ボリス・ディアウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ボリス・ディアウ
Boris Diaw
サンアントニオ・スパーズ  No.33
Boris Diaw Spurs.jpg
名前
本名 ボリス・ババカル・ディアウ=リフィオー
愛称 "3D"
ラテン文字 Boris Diaw
フランス語 Boris Babacar Diaw-Riffiod
基本情報
フランスの旗 フランス
誕生日 1982年4月16日(32歳)
出身地 ヴァル=ドワーズ県コルメイユ=ザン=パリジ
身長 203cm
体重 104kg
選手情報
ポジション スモールフォワード
背番号 33
ドラフト 2003年 21位
代表歴
キャップ フランスの旗 2003-2007
経歴
2001-2003
2003-2005
2005-2008
2008-2012
2012-
ポー・オルテッズ ポー・オルテッズ
アトランタ・ホークス アトランタ・ホークス
フェニックス・サンズ フェニックス・サンズ
シャーロット・ボブキャッツ シャーロット・ボブキャッツ
サンアントニオ・スパーズ サンアントニオ・スパーズ

ボリス・ディアウBoris Diaw)ことボリス・ババカル・ディアウ=リフィオーBoris Babacar Diaw-Riffiod,1982年4月16日-)はフランスのプロバスケットボール選手である。NBAサンアントニオ・スパーズ所属。ヴァル=ドワーズ県コルメイユ=ザン=パリジ出身。ナチュラルポジションはスモールフォワードだがすべてのポジションをこなせるユーティリティープレーヤー。身長203cm、体重104kg。

略歴[編集]

フランス国内ジュニア[編集]

パリの国立体育・スポーツ研究センター(INSEP)に入り、トニー・パーカーロニー・トゥリアフらと出会った。フランスの男子プロバスケットボールリーグLNBの1部、通称「Pro A」で経験を積んだ後、また2000年のジュニア・ヨーロッパ選手権では優勝を果たした。

NBA[編集]

2003年NBAドラフトアトランタ・ホークスから全体21位指名を受けてNBA入りした。アトランタでは2003-04シーズンから2年間プレイしたが、チームが低迷していたこともあり、好成績を残すようなことはなかった。

2005年8月、ジョー・ジョンソンとのトレードフェニックス・サンズへ移籍。2005-06シーズンは81試合の出場のうち、70試合で先発出場。平均出場時間は35分に急増し、得点、アシスト、リバウンドなど、ほとんどのカテゴリで成績が急上昇した。特に攻守にわたる活躍と、複数のポジションをそつなくこなすプレイは高く評価され、ユーティリティプレイヤーとしてNBAファンにその名を知らしめた(本来センターであるはずのアマレ・スタウダマイアーカート・トーマスは怪我で戦線離脱した)。ディアウは自身初となるプレイオフにも出場し、カンファレンス決勝での敗戦まで活躍は続いた。シーズンオフにはMIP(最も成長した選手)を受賞するなど、飛躍のシーズンになった。その後スタウダマイアーが先発復帰すると、ディアウは主にシックスマンとして活躍した。

2008年シーズン途中、ラジャ・ベルと共にシャーロット・ボブキャッツに移籍し、翌シーズン、ジェラルド・ウォレススティーブン・ジャクソンらと、ラリー・ブラウンヘッドコーチの下、チーム創設6年目にして、初のプレーオフ進出に貢献した。

2012年3月21、ポール・サイラスヘッドコーチの構想から外れ、ウィーブされると[1]、2日後にシーズンの残りをサンアントニオ・スパーズと契約した[2]。 2012年7月12日、2年、920万ドルで、スパーズとの契約を延長した[3]。 2013-14シーズンは、ユーロ選手権で優勝した際の好調さをそのまま維持し、スパーズのチームバスケットの重要な起点として活躍し、ファイナルでは、第3戦から先発出場し、平均35分をプレーし、チーム最高の23アシスト、ダンカンに次ぐ43リバウンドを挙げ[4] 、2014年6月15日、マイアミ・ヒートを4勝1敗で下し、自身初のチャンピオンシップを獲得し、最高のシーズンを締めくくった。

フランス代表[編集]

2006年日本で開催された、世界選手権にフランス代表として出場。当初サンアントニオ・スパーズに所属するトニー・パーカーがキャプテンだったが、骨折により開幕直前に離脱。そのためチームはディアウをキャプテンに任命した。グループA(仙台市で開催)のフランスは3勝2敗の2位でファイナルラウンド進出を果たしたが、2回戦でギリシャに敗北。最終的には5位で大会を終えた。ディアウは通算11.9得点、6リバウンド、2.4アシストの成績を残した。2005年ヨーロッパ選手権で銅メダル、2011年ヨーロッパ選手権で銀メダル、2013年ヨーロッパ選手権では、トニー・パーカーニコラス・バトゥムナンド・デ・コロらとともに金メダルを獲得した。 2010年世界選手権、2012年ロンドンオリンピックにも出場。

プレイスタイル[編集]

前述の通り、ポイントガードからセンターまでこなせる万能型である。飛躍の年になった2005-06シーズンは平均13.3得点、6.9リバウンド、6.2アシストを記録。トリプル・ダブルジェイソン・キッドレブロン・ジェームズに次ぐ4回(リーグ3位)だったように、攻守共にチームへの貢献度は非常に高い。またフィールドゴール成功率も高く、ミスショットが少なく堅実さも持ち合わせている。特に、ゴール下でのピボットを使ったポンプフェイクからのフィンガーロールが得意である。

その他[編集]

  • ニックネームは、複数のポジションをこなす器用なプレイスタイルを表し、背番号「3」とイニシャルの「D」から「3D」。
  • 父親は、セネガルの元高跳び選手。母親は元バスケットボール選手で、フランスの最も優れたセンターだったと評される人物。
  • 同郷でサンアントニオ・スパーズトニー・パーカーとは旧知の仲。
  • 非常に整ったマスクでフランス国内での人気は高い。

脚注[編集]

  1. ^ Bobcats waive Boris Diaw”. ESPN.com (2012年3月21日). 2014年6月16日閲覧。
  2. ^ Boris Diaw signed by Spurs
  3. ^ Spurs Re-Sign Boris Diaw
  4. ^ Abrams, Jonathan (2014年6月16日). “Mon Frère Boris”. Grantland.com. オリジナル2014年6月22日時点によるアーカイブ。. http://www.webcitation.org/6QVwp12YC 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]