ブラッド・ミラー

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ブラッド・ミラー
Bard miller
Brad Miller.jpg
シカゴ・ブルズ時代のミラー
名前
本名 Bradley Alan Miller
ラテン文字 Bard miller
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1976年4月12日(38歳) 
出身地 インディアナ州ケンダルビル
身長 213cm
体重 118kg
選手情報
ポジション センター
ドラフト ドラフト外
経歴
1998
1998-2000
2000-2002
2002-2003
2003-2008
2008-2010
2010-2011
2011-2012
Basket Livorno
シャーロット・ホーネッツ
シカゴ・ブルズ
インディアナ・ペイサーズ
サクラメント・キングス
シカゴ・ブルズ
ヒューストン・ロケッツ
ミネソタ・ティンバーウルブズ

ブラッド・ミラーBradley Alan Miller, 1976年4月12日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州ケンダルビル出身の元バスケットボール選手。NBAの6チームでプレー、NBAオールスターゲームに2度出場している。ポジションはセンターパワーフォワード。身長213cm、体重107kg。

経歴[編集]

インディアナ州ウェストラファイエットにあるパデュー大学に進学し、ジーン・キーディヘッドコーチの下でプレーした。1年次にチームはビッグ・テン・カンファレンスで優勝、NCAAトーナメント2回戦まで進出した。彼は平均6.5得点、5.4リバウンドをあげた。2年次には平均9.6得点、5.5リバウンドと成績を向上させ、カンファレンス優勝を果たし、NCAAトーナメント2回戦まで進出した。3年次は平均14.3得点、8.3リバウンドと飛躍的に成績を向上させた。彼とブライアン・カーディナルに率いられたチームはカンファレンスで2位、NCAAトーナメントでも2回戦に進出した。この年パデュー大学のセンターとしては初めてチームのアシスト王になった。4年次には平均17.2得点、8.8リバウンドをあげた。チームはNCAAトーナメントで第2シードを獲得、ベスト16でトーナメントを終えた。デラウェア大学戦では6スティールをあげ、トーナメントにおける大学新記録を作った。

1998年のNBAドラフトの指名を受けることが出来ず、セリエAイタリア)のバスケット・リヴォルノと契約。16試合に出場したのち、1998-99シーズン途中にシャーロット・ホーネッツ(現ニューオーリンズ・ペリカンズ)と契約した。以後、控え選手としてローテーション入りを果たし、38試合に出場し、平均6.3得点、3.1リバウンドを記録している。

大学時代の彼は、同大学でわずか5人(彼の他にジョー・バリー・キャロルテリー・デッシンガーウォルター・ジョーダンロビー・ハメル)しか達成していない1500得点、800リバウンド、250アシストをマークした1人となった。

NBA2年目の1999-2000シーズンもホーネッツの一員としてプレーし、55試合に出場。初先発も経験するなど、成績を上昇させた。シーズン終了後にフリーエージェントとなり、シカゴ・ブルズと契約を結んだ。主にチームのスターティングセンターとしてプレーし57試合に出場(47試合で先発)した。

2002年1月のロサンゼルス・レイカーズ戦ではシャキール・オニールに激しいファウルを行い、立ち去ろうとした際、オニールに後ろから首根っこをつかまれている。

2002月、ロン・マーサーロン・アーテストケビン・オリーとともにジェイレン・ローズトラビス・ベストノーマン・リチャードソン、ドラフト2巡指名権との大型トレードにより、インディアナ・ペイサーズへ移籍した。入団直後からインサイドの中心となった。この年はデビュー以後初めてプレイオフを経験したが、ペイサーズは1回戦で敗れている(翌年も同様に1回戦敗退)。

2002-03シーズンには、NBAオールスターゲームに初出場した。オフシーズンに、ペイサーズ、キングス、ブルズの3チームで起きたトレードにより、サクラメント・キングスに移籍した。この年は平均得点とリバウンドでダブルダブルを記録した。キングス移籍後は毎年のように安定した好成績を残し、インサイドの要として活躍した。

2003-2004シーズンには、自己ベストの平均15.6得点をあげて、2年連続となるオールスター出場を果たした。2005-2006シーズン半ばには1981年にサム・レイシーが達成して以来ひさびさとなる得点、アシストのダブルダブルを達成したセンターとなった。キングスでは5シーズン半プレーした。

2009年2月18日、ジョン・サーモンズとともに、ドリュー・グッデンアンドレス・ノシオーニセドリック・シモンズとの交換でシカゴ・ブルズに移籍した[1]。若手の多いブルズで、ベテランとしての存在感を見せた彼は、キングス時代2シーズン遠ざかっていたプレーオフ出場を果たした。ボストン・セルティックスとのプレーオフ1回戦でレイジョン・ロンドのファウルを受けた彼は、決勝点となるフリースローを外した。オーバータイムまでもつれた第6戦では23得点、10リバウンドのダブルダブルをマークした。

2010年7月17日、ヒューストン・ロケッツと3年1500万ドルの契約を結んだ[2]。同年11月12日の試合では先発し、23得点、8リバウンド、5アシストをマークした。12月3日にはシーズンハイの23得点をあげた。

2011年5月に左膝のマイクロフラクチャー手術を受けた彼は、6月のドラフトの際、ドナタス・モティユナスジョニー・フリンとのトレードでミネソタ・ティンバーウルブズへトレードされた。2012年1月12日にウルブズのチーム練習に初参加、1月29日の試合でそのシーズン初出場した[3]

2012年7月27日、3チームがからんだトレードで、フェニックス・サンズと契約したが[4]、同年8月15日に解雇された[5]。その後引退を表明した。

アメリカ代表[編集]

ミラーは1998年バスケットボール世界選手権でその年ロックアウトのためNBA選手が派遣されなかったときのアメリカ代表となり、ルディ・トムジャノビッチヘッドコーチの下で銅メダルを獲得した。また日本で行われた、2006年バスケットボール世界選手権でも再びアメリカ代表になり、レブロン・ジェームズカーメロ・アンソニードワイト・ハワードらとともにマイク・シャシェフスキーヘッドコーチの下でプレーした。チームは準決勝でギリシャに敗れ、3位決定戦でアルゼンチンを破り銅メダルを獲得した。プレトーナメントでアメリカはミラーのようなシュート力のあるビッグマンを必要としていたが、彼はトーナメントでほとんどプレイタイムを与えられずに終わった。彼は準決勝では全く出場できなかった。

9試合中出場したのはわずか4試合、出場した1試合あたり12.5分に出場、5.3得点、3.8リバウンドだった。(世界選手権はNBAの48分と違い1試合40分)

プレイスタイル[編集]

身長213cmと、NBAの中でも大柄なミラーだが、正確無比なジャンプショットを武器としている。フリースローもキャリア平均約8割を誇る。また、パスセンスのよさで、センターの選手の中ではかなりアシストが多いプレイヤーでもある(キャリア平均は2.8アシストだが、2005-06シーズンはガードの選手並みの4.7アシストを記録した)。ブロックが少なかったりと、ディフェンス面が弱いとの指摘も受ける。しかし、ビッグマンとしてはシュートが上手く、外郭からも攻撃できる貴重な選手であるため、チームに少なからず貢献する。

脚注[編集]

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  1. ^ Chris Sheridan (2009年2月18日). “Bulls, Kings pull off deal”. ESPN. 2013年11月4日閲覧。
  2. ^ Miller, Rockets agree on $15M deal”. ESPN (2010年7月18日). 2013年11月4日閲覧。
  3. ^ Jerry Zgoda (2012年1月30日). “Miller feels nerves in brief debut for Wolves”. スタートリビューン. 2013年11月4日閲覧。
  4. ^ Suns Acquire Johnson and Pick, Trade Lopez and Warrick”. nba.com (2012年7月27日). 2013年11月4日閲覧。
  5. ^ Suns Sign Jermaine O'Neal”. nba.com (2012年8月15日). 2013年11月4日閲覧。

外部リンク[編集]