ラリー・ヒューズ

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ラリー・ヒューズ
Larry Hughes
Larry Hughes Apr 2007.jpg
名前
本名 Larry Darnell Hughes
愛称 "Smooth", "STL"
ラテン文字 Larry Hughes
基本情報
誕生日 1979年1月23日(36歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミズーリ州セントルイス
身長 196cm  (6 ft 5 in)
体重 84kg (185 lb)
選手情報
ポジション SG
ドラフト 1998年 全体8位
選手経歴
1998-2000
2000-2002
2002-2005
2005-2008
2008-2009
2009-2010
2010
2011-2012
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ
ゴールデンステート・ウォリアーズ
ワシントン・ウィザーズ
クリーブランド・キャバリアーズ
シカゴ・ブルズ
ニューヨーク・ニックス
サクラメント・キングス
オーランド・マジック

ラリー・ヒューズLarry Darnell Hughes, 1979年1月23日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス出身の元プロバスケットボール選手。身長196cm、体重84kg。ポジションは主にシューティングガード

経歴[編集]

セントルイスアカデミー在学中にアーリーエントリーを宣言。1998年NBAドラフトで全体の8位指名をフィラデルフィア・セブンティシクサーズから受けNBA入り。

当時のシクサーズのフロントは、1996年に獲得した稀代のスーパースターアレン・アイバーソンとヒューズのコンビに期待を寄せた。だが、二人のコンビはほとんど機能せず、1シーズン半を経過したところで、ヒューズはゴールデンステート・ウォリアーズにトレードされる。

ウォリアーズ移籍後の32試合は出場時間が倍増。全試合スターターを務め、1試合平均22.7得点(シクサーズとの換算だと15.0得点)をあげた。しかし、翌00-01シーズンは自身の怪我もあり、実力を発揮できず。さらに01-02シーズンにウォリアーズはジェイソン・リチャードソンを獲得。ヒューズとのポジションが重なり、出場時間が減少していった。そしてシーズン終了後フリーエージェントとなったヒューズはワシントン・ウィザーズへ移籍した。

ウィザーズでは年々成績を伸ばしていく。特に04-05シーズンはギルバート・アリナスアントワン・ジェイミソンらと共にウィザーズをプレーオフに導いた。同シーズン、ヒューズはリーグのスティール王を受賞した。シーズン終了後、再びフリーエージェントとなったヒューズに各チームがオファーを出す中、キャバリアーズが好条件を出したため、移籍を決める。契約金もよかったこともあったが、リーグを代表する若手スター、レブロン・ジェームズとプレーできるというのも大きな要因になったとされる。

そのキャバリアーズではサポートに徹することになった。しかし、シーズン序盤で骨折。チームに貢献できなかったものの、ヒューズ抜きでキャバリアーズはプレーオフに進出。ヒューズもシーズン終盤に復帰し、レブロンらと共にNBAチャンピオンを目指したが、プレーオフ中に実弟の不幸があり、十分なプレーをすることができずにデトロイト・ピストンズに敗戦する。

06-07シーズンも怪我に見舞われながらも70試合に出場。チームのポイントガードが手薄なため、ゲームメイクを任されるようになり、レブロンのアシスト役に徹した。プレイオフでは序盤こそチームを牽引する働きを見せ、チームはカンファレンスファイナルに進出したが、ヒューズは試合中に右足底の筋肉を傷めてしまう。チームはレブロンと予想外の活躍を見せたダニエル・ギブソンの活躍でNBAファイナルに進出。ヒューズはサンアントニオ・スパーズトニー・パーカーとマッチアップしたが、怪我を抱えた状態ではパーカーのスピードに付いていけず、2戦続けて大量得点を許した。ヒューズはポジションをルーキーのギブソンに譲り、3戦目以降ゲームに参加せず、チームが4戦全敗で敗退する姿をベンチから見守った。

トレードデッドラインの2008年2月21日、3チーム、11人が絡む大型トレードにて、ドリュー・グッデンらと共にクリーブランド・キャバリアーズからシカゴ・ブルズへと移籍した。

2010年、2月18日、ヒューストン・ロケッツサクラメント・キングスが絡む、三角トレードで、セルヒオ・ロドリゲスと入れ替わりで、キングスへ移籍。


その他[編集]

左目の下の方に涙のタトゥーをいれている。これは、2006年に他界した弟への悲しみを表している。

外部リンク[編集]