ケビン・ラブ
| ケビン・ラブ Kevin Love ミネソタ・ティンバーウルブズ No.42 |
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| 名前 | ||||||||||||||||||
| 本名 | Kevin Wesley Love | |||||||||||||||||
| ラテン文字 | Kevin Love | |||||||||||||||||
| 基本情報 | ||||||||||||||||||
| 国 | ||||||||||||||||||
| 誕生日 | 1988年9月7日(24歳) | |||||||||||||||||
| 出身地 | カリフォルニア州サンタモニカ | |||||||||||||||||
| 身長 | 208cm | |||||||||||||||||
| 体重 | 118kg | |||||||||||||||||
| 選手情報 | ||||||||||||||||||
| ポジション | PF/C | |||||||||||||||||
| 背番号 | 42 | |||||||||||||||||
| ドラフト | 2008年 5位 | |||||||||||||||||
| 経歴 | ||||||||||||||||||
| 2008-現在 | ミネソタ・ティンバーウルブズ | |||||||||||||||||
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ケビン・ラブ(Kevin Wesley Love, 1988年9月7日 - )はアメリカ合衆国出身のバスケットボール選手。アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAのミネソタ・ティンバーウルブズに所属している。出生地はカリフォルニア州サンタモニカ、出身大学はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)。
目次 |
学生時代 [編集]
高校 [編集]
サンタモニカで生まれたラブはオレゴン州で育ち、高校はオレゴンのレーク・オスウィーゴ高校に進学。ここで彼は同期の中では全米でもトップクラスとの評価を受ける選手にまで成長する。
2年目の2004-05シーズンには25.3得点15.4リバウンドを記録し、州のオール1stチームに選出。チームは州チャンピオンシップの決勝にまで進出したが、惜しくも優勝には届かなかった。翌2005-06シーズンには28.0得点16.1リバウンドを記録し、州の年間最優秀選出を獲得。またEA Sports、パレード誌選出のオールアメリカ1stチームにも選ばれている。州チャンピオンシップ決勝では南メドフォード高校を破り、優勝を果たした。
最終学年の2006-07シーズンには33.9得点17.0リバウンド4.2ブロックを記録し、ネイスミス、ウッデン、USAトゥデイ、ゲータレード、全米高校コーチ協会の各年間最優秀選手賞を独占。州チャンピオン決勝では37得点を記録し、再び南メドフォード高を破って連覇を達成した。高校キャリア通算2628得点はオレゴン州の新記録である。またパットナム高校との試合では、ダンクでゴールのバックボードを破壊する怪力ぶりも発揮している。
アマチュア・アスレチック・ユニオンのチームでは南カリフォルニア・オールスターズでプレイし、45戦無敗を達成、ラブ個人は4度のMVPに輝いている。また2007年の夏には第10回ナイキホープサミットに参加し、アメリカ選抜対国際選抜の試合では18分の出場で13得点8リバウンドを記録して、アメリカ選抜チームの勝利に貢献した。
UCLA [編集]
大学は名門校のUCLAに進学。背番号はウォルト・ハザードの永久欠番となっていた『42』を与えられ、また伝説的なコーチであるジョン・ウッデンや、UCLA出身の元NBAスター選手ビル・ウォルトンからも指導を受けるなど、特に期待を掛けられていた。
オレゴン州のバスケットファンは、ラブがオレゴン大学(ラブの父の母校)に進学するものと思っていたため、ラブのUCLA入りには大いに憤慨した。UCLAがオレゴン大との対戦のために同校を訪れた時には、試合前にはラブのもとに脅迫電話が掛かり、また試合中には応援に駆けつけたラブの家族たちに対しては暴言を浴びせ、さらに物を投げつけた。彼らの行動はカレッジバスケファンの行き過ぎた行動として物議を醸した。
当のラブは周囲の雑音にも負けず、オレゴン大との試合では26得点18リバウンドの活躍を見せ、1年目の2007-08シーズンには17.5得点10.6リバウンドを記録。ウッデン賞のオールアメリカチームに選出され、またウッデン賞、ネイスミス賞の各賞レースでは最終候補にまで残り、さらに1年生としては史上2人目となるPac-10の年間最優秀選手にも選ばれた。1年生にして大黒柱となったラブに、バックコートのダレル・コリソン、ラッセル・ウェストブルックを擁するUCLAはPac-10を制し、NCAAトーナメントでは優勝候補として順調に勝ち進んだが、Final4でデリック・ローズ擁するメンフィス大学の前に敗退した。
大学では1年間だけプレイし、2008年のNBAドラフトにアーリーエントリーした。
NBAキャリア [編集]
ティンバーウルブズ [編集]
ドラフトではメンフィス・グリズリーズから全体5位指名を受けたが、直後の大型トレードに組み込まれ、O.J.メイヨらとの交換でミネソタ・ティンバーウルブズに移籍した。
ウルブズはラブとポジションが重なるアル・ジェファーソンがエースだったため、ラブはルーキーシーズンの前半をベンチスタートで過ごした。しかし後半に入るとジェファーソンが故障で戦列を離脱してしまったため、ラブは先発に昇格し、以後二桁得点を連発するなどして才能を発揮。このシーズンに記録した29回のダブル・ダブルは、ウルブズのルーキー最多記録となった。しかし前半の出遅れが祟り、オールスターのルーキーチャレンジには選ばれず、これには不満をこぼした。最終的には11.1得点9.1リバウンドの成績を残し、オールルーキー2ndチームに選ばれた。
リバウンダーとして能力を開花させ、モーゼス・マローン以来となる一試合で30得点、30リバウンド以上を序盤で達成すると、その後もリバウンドを量産。NBA新記録となる53試合連続ダブルダブルを記録するなど現役最強のインサイドプレーヤーの呼び声が高い。
受賞歴 [編集]
- オールルーキー2ndチーム (2009)
- 2010-2011シーズンのオールスター選出
- 2010-2011シーズンのリバウンド王
- 2010-2011シーズンのMIP受賞
ドラフト時の評価 [編集]
高いバスケットIQの持ち主で、ゴール下での得点はもちろん外に出ての勝負もできるなど、そのポストプレイはベテラン選手並み。上体の使い方が上手く、効果的に体を使ってリバウンドを掴み、巧みにパスを捌くことができる。大学時代はセンターでプレイしていたが、NBAではややサイズが足りず、またサイズを補うだけの運動技量も不足している。NBAに合わせた肉体造りが必要であり、また「走れる選手」ではないのでチームの戦略に支障を来たすかも知れない。汚れ役も厭わない献身的な姿勢はNBAの往年の名選手、ウェス・アンセルドに例えられる。なお、ケビンのミドルネームの「ウェスリー」はアンセルドと親交のあった父がアンセルドのような選手になってほしいと考え、名づけた。
プレドラフトキャンプ時の身体データ
| ウイングスパン | ジャンプ力 | スプリント | ベンチプレス |
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| 211cm | 88.9cm | 3.22秒 | 18回 |
※スプリントはコート3/4(約21m)走。ベンチプレスは約84kg。
エピソード [編集]
外部リンク [編集]
- NBA.com info (英語)
- Basketball-Reference.com (英語)
- NBA.com Drat Profile (英語)
- NBADraft.net Profile (英語)
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