ダラス・カウボーイズ
| ダラス・カウボーイズ |
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| 1960年創設 | |
| 永久欠番 | なし(あえて導入せず) |
| 所属地区 | |
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| ホームタウン | |
アーリントン(テキサス州) |
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| チームデザイン | |
青 |
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青の星形(テキサス州の象徴ローンスターにちなんで) |
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| 獲得タイトル | |
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NFL東:1966、1967 |
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NFLキャピトル地区:1967、1968、1969 |
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1966、1972、1975、1980、1982、1983、1991、1999、2003、2006 |
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| 球団組織 | |
| オーナー: ジェリー・ジョーンズ | |
| GM: ジェリー・ジョーンズ | |
| ヘッドコーチ: ウェイド・フィリップス | |
ダラス・カウボーイズ(Dallas Cowboys)は、テキサス州ダラス都市圏に本拠地を置くプロ・アメリカンフットボール (NFL) チームである。ナショナル・フットボール・カンファレンス東地区所属でNFL屈指の名門。創立間もないころ、その強さから圧倒的な人気を誇ったカウボーイズは、アメリカを象徴するチームとして『アメリカズチーム』と称されるようになり、現在でもこの称号が用いられることがある。1960年代以降のNFLで最も成功したチームの1つとして数えられておりスーパーボウル優勝はサンフランシスコ・フォーティナイナーズと並ぶ二位タイの5回、NFC優勝8回を数える。またマンデーナイトフットボールでの勝利は最多の41回(これに次ぐのはマイアミ・ドルフィンズの39回、サンフランシスコ・フォーティナイナーズの38回)。1966年から1985年までの20シーズン連続勝ち越しのNFL記録を持っている。
経済誌のフォーブスは2013年1月、ダラス・カウボーイズの市場価値を21億ドルと算定しており、メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースなどを上回り、北米4大プロスポーツリーグの全チームで首位である[1]。また、大手世論調査会社ハリス・インタラクティブが2011年に公表した世論調査によると、NFLで最も人気の高いチームである[2]。
目次 |
歴史 [編集]
チーム創設から1970年代まで [編集]
1960年、AFL(アメリカン・フットボール・リーグ)のダラス・テキサンズ(カンザスシティ・チーフスの前身)に対抗する形でクリント・マーチンソン、ベドフォード・ウィンによって創立された。チーム名は当時、テキサス州で数千人が活躍していたカウボーイにちなんで付けられた。初代ゼネラルマネージャーにはテックス・シュラムが初代ヘッドコーチにはトム・ランドリーが起用された。選手はエクスパンションドラフトで集められ本拠地はコットン・ボウルとなった。1960年シーズンは1分11敗と未勝利に終わり翌年のNFLドラフト1巡目全体13番目でDTのボブ・リリーを指名した。1960年にQBのドン・メレディス、1961年にRBのドン・パーキンス、LBのチャック・ハウリー、DTのボブ・リリー、1963年にLBのリー・ロイ・ジョーダン、1964年にCBのメル・レンフロ、1965年にWRのボブ・ヘイズが加入するなど徐々に戦力を整えていった。1966年に10勝3敗1分の成績で初のプレーオフ進出を果たしプロボウルに8人の選手を送り込んだ。1966年、1967年と2年連続でNFLチャンピオンシップでグリーンベイ・パッカーズと対戦したが劇的な決着で2年とも敗れた。アメリカのプロスポーツ史上最も気温の低い厳しい条件で行われた1967年NFLチャンピオンシップゲームはアイスボウルとも呼ばれている。1966年シーズンはその後8シーズン連続となるプレーオフ出場記録の始まりとなった(後に1975年から1983年まで9シーズン連続プレーオフ出場の記録を作った。)。
1968年シーズン終了と共にメレディス、パーキンスは引退したが1967年にOTのレイフィールド・ライト、1969年にQBのロジャー・ストーバック、TEのマイク・ディトカ、RBのカルビン・ヒル(グラント・ヒルの父親)、1970年にCBのハーブ・アダーリー、Sのクリフ・ハリス、チャーリー・ウォータースが加入した。1970年シーズンにQBのクレイグ・モートンに率いられたチームは第5回スーパーボウルに出場したが終盤モートンにミスが続き、残り5秒でボルチモア・コルツのキッカー、ジム・オブライエンのフィールドゴールが決まり13-16で敗れた。この試合でチャック・ハウリーはスーパーボウル史上唯一敗戦チームからMVPに選ばれた選手となっている。
1971年の第6週から本拠地をテキサス・スタジアムに移した。チームは最後の7試合を連勝し第6回スーパーボウルでマイアミ・ドルフィンズを24-3で破りスーパーボウル初制覇を果たした。1970年代の活躍でカウボーイズの人気は地元ダラスだけでなくアメリカ中に広がっていった。チームにはDEハーベイ・マーティン、エド・ツートール・ジョーンズ、WRのドリュー・ピアソン、DTのランディ・ホワイト、RBのトニー・ドーセットらが加わった。第10回スーパーボウル、第13回スーパーボウルではピッツバーグ・スティーラーズに敗れたが第12回スーパーボウルでデンバー・ブロンコスを破り優勝、1970年代のNFLで最多勝をあげたチームであった。
1980年代 [編集]
1980年に引退したストーバックに代わってダニー・ホワイトが先発QBとなった。1980年から1982年には3年連続NFCチャンピオンシップゲームに進出を果たしたがスーパーボウル出場はならなかった。
1983年、ミネソタ・バイキングス戦でトニー・ドーセットが自陣1ヤード地点から99ヤードのTDランをあげた[3]。
1984年にバム・ブライトがマーチソンからチームを購入した頃から成績が低迷し、1985年の10勝6敗から1986年は7勝9敗、1987年は7勝8敗、1988年は3勝13敗に終わった。1989年2月25日にチームはジェリー・ジョーンズに売却された。新オーナーのジョーンズはゼネラルマネージャーのテックス・シュラムとヘッドコーチのトム・ランドリーを解任、大学時代のフットボールチームメートでもあったマイアミ大学ヘッドコーチだったジミー・ジョンソンを後任のヘッドコーチとした。ドラフト1巡目でUCLAのQB、トロイ・エイクマンを獲得、シーズン中にはスターRBのハーシェル・ウォーカーをミネソタ・バイキングスと5人のベテラン選手と8つの将来のドラフト上位指名権などと引き換えにトレードを行った。チームは1勝15敗と創設以来最悪の成績に終わったがトレードによって得たドラフト指名権がチームの再建に重要な役割を果たすことになる。
1990年代 [編集]
ジョンソンヘッドコーチは1989年のドラフトでエイクマンの他にFBのダリル・ジョンストン、Cのマーク・ステプノスキーを獲得、1990年にエミット・スミス、1991年にDTのラッセル・メリーランド、OTのエリック・ウィリアムス、1992年にSのダレン・ウッドソンを獲得した。他にランドリー時代からいる若い選手、WRのマイケル・アービン、Gのネイト・ニュートン、LBのケン・ノートン・ジュニア、OTのマーク・トゥイネイやベテランのTE、ジェイ・ノバチェク、DEのチャールズ・ヘイリーの活躍で、1989年には1勝15敗に終わったチームが、3年後の1992年には13勝3敗の成績をあげ、14シーズンぶりとなるスーパーボウル出場を果たした。第27回スーパーボウルではスーパーボウル記録となる9つのターンオーバーを奪いバッファロー・ビルズに52-17で勝利しジミー・ジョンソンはカレッジフットボールとNFLの双方で頂点を極めた最初のヘッドコーチとなった。翌年の第28回スーパーボウルでも30-13で再びビルズを降しプロボウルにも11人の選手を送り込んだ。契約交渉が長引き、エミット・スミスがシーズン開幕から2試合欠場したこと、1993年からNFLに導入されたフリーエージェント制度に続き、1994年シーズンからサラリーキャップが導入されるため、ジミー・ジョンソンはオーナーのジェリー・ジョーンズに人事権の委譲を求めたが、ジョーンズオーナーはこれを拒絶し[4]、第28回スーパーボウルの1週間後にジョンソンヘッドコーチは辞任し[5]、オクラホマ大学の元ヘッドコーチ、バリー・スウィッツァーが後任となった。1994年シーズンに12勝4敗の成績をあげたがNFCチャンピオンシップゲームでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに28-38で敗れた。1995年にはフリーエージェントになっていたオールプロCBのディオン・サンダースが加入、12勝4敗でシーズンを終えたチームは第30回スーパーボウルでピッツバーグ・スティーラーズを27-17で破り5度目のスーパーボウル制覇を遂げた。MVPには2回のインターセプトでいずれもタッチダウンをあげたラリー・ブラウンが選ばれた。バリー・スウィッツァーもカレッジフットボール、NFLを制したヘッドコーチになった。その後カウボーイズの栄光をささえた選手たちのフリーエージェントによる流出、高齢化、怪我などで1997年には6勝10敗で終わった。1998年1月スウィッツァーヘッドコーチは辞任しスティーラーズの元オフェンスコーディネーターであるチャン・ゲイリーが後任となった。1998年に10勝6敗でNFC東地区優勝を果たしたが1999年には8勝8敗に終わった。チームは1990年代を通じてNFL最多勝したチームであった。
2000年代 [編集]
チャン・ゲイリーの次にヘッドコーチになったのはディフェンスコーディネーターのデイブ・カンポだったが2000年から2002年まで3シーズン連続で5勝11敗に終わった。ジョーンズオーナーがゼネラルマネージャーを置かずヘッドコーチにも十分な権限を与えていないことがチームが低迷する原因だとマスコミから非難されるようになった。2003年、ビル・パーセルズがヘッドコーチに就任、NFLトップの守備成績を残し10勝6敗でプレーオフ進出を果たしたが、続く2シーズンはプレーオフ出場を果たせなかった。
2004年、チームはビニー・テスタバーディ、ドリュー・ヘンソンを獲得、チャド・ハッチンソンを解雇した。シーズン途中、控えQBのクインシー・カーターを薬物濫用により解雇、トニー・ロモが第3QBとしてロースターに加わった。
2005年、前年までバッファロー・ビルズでプレーし、ニューイングランド・ペイトリオッツ時代にはスーパーボウル出場も果たしているQBドリュー・ブレッドソーを獲得した[6]。
2006年、シーズン開幕前、フィラデルフィア・イーグルスに所属していたテレル・オーウェンスを獲得した。シーズン途中からブレッドソーに代わって、ロモが先発QBに昇格した[7]。9勝7敗でプレーオフに進出した。シアトル・シーホークスとのワイルドカードプレーオフでは勝ち越しFGを狙ったプレーでロモがスナップをファンブルし敗れた。その後パーセルズは辞任し、後任にはウェイド・フィリップスが就任した。
2007年チームはNFCベストの13勝3敗の成績を残したが、プレーオフでニューヨーク・ジャイアンツに破れシーズンを終えた[8]。ジャイアンツは第42回スーパーボウルで優勝を果たした。
2008年チームは4勝1敗と好スタートを切ったがエースQBのトニー・ロモ負傷の影響もあり足踏み8勝4敗で12月を迎えたが最後の4試合中1勝しかできずに9勝7敗でプレーオフを逃した[8]。オフシーズンにチームは、テレル・オーウェンスを放出した。この年デマーカス・ウェアが20サックをあげた[9]。
2009年チームはカウボーイズ・スタジアムに本拠地を移した。この年3月、実績は十分なもののトラブルメーカーのテレル・オーウェンスを解雇した[8]。最終週に同地区のライバル、フィラデルフィア・イーグルスを破り地区優勝、プレーオフ初戦でもイーグルスを破ったがディビジョナルプレーオフでミネソタ・バイキングスに敗れてシーズンを終えた。この年シーズン途中から先発WRとなったマイルズ・オースティンが活躍、第6週にはこれまでボブ・ヘイズが持っていた球団記録を更新する250ヤードを獲得、プロボウルにも選ばれた[10]。
2010年、本拠地カウボーイズ・スタジアムが翌年の第45回スーパーボウル開催地であり、スーパーボウル出場の期待が高まったが反則やターンオーバーなどにより敗戦が続き、エースQBのロモも戦線を離脱した。1勝7敗となったところでウェイド・フィリップスヘッドコーチは解任され[11]、ジェイソン・ギャレットオフェンスコーディネーターが暫定ヘッドコーチに就任することとなった。マイルズ・オースティンが故障したデショーン・ジャクソンの代わりとして、2年連続プロボウルに選ばれた[12]。デマーカス・ウェアが15.5サックをあげている[13]
2011年、チームは最終週、勝ったチームが地区優勝となるニューヨーク・ジャイアンツとの直接対決で敗れるなど最後の5試合中4試合で敗れて8勝8敗、プレーオフを逃した[14]。
歴代ヘッドコーチ [編集]
- トム・ランドリー (1960-1988)
- ジミー・ジョンソン (1989-1993)
- バリー・スウィッツァー (1994-1997)
- チャン・ゲイリー (1998-1999)
- デイブ・カンポ (2000-2002)
- ビル・パーセルズ (2003-2006)
- ウェイド・フィリップス (2007-2010)
- ジェイソン・ギャレット (2010-)
往年の名選手・チーム関係者 [編集]
殿堂入り [編集]
- トロイ・エイクマン(Troy Aikman) (QB 1989-2000)
- エミット・スミス(Emmitt Smith) (RB 1990-2002)
- マイク・ディトカ(Mike Ditka) (TE/AS 1969-81)
- トニー・ドーセット(Tony Dorsett) (RB 1977-87)
- マイケル・アービン(Michael Irvin) (WR 1988-1999)
- トム・ランドリー(Tom Landry) (Head Coach 1960-88)
- ボブ・リリー(Bob Lilly) (DT 1961-74)
- メル・レンフロ(Mel Renfro) (S/CB 1964-77)
- ディオン・サンダース (Deion Sanders) (CB 1995-99)
- テックス・シュラム(Tex Schramm) (Pres/GM 1960-89)
- ロジャー・ストーバック(Roger Staubach) (QB 1964-79)
- ランディ・ホワイト(Randy White) (DT 1975-88)
- レイフィールド・ライト(Rayfield Wright) (OT 1967-1979)
その他の有名選手 [編集]
- トニー・ロモ(Tony Romo) (QB 2003-)
- テレル・オーウェンス(Terrell Owens)(WR 2006 - 2008)
- ジェイソン・ウィッテン (Jason Witten) (TE 2003 - )
- デマーカス・ウェア (DeMarcus Ware) (LB 2005 - )
脚注 [編集]
- ^ Manchester United Becomes First Team Valued At $3 Billion Forbes Jan 29, 2013. 2013年2月1日閲覧。
- ^ Dallas Cowboys are Again America's Favorite Football TeamHarris Interactive 2013年2月1日閲覧。
- ^ “引退したLTはランクイン?RB歴代トップ10 -後編-”. NFL JAPAN (2012年6月19日). 2012年7月3日閲覧。
- ^ 松田てつひろ 『NFLガイド1995』 タッチダウン、1995年、5ページ。ISBN 4-924342-48-3。
- ^ “カウボーイズ衰退の原因は? 伝説のトリプレッツが分析”. NFL JAPAN (2012年5月19日). 2012年5月31日閲覧。
- ^ Mark Maske (2005年2月23日). “Bledsoe, Cowboys Reach Agreement; Deal Reunites QB With Parcells”. ワシントン・ポスト. 2012年1月21日閲覧。
- ^ “カウボーイズ、QBロモがFGホルダーに復帰?”. NFL JAPAN (2009年12月10日). 2012年1月21日閲覧。
- ^ a b c “Sources: Cowboys cut T.O.”. ESPN (2009年3月5日). 2012年1月21日閲覧。
- ^ “屈指のパスラッシャーに成長、ウェアが模範のヒューストン”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
- ^ 近藤祐司 (2009年10月30日). “無名校からスターダムへ! カウボーイズ救世主オースティン”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
- ^ “1勝7敗のカウボーイズ、ついにフィリップスHCを解任”. NFL JAPAN (2010年11月9日). 2012年1月21日閲覧。
- ^ “カウボーイズのWRオースティンらがプロボウル選出”. NFL JAPAN (2011年1月28日). 2012年1月21日閲覧。
- ^ “LBウェアとQBロモ、カウボーイズにとってより重要なのは?”. NFL JAPAN (2011年6月30日). 2012年1月21日閲覧。
- ^ “カウボーイズオーナー、「ジャイアンツのようになりたかった」”. NFL JAPAN (2012年1月24日). 2012年1月26日閲覧。
外部リンク [編集]
- ダラス・カウボーイズ公式サイト (英語)
- NFL JAPAN (日本語)
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