ロサンゼルス・クリッパーズ

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ロサンゼルス・クリッパーズ
原語表記 Los Angeles Clippers
チームカラー 白、赤、青
チームロゴ 飛んでいるバスケットボールの上にLos Angeles Clippersの文字
所属リーグ アメリカ合衆国の旗 NBA
地区 ウェスタン・カンファレンス
ディビジョン パシフィック・ディビジョン
創設 1970年
チーム史 バッファロー・ブレーブス
(1970-1977)
サンディエゴ・クリッパーズ
(1978-1979)
ロサンゼルス・クリッパーズ
(1980 - )
本拠 カリフォルニア州の旗カリフォルニア州
ロサンゼルス
アリーナ ステイプルズ・センター
オーナー スティーブ・バルマー
ヘッドコーチ ドック・リバース
優勝歴 0回
ファイナル進出 0回
地区優勝 2回(2013年、2014年)
ユニフォーム
Kit body basketballblanksides.png
Homeジャージ
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チームカラー
Home
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Awayジャージ
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チームカラー
Away
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ロサンゼルス・クリッパーズLos Angeles Clippers) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、パシフィック・ディビジョン所属。チーム名のクリッパーとは高速帆船のこと。元はサンディエゴにあったため、同市では帆船が活躍していたことにちなんでいる。

歴史[編集]

バッファロー・ブレーブス(1970-78)[編集]

  • バッファローには8年留まり、その間同じアリーナをNHLバッファロー・セイバーズと同時に使用した。チームの初代ヘッドコーチは殿堂入りしているドルフ・シェイズで、拡張ドラフトで獲得したボブ・カウフマンドン・メイがスター選手であった。この年は22勝60敗に終わったが、同じ新加入のキャブスの15勝67敗と比べると7勝多かった。前年シカゴ・ブルズに在籍1試合平均4.3得点だったカウフマンは20.4得点をあげオールスターにも選ばれた。
  • チームは低迷したが1973年にボブ・マカドゥーをノースカロライナ大学からドラフトで取ると、その年プレイオフに進出し、ボストン・セルティックスと第6戦まで戦い2勝4敗で敗れた。
  • 1974-75シーズン、マカドゥーは1試合平均34.5得点、14.1リバウンド、2.12ブロック、51.2%FG成功率、80.5%フリースロー成功率を記録し、シーズンMVPに選ばれた。1974-75、1975-76シーズンは共にプレイオフに進出した。1976-77シーズン途中にマカドゥーがニューヨーク・ニックスにトレードされるとチームは低迷した。このシーズンから1992年までの15年間プレイオフ不出場が続く。
  • 1977-78シーズン終了後チームはカリフォルニア州サンディエゴに移転してサンディエゴ・クリッパーズとなった。

サンディエゴ・クリッパーズ(1978-84)[編集]

  • サンディエゴに移転して最初の年は43-39と勝ち越したが、プレイオフ最後のいすに2勝少なくて涙をのんだ。そしてこの後クリッパーズは13年間勝ち越すことなく過ごす。この年、World B. Free がサンアントニオ・スパーズジョージ・ガービンに次いで、1試合平均28.8得点を記録した。1979-80シーズンにはサンディエゴ出身の名センター、ポートランド・トレイルブレイザーズNBAチャンピオンになっていたビル・ウォルトンを獲得するが、チーム成績は上がらなかった。ウォルトンはポートランドで過ごした最後のシーズンを足の怪我で棒にふるっていたが、サンディエゴに加入して2シーズン目にも、シーズンを欠場し、ゴールデンステート・ウォリアーズのガードのフィル・スミスとトレードされた。

ロサンゼルス・クリッパーズ(1984- )[編集]

ラリー・ブラウンの時代[編集]

  • 1991-92シーズンの途中でクリッパーズはヘッドコーチを交代させたが、これは非常にうまくいった。サンアントニオ・スパーズを解雇されたばかりのラリー・ブラウンである。ヘッドコーチ交代前22勝25敗だったチームはブラウンに交代した後、23勝12敗を記録、45勝37敗で13年ぶりに勝ち越した。クリッパーズはバッファロー時代以来16年ぶりにプレイオフに進出したが、ユタ・ジャズに2-3で敗れた。1992年4月にロサンゼルスで起きた暴動のためプレイオフの第4戦はアナハイムで行われたが、その試合クリッパーズは勝った。
  • 1992-93シーズンは41勝41敗で終了し、再びプレイオフに出場し、ヒューストン・ロケッツに2勝3敗で敗れた。

再び長い低迷期へ[編集]

  • ラリー・ブラウンはインディアナ・ペイサーズのヘッドコーチになるため去るとボブ・ワイスがヘッドコーチとなった。
  • 1993-94シーズンはロサンゼルスのNBAにとって最悪の年で、クリッパーズとレイカーズを合計して、60勝104敗と大きく負け越した。その後数年、クリッパーズは選手、ヘッドコーチをしばしば交代したが、1997年プレイオフに進出した。36-46と負け越していたが、プレイオフに進出したクリッパーズはウエスタンカンファレンス首位のユタ・ジャズと対戦,3連敗でシーズンを終えた。
  • 1994年から99年にかけて、クリッパーズはNHLマイティーダックス・オブ・アナハイムと同じアリーナを本拠地としたが、1999年からレイカーズと同じステイプルズ・センターに移った。
  • 1999年ラマー・オドムをドラフトで獲得するが、15勝67敗でシーズンを終える。若い選手たちのサポートのために、元オールスターでロサンゼルス出身のデニス・ジョンソン(シアトルとボストンで3回NBAチャンピオンになっている)を採用する。チームはまた殿堂入りしている偉大な元レイカーズのカリーム・アブドゥル=ジャバーをアシスタントコーチとした。デニス・ジョンソンは2002-03シーズン途中までアシスタントコーチだったが、ヘッドコーチに昇格した。アブドゥル=ジャバーは1年間だけコーチを続けた。
  • 2000-01シーズンには大きな変化がもたらされ、控えフォワードのデレク・ストロングと何人かの選手と引き換えにコーリー・マゲッティオーランド・マジックより手に入れる。そして、ドラフトでダリアス・マイルズクエンティン・リチャードソンを手に入れチームの人気は上昇、31-51で終わり、ベンチスタートの選手の1試合平均得点37点はNBAトップとなった。

エルトン・ブランドの時代[編集]

  • 翌シーズンさらにチームを改善するためにドラフト当日、ロサンゼルス出身のタイソン・チャンドラーをシカゴ・ブルズのパワーフォワード、エルトン・ブランドとトレードした。それまでの2シーズン、ブランドは1試合平均20得点、10リバウンドをあげていた。ブランドは2002年のオールスターゲームで負傷欠場したシャキール・オニールの代わりに出場した。この年クリッパーズは最後の13試合でわずか3勝しかできずに39勝43敗で終わりプレイオフ進出を逃した。
  • 2002年のシーズンオフには、マイルズと、クリーブランド・キャバリアーズで2001-02シーズン1試合あたり11アシストでアシスト王となったポイントガードのアンドレ・ミラーがトレードされた。これによって、ミラー、オドム、ブランド、オロワカンディ、そしていい働きをするベンチプレイヤーの集まったクリッパーズはプレイオフに向けて順調に進むものと見られたが、チームケミストリーの欠如と負傷者続出(延べ293試合)で非常にがっかりさせられる27勝55敗でシーズンを終えた。シーズン途中にヘッドコーチはデニス・ジョンソンに交代した。
  • 2003-04のシーズンを前にクリッパーズは、ミラー、オドム、オロワカンディ、パイカウスキーといったチームの核となる選手をフリーエージェントで失った。一方ドラフトではクリス・ケイマンを指名し、ブランドとマゲッティと長期契約を結ぶことに成功した。彼らはリチャードソンと共に1試合平均58得点のNBA有数のトリオとなった。新しいヘッドコーチ、マイク・ダンリービーを迎えたクリッパーズは経験のなさと負傷によって28勝54敗でシーズンを終えた。
  • 2004-05年シーズンはクリッパーズとレイカーズとの立場が入れ替わりとなった。シャキール・オニールマイアミ・ヒートにトレード、殿堂入りが期待されるヘッドコーチ、フィル・ジャクソンカール・マローンゲイリー・ペイトンを失ったレイカーズは34勝48敗、一方クリッパーズは37勝45敗であった。レイカーズと同様、クリッパーズもプレイオフ進出を逃したが、1993年以来、レイカーズの成績を上回った。この年ボビー・シモンズが1試合あたり16得点、6リバウンド、3アシストを記録し、MIP(最も改善されたプレイヤーに贈られる賞)を受賞したが、彼は2005年7月、故郷のシカゴに近いミルウォーキー・バックスと5年契約4700万ドルを結び去った。シモンズの穴を埋めるためにクリッパーズはロケッツ、マジック、キングスでプレイしたカッティノ・モブリーと契約した。モブリーと契約したことでパイカウスキーを失って以来、チームに不足していた長距離シュートを武器とすることができ、ディフェンスの強い選手を手に入れることができた。モブリーは、70年代のビル・ウォルトン以来ひさびさのフリーエージェントで加入した選手となった。8月12日にはさらに大きな出来事があり、ミネソタ・ティンバーウルブズと2人の選手を放出する代わりにサム・キャセールとミネソタがプレイオフに進出した場合の翌年ドラフト1位指名権を手に入れた。
  • 2005-06年は大きな飛躍の年となった。強豪チームに対しての勝利は多くのファンの注目を浴び、エルトン・ブランドはオールスターゲームに選ばれた。そして大きく改善されたチームのことは、多くのスポーツ雑誌に載った。クリッパーズはここ14シーズンで最高の成績をおさめ、1997年以来のプレイオフに進出した。
  • 47勝35敗で終わりバッファローを去って以来最高の成績をおさめたクリッパーズはウエスト6位でデンバー・ナゲッツと対戦することを期待された。4月12日クリッパーズは、ウエスト5位でダラス・マーベリックスとの対戦が見込まれたが、続く7試合のうち、5試合に敗れてメンフィス・グリズリーズがウエスト5位となった。4月22日、クリッパーズは13年ぶりにプレイオフのゲームで勝利した。2日後第2戦も勝利してチーム創設以来初めて2-0とリードした。第3戦を失ったが、第4戦、第5戦を勝ちバッファローから移転して以来初めてプレイオフ1回戦を突破した。続くウエスタンカンファレンス準決勝でフェニックス・サンズと対戦、第1戦を落としたものの敵地の第2戦で122-97と劇的な勝利をおさめた。第3戦は、サンズのショーン・マリオンが32得点19リバウンドをあげる活躍で94-91でサンズが勝利した。第4戦、エルトン・ブランドが30得点、9リバウンド、8アシストと活躍し、114-107で勝利する。第5戦のオーバータイム残り1.1秒でサンズのラジャ・ベルが同点の3ポイントシュートを放ち、ダブルオーバータイムに突入、125-118でサンズが勝利した。第6戦はクリッパーズのディフェンスのスペシャリスト、2年目のクイントン・ロスが自己ベストの18得点をあげる活躍で118-106で勝利した。この試合ブランドも30得点、12リバウンド、3アシスト、5ブロック、マゲッティはベンチスタートでFG8本中7本、フリースロー9本全て成功で25得点、クリス・ケイマンとサム・キャセールは15得点をあげた。第7戦は127-107でサンズが勝利して、この年のクリッパーズの快進撃は終わった。
  • この年のプレイオフ1回戦はサンズ対レイカーズであり、レイカーズが勝ち上がっていた場合、同じアリーナをホームコートとする両チームの対戦という珍しいケースになるところだった。
  • 2006-07シーズンはプレーオフ進出ならず、さらに翌2007-08シーズンはエルトン・ブランドがシーズンをほぼ全欠し、チームは地区最下位となった。

ゴードンとグリフィンの時代[編集]

  • 2008年のNBAドラフトエリック・ゴードンを指名し、FAでバロン・デイビスを獲得した。しかし、チームの大黒柱だったブランドとマゲッティがチームを離れてしまい、チーム力低下を防ぐためにマーカス・キャンビージェイソン・ウィリアムス等を獲得した。また、2008-09シーズン中にもトレードでニックスからザック・ランドルフを獲得したが、ウィリアムスの突然の引退発表や主力の怪我が相次いでチームの成績は前年よりも下がる結果となった。シーズン後、その年のNBAドラフト全体1位指名権を獲得した。
  • 2009年のNBAドラフトブレイク・グリフィンを全体1位指名をした。しかし、プレシーズンマッチでグリフィンは膝を故障してしまい、シーズンを全休する事となった。迎えた2009-10シーズン、グリフィンを欠いたがチーム成績は前年度よりも向上し、ケイマンがその年のオールスターに選出されるほどの選手に成長した。
  • 2010-11シーズンは、グリフィンの事実上のルーキーイヤーとなり、新人の使い方が巧みなことで定評のあるヴィニー・デル・ネグロヘッドコーチの元、グリフィンは優れた成績を残し、新人王を獲得したが、ルーキー中心で、チームとしての層が薄く、32勝50敗という成績に終わった。

ポール&グリフィンの時代へ[編集]

  • 2011-12シーズンは年末にエリック・ゴードンがトレードで去ったが、代わりにクリス・ポールが加入した。またNBAファイナルMVPに輝いた経験のあるチャンシー・ビラップスも獲得し、レギュラーシーズンの勝率は6割を超え、6年ぶりのプレーオフ進出を果たし1stラウンドをも突破したが、カンファレンスセミファイナルでは、ポール、グリフィンが万全のコンディションで出場することはできず、サンアントニオ・スパーズにスイープで敗れている。
  • 2012-13シーズンは、ポール、グリフィンコンビの完成度も高まり、加えてジャマール・クロフォードという優れたシックスマンや経験豊富なマット・バーンズらが加わり、56勝26敗でパシフィック・ディビジョンを制し、第4シードでプレーオフ1stラウンドを迎えたが、前年も対戦し勝利しているメンフィス・グリズリーズに2勝4敗で敗れた。
  • 2013-14シーズンは、球団社長兼ヘッドコーチにドック・リバースを招き、ホーネッツ時代、ポールの控えを経験しているダレン・コリソンや、リーグ屈指のシューターであるJ・J・レディックを獲得し、昨年より戦績を伸ばし57勝25敗のカンファレンス3位でプレーオフに入り、1stラウンドでは粘るゴールデンステート・ウォリアーズを第7戦で振り切り、プレーオフ初対戦となるオクラホマシティ・サンダーとのカンファレンスセミファイナルへと進んだ。この期間にオーナーのドナルド・スターリングが人種差別に関わる不適切発言をしていたことがスクープされ、NBAコミッショナーのアダム・シルバーから250万ドルと高額の罰金と、永久追放が発表された[1]。セミファイナルでは第5戦逆転負けの後、リーバースヘッドコーチが審判を非難する発言をし、リーグより25000ドルの制裁金を課された。第6戦を落とし敗退した。
  • 前オーナーの永久追放処分に伴いチームの売却交渉が行われた結果、2014年8月12日、元マイクロソフトCEOスティーブ・バルマーがNBA史上最高額となる約20億ドルでチームを買収しオーナーとなることが正式決定した[2]。バルマーはマイクロソフトの取締役を退任しチームオーナー職に専念する方針を明らかにしている[3]

シーズンごとの成績[編集]

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン  % プレーオフ 結果
バッファロー・ブレーブズ
1970-71 22 60 .268
1971-72 22 60 .268
1972-73 21 61 .256
1973-74 42 40 .512 カンファレンス準決勝敗退 セルティックス 4, ブレーブス 2
1974-75 49 33 .598 1回戦敗退 ワシントン 4, ブレーブス 3
1975-76 46 36 .561 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ブレーブス 2, シクサーズ 1
セルティックス 4, ブレーブス 2
1976-77 30 52 .366
1977-78 27 55 .329
サンディエゴ・クリッパーズ
1978-79 43 39 .524
1979-80 35 47 .427
1980-81 36 46 .439
1981-82 17 65 .207
1982-83 25 57 .305
1983-84 30 52 .366
ロサンゼルス・クリッパーズ
1984-85 31 51 .378
1985-86 32 50 .390
1986-87 12 70 .146
1987-88 17 65 .207
1988-89 21 61 .256
1989-90 30 52 .366
1990-91 31 51 .378
1991-92 45 37 .549 1回戦敗退 ジャズ 3, クリッパーズ 2
1992-93 41 41 .500 1回戦敗退 ロケッツ 3, クリッパーズ 2
1993-94 27 55 .329
1994-95 17 65 .207
1995-96 29 53 .354
1996-97 36 46 .439 1回戦敗退 ジャズ 3, クリッパーズ 0
1997-98 17 65 .207
1998-99 9 41 .180
1999-2000 15 67 .207
2000-01 31 51 .378
2001-02 39 43 .476
2002-03 27 55 .329
2003-04 28 54 .341
2004-05 37 45 .451
2005-06 47 35 .573 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, ナゲッツ 1
サンズ 4, クリッパーズ 3
2006-07 40 42 .488
2007-08 23 59 .280
2008-09 19 63 .232
2009-10 29 53 .354
2010-11 32 50 .390
2011-12 40 26 .606 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, グリズリーズ 3
スパーズ 4, クリッパーズ 0
2012-13 56 26 .683 1回戦敗退 グリズリーズ 4, クリッパーズ 3
2013-14 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
クリッパーズ 4, ウォリアーズ 3
サンダー 4, クリッパーズ 2
通算勝敗 1360 2200 .382
プレイオフ 33 45 .423

主な選手[編集]

現役選手[編集]

ロサンゼルス・クリッパーズ ロースター
選手 その他
Pos # Nat 名前 身長  体重
G/F 22 アメリカ合衆国の旗 マット・バーンズ (Matt Barnes) 2.01 m ( 6 ft 7 in) 103 kg (226 lb) 
G 25 アメリカ合衆国の旗 レジー・ブロック (Reggie Bullock) 2.01 m ( 6 ft 7 in) 93 kg (205 lb) 
G 11 アメリカ合衆国の旗 ジャマール・クロフォード (Jamal Crawford) 1.96 m ( 6 ft 5 in) 91 kg (200 lb) 
G 9 アメリカ合衆国の旗 ジャレッド・カニングハム (Jared Cunningham) 1.93 m ( 6 ft 4 in) 88 kg (195 lb) 
F 0 アメリカ合衆国の旗 グレン・デイビス (Glen Davis) 2.06 m ( 6 ft 9 in) 131 kg (289 lb) 
G/F 14 アメリカ合衆国の旗 クリス・ダグラス・ロバーツ (Chris Douglas-Roberts) 2.01 m ( 6 ft 7 in) 95 kg (210 lb) 
G 1 アメリカ合衆国の旗 ジョーダン・ファーマー (Jordan Farmar) 1.88 m ( 6 ft 2 in) 82 kg (180 lb) 
F 32 アメリカ合衆国の旗 ブレイク・グリフィン (Blake Griffin(C) 2.08 m ( 6 ft 10 in) 112 kg (248 lb) 
C 10 アメリカ合衆国の旗 スペンサー・ハウズ (Spencer HawesCruz Roja.svg 2.16 m ( 7 ft 1 in) 111 kg (245 lb) 
C 6 アメリカ合衆国の旗 デアンドレ・ジョーダン (DeAndre Jordan) 2.11 m ( 6 ft 11 in) 113 kg (250 lb) 
G 3 アメリカ合衆国の旗 クリス・ポール (Chris Paul(C) 1.83 m ( 6 ft 0 in) 79 kg (175 lb) 
G 4 アメリカ合衆国の旗 J・J・レディック (J. J. Redick) 1.93 m ( 6 ft 4 in) 86 kg (190 lb) 
F 8 トルコの旗 ヒド・ターコルー (Hedo Türkoğlu) 2.08 m ( 6 ft 10 in) 100 kg (220 lb) 
F/C 13 アメリカ合衆国の旗 エクペ・ウドー (Ekpe Udoh) 2.08 m ( 6 ft 10 in) 111 kg (245 lb) 
G 30 アメリカ合衆国の旗 C・J・ウィルコックス (C. J. Wilcox) 1.96 m ( 6 ft 5 in) 91 kg (201 lb) 
ヘッドコーチ

アメリカ合衆国の旗 ドック・リバース (Doc Rivers)

アシスタントコーチ

記号説明
(C) キャプテン
(S) 出場停止
(-) ベンチ外
Cruz Roja.svg 故障者
(DL) Dリーグ・アサイン
(FA) フリーエージェント
(DP) ドラフト未契約

外部リンク

更新日:2014-10-25


年代別主要選手[編集]

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人

1970年代 (プレイオフ進出:3回)

1980年代

1990年代 (プレイオフ進出:3回)

2000年代 (プレイオフ進出:1回)

2010年代 (プレイオフ進出:3回)

栄誉[編集]

殿堂入り[編集]

永久欠番[編集]

  • なし

ヘッドコーチ、その他[編集]

歴代ヘッドコーチ[編集]

日本人プレイヤー[編集]

2005年9月15日に契約したと発表されたが、その後公式戦に出場することなく解雇された。

チアリーダー[編集]

日本人チアリーダー

日本での公式戦[編集]

チーム記録[編集]

脚註[編集]

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外部リンク[編集]