ジェイソン・キッド
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| オリンピック | ||
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| 男子 バスケットボール | ||
| 金 | 2000 | バスケットボール |
ジェイソン・フレデリック・キッド(Jason Frederick Kidd, 1973年3月23日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。カリフォルニア州サンフランシスコ出身。アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAのダラス・マーベリックスに所属している。ポジションはポイントガード。背番号は長年「5」をつけてきたが、2008年のマーベリックス復帰に伴い、現在は「2」をつけている。
193cm、95kgとポイントガードとしては比較的大柄。類稀なパスセンスとチームを操る術に長けており、ネッツを2年連続NBAファイナルに導いたことにより、その評価を不動のものとした。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 学生時代
サンフランシスコで生を受けたキッドはオークランドで育ち、聖ジョセフノートルダム高校に入学。ネイスミス賞やUSAトゥデイ紙の高校プレイヤー・オブ・ザ・イヤーなどを受賞した。
大学はカリフォルニア大学バークレー校に進学。1年生にはパシフィック・テン・カンファレンス(Pac-10)の新人王に、2年生には2年生の選手としては初となる Pac-10の年間最優秀選手に選ばれた。3年生には進級せず、1994年のNBAドラフトにアーリーエントリーした。
[編集] ダラス・マーベリックス
1994年のNBAドラフトで全体の2位指名を受け、ダラス・マーベリックスへ入団。同シーズン、ルーキーながらチームの司令塔として79試合に出場。11.7得点、7.7アシストのアベレージを残し、グラント・ヒルと共にルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)を獲得する。前の年の1993年にドラフトされたジャマール・マッシュバーン(4位指名)、更に前の年の1992年にドラフトされていたジミー・ジャクソン(4位指名)にキッドを加えた3人は、その頭文字から“トリプルJ”と呼ばれ、スタートリオとして話題になるとともに、マーベリックスは将来を大きく期待されるチームとなったはずだった。しかしキッドが2年目を迎えたシーズン、ジャクソンとマッシュバーンの間に軋轢が生じ(キッドはジャクソン派)、結局マッシュバーンがマイアミへ移籍することでトリオは崩壊してしまう。更に、キッドとジャクソンも女性をめぐる三角関係のもつれから対立、キッドもダラスを去ることとなり、1996-1997シーズン中にマイケル・フィンリー、エイ・シー・グリーン、サム・キャセールらとの交換でフェニックス・サンズにトレードされた。
[編集] フェニックス・サンズ
サンズではチームの主力選手として活躍。サンズのお家芸であるランアンドガンオフェンスにキッドはうまくフィットし、課題とされていたフィールドゴール成功率も4割台に乗せた。キッドが移籍したシーズンのサンズはチャールズ・バークレー離脱の影響で開幕13連敗を喫するなど低迷を極めていたが、キッドの加入により終盤には11連勝するなど追い上げを見せプレイオフに進出、キッドにとっては初のプレイオフとなった。翌1997-1998シーズンには56勝26敗と勝率を大きく伸ばした。ロックアウトで縮小された1998-1999シーズンは、チームメイトに故障者が多かったこともあり勝率を下げたが、彼らの穴を埋めるべく奮起したキッドは16.9得点10.8アシスト6.8リバウンドのアベレージで初のアシスト王に輝き、オールNBAファーストチーム、オールディフェンスファーストチームにも選ばれた。オフにサンズはアンファニー・ハーダウェイを獲得、キッドとハーダウェイのコンビは“バックコート2000”と呼ばれ注目を集めたが、ハーダウェイは怪我がちで本来の力を発揮できず、またキッドもシーズン終盤に怪我でチームを離脱してしまう。しかしながらキッド不在の中でもサンズはプレイオフ1回戦で前年チャンピオンチームのサンアントニオ・スパーズを降す。キッド自身はスパーズを降したシリーズ第4戦で、10アシストと金髪の頭を手土産に復活。キッドにとっては初のカンファレンスセミファイナルへと進出するが、ロサンゼルス・レイカーズに1勝4敗で敗れた。オフにはアメリカ代表としてシドニー五輪に出場、金メダルを獲得した。2000-2001シーズンもキッドはアシスト王とオールNBAファーストチームを3年連続で獲得し、チーム成績も勝率6割以上と好調のシーズンを送っていたが、2000年1月に妻への暴行で逮捕されたことに批判が集まり、このオフにステフォン・マーブリーとの交換でニュージャージー・ネッツにトレードされた。
[編集] ニュージャージー・ネッツ
ネッツはキッド移籍まではドアマットチームとなっていたが、キッドが加入した2001-2002シーズンに突如大躍進を遂げ、勝ち星を前年の2倍以上に増やし、前年のカンファレンス12位から1位へと一気に駆け上がった。チーム躍進の立役者であるキッドはその年のMVP投票で2位となっている。ネッツはプレイオフを勝ち進み、ついにチームにとっても、またキッドにとっても初となるNBAファイナルに進出するが、シャキール・オニールとコービー・ブライアントのコンビで当時黄金時代を築いていたレイカーズに、4戦全敗で敗れた。翌シーズンのネッツは50勝には届かなかったものの、カンファレンス2位という好位置でレギュラーシーズンを終えた、プレイオフではカンファレンス準決勝、決勝を全勝で制して勝ち上がるも、ファイナルではティム・ダンカン率いるスパーズに2勝4敗で敗退。悲願の優勝はかなわなかった。
2003-2004シーズンはキッドとヘッドコーチであるバイロン・スコットとの不和が伝えられ、シーズン途中にヘッドコーチが代わるという騒動が起き、チームは安定性を欠いたが、カンファレンス3位の成績でシーズンを終える。プレイオフではカンファレンスセミファイナルでデトロイト・ピストンズと対戦し、第7戦までもつれた末に敗退した。第7戦のキッドは0得点だった。
2004-2005シーズン、キッドはオフの間に手術した膝が完治せず、開幕に間に合わなかった(12月6日のトロント・ラプターズ戦に復帰。21分間の出場で、10得点、6リバウンド、3アシストを記録)。このシーズン途中にはネッツにヴィンス・カーターが加わる。リーグ最高のスラムダンカーとリーグ最高のパサーのコンビは大いに注目を集めたが、もう1人の主力選手であるリチャード・ジェファーソンが故障するなど戦力が揃わず、チームは苦戦を強いられた。プレイオフには滑り込みで出場するも、1回戦でマイアミ・ヒートに惨敗した。
2005-2006シーズンは開幕からキッド、カーター、ジェファーソンのいわゆる“ビッグ3”が揃い、シーズン終盤にはチーム記録となる14連勝をマークし、勝率も2年連続でファイナルに出場した頃の水準に戻すが、プレイオフではカンファレンスセミファイナルで再びヒートに敗れた。
2006-2007シーズンのキッドはネナイド・クリスティッチとジェファーソンが故障により相次いで戦線離脱し、自身は離婚問題を抱えるなど、公私に渡って厳しい状況に置かれたが、13.0得点8.2リバウンド9.2アシストの好成績を残し、3年ぶりにオールスターにも復帰した(怪我でゲームには不参加)。2人の得点源を欠いたチームは苦戦を強いられ、キッド移籍以来の最低勝率に終わったものの、プレイオフには6シーズン連続の出場を果たした。プレイオフはカンファレンスセミファイナルでクリーブランド・キャバリアーズに敗退したが、キッドはプレイオフ期間中14.6得点10.9リバウンド10.9アシストのトリプルダブルのアベレージでチームを牽引した。
翌2007-2008シーズン、キッドは現役タイ記録となる3試合連続トリプルダブルを叩き出すなど、個人としては好調のシーズンを送っていたが、一方でチーム成績は低迷し、負け越しの状態が続いた。チームの不振と自身の契約に不満を持ったキッドはチームに対し強くトレードを要求するようになり、そして先発出場を果たしたオールスター明けに、ダラス・マーベリックスとの間で8選手が絡む大型トレード(ネッツ側からはキッド、マリック・アレン、アントワン・ライト。マーベリックス側からはデビン・ハリス、キース・ヴァン・ホーン、トレントン・ハッセル、サガナ・ジョップ、モーリス・エイガー及び将来の1巡目指名権2つ、現金300万ドル)が成立。キッドは7シーズン過ごしたネッツを去り、若手時代に過ごした古巣のマーベリックスに復帰することになった。
[編集] 再びのマーベリックス
リーグトップクラスの強豪でありながらなかなか優勝に手が届かないマーベリックスにとって、キッド獲得は最後の手段でもあった。キッドの経験とリーダーシップがマーベリックスに足りなかった最後のピースを埋めると期待されたが、しかしセットオフェンスと1on1を多様するマーベリックスのオフェンスの中でキッドは上手く機能せず、マーベリックスはむしろ失速していまう。キッド自身も移籍後は成績を落としてしまい、プレーオフでは若手PGのクリス・ポールに良いようにやられ、マーベリックスは優勝どころか2年連続でプレーオフ初戦敗退となった。
[編集] プレイスタイル
キッドは過去5回のアシスト王を誇る有能なプレイメーカーであり、また2度のトレードで移籍先のチームの勝ち星を大幅に増やしたことから、現役、あるいは歴代屈指の司令塔との評価を与えられている。特に2001-02シーズンのネッツは顕著であり、キッド以外のメンバーはほとんど変わっていないにも関わらず、キッドが持ち込んだ「意識改革」と強力なリーダーシップに牽引され、前年の26勝から52勝と倍に増やし、初のファイナルへ進出している。またキッドが欠場するとチームの勝率は大幅に悪く、まさにチームの大黒柱と言える存在である。
キッドは巧みなパスで観衆を沸かせることができるスター選手(9度のNBAオールスターゲーム選出)であり、試合で見せるトリッキーなキラーパスは、彼の人気を支える大きな要因となっている。新人時代、ジャンプシュートが打てないことから「Ason Kidd]と呼ばれていたほどシュート精度はキャリアを通して低いままだが、それでもシーズンを重ねるごとに改善されていき、2002-03シーズンにはネッツのスコアリングリーダーになった。
オールNBAディフェンスチームの常連である好ディフェンダーのキッドは、ディフェンスから得点チャンスを生み出すタイプのポイントガードであり、アップテンポなゲームメイクを好む傾向にある。得意のファーストブレイクを導き出すためにも自ら積極的にディフェンスリバウンドに参加し、ポイントガードとしては異例の数字を毎シーズン残している。キッドは得点、アシスト、リバウンド、ディフェンスなど各方面で活躍できるため、リーグでも有数のオールラウンダーと見る意見も少なくない。
一方でターンオーバーの数が多い選手であり、1995-96、2001-02シーズンはリーグ最多を記録した。2000年11月27日のニューヨーク・ニックス戦では1試合だけで14回のターンオーバーを喫したが、この試合は18得点12リバウンド10アシスト14ターンオーバーのクアドルプル・ダブルの成績だった(ターンオーバーは対象外なので公式記録にはならない)。
また、オールスターゲームの最多3ポイント記録(11本)をコービー・ブライアントとタイ記録で保持している。
[編集] ミスター・トリプルダブル
優秀なポイントガードならば、得点、アシストともに毎試合二桁を狙えるが、キッドの場合は加えてリバウンドも二桁を記録することができるため、トリプルダブルを量産、達成した回数は現役では2位以下を大きく引き離して1位、歴代でもオスカー・ロバートソン、マジック・ジョンソンに次いで3位である。2007年のプレイオフ、ラプターズ戦では自身プレイオフ2回目のトリプルダブルを達成、ウィルト・チェンバレン、マジック・ジョンソンに次いで史上3人目のプレイオフでのトリプルダブル複数回達成者となり、プレイオフでの通算達成回数はマジック・ジョンソンに次ぐ2位となった。ちなみにトリプルダブル達成のチャンスを逃す選手の多くはリバウンド数やアシスト数が足りないが、キッドの場合は得点が足りないことが多い珍しいタイプである。
[編集] その他
- キッドは3人兄弟の長男で、サンフランシスコで黒人の父と白人の母の間に生まれた。現在は3人の子供たちの父親である。
- 少年時代には近所のバスケットコートで後のスターポイントガードであるゲイリー・ペイトンと試合をしていた。彼らの中で一番年下で身長も低かったというキッドは、この頃からシュートよりもパスに磨きをかけていたという。
- 新人の頃は、「J」(ジャンプシュート)がないという理由で、「ason」(エイソン)と呼ばれていた。
- NBAではフリースローは放つ際に独自のルーチンを行う選手が多いが、キッドのそれはとりわけ奇抜であり、リングに向けて投げキッスをするというものである。これは前述の暴行事件の後から始められ、妻へ向けられているとされた。事件後2人は和解し、関係も良好と伝えられていてたが6年後に離婚。それ以後もこのルーチンはしばらく続けられていたが、徐々に動作が大人しくなり、ついには全くやらなくなってしまった。
[編集] 受賞歴・個人成績
- 新人王: 1995年
- オールルーキーファストチーム: 1995
- アシスト王: 1999(10.8), 2000(10.1), 2001(9.8), 2003(8.9), 2004(9.2)
- オールNBAチーム
- 1stチーム: 1999, 2000, 2001, 2002, 2004
- 2ndチーム: 2003
- オールディフェンシブチーム
- 1stチーム: 1999, 2001, 2002, 2006
- 2ndチーム: 2000, 2003, 2004, 2005, 2007
- 1試合最多得点:43得点 (vs ヒューストン・ロケッツ 2001年3月29日)
- 1試合最多アシスト:25個 (vs ユタ・ジャズ 1996年2月8日)
- 1試合最多リバウンド:19本
- 1試合最多スティール:6本
- 1試合最多ブロック:4本 (vs ユタ・ジャズ 1998年4月17日)
- NBA歴代通算トリプルダブル達成回数:3位
- NBA歴代通算アシスト数:7位
- NBA歴代通算スティール数:12位
[編集] 外部リンク
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