ダラス・カウボーイズ

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ダラス・カウボーイズ
1960年創設
永久欠番 なし(あえて導入せず)
所属地区
  • NFL(1960-現在)
  • NFC(1970-現在)
東地区(1970-現在)
  • 東カンファレンス(1961-1969)
首都地区(1967-1969)
地区分け無し(1961-1966)
  • 西カンファレンス(1960)
ホームタウン
  • 本拠地

アーリントン(テキサス州)

  • スタジアム

Cowboys Stadium full view.jpg
AT&Tスタジアム
(2009年-)
テキサス・スタジアム
(1971年-2008年)
コットン・ボウル(1960年-1970年)

チームデザイン
  • チームカラー

    
     ロイヤルブルー
     メタリックシルバー
    

  • チームロゴ

(テキサス州の象徴ローンスターにちなんで)Dallas Cowboys.svg

獲得タイトル
  • リーグ・チャンピオン (5回)

スーパーボウル19711977199219931995

  • カンファレンス・チャンピオン (10回)

NFL東:1966、1967
NFC:1970、1971、1975、1977、1978、1992、1993、1995

  • 地区優勝 (20回)

NFLキャピトル地区:1967、1968、1969
NFC東地区:1970、1971、1973、1976、1977、1978、1979、1981、1985、1992、1993、1994、1995、1996、1998、2007、2009

  • ワイルドカード (10回)

1966、1972、1975、1980、1982、1983、1991、1999、2003、2006

球団組織
オーナー: ジェリー・ジョーンズ
GM: ジェリー・ジョーンズ
ヘッドコーチ: ウェイド・フィリップス

ダラス・カウボーイズDallas Cowboys)は、テキサス州ダラス都市圏に本拠地を置くプロ・アメリカンフットボール (NFL) チームである。

概要[編集]

NFC東地区所属でNFL屈指の名門。創立間もないころ、その強さから圧倒的な人気を誇ったカウボーイズは、アメリカを象徴するチームとして『アメリカズチーム』と称されるようになり、現在でもこの称号が用いられることがある。1960年代以降のNFLで最も成功したチームの1つとして数えられておりスーパーボウル優勝はサンフランシスコ・フォーティナイナーズと並ぶ二位タイの5回、NFC優勝8回を数える。またマンデーナイトフットボールでの勝利は最多の41回(これに次ぐのはマイアミ・ドルフィンズの39回、サンフランシスコ・フォーティナイナーズの38回)。1966年から1985年までの20シーズン連続勝ち越しのNFL記録を持っている。 経済誌のフォーブス2013年1月、ダラス・カウボーイズの市場価値を21億ドルと算定しており、メジャーリーグニューヨーク・ヤンキースなどを上回り、北米4大プロスポーツリーグの全チームで首位である[1]。また、大手世論調査会社ハリス・インタラクティブ2011年に公表した世論調査によると、NFLで最も人気の高いチームである[2]

歴史[編集]

チーム創設から1970年代まで[編集]

1960年、AFL(アメリカン・フットボール・リーグ)のダラス・テキサンズ(カンザスシティ・チーフスの前身)に対抗する形でクリント・マーチンソン、ベドフォード・ウィンによって創立された。チーム名は当時、テキサス州で数千人が活躍していたカウボーイにちなんで付けられた。初代ゼネラルマネージャーにはテックス・シュラムが初代ヘッドコーチにはトム・ランドリーが起用された。選手はエクスパンションドラフトで集められ本拠地はコットン・ボウルとなった。1960年シーズンは1分11敗と未勝利に終わり翌年のNFLドラフト1巡目全体13番目でDTボブ・リリーを指名した。1960年にQBドン・メレディス、1961年にRBドン・パーキンスLBチャック・ハウリー、DTのボブ・リリー、1963年にLBのリー・ロイ・ジョーダン、1964年にCBメル・レンフロ、1965年にWRボブ・ヘイズが加入するなど徐々に戦力を整えていった。1966年に10勝3敗1分の成績で初のプレーオフ進出を果たしプロボウルに8人の選手を送り込んだ。1966年1967年と2年連続でNFLチャンピオンシップでグリーンベイ・パッカーズと対戦したが劇的な決着で2年とも敗れた。アメリカのプロスポーツ史上最も気温の低い厳しい条件で行われた1967年NFLチャンピオンシップゲームアイスボウルとも呼ばれている。1966年シーズンはその後8シーズン連続となるプレーオフ出場記録の始まりとなった(後に1975年から1983年まで9シーズン連続プレーオフ出場の記録を作った。)。

1968年シーズン終了と共にメレディス、パーキンスは引退したが1967年にOTレイフィールド・ライト1969年にQBのロジャー・ストーバックTEマイク・ディトカ、RBのカルビン・ヒルグラント・ヒルの父親)、1970年にCBのハーブ・アダーリーSクリフ・ハリスチャーリー・ウォータースが加入した。1970年シーズンにQBのクレイグ・モートンに率いられたチームは第5回スーパーボウルに出場したが終盤モートンにミスが続き、残り5秒でボルチモア・コルツのキッカー、ジム・オブライエンフィールドゴールが決まり13-16で敗れた。この試合でチャック・ハウリーはスーパーボウル史上唯一敗戦チームからMVPに選ばれた選手となっている。

1971年の第6週から本拠地をテキサス・スタジアムに移した。チームは最後の7試合を連勝し第6回スーパーボウルマイアミ・ドルフィンズを24-3で破りスーパーボウル初制覇を果たした。1970年代の活躍でカウボーイズの人気は地元ダラスだけでなくアメリカ中に広がっていった。チームにはDEハーベイ・マーティンエド・ツートール・ジョーンズ、WRのドリュー・ピアソン、DTのランディ・ホワイト、RBのトニー・ドーセットらが加わった。第10回スーパーボウル第13回スーパーボウルではピッツバーグ・スティーラーズに敗れたが第12回スーパーボウルデンバー・ブロンコスを破り優勝、1970年代のNFLで最多勝をあげたチームであった。

1980年代[編集]

1980年に引退したストーバックに代わってダニー・ホワイトが先発QBとなった。1980年から1982年には3年連続NFCチャンピオンシップゲームに進出を果たしたがスーパーボウル出場はならなかった。

1983年1月3日のミネソタ・バイキングスとのマンデーナイトフットボールで、トニー・ドーセットが自陣1ヤード地点から99ヤードのTDランをあげた[3][4]

1984年にバム・ブライトがマーチソンからチームを購入した頃から成績が低迷し、1985年の10勝6敗から1986年は7勝9敗、1987年は7勝8敗、1988年は3勝13敗に終わった。1989年2月25日にチームはジェリー・ジョーンズに売却された。新オーナーのジョーンズはゼネラルマネージャーのテックス・シュラムとヘッドコーチのトム・ランドリーを解任、大学時代のフットボールチームメートでもあったマイアミ大学ヘッドコーチだったジミー・ジョンソンを後任のヘッドコーチとした。ドラフト1巡目でUCLAのQB、トロイ・エイクマンを獲得、シーズン中にはスターRBのハーシェル・ウォーカーミネソタ・バイキングスと5人のベテラン選手と8つの将来のドラフト上位指名権などと引き換えにトレードを行った。チームは1勝15敗と創設以来最悪の成績に終わったがトレードによって得たドラフト指名権がチームの再建に重要な役割を果たすことになる。

1990年代[編集]

ジョンソンヘッドコーチは1989年のドラフトでエイクマンの他にFBダリル・ジョンストンCマーク・ステプノスキーを獲得、1990年にエミット・スミス、1991年にDTのラッセル・メリーランド、OTのエリック・ウィリアムス、1992年にSのダレン・ウッドソンを獲得した。他にランドリー時代からいる若い選手、WRのマイケル・アービンGネイト・ニュートン、LBのケン・ノートン・ジュニア、OTのマーク・トゥイネイやベテランのTE、ジェイ・ノバチェク、DEのチャールズ・ヘイリーの活躍で、1989年には1勝15敗に終わったチームが、3年後の1992年には13勝3敗の成績をあげ、14シーズンぶりとなるスーパーボウル出場を果たした。第27回スーパーボウルではスーパーボウル記録となる9つのターンオーバーを奪いバッファロー・ビルズに52-17で勝利しジミー・ジョンソンはカレッジフットボールとNFLの双方で頂点を極めた最初のヘッドコーチとなった。翌年第28回スーパーボウルでも30-13で再びビルズを降しプロボウルにも11人の選手を送り込んだ。契約交渉が長引き、エミット・スミスがシーズン開幕から2試合欠場したこと、1993年からNFLに導入されたフリーエージェント制度に続き、1994年シーズンからサラリーキャップが導入されるため、ジミー・ジョンソンはオーナーのジェリー・ジョーンズに人事権の委譲を求めたが、ジョーンズオーナーはこれを拒絶し[5]、第28回スーパーボウルの1週間後にジョンソンヘッドコーチは辞任し[6]オクラホマ大学の元ヘッドコーチ、バリー・スウィッツァーが後任となった。1994年シーズンに12勝4敗の成績をあげたがNFCチャンピオンシップゲームでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに28-38で敗れた。1995年にはフリーエージェントになっていたオールプロCBのディオン・サンダースが加入、12勝4敗でシーズンを終えたチームは第30回スーパーボウルでピッツバーグ・スティーラーズを27-17で破り5度目のスーパーボウル制覇を遂げた。MVPには2回のインターセプトでいずれもタッチダウンをあげたラリー・ブラウンが選ばれた。バリー・スウィッツァーもカレッジフットボール、NFLを制したヘッドコーチになった。その後カウボーイズの栄光をささえた選手たちのフリーエージェントによる流出、高齢化、怪我などで1997年には6勝10敗で終わった。1998年1月スウィッツァーヘッドコーチは辞任しスティーラーズの元オフェンスコーディネーターであるチャン・ゲイリーが後任となった。1998年に10勝6敗でNFC東地区優勝を果たしたが1999年には8勝8敗に終わった。チームは1990年代を通じてNFL最多勝したチームであった。

2000年代[編集]

チャン・ゲイリーの次にヘッドコーチになったのはディフェンスコーディネーターのデイブ・カンポだったが2000年から2002年まで3シーズン連続で5勝11敗に終わった。ジョーンズオーナーがゼネラルマネージャーを置かずヘッドコーチにも十分な権限を与えていないことがチームが低迷する原因だとマスコミから非難されるようになった。2003年ビル・パーセルズがヘッドコーチに就任、NFLトップの守備成績を残し10勝6敗でプレーオフ進出を果たしたが、続く2シーズンはプレーオフ出場を果たせなかった。

2004年、チームはビニー・テスタバーディドリュー・ヘンソンを獲得、チャド・ハッチンソンを解雇した。シーズン途中、控えQBのクインシー・カーターを薬物濫用により解雇、トニー・ロモが第3QBとしてロースターに加わった。

ドリュー・ブレッドソー

2005年、前年までバッファロー・ビルズでプレーし、ニューイングランド・ペイトリオッツ時代にはスーパーボウル出場も果たしているQBドリュー・ブレッドソーを獲得した[7]

2006年、シーズン開幕前、フィラデルフィア・イーグルスに所属していたテレル・オーウェンスを獲得した。シーズン途中からブレッドソーに代わって、ロモが先発QBに昇格した[8]。9勝7敗でプレーオフに進出した。シアトル・シーホークスとのワイルドカードプレーオフでは勝ち越しFGを狙ったプレーでロモがスナップをファンブルし敗れた。その後パーセルズは辞任し、後任にはウェイド・フィリップスが就任した。

2007年チームはNFCベストの13勝3敗の成績を残したが、プレーオフでニューヨーク・ジャイアンツに破れシーズンを終えた[9]。ジャイアンツは第42回スーパーボウルで優勝を果たした。

2008年チームは4勝1敗と好スタートを切ったがエースQBのトニー・ロモ負傷の影響もあり足踏み8勝4敗で12月を迎えたが最後の4試合中1勝しかできずに9勝7敗でプレーオフを逃した[9]。オフシーズンにチームは、テレル・オーウェンスを放出した。この年デマーカス・ウェアが20サックをあげた[10]

2009年チームはカウボーイズ・スタジアムに本拠地を移した。この年3月、実績は十分なもののトラブルメーカーのテレル・オーウェンスを解雇した[9]。最終週に同地区のライバル、フィラデルフィア・イーグルスを破り地区優勝、プレーオフ初戦でもイーグルスを破ったがディビジョナルプレーオフでミネソタ・バイキングスに敗れてシーズンを終えた。この年シーズン途中から先発WRとなったマイルズ・オースティンが活躍、第6週にはこれまでボブ・ヘイズが持っていた球団記録を更新する250ヤードを獲得、プロボウルにも選ばれた[11]

2010年、本拠地カウボーイズ・スタジアムが翌年の第45回スーパーボウル開催地であり、スーパーボウル出場の期待が高まったが反則やターンオーバーなどにより敗戦が続き、エースQBのロモも戦線を離脱した。1勝7敗となったところでウェイド・フィリップスヘッドコーチは解任され[12]ジェイソン・ギャレットオフェンスコーディネーターが暫定ヘッドコーチに就任することとなった。マイルズ・オースティンが故障したデショーン・ジャクソンの代わりとして、2年連続プロボウルに選ばれた[13]。デマーカス・ウェアが15.5サックをあげている[14]

2011年、チームは最終週、勝ったチームが地区優勝となるニューヨーク・ジャイアンツとの直接対決で敗れるなど最後の5試合中4試合で敗れて8勝8敗、プレーオフを逃した[15]

2012年、最後の2試合に連敗し、8勝8敗でプレーオフを逃した[16]

2013年8月、本拠地カウボーイズ・スタジアムは、命名権契約をAT&Tと12億ドルで結び、AT&Tと名称変更した[17]

ユニフォーム[編集]

カウボーイズのヘルメットには銀地にテキサス州の象徴である「ローン・スター」(一つ星)が紺色で描かれている。ユニフォームは基本的に白ジャージを着用するが、これは本来ホームゲームで着用するカラージャージ(カウボーイズの場合は紺)よりも勝率がよいというジンクスからホームゲームでも白を着るようになったことによるもの(NFLではホームチームにユニフォームの色の選択権がある)。これを逆手に取り、NFC東地区のライバルであるレッドスキンズはカウボーイズをホームに迎える際に自分たちが白ジャージを選び、カウボーイズに紺のカラージャージを着用させている。

歴代ヘッドコーチ[編集]

  • トム・ランドリー (1960-1988)
  • ジミー・ジョンソン (1989-1993)
  • バリー・スウィッツァー (1994-1997)
  • チャン・ゲイリー (1998-1999)
  • デイブ・カンポ (2000-2002)
  • ビル・パーセルズ (2003-2006)
  • ウェイド・フィリップス (2007-2010)
  • ジェイソン・ギャレット (2010-)

往年の名選手・チーム関係者[編集]

ダラス・カウボーイズには背番号の枯渇を防ぐためか「永久欠番」の制度がない。その代わりに、著名な活躍をした選手及び関係者を表彰する「リング・オブ・オナー」という制度がある。

殿堂入り[編集]

その他の有名選手[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Manchester United Becomes First Team Valued At $3 Billion Forbes Jan 29, 2013. 2013年2月1日閲覧。
  2. ^ Dallas Cowboys are Again America's Favorite Football TeamHarris Interactive 2013年2月1日閲覧。
  3. ^ 引退したLTはランクイン?RB歴代トップ10 -後編-”. NFL JAPAN (2012年6月19日). 2012年7月3日閲覧。
  4. ^ MNF History: 1982”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ 松田てつひろ 『NFLガイド1995』 タッチダウン、1995年、5ページ。ISBN 4-924342-48-3
  6. ^ カウボーイズ衰退の原因は? 伝説のトリプレッツが分析”. NFL JAPAN (2012年5月19日). 2012年5月31日閲覧。
  7. ^ Mark Maske (2005年2月23日). “Bledsoe, Cowboys Reach Agreement; Deal Reunites QB With Parcells”. ワシントン・ポスト. 2012年1月21日閲覧。
  8. ^ カウボーイズ、QBロモがFGホルダーに復帰?”. NFL JAPAN (2009年12月10日). 2012年1月21日閲覧。
  9. ^ a b c Sources: Cowboys cut T.O.”. ESPN (2009年3月5日). 2012年1月21日閲覧。
  10. ^ 屈指のパスラッシャーに成長、ウェアが模範のヒューストン”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
  11. ^ 近藤祐司 (2009年10月30日). “無名校からスターダムへ! カウボーイズ救世主オースティン”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
  12. ^ 1勝7敗のカウボーイズ、ついにフィリップスHCを解任”. NFL JAPAN (2010年11月9日). 2012年1月21日閲覧。
  13. ^ カウボーイズのWRオースティンらがプロボウル選出”. NFL JAPAN (2011年1月28日). 2012年1月21日閲覧。
  14. ^ LBウェアとQBロモ、カウボーイズにとってより重要なのは?”. NFL JAPAN (2011年6月30日). 2012年1月21日閲覧。
  15. ^ カウボーイズオーナー、「ジャイアンツのようになりたかった」”. NFL JAPAN (2012年1月24日). 2012年1月26日閲覧。
  16. ^ カウボーイズ、今シーズン失敗の原因は?”. NFL JAPAN (2013年1月11日). 2013年8月8日閲覧。
  17. ^ カウボーイズ本拠地、「AT&Tスタジアム」へ名称変更” (2013年7月26日). 2013年8月8日閲覧。

外部リンク[編集]