャンダルの結果マクドナルドとイタリアの菓子メーカー、フェレーロとの契約を失った。
2003年6月30日にコロラド州イーグル郡エドワーズのコロラド・ホテルでフロントデスクとして勤めていた19歳の女性が、同州に膝の治療の為に訪れ、同ホテルに滞在していたブライアントにレイプされたと訴えた。ブライアントは7月17日に逮捕されたが、直ちに保釈された。彼は女性との関係を認めたが、合意の元であると主張した。
裁判はシーズン中にも行われ、彼はその都度コロラドの裁判所に出頭しなければならず、肉体的・精神的消耗が激しい上に練習不足の状態で試合に出なければならないことも度々であった。また、試合中も激しいブーイングに悩まされた。しかし、ブライアントはタフな精神力を見せ集中力を切らすことなくシーズンを終え、まずまずの成績を残した。
女性の証言にも矛盾する点が多々見られ、結局この件は、2005年オフに示談となった。
[編集] その他
- 身長は当初の登録は201cmだったが、ジョーダンが現役復帰した頃からジョーダンと同じ198cmに変更した。
- 2001年4月18日にヴァネッサ・コーネジョ・ウブリエタ・ラインとカリフォルニア州ダナ・ポイントで結婚した。2003年1月19日には長女ナタリアが誕生。
- 2006年の世界選手権にはアメリカ代表として来日する予定だったが、膝の手術のため辞退した。
- 2006-07シーズンから背番号を、プロ入り当初からつけていた8から、24へ変更した。もともと24は入団時に希望した番号だったが、既にフレッド・ロバーツがつけていたため断念、更に第2希望の33もカリーム・アブドゥル=ジャバーの永久欠番だったために8を選んだという経緯がある。24は高校時代最初につけていた番号、33は高校時代に父がプロでつけていたことで24から変更した番号、8はイタリアに住んでいた頃にお気に入りだったイタリアリーグの選手、マイク・ダントーニ(現ニューヨーク・ニックスヘッドコーチ)の番号。
- 2007-08シーズンは、ラシード・ウォーレスを超える15個のテクニカルファウルを吹かれた。ちなみに16個で1試合出場停止となる。
- 2008オフに、それまでのビルドアップされた体から筋肉量を落とす事で20ポンド(約9キロ)の減量を行った。過剰な筋肉を落とすことで年間100試合以上出場するだけのスタミナを向上させた。[1]
- ニューヨーク・ヤンキースのファンである[2]。またFCバルセロナのファンである[3]。
[編集] 個人成績
| 略称説明 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| GP | 出場試合数 | GS | 先発試合 | MPG | 平均出場時間 |
| FG% | フィールドゴール% | 3P% | スリーポイント% | FT% | フリースロー% |
| RPG | 平均リバウンド | APG | 平均アシスト | SPG | 平均スティール |
| BPG | 平均ブロック | PPG | 平均得点 | TO | 平均ターンオーバー |
| 太字 | キャリアハイ | ||||
[編集] NBAレギュラーシーズン
| Year | Team | G | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996–97 | LAL | 71 | 6 | 15.5 | .417 | .375 | .819 | 1.9 | 1.3 | .7 | .3 | 1.58 | 7.6 |
| 1997–98 | LAL | 79 | 1 | 26.0 | .428 | .341 | .794 | 3.1 | 2.5 | .9 | .5 | 1.99 | 15.4 |
| 1998–99 | LAL | 50 | 50 | 37.9 | .465 | .267 | .839 | 5.3 | 3.8 | 1.4 | 1.0 | 3.14 | 19.9 |
| 1999–00 | LAL | 66 | 62 | 38.2 | .468 | .319 | .821 | 6.3 | 4.9 | 1.6 | .9 | 2.76 | 22.5 |
| 2000–01 | LAL | 68 | 68 | 40.9 | .464 | .305 | .853 | 5.9 | 5.0 | 1.7 | .6 | 3.24 | 28.5 |
| 2001–02 | LAL | 80 | 80 | 38.3 | .469 | .250 | .829 | 5.5 | 5.5 | 1.5 | .4 | 2.79 | 25.2 |
| 2002–03 | LAL | 82 | 82 | 41.5 | .451 | .383 | .843 | 6.9 | 5.9 | 2.2 | .8 | 3.51 | 30.0 |
| 2003–04 | LAL | 65 | 64 | 37.6 | .438 | .327 | .852 | 5.5 | 5.1 | 1.7 | .4 | 2.63 | 24.0 |
| 2004–05 | LAL | 66 | 66 | 40.7 | .433 | .339 | .816 | 5.9 | 6.0 | 1.3 | .8 | 4.09 | 27.6 |
| 2005–06 | LAL | 80 | 80 | 41.0 | .450 | .347 | .850 | 5.3 | 4.5 | 1.8 | .4 | 3.13 | 35.4 |
| 2006–07 | LAL | 77 | 77 | 40.8 | .463 | .344 | .868 | 5.7 | 5.4 | 1.4 | .5 | 3.31 | 31.6 |
| 2007–08 | LAL | 82 | 82 | 38.9 | .459 | .361 | .840 | 6.3 | 5.4 | 1.8 | .5 | 3.13 | 28.3 |
| Career | 866 | 718 | 36.5 | .453 | .340 | .839 | 5.3 | 4.6 | 1.5 | .5 | 2.94 | 25.0 | |
| All-Star | 10 | 10 | 26.8 | .500 | .350 | .778 | 4.6 | 4.7 | 2.6 | .4 | 2.70 | 18.0 |
[編集] NBAプレーオフ
| Year | Team | G | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996–97 | LAL | 9 | 0 | 14.8 | .382 | .261 | .867 | 1.2 | 1.2 | .3 | .2 | 1.56 | 8.2 |
| 1997–98 | LAL | 11 | 0 | 20.0 | .408 | .214 | .689 | 1.9 | 1.5 | .3 | .7 | 1.00 | 8.7 |
| 1998–99 | LAL | 8 | 8 | 39.4 | .430 | .348 | .800 | 6.9 | 4.6 | 1.9 | 1.2 | 3.88 | 19.8 |
| 1999–00 | LAL | 22 | 22 | 39.0 | .442 | .344 | .754 | 4.5 | 4.4 | 1.5 | 1.5 | 2.50 | 21.1 |
| 2000–01 | LAL | 16 | 16 | 43.4 | .469 | .324 | .821 | 7.3 | 6.1 | 1.6 | .8 | 3.19 | 29.4 |
| 2001–02 | LAL | 19 | 19 | 43.8 | .434 | .379 | .759 | 5.8 | 4.6 | 1.4 | .9 | 2.84 | 26.6 |
| 2002–03 | LAL | 12 | 12 | 44.3 | .432 | .403 | .827 | 5.1 | 5.2 | 1.2 | .1 | 3.50 | 32.1 |
| 2003–04 | LAL | 22 | 22 | 44.2 | .413 | .247 | .813 | 4.7 | 5.5 | 1.9 | .3 | 2.77 | 24.5 |
| 2005–06 | LAL | 7 | 7 | 44.9 | .497 | .400 | .771 | 6.3 | 5.1 | 1.1 | .4 | 4.71 | 27.9 |
| 2006–07 | LAL | 5 | 5 | 43.0 | .462 | .357 | .919 | 5.2 | 4.4 | 1.0 | .4 | 4.40 | 32.8 |
| 2007–08 | LAL | 21 | 21 | 41.1 | .479 | .302 | .809 | 5.7 | 5.6 | 1.7 | .4 | 3.33 | 30.1 |
| Career | 152 | 132 | 39.1 | .445 | .325 | .798 | 5.0 | 4.6 | 1.4 | .7 | 2.92 | 24.3 |
[編集] タイトル、記録など
[編集] タイトル
- NBAチャンピオン:2000, 2001, 2002, 2009
- 得点王(1試合平均):2006(35.4), 2007(31.6)
- 年間最多得点:2003 (2,461), 2006 (2,832), 2007(2,430),2008(2,323)
- 年間最多フィールドゴール成功:2003 (868), 2006 (978)
- 年間最多フィールドゴール試投:2006 (2,173)
- 年間最多フリースロー成功:2006 (696)
[編集] 受賞歴
- シーズンMVP:2008
- ファイナルMVP:2009
- オールNBA
-
- 1stチーム:2002, 2003, 2004, 2006, 2007, 2008, 2009
- 2ndチーム:2000, 2001
- 3rdチーム:1999, 2005
- オールNBAディフェンシブ
-
- 1stチーム:2000, 2003, 2004, 2006, 2007, 2008, 2009
- 2ndチーム:2001, 2002
- オールスターMVP:2002, 2007, 2009(シャキール・オニールとのW受賞)
- オールルーキー2ndチーム:1997
- スラムダンク・コンテスト優勝:1997
[編集] 記録
NBA記録
- 1試合最多3Pシュート成功:12 (ドニエル・マーシャルと並ぶタイ記録)
- ハーフ最多3Pシュート成功:8 (他5名と並ぶタイ記録)
- 1試合での3Pシュート連続成功数:9(ラトレル・スプリーウェル、ベン・ゴードンと並ぶタイ記録)
- 1クォーター最多フリースロー成功:14(他5名と並ぶタイ記録)
- 1クォーター最多フリースロー試投:16(他6名と並ぶタイ記録)
- オールスター通算最多3Pシュート成功:11(他3名と並ぶタイ記録)
- 自軍の1試合総得点における自身の得点の割合※:66.4%(122得点中81得点)
- 両軍の1試合総得点における自身の得点の割合※:35.8%(226得点中81得点)
- ※ショットクロック導入後
チーム記録(レイカーズ)
- 最多得点
-
- 年間:2,832(NBA歴代7位)
- 1試合:81(NBA歴代2位)、ハーフ:55、クォーター:30、プレーオフ・オーバータイム:12
- 月間1試合平均:43.4
- 1シーズンで40得点以上を記録した回数:27
- 40得点以上を記録した連続試合数:9
- 1シーズンで20得点以上を記録した連続試合数:62
- 最多フィールドゴール成功
-
- ハーフ:18、クォーター:11
- ハーフ最多フィールドゴール試投:28(エルジン・ベイラーとタイ記録)
- 最多フリースロー成功
-
- 1試合:23(2度)、ハーフ:16、クォーター:14、プレーオフ・クォーター:11(他3名と並ぶタイ記録)、連続:62
- 最多フリースロー試投:16
- 最多3Pシュート成功
-
- 通算:799
- 1試合:12(ノーミスで7)、ハーフ:8、クォーター:6、連続:9
- 最多3Pシュート試投
-
- 通算:2,379 、プレーオフ通算:410
- 1シーズン:518、1試合:18
- 最多スティール
-
- ハーフ:6(他3名と並ぶタイ記録)、プレーオフ・クォーター:3(他6名と並ぶタイ記録)
[編集] その他の業績
- 同チームの現役在籍記録1位
- 史上2人しかいない、1試合で80得点以上を記録した1人(2006年1月22日に記録した81得点はNBA歴代2位)
- 史上3人しかいない、9試合連続で40得点以上を記録した1人
- 史上2人しかいない、4試合連続で50得点以上を記録した1人
- 史上3人しかいない、月間で1試合平均40得点以上を記録した1人
- 史上2人しかいない、月間で1試合平均40得点以上を3度記録した1人
- 史上最年少
-
- 先発出場:18歳と158日
- オールスター先発出場:19歳と175日
- スラムダンクコンテスト優勝:18歳と175日
- 通算得点到達
-
- 14,000:26歳と240日
- 15,000:27歳と136日
- 16,000:27歳と192日
- 17,000:28歳と86日
- 19,000:28歳と223日
- 20,000:29歳と122日
[編集] 脚注
- ^ Kobe Bryant Loses 20 Pounds For Upcoming NBA Season
- ^ http://yokomiyaji.cocolog-nifty.com/basketball_diary/2006/11/post_cc18.html
- ^ http://www.youtube.com/watch?v=UkUARAk6CC4
[編集] 外部リンク
- コービー・ブライアント公式サイト(英語)
- NBA.com コービー・ブライアント(英語)
- basketball-reference.com 通算成績(英語)
- 神戸ステーキハウス
- KobeYoutube
|
|||||
|
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||



