デリック・ローズ
| デリック・ローズ Derrick Rose シカゴ・ブルズ No.1 |
||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||||||||
| 本名 | Derrick Martell Rose | |||||||||||
| 愛称 | Pooh D-Rose | |||||||||||
| ラテン文字 | Derrick Rose | |||||||||||
| 基本情報 | ||||||||||||
| 国 | ||||||||||||
| 誕生日 | 1988年10月4日(24歳) | |||||||||||
| 出身地 | イリノイ州シカゴ | |||||||||||
| 身長 | 191cm | |||||||||||
| 体重 | 86kg | |||||||||||
| 選手情報 | ||||||||||||
| ポジション | ポイントガード | |||||||||||
| 背番号 | 1 | |||||||||||
| ドラフト | 2008年 1位 | |||||||||||
| 経歴 | ||||||||||||
| 2008-現在 | シカゴ・ブルズ | |||||||||||
|
||||||||||||
デリック・ローズ(Derrick Martell Rose,1988年10月4日 - )はアメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のバスケットボール選手。出身大学はメンフィス大学。学生時代から注目を集めた選手で、2008年のNBAドラフトで出身地のシカゴに本拠地を置くNBAチームのシカゴ・ブルズに全体1位指名で入団した。
目次 |
生い立ち[編集]
高校[編集]
高校はシメオンキャリア・アカデミー高校に進学。1年目から19.8得点5.1リバウンド8.3アシストの成績を記録。その後も順調に成績を伸ばし、3年目の2005-06シーズンには20.1得点5.4リバウンド8.7アシストを記録し、チームを州チャンピオンに導いた。最終学年の2006-07シーズンには25.2得点9.1リバウンド8.8アシストとトリプルダブルに迫る数字を記録し、チームはシーズン33勝2敗を記録、シカゴ・パブリック・リーグでは初となる州チャンピオン連覇を達成した。このシーズンには全米に向けてテレビ中継された試合で、全米ランキング1位のオークヒル・アカデミーを78-75で破った。オークヒルがこのシーズンに敗北を喫したのはこの試合だけであり、28得点8リバウンド9アシストの活躍をしたローズは、一躍注目の的となった。
ローズは高校オールスターゲームに当たるジョーダン・ブランド・ゲーム、マクドナルドオールアメリカンゲームに出場し、またナイキ・フープサミットではアメリカ代表選手となった。個人賞ではマクドナルド選出オールアメリカンチーム、USAトゥデイ紙、パレード誌、EA Sports選出のオールアメリカンファーストチームに選ばれている。ローズ在学中のチーム成績は120勝12敗であり、ローズは高校生選手の中ではNo.1のポイントガードであると目されるようになる。
大学[編集]
大学はメンフィス大学に進学。1年目からチームの司令塔として活躍し、14.9得点4.5リバウンド4.7アシストを記録。ローズとクリス・ダグラス・ロバーツのバックコートコンビに率いられたチームはレギュラーシーズン中は1敗しかせず、NCAAトーナメントも順調に勝ち抜いた。Final4では優勝候補のケビン・ラブ率いるUCLAと対決、ローズは25得点を記録してUCLAを破り、メンフィス大は1973年以来となる決勝に進出した。
決勝ではブランドン・ラッシュ擁するカンザス大学と対決。ローズは後半だけで16得点を記録し、残り2分を切ってメンフィス大が9点のリードを奪い、勝利をほぼ手中に収めたかに見えた。しかしここからカンザス大が一気に点差を詰め、残り2秒でついに63-63の同点に追いつかれてしまい、試合はオーバータイムへ突入。メンフィス大はオーバータイムで力尽き、68-75で惜しくも同校初の優勝には届かなかったものの、チームを決勝に導く働きをしたローズはトーナメントのオールFinal4チームに選ばれた。
トーナメント終了後、ローズは2008年のNBAドラフトにアーリーエントリーした。
NBAキャリア[編集]
シカゴ・ブルズ[編集]
この年のドラフトではローズか、あるいはカンザス州立大学出身のマイケル・ビーズリーが全体1位指名候補だったが、ドラフトロッタリーでシカゴ・ブルズが確率1.7%から1位指名権を引き当てた時点で、ローズの全体1位指名がほぼ確実となった。再建を目指すブルズにとって、地元出身のローズはフランチャイズビルダーとして打ってつけの選手であり、ローズはブルズから全体1位指名を受けてNBA入りを果たした。
新エースとしてブルズに迎えられたローズは、その期待に見事に応え、1年目からチームのエースとして活躍。シーズン中のジョン・サーモンズ、ブラッド・ミラー獲得も手伝い、前年大不振に陥ったブルズを見事に建て直し、勝率5割に復帰させ、プレーオフにも導いた。自身は16.8得点6.3アシストの成績を残してルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
プレーオフでは新人らしからぬ活躍を見せる。1回戦で前年の優勝チーム、ボストン・セルティックスと対決するが、第1戦でローズ率いるブルズはレギュラーシーズンの勝率でブルズを遥かに上回るセルティックスを破って世間を驚かせた。この試合でローズは36得点11アシストの大活躍で、新人のプレーオフデビュー戦としては、36得点はカリーム・アブドゥル=ジャバーの記録と並ぶNBA記録タイとなった。その後もブルズはセルティックスに対して一歩も引かず、トリプルオーバータイムまでもつれた第6戦終盤には、ローズがレイジョン・ロンドのシュートをブロックし、ブルズの勝利を決定付けた。ブルズは第7戦で惜しくも敗れたが、このシリーズはプレーオフ史上最高の1回戦と賞賛された。
このシーズンでローズは更なる飛躍を見せる。 しかしローズにとって2年目となるこの年は、足首を負傷したまま始まった。この怪我の影響でプレシーズンマッチ欠場を余儀なくされてしまい、前年度の新人王は出足を挫かれることとなってしまう。レギュラーシーズン開幕戦には何とか間に合い、チームはサンアントニオ・スパーズとの試合に勝利する。この怪我は11月までローズを悩ませることとなるが、完治した後は2年目となり成長した姿を周囲に示すこととなる。
この年のオフに、チームは来期の大物FAを獲得するために得点源であったベン・ゴードン、ジョン・サーモンズらを放出し、ローズには得点面での期待も寄せられていた。その期待に応えるように、定評のあったぺネトレイトだけではなくミドルレンジからのジャンプシュートを決めるシーンも多くなり、シュート本数が1試合平均で2.7本増加したにも関わらず平均フィールドゴール%は前年を上回った。 2010年1月28日には、キャリア初となるNBAオールスターゲームのリザーブメンバーに選出された。これはチームにとっても1998年にマイケル・ジョーダンが選出されて以来の快挙となった。このゲームでローズは8得点4アシスト3スティールという成績を残した。 2010年4月13日のボストン・セルティックス戦ではキャリアハイとなる39得点をあげ、チームの勝利に貢献。ローズの成長と共に、チームは勝率5割を維持することに成功した。通算成績41勝41敗でレギュラーシーズンを終え、東地区8位で2年連続となるプレーオフ進出を果たす。 自身はこのシーズン、平均20.8得点6.3アシスト3.9リバウンドの成績を残した。
プレーオフではレブロン・ジェームス率いる2年連続リーグ最高勝率チームのクリーブランド・キャバリアーズと対戦。レギュラーシーズンを大きく上回る平均26.8得点7.2アシストの成績で健闘するものの、4勝1敗で敗退し2年目のシーズンを終えることとなった。
また、この年ローズのジャージはリーグ全体で4位の販売数を誇った。
この年の夏にはトルコで開催された世界選手権にアメリカ代表メンバーとして出場。 北京五輪のメンバーが次々と辞退する中で、若手主体となったこのチームの司令塔を任されることとなる。 固いディフェンスと素早いトランジションを売りにしたこの年のアメリカ代表は大方の予想を裏切り躍進。 「Bチーム」と揶揄されたこのチームであったが、ローズは全戦スターターで出場を果たし、予選リーグから無敗で金メダルを獲得した。 世界選手権での金メダルはもちろんローズにとっては初のことであり、アメリカ代表にとっても実に1994年以来14年振りの快挙となった。
この年のオフは、レブロン・ジェームス、ドウェイン・ウェイドなど多くの大物選手がFAとなった年であった。 チームもこれを機に補強を進めようと、ボストン・セルティックスのアシスタントコーチを務めていたトム・ティボドーをヘッドコーチとして迎え、体制を整えていた。 長らくリーダーとして活躍していたカーク・ハインリックを放出し、サラリー・キャップを空けたチームは、カルロス・ブーザーを始めロスターの大半の顔ぶれが変わった。 全くの新チームとなり、エース、そしてリーダーとしての働きも期待されるローズであったが、その期待を超える脅威の活躍を見せた。
迎えたレギュラーシーズンでは開幕戦こそ落としたものの、2戦目となる2010年10月30日のデトロイト・ピストンズ戦ではいきなりキャリアハイとなる39得点を挙げた。 2011年1月17日のメンフィス・グリズリーズ戦ではキャリア初となるトリプルダブル(22得点12アシスト10リバウンド)を達成。 インサイドの核となるカルロス・ブーザーが怪我で24試合欠場し、同じくインサイドのジョアキム・ノアも34試合欠場する中、ローズは課題とされていたアウトサイドシュートの精度を上げ、司令塔兼スコアラーとして更なる成長を遂げた姿を見せた。 また、2011年1月27日には、ファン投票により自身初のNBAオールスターゲームのスターターに選出された。 オールスターブレイク前の2011年2月17日のサンアントニオ・スパーズ戦ではキャリアハイとなる42得点を記録。 この活躍により、ローズはシーズンMVP最有力候補と目されるようになる。
ローズに率いられたチームは62勝20敗と1997-98シーズン以来の好成績を上げ東地区首位の成績を残し、プレーオフ全体の第1シードも同時に獲得した。自身も25.0得点7.7アシスト4.1リバウンドと3部門全てでキャリアハイとなる好成績を記録。マイケル・ジョーダン、ラリー・バードらと並びNBA史上7人目のシーズン平均で25得点以上、4.0リバウンド以上、7.5アシスト以上を記録した選手となった。 さらに1シーズン通算2000得点600アシスト超えを記録し、マイケル・ジョーダン、レブロン・ジェームスに続く史上3人目の快挙となった。 これらの活躍によりローズは2010-2011シーズンMVPを史上最年少で獲得。1968-69シーズンのウェス・アンセルド以来実に42年振りとなる記録を更新した。
プレーオフではNBAタイ記録となる3試合連続30得点7アシスト以上という記録を打ち立てたが、マイアミ・ヒートとのイースタンカンファレンスファイナルにおいて第2戦以降4連敗で敗退。 プレーオフ平均27.1得点の活躍を見せたが、FGは39%と低迷。向上していた3Pも24%の成功率に留まった。
再出発となるこの年は、NBA労使交渉の縺れによるロックアウトの影響で66試合の短縮シーズンとなった。 新人契約最終年となるローズは、2011年11月に5年総額948万ドルもの巨額契約を締結。名実共にブルズの顔となった。 この契約はブルズのサラリーキャップスペースのおおよそ30%を占めるもであり、労使交渉後の新CBAにおける新人契約更改規定を適用した初めての例となった。(これは通称「デリック・ローズルール」と呼ばれ、新人契約からの契約更改の際、一定条件を満たす選手が受けられる最大契約額を規定したもの) また、同時期にはアディダスと終身契約を締結した。
前年に引き続き、強固なディフェンスとローズの圧倒的な存在感でチームは好調を維持。 短縮シーズンとなったこのシーズンも50勝16敗の成績で前年に引き続きリーグ最高勝率を挙げた。 しかしながらローズ個人は怪我で苦しみ続けるシーズンとなった。 度重なる怪我により出場試合数は39試合にとどまり、個人成績は前年を下回る21.7得点7.9アシスト3.4リバウンドとなった。 ただし前年度でMVPを獲得したローズの人気はそれでも衰えず、オールスター投票でドワイト・ハワードに次ぐ2番目の得票数で2度目のオールスター先発の座を手に入れている。
プレーオフ1回戦ではフィラデルフィア・セブンティシクサーズと対戦。 このシリーズで、ローズは23得点9アシスト9リバウンドという成績で第1戦を勝利に導いた。 しかし、試合の残り1分22秒、12点リードして迎えたブルズのオフェンス時にドライブインしたローズはジャンプした瞬間にバランスを崩し、膝を押さえてコートに倒れた。 そのままコーチやトレーナーに抱えられ退場したローズは、このシーズンで再びコートに戻ってくることはなかった。 試合後のMRI検査により、左膝前十字靭帯断裂と診断された。全治までに8~12ヶ月を要する大怪我であった。 チームもローズ抜きでも戦えることを証明しようと奮闘するも、ジョアキム・ノアの捻挫による離脱で徐々に力尽き、第6戦で敗退。 第1シードが第8シードに敗れた3例目となってしまった。
前述の怪我により、2012年5月22日に手術を受け無事成功。 リハビリを経て2013年1月にチーム練習に完全復帰したが、このシーズンでローズが試合に復帰することはなかった。
個人成績[編集]
| 略称説明 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
| FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
| RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
| BPG | 平均ブロック数 | TO | 平均ターンオーバー数 | PPG | 平均得点 |
| 太字 | キャリアハイ | ||||
NBAレギュラーシーズン[編集]
| シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008–09 | CHI | 81 | 80 | 37.0 | .475 | .222 | .788 | 3.9 | 6.3 | 0.8 | 0.2 | 2.49 | 16.8 |
| 2009–10 | CHI | 78 | 78 | 36.8 | .489 | .267 | .766 | 3.8 | 6.0 | 0.7 | 0.4 | 2.78 | 20.8 |
| 2010–11 | CHI | 81 | 81 | 37.4 | .445 | .332 | .858 | 4.1 | 7.7 | 1.0 | 0.6 | 3.43 | 25.0 |
| Career | 240 | 239 | 37.1 | .468 | .309 | .815 | 3.9 | 6.7 | 0.9 | 0.4 | 2.90 | 20.9 |
NBAプレーオフ[編集]
| シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008–09 | CHI | 7 | 7 | 44.7 | .492 | .000 | .800 | 6.3 | 6.4 | 0.6 | 0.7 | 5.00 | 19.7 |
| 2009–10 | CHI | 5 | 5 | 42.4 | .456 | .333 | .818 | 3.4 | 7.2 | 0.8 | 0.0 | 2.60 | 26.8 |
| 2010–11 | CHI | 16 | 16 | 40.6 | .396 | .248 | .828 | 4.3 | 7.7 | 1.4 | 0.7 | 3.69 | 27.1 |
| Career | 28 | 28 | 42.0 | .427 | .243 | .823 | 4.6 | 7.3 | 1.1 | 0.6 | 3.82 | 25.2 |
受賞歴[編集]
- ルーキー・オブ・ザ・イヤー (2009)
- オールルーキー1stチーム (2009)
- シーズンMVP (2011)
- オールNBA1stチーム(2011)
プレイスタイル[編集]
サイズとクイックネス、運動技量を兼ね備えNBAトップクラスのアスレティック能力及びフィジカルを持つポイントガード。 レイアップシュートが非常に得意で、少々のファウルを受けてもその持ち前のフィジカルを生かしてゴールを決める。 パスを出し味方の得点をアシストするのが仕事というポイントガードのイメージを払拭し、自ら積極的にペイントエリアに切り込んで得点を狙いながら、オフェンスを組み立てる。 通常こういったプレイスタイルは批判も浴びやすいが、もともと謙虚で真面目すぎると言われるほどの性格は識者から高く評価されており、若くしてチームやファンからの絶大な信頼を得ている。
エピソード[編集]
- 愛称の"Pooh"は彼の祖母につけられたもので、肌が黄色がかっており、雰囲気がくまのプーさんに似ていて、さらに大の甘党だったことから。
- 先端恐怖症である。
- シカゴ・ホワイトソックスの熱心なファン。
- アディダスと契約。
- 子供の頃のニックネームを訳すると「魔術師」で、腕に魔術師のタトゥーをいれている。
- また、漢字で「耐心」というタトゥーも入れている。意味は、Patience(忍耐)[1]。
- 代理人はアーン・テレム。
脚注[編集]
外部リンク[編集]
- DRoseHoops.com 公式サイト (英語)
- NBADraft.net Profile (英語)
- NBA.com (英語)
- Basketball-Reference.com (英語)
|
|||||
|
|||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||
|
|||||