アラン・ヒューストン

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アラン・ヒューストン
Allan Wade Houston
Allan Houston 2010.jpg
名前
ラテン文字 Allan Wade Houston
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1971年4月20日(43歳)
出身地 ケンタッキー州ルイビル
身長 198cm
体重 93キロ
選手情報
ポジション シューティングガード
ドラフト 1993年 11位
 
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ
オリンピック
2000 シドニー バスケットボール

アラン・ヒューストン(Allan Wade Houston, 1971年4月20日 - )は、アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビル出身。NBAで活躍したプロバスケットボール選手。 身長198センチ。ポジションはシューティングガード

経歴[編集]

テネシー大学で1989年から1993年まで4シーズン、父親のウェイド・ヒューストンの下でプレーした。テネシー大学の歴代得点1位、クリス・ロフトンに次いで3ポイントシュート成功数は歴代2位となっている。

1993年のNBAドラフト全体11位でデトロイト・ピストンズに指名された。1年目の1993-1994シーズンは平均8.5得点をあげ、1994-1995シーズンは平均14.5得点、1995-1996シーズンは平均19.7得点をあげた。

1996年にフリーエージェントとなり、ニューヨーク・ニックスに移籍し9シーズン在籍した。移籍した初年度の1996-1997シーズンジョン・スタークスとのポジション争いに勝ち、スタークスを控えに追いやったが[1]、勝負どころの第4Qにはスタークスの方が出場時間は多く与えられた[2]

1998-1999シーズンには平均17得点をあげて、チームをNBAファイナルに導いた。その年のプレーオフ1回戦、マイアミ・ヒートとの第5戦では1点リードされた場面で、インバウンズパスを受け取ると、残り0秒8に逆転となるジャンプショットを決めて、ニックスは78-77で勝利した。第8シードのチームが第1シードを破るのは、NBAプレーオフ史上2度目のことであった[3]

2000年にはNBAオールスターゲームに出場、同年のシドニーオリンピックでは金メダルを獲得した[4]

2001年にもオールスターゲームに出場した。同年7月ニックスと6年1億ドルの契約を結んだが[5]、ひざの負傷で2003-2004シーズン32試合を欠場、2004年のオフシーズン、手術を拒否して、2004-2005シーズンは、わずか20試合の出場にとどまり、2005年10月17日、引退を表明した。ニックスでは歴代4位の11,165得点をあげた[6]。NBA12シーズンで平均17.3得点、3ポイントシュートを40.2%成功させている[7]

2007年3月30日、ニックスとの契約が満了すると、現役復帰に興味を持っていることが報道された。2006-2007シーズン、彼はミネソタ・ティンバーウルブズケビン・ガーネットの2100万ドルに次ぐ、NBA2位の2070万ドルを受け取っていた[8]。同年6月27日にも彼が現役復帰に興味を持っていることが報道された。10月8日、ニックスのトレーニングキャンプに参加した[9]ジャレッド・ジェフリーズが背番号20を着けていたため、7番を着用した。ジェフリーズは背番号を譲ることに反対していなかったが、NBAがトレーニングキャンプが開始後に選手が背番号を変更することを許可しなかった[10]ボストン・セルティックスとのプレシーズンゲームに6分間出場した後、10月20日、現役復帰を断念することを表明した。

2008年、プレシーズンにニックスと契約、14番を着けたが、1試合もプレシーズンゲームに出場することなく、解雇されたが[6]ドニー・ウォルシュニックス球団社長やゼネラルマネージャーのスペシャルアシスタントを務めた。バラク・オバマアメリカ合衆国大統領の友人であり[11]2008年アメリカ合衆国大統領選挙ではオバマのための選挙資金集めも行った[12]

アラン・ヒューストン・ルール[編集]

2005年、NBAは贅沢税を払うことになるチームが、高額契約を結んだ選手を自由契約とした場合に、その選手へのサラリーや、サラリーキャップは残るが、贅沢税を免除されるルールを定めた。このルールは、アラン・ヒューストン・ルールと呼ばれるようになったが、皮肉なことに、ニックスはアラン・ヒューストンにはこのルールを適用せず、ジェローム・ウィリアムズに適用した[13]

家族[編集]

父親のウェイド・ヒューストンは、ルイビル大学初のアフリカ系アメリカ人バスケットボール選手である[14]

脚注[編集]

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  1. ^ Clifton Brown (1996年10月17日). “PRO BASKETBALL”. ニューヨーク・タイムズ. 2013年6月16日閲覧。
  2. ^ Selena Roberts (1997年12月19日). “PRO BASKETBALL; Coach's Trust in Starks Keeps Houston on Bench”. ニューヨーク・タイムズ. 2013年6月16日閲覧。
  3. ^ Dave D'Alessandro (2009年5月17日). “Former Knick Allan Houston still talking about 'Shot Heard Round the World' against Miami Heat 10 years ago”. スター=レジャー. 2013年6月16日閲覧。
  4. ^ Mike Wise (2000年10月2日). “SYDNEY 2000: ON BASKETBALL; A Golden Opportunity For Unexpected Lessons”. ニューヨーク・ニックス. 2013年6月16日閲覧。
  5. ^ Frank Isola (2007年6月27日). “Allan eyes another shot”. ニューヨーク・デイリーニューズ. 2013年6月16日閲覧。
  6. ^ a b Andrew Marchand (2008年10月23日). “Knicks cut Houston, hope to keep him within organization”. ESPN. 2013年6月16日閲覧。
  7. ^ Coach says Houston should be at Knicks' practice Friday”. ESPN (2007年10月10日). 2013年6月16日閲覧。
  8. ^ Michael Hurd (2007年3月30日). “Allan Houston may try comeback”. YAHOO! SPORTS. 2013年6月16日閲覧。
  9. ^ Houston practices with Knicks for first time”. ESPN (2007年10月12日). 2013年6月16日閲覧。
  10. ^ Howard Beck (2007年10月11日). “Houston’s Return to Knicks Is a Long Shot”. 2013年6月16日閲覧。
  11. ^ Ed Lasky (2007年5月28日). “The friends of Barack Obama”. American Thinker. 2013年6月16日閲覧。
  12. ^ Wealthy Enclave Offers Windfall for Candidates”. ニューヨーク・タイムズ (2007年5月28日). 2013年6月16日閲覧。
  13. ^ Chris Sheridan (2005年8月15日). “NBA players waived as teams gain amnesty from luxury tax”. USAトゥデイ. 2013年6月16日閲覧。
  14. ^ Chris Broussard (2008年9月25日). “Knicks president says Marbury will be at camp; veteran Houston might, too”. ESPN. 2013年6月16日閲覧。

外部リンク[編集]