ジョー・ブライアント

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ジョー・ブライアント
Joe Bryant
ロサンゼルス・スパークス HC
Joe bryant 20101106.jpg
名前
ラテン文字 Joe Bryant
英語 Joe Bryant
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1954年10月19日(59歳)
出身地 ペンシルベニア州

ジョゼフ・ワシントン・ブライアントJoseph Washington Bryant, 1954年10月19日 - )、通称ジョー・ブライアントJoe Bryant)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の元バスケットボール選手で、現在は監督。

NBAフィラデルフィア・セブンティシクサーズなどでプレイしたのちイタリアに渡り、プロバスケットボールリーグのレガAで7年間にわたり活躍。その後米国に戻り大学のアシスタントコーチ、女子リーグWNBAロサンゼルス・スパークスの監督を務め、bjリーグ東京アパッチJBLレラカムイ北海道でも監督を務めた。愛称は「ジェリービーン」。

妻パメラとの間に一男二女をもうけており、息子は現在バスケットボール界のスーパースターとして活躍するコービー・ブライアントである。

経歴[編集]

フィラデルフィアに生まれ、地元のラサール大学に進み、バスケットボールの選手として活躍した。大学を3年で退き、1975年のNBAドラフトの全体14位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名された[1]がシーズン開幕前にフィラデルフィア・セブンティシクサーズに加入した。身長207センチのブライアントはフォワードのポジションでプレイ、ジュリアス・アービングなどの控え選手としてチームに貢献した。1979年にはサンディエゴ・クリッパーズにトレードされ、このチームで3年目には半数以上の試合で先発を務めた。翌シーズンにはヒューストン・ロケッツに移籍しNBAでのキャリアを終えた。8年間の平均出場時間は21分、平均得点は8.7、リバウンドは4.0だった。

翌シーズンにイタリアのリーグ、レガAのリエティに移り、その後同リーグのレッジョ・カラブリアピストイア、レッジョ・エミリアの計4チームで7年間にわたりプレイした。7シーズンのうち4シーズンで平均得点30以上と活躍し、イタリアのファンから熱烈な声援を受けた。ピストイアでプレイした1987-88シーズンには53得点を2度あげたことがある。

イタリアでの7年間ののち、1992年に米国に戻り、母校のラサール大学でアシスタントコーチの職に就き[2] 、スカウトなどの仕事も兼ねた。1998年にイタリアの名門バスケットボールチーム、オリンピア・ミラノのオーナーの一人になったが、のちにチームを売却した。1999年には、既にNBAでスター選手として活躍していた息子のコービーが同チームのオーナーの一人になり、自身は取締役副社長兼ジェネラルマネージャーに就任した。

2003年、北米のバスケットボールリーグABAのラスベガス・ラトラーズ監督に就任。シーズン中に選手が不足したため、この時49歳になっていた彼は選手としてもプレイした。翌2004年には同じくABAのボストン・フレンジーの監督となり、このチームでも選手兼監督として活躍した。ABAで関わった2チームには、のちに東京アパッチの選手としてブライアントのもとでプレイするジョン・ハンフリーも所属していた。

2005年には女子プロバスケットボールリーグWNBAのロサンゼルス・スパークスとアシスタントコーチとして契約した。5月に始まったシーズン終盤の8月にブライアントは監督に昇格、シーズン残りの7試合を率いて4勝3敗、プレイオフの1回戦ではのちに優勝したサクラメント・モナークスに0勝2敗で敗退した。

同年の秋には、WNBAとシーズンの期間が重ならない日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)の東京アパッチヘッドコーチに就任。bjリーグ初年度は20勝20敗でリーグ3位の成績だった。翌2006年度のWNBAでは、スパークスを地区1位、リーグ2位の25勝9敗の成績に導いた。プレイオフでは地区決勝でサクラメント・モナークスと対戦、この年も0勝2敗で敗れた。2007年4月にスパークス監督を辞任している。

東京アパッチでは2006-07シーズンは8位に沈んだが、その後は2シーズン連続(2007-08、2008-09)でチームをbjリーグ準優勝に導いた。2009年に退団、その後同年7月にイタリアのリエティのヘッドコーチに就任した[3]

2010-11シーズン、日本バスケットボールリーグ(JBL)のレラカムイ北海道HCに就任した[4]。しかし、2011年1月、チーム運営会社の経営難と、それに伴う騒動に巻き込まれる形で退任。その後ロサンゼルス・スパークスのヘッドコーチに復帰した。

脚注[編集]

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  1. ^ 1975 NBA Draft”. databasebasketball/com. 2010年4月10日閲覧。
  2. ^ “Bryant Returns to LaSalle as Assistant”. Philadelphia Daily News. (1993年6月24日) 
  3. ^ Maffioli, Luca (2009年7月3日). “Joe Bryant nuovo coach di Rieti” (Italian). varesebasket.sport-blog.it. 2009年7月4日閲覧。
  4. ^ レラカムイ北海道2代目ヘッドコーチ決定!!”. 株式会社Fantasia Entertainment (2010年5月12日). 2010年5月12日閲覧。

外部リンク[編集]