リチャード・ジェファーソン

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リチャード・ジェファーソン
Richard Jefferson
ダラス・マーベリックス  No.24
Richard Jefferson bucks.jpg
名前
本名 Richard Allen Jefferson
愛称 RJ
ラテン文字 Richard Jefferson
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1980年6月21日(34歳)
出身地 アリゾナ州フェニックス
身長 201cm
体重 102kg
選手情報
ポジション SF/SG
背番号 24
ドラフト 2001年 13位
経歴
2001-2008
2008-2009
2009-2012
2012-2013
2013-2014
2014-
ニュージャージー・ネッツ
ミルウォーキー・バックス
サンアントニオ・スパーズ
ゴールデンステート・ウォリアーズ
ユタ・ジャズ
ダラス・マーベリックス
 
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ
オリンピック
2004 アテネ バスケットボール

リチャード・ジェファーソンRichard Allen Jefferson1980年6月21日 - )は、アメリカ合衆国バスケットボール選手である。ロサンゼルス生まれ、アリゾナ州フェニックス育ち。NBAダラス・マーベリックスに所属する。背番号は「24」。主なポジションはスモールフォワードだが、シューティングガードもこなせるスウィングマンである。

大学時代[編集]

大学はアリゾナ大学でプレイ。3年目のシーズンにはNCAAトーナメントで決勝まで勝ち進む。デューク大学との決勝でジェファーソンは後半だけで15得点あげるなど活躍し、オール・ファイナル4チームに選ばれたが、惜しくも優勝はならなかった。在学中のチームメイトにはギルバート・アリナスルーク・ウォルトンらが居る。

NBA[編集]

ネッツ[編集]

アリゾナ大学に在学中、2001年のNBAドラフトヒューストン・ロケッツから1巡目13位指名を受けるも、開幕前にトレードでニュージャージー・ネッツに入団した。

以降、2008年までネッツ一筋でプレーしている。ルーキーシーズンは、79試合に出場、9.4得点、3.7リバウンドの記録を残す。

2002年には、チームを去ったスモールフォワードのキース・ヴァン・ホーンの後釜としてジェファーソンは先発メンバーとしてその才能を発揮させるようになる。

03-04シーズンでは、82試合すべての試合に出場した。同シーズン、スモールフォワードであるにもかかわらず、フィールドゴール成功率でリーグ12位にランクインする活躍を見せた。

2004年オフシーズンには、アテネオリンピックアメリカ代表としてもプレーした。

04-05シーズン開幕からはチームの大黒柱ジェイソン・キッドの怪我やケニオン・マーティンらの主力放出により孤軍奮闘を強いられたが、

キッドの復帰に加え、トロント・ラプターズのエースヴィンス・カーターをトレードで獲得し、NBA屈指のトリオ(ビッグ3)が誕生した。

だが、直後にジェファーソンが右手の靭帯断裂の大怪我をしてしまい、シーズン中3人が同時に出場したのは8試合にとどまった。

05-06シーズンには3人そろってプレー。ジェファーソンは周囲から「カーターとポジションがかぶり、2人の能力が出せなくなってしまう。」と言う不安をうけていたが、そんなことはほとんどなく、上手くコート上に共存している。

カーター加入後は第2オプションとしてプレー。得点は下がったものの、FG成功率はアップした。

06-07シーズンは右足首に怪我を抱えたままのプレーが続き、成績は下降。2007年1月には手術を決意し、戦線から離脱した。

シーズン中の復帰は絶望と見られていたが、3月には復帰。彼の不在で低迷していたチームもシーズン最終戦には勝率5割に達し、プレイオフに進出した。

故障から立ち直ったジェファーソンは07-08シーズンにはカーターに代わってチームの得点源として目覚しい活躍を見せ、「故障に弱い」というイメージを払拭して全82試合に出場し、平均22.6得点の好成績を残したが、ネッツはシーズン序盤から不調に陥り、

さらにジェイソン・キッドがチームを去ったため、プレーオフ進出は果たせなかった。

バックス[編集]

2008年オフ、ネッツは再建を図るためにジェファーソンのトレードを決意。ジェファーソンはルーキーイヤーから7年間過ごしたネッツを去り、ミルウォーキー・バックスへ移籍した。バックスではエースのマイケル・レッドとのデュオが注目を集めたが、レッドは故障でシーズンの大半を欠場し、ジェファーソンは孤軍奮闘を強いられ、チームはデビジョン最下位に沈んだ。

スパーズ[編集]

2009年オフ、ブルース・ボーウェンカート・トーマスファブリシオ・オベルトとのトレードでサンアントニオ・スパーズに移籍する。

移籍後、最初のシーズンはスパーズの豊富な数のプレーコールになかなかうまく対応できず、NBAデビュー以来2番目に悪い平均得点でシーズンを終えた。

うまくフィットしなかったこともあり2010年オフに契約をオプトアウトしFAとなり、有力なメディアもスパーズとの再契約はないと報じるなど移籍は決定的と思われていたが、4年3900万ドルでスパーズと再契約を結んでいる。

2010-2011シーズン序盤では主にシュートセレクションと3ptの正確性が前のシーズンとは見違えるようになり、スパーズの戦術に欠かせないピースの一つとなった。

そのことについてジェファーソンは「スパーズに加入した選手は2年目に良くなる、とずっと言われていた。昨シーズンの間ずっと、今シーズンが本当に待ち遠しかった。」と話している。

2011-12シーズン途中のトレードデッドライン直前に、スティーブン・ジャクソンとの交換で、T.J.フォードとの契約権、将来のドラフト指名権と共に、ゴールデンステート・ウォリアーズへトレードされた。

ウォリアーズ[編集]

2012年3月15日、ゴールデンステート・ウォリアーズに移籍。

ジャズ[編集]

2013年7月5日、ユタ・ジャズに移籍した。

マブス[編集]

2014年7月、ダラス・マーベリックスと1年契約した[1]

プレイスタイル[編集]

優れた身体能力を持ち、オフェンスディフェンス両面において活躍できるオールラウンダーダンクなど派手なプレイも得意な一方で、真面目な性格でチームに対する献身的な姿勢も全てのチームから高く評価されている。

例えば大活躍を見せていたにもかかわらず、04-05シーズン直後にカーターが加入した後はファーストオプションを譲るなど常にチームの勝利を優先している。

ネッツ在籍時にはジェイソン・キッドが得意とする速攻のファーストオプションとして、誰よりも速く敵陣に駆け上がっていた。

キッドもジェファーソンには絶大な信頼を寄せており、「バッシュの音を聞いただけで彼がコートの何処に居るか分かる」と語っていた。

スパーズ移籍後はチームのスタイルもあって以前のような速攻は少なくなったものの、そのスピードは健在である。

また、スリーポイントシュートの精度も上がり、選手としての引き出しもさらに増えているようだ。

エピソード[編集]

  • 2009年7月11日に結婚式を挙げる予定だったが、その数日前に婚約者と破局してしまい、結婚式の中止を伝えることができなかったため、パーティー会場には多くの出席者が集まってしまった。

ジャファーソンは出席者の一人にクレジットカードを渡し、新郎新婦の居ないパーティーを楽しんでもらったという。

  • 不振に終わったスパーズでの一年目を終えてのオフ、スパーズのグレッグ・ポポビッチHCに「オフにコーチと特訓してキャンプを迎えるか、夏を満喫してキャンプを迎えるか。後者ならトレードで放出する」と迫られているが、

ジェファーソンは前者を選び、猛特訓をこなしてキャンプに参加。見違えるような働きにポポビッチHCは「彼が率直に話せるタイプの人間でよかった。存分にポテンシャルを発揮してほしい」と喜んだ。

受賞歴[編集]

  • 2002年 - オール・ルーキー・セカンドチーム

脚註[編集]

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外部リンク[編集]