エリック・スノウ

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エリック・スノウ
Eric Snow
テキサス・レジェンズ AC
ポジション ポイントガード
役職 アシスタントコーチ
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1973-04-24) 1973年4月24日(50歳)
出身地 オハイオ州カントン
身長(現役時) 191cm (6 ft 3 in)
体重(現役時) 93kg (205 lb)
キャリア情報
出身 ミシガン州立大学
ドラフト 1995年 43位
選手経歴
1995-1998
1998-2004
2004-2008
シアトル・スーパーソニックス
フィラデルフィア・76ers
クリーブランド・キャバリアーズ
指導者経歴
2012-2014
2014-
南メソジスト大学 (選手育成担当)
フロリダ・アトランティック大学 (AC)
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com

エリック・スノウEric Snow, 1973年4月24日 - )はアメリカ合衆国オハイオ州カントン出身の元バスケットボール選手。NBAフィラデルフィア・セブンティシクサーズ等で活躍した。ポジションはポイントガード

経歴[編集]

学生時代[編集]

スノウはオハイオ州に生まれ、バスケットボールのキャリアをカントンマッキンレー高校からスタートする。1991年に高校を卒業するとミシガン州立大学に進学する。

彼が新人の時、ミシガン州立大学のチーム、スパルタンズはジャッド・ヒースコート監督の下、NCAAトーナメントで第5シードの位置だったが2回戦で敗退。1994年には第7シードでトーナメント進出したが、またしても2回戦敗退。翌年は第3シードだったが1回戦で敗退した。

NBAキャリア[編集]

大学卒業後、1995年のNBAドラフトミルウォーキー・バックスに2巡目43位指名されて入団する[1]。その後シアトル・スーパーソニックス、ではゲイリー・ペイトンが居たこともあり、控えPGとしてプレーした[1]

1998年にフィラデルフィア・セブンティシクサーズにトレードで加入、当初アレン・アイバーソンの控えPGとしてプレーしていたが、ラリー・ブラウンにより、アイバーソンはSGへとコンバートされると、PGとして先発起用され、アイバーソンの良きパートナーとしてチームの躍進に貢献した[1]。2001年のNBAファイナルでチームはロサンゼルス・レイカーズに1勝4敗と優勝を逃したが、自身は4戦全てで二桁得点を記録、第5戦では二桁得点に加えて12アシストを記録した[2]。2001-02シーズン、2002年4月10日のワシントン・ウィザーズ戦で記録した、26得点がキャリアハイとなっている[3]。2002-03シーズン、キャリアハイのシーズン平均12.9点を記録しただけでなく、オールディフェンシブ2ndチームにも選出された[4]

その後、2004-05シーズンクリーブランド・キャバリアーズにトレードされ、2006-07シーズン、自身3度目となるNBAファイナルの舞台にも立ったが、サンアントニオ・スパーズに敗れた。キャリア晩年は膝の故障のため満足に試合に出ることはできなかった。そして2008年に、現役を引退した。2012年にはサザンメソジスト大学の育成部長に就任した[4]

プレイスタイル[編集]

キャリアの通算成績は平均7.6ポイント、5.3アシストと平凡な数字だが堅実でディフェンスを重視した選手である。シクサーズ時代はラリー・ブラウンヘッドコーチの下でアレン・アイバーソンとコンビを組んで、アイバーソンからは「最高のパートナー」であったと称賛された[1]ポイントガードからシューティングガードに転向したアイバーソンを上手くコントロールすることで、2001年のチームのNBAファイナル進出に貢献した[1]

キャリアハイ[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e NBA屈指の悍馬アイバーソンを唯一乗りこなしたスノウ――伝説となった電光石火のガードコンビ”. THE DIGEST (2021年4月15日). 2024年3月24日閲覧。
  2. ^ Eric Snow 2001 playoffs”. NBA. Feburuary 19, 2024閲覧。
  3. ^ a b c d Eric Snow career stats”. NBA. Feburuary 19, 2024閲覧。
  4. ^ a b アイバーソンが“誰よりも信頼していた”スノウ。シクサーズが誇る名コンビが解散した理由とは”. THE DIGEST (2021年4月15日). 2024年3月24日閲覧。

外部リンク[編集]