マリア・シャラポワ
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|---|---|---|---|---|
マリア・シャラポワ
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| 基本情報 | ||||
| ラテン文字名 | Maria Sharapova | |||
| フルネーム | Marija Jurjevna Sharapova | |||
| 愛称 | シベリアン・サイレン | |||
| 国籍 | ||||
| 出身地 | 同・チュメニ州 ハンティ・マンシ自治管区 ニャガン |
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| 居住地 | アメリカ合衆国・フロリダ州 | |||
| 生年月日 | 1987年4月19日(24歳) | |||
| 身長 | 188cm | |||
| 体重 | 59kg | |||
| 利き手 | 右 | |||
| バックハンド | 両手打ち | |||
| ツアー経歴 | ||||
| デビュー年 | 2001年 | |||
| ツアー通算 | 27勝 | |||
| シングルス | 24勝 | |||
| ダブルス | 3勝 | |||
| 4大大会最高成績・シングルス | ||||
| 全豪 | 優勝(2008) | |||
| 全仏 | ベスト4(2007・11) | |||
| 全英 | 優勝(2004) | |||
| 全米 | 優勝(2006) | |||
| 優勝回数 | 3(豪1・英1・米1) | |||
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||||
| 全豪 | 2回戦(2003・04) | |||
| 全米 | 2回戦(2003) | |||
| キャリア自己最高ランキング | ||||
| シングルス | 1位(2005年8月22日) | |||
| ダブルス | 41位(2004年6月14日) | |||
| 2011年9月12日現在 | ||||
マリア・シャラポワ(Maria Sharapova, ロシア語:
Мари́я Ю́рьевна Шара́пова, ラテン翻字: Marija Jurjevna Sharapova, 1987年4月19日 - )は、ロシア・西シベリアに位置するチュメニ州ハンティ・マンシ自治管区・ニャガン市出身の女子プロテニス選手。これまでにWTAツアーでシングルス24勝、ダブルス3勝を挙げる。
目次 |
[編集] プロフィール
シャラポワは華やかな容姿とプレースタイルに加えて、4大大会で女子シングルス3冠を獲得した実力も備える。日本でも人気が高く日本で知られ始めた頃は“ロシアの妖精”と呼ばれることが多かったが、ボールを打つ時に 独特の甲高い叫び声を上げながらラケットを振り抜くことから、最近では「シベリアン・サイレン」(Siberian Siren)と呼ばれることが多い。ベースライン・プレーヤーで、恵まれた体格を生かした強烈なサーブとストロークを武器に、強力な パワーテニスを展開する。身長188cm、体重59kg。左利きだったというが、矯正で両方使える。バックハンド・ストロークは両手打ち。
両親はベラルーシ・ゴメリの出身。父はユーリ・シャラポフであり、ロシア語圏では男性名詞・女性名詞に苗字が分かれており、女性名詞では『シャラポワ』男性名詞では『シャラポフ』である。ベラルーシ人の両親の間で生まれたシャラポワは、ロシアで生まれたためにロシア人扱いになっている。2010年10月にNBAのロサンゼルス・レイカーズに所属するサーシャ・ブヤチッチと婚約した。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の影響により、両親がロシア・西シベリアにあるニャガンへ移住を決意する。マリアは4歳の時からテニスを始め、6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見出され、9歳の頃父親とともに渡米した。渡米後はフロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミーにて練習している。
使用ラケットはヘッド、ウェアとシューズはナイキ。ツアー経歴を通じて日本のトーナメントと相性が良いことから、シャラポワ本人も日本好きで有名である。好きな日本食はしゃぶしゃぶと抹茶アイス。
[編集] 選手経歴
シャラポワは2001年4月19日、14歳でWTAツアーにデビューした。1年後の2002年4月21日、草津国際女子オープンテニス大会で中村藍子に 6-4, 6-1 のストレート勝ちを収め、プロ選手としてのトーナメント初優勝を果たす。シャラポワ本人も「草津でのツアー初優勝は私の原点」と常々語っているという。その後ITFのサーキット大会で、さらに2つの優勝を加えた。
シャラポワが世界的な知名度を獲得したのは、2003年ウィンブルドンの4回戦進出であった。ワイルドカード(主催者推薦)で出場した彼女は、3回戦で第11シードのエレナ・ドキッチ(当時セルビア・モンテネグロ国籍)を 6-4, 6-4 のストレートで圧倒した後、続く4回戦で同じロシアのスベトラーナ・クズネツォワに 1-6, 6-2, 5-7 で敗れた。同年10月のジャパン・オープンにおいて、シングルスとダブルスでWTAツアー初優勝を果たす。シングルス決勝ではアニコ・カプロス(ハンガリー)に 2-6, 6-2, 7-6 で競り勝ち、ダブルスでもタマリネ・タナスガーン(タイ)とのコンビで優勝した。
2004年、シャラポワは全仏オープンでパオラ・スアレス(アルゼンチン)との準々決勝に進出した後、ウィンブルドンで4大大会初優勝を飾った。第13シードから勝ち上がった彼女は、決勝でセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を 6-1, 6-4 のストレートで圧倒した。17歳2ヶ月でのウィンブルドン女子シングルス優勝は、1997年に「16歳9ヶ月」で優勝したマルチナ・ヒンギスに次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録である。18歳未満の選手が4大大会女子シングルスを制したのも、1999年全米オープンに17歳11ヶ月で初優勝したS・ウィリアムズ以来であった。続く全米オープンでは、3回戦でマリー・ピエルス(フランス)に敗退した。10月のジャパン・オープンには第1シードとして出場し、決勝でアメリカのマショーナ・ワシントン(マラビーヤ・ワシントンの妹)に 6-0, 6-1 のスコアで圧勝し、大会2連覇を達成した。この日(10月9日)は台風22号が関東地方を直撃したが、例年より多い約9000人の観客が来場したことから“シャラポワ効果”という言葉で表現される場合もあった。女子ツアー年間最終戦・WTAツアー選手権でも初出場で初優勝を飾り、セリーナ・ウィリアムズに 4-6, 6-2, 6-4 の逆転勝利を収めた。
2005年は、2月に東京体育館で開催された東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント決勝でリンゼイ・ダベンポートを破って初優勝を果たし、好調なスタートを切る。しかし、ウィンブルドンでは準決勝でビーナス・ウィリアムズに 6-7, 1-6 で敗れ、大会2連覇はならなかった。同年8月22日、ロシアの女子テニス選手として史上初の世界ランキング1位になる。
2006年には、東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント準決勝で実現したマルチナ・ヒンギスとの初対戦が大きな話題となり、シャラポワは当年度から現役復帰したヒンギスに 3-6, 1-6 で敗れた。この年の全米オープンで、彼女は2004年ウィンブルドン以来の4大大会決勝戦に進出し、ジュスティーヌ・エナン=アーデン(ベルギー)を 6-4, 6-4 で破って2冠を獲得した。
2007年の全豪オープンで、シャラポワは初めて決勝戦に進出したが、世界ランキング81位のノーシードから勝ち上がったセリーナ・ウィリアムズに 1-6, 2-6 で完敗し、ここでは準優勝に終わった。この後全仏オープンで初の準決勝に進出し、アナ・イバノビッチ(セルビア)に 2-6, 1-6 で敗れた。また、全米オープンでは3回戦でアグニエシュカ・ラドワンスカ(ポーランド)に不覚を取り、あっさりと大会連覇を逃してしまう。ツアー年間最終戦のWTAツアー選手権では、3年ぶり2度目の決勝戦でジュスティーヌ・エナンに 7-5, 5-7, 3-6 で敗れた。
2008年の全豪オープンで、シャラポワは2年連続2度目の決勝でアナ・イバノビッチを 7-5, 6-3 のストレートで破り、初優勝を飾った。本大会ではリンゼイ・ダベンポート、エレーナ・デメンチェワ、ジュスティーヌ・エナン、エレナ・ヤンコビッチの強豪を圧倒し、全試合ストレート勝ちで優勝を決めた。これでシャラポワの4大大会優勝も3勝目となり、あとは全仏オープンを残すのみとなる。しかし、2008年はふくらはぎや右肩など多くの故障に悩まされた年でもあった。5月14日にエナンが世界1位のままで現役引退を表明したことから、翌週にシャラポワが世界1位に返り咲いたものの、全仏オープンは4回戦敗退に終わり、ウィンブルドンにいたっては2回戦で姿を消してしまう。7月末のロジャーズ・カップ3回戦敗退の後、彼女は長期間の戦線離脱を余儀なくされ、北京五輪への出場も断念した。
2009年3月前半のBNPパリバ・オープンで、シャラポワはエレーナ・ベスニナ(同じロシアの選手)とのダブルス戦に出場し、8ヶ月ぶりにツアー大会へ復帰した。1年ぶりの4大大会出場となった全仏オープンでは、2年ぶりの準々決勝でドミニカ・チブルコバ(スロバキア)に 0-6, 2-6 のストレートで完敗した。
2009年10月3日、シャラポワは東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントのシングルス決勝で第7シードのエレナ・ヤンコビッチ(セルビア)と対戦する。第1セット途中(5-2)にヤンコビッチが棄権したため、シャラポワは2005年以来4年ぶり2度目の優勝を果たした。前年優勝者として出場した2010年の大会では主催者推薦出場のクルム伊達公子に 5-7, 6-3 , 3-6 で敗れ初戦で敗退している。
2011年5月のBNLイタリア国際でシャラポワは決勝でサマンサ・ストーサー(オーストラリア)を 6–2, 6–4 で破り約1年ぶりのツアー23勝目を挙げた。全仏オープンでは4年ぶりのベスト4に進出したが準決勝で優勝した李娜(中国)に 4-6, 5-7 で敗れ全仏初の決勝進出を逃した。ウィンブルドンでは決勝に進出したが、ペトラ・クビトバ(チェコ)に 3–6, 4–6 で敗れ7年ぶりの優勝はならなかった。2012年全豪オープンでも決勝に進出したが、ビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)に 3–6, 0–6 で敗れ4年ぶりの優勝を逃した。
[編集] 他の活動
シャラポワはテニス選手のみならず、ファッションモデルとしても多方面の活動を繰り広げており、女子スポーツ選手としては世界トップの収入を誇る。
2007年2月14日、シャラポワは国際連合開発計画親善大使に就任し、チェルノブイリ原発事故後遺症に苦しむ祖国ロシア・ベラルーシ・ウクライナの8つの若者支援プロジェクトに自身の基金から10万ドルを寄付すると発表した。
[編集] WTAツアー決勝進出結果
[編集] シングルス: 38回 (24勝14敗)
| 大会グレード |
|---|
| グランドスラム (3–3) |
| ツアー選手権 (1–1) |
| ティア I (6–3) |
| ティア II (3–1) |
| ティア III (5–1) |
| ティア IV & V (1–0) |
| プレミア (3–4) |
| インターナショナル (2–1) |
| 結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 1. | 2003年9月28日 | ハード | 2–6, 6–2, 7–6(5) | ||
| 優勝 | 2. | 2003年10月27日 | ハード (室内) | 6–2 途中棄権 | ||
| 優勝 | 3. | 2004年6月7日 | 芝 | 4–6, 6–2, 6–1 | ||
| 優勝 | 4. | 2004年6月21日 | 芝 | 6–1, 6–4 | ||
| 優勝 | 5. | 2004年9月27日 | ハード | 6–1, 6–1 | ||
| 優勝 | 6. | 2004年10月9日 | ハード | 6–0, 6–1 | ||
| 準優勝 | 1. | 2004年10月24日 | ハード (室内) | 6–4, 2–6, 3–6 | ||
| 優勝 | 7. | 2004年11月8日 | ハード (室内) | 4–6, 6–2, 6–4 | ||
| 優勝 | 8. | 2005年2月6日 | カーペット (室内) | 6–1, 3–6, 7–6(5) | ||
| 優勝 | 9. | 2005年2月21日 | ハード | 4–6, 6–1, 6–4 | ||
| 準優勝 | 2. | 2005年3月3日 | ハード | 3–6, 5–7 | ||
| 優勝 | 10. | 2005年6月6日 | 芝 | 6–2, 4–6, 6–1 | ||
| 準優勝 | 3. | 2006年2月26日 | ハード | 5–7, 2–6 | ||
| 優勝 | 11. | 2006年3月18日 | ハード | 6–1, 6–2 | ||
| 準優勝 | 4. | 2006年4月2日 | ハード | 4–6, 3–6 | ||
| 優勝 | 12. | 2006年8月6日 | ハード | 7–5, 7–5 | ||
| 優勝 | 13. | 2006年9月9日 | ハード | 6–4, 6–4 | ||
| 優勝 | 14. | 2006年10月22日 | ハード (室内) | 6–1, 4–6, 6–3 | ||
| 優勝 | 15. | 2006年10月29日 | ハード (室内) | 7–5, 6–2 | ||
| 準優勝 | 5. | 2007年1月29日 | ハード | 1–6, 2–6 | ||
| 準優勝 | 6. | 2007年6月18日 | 芝 | 6–4, 3–6, 5–7 | ||
| 優勝 | 16. | 2007年8月5日 | ハード | 6–2, 3–6, 6–0 | ||
| 準優勝 | 7. | 2007年11月11日 | ハード | 7–5, 5–7, 3–6 | ||
| 優勝 | 17. | 2008年1月26日 | ハード | 7–5, 6–3 | ||
| 優勝 | 18. | 2008年2月24日 | ハード | 6–1, 2–6, 6–0 | ||
| 優勝 | 19. | 2008年4月13日 | クレー | 7–6(7), 6–3 | ||
| 準優勝 | 8. | 2009年8月23日 | ハード | 4–6, 3–6 | ||
| 優勝 | 20. | 2009年10月3日 | ハード | 5–2, 途中棄権 | ||
| 優勝 | 21. | 2010年2月20日 | ハード (室内) | 6–2, 6–1 | ||
| 優勝 | 22. | 2010年5月22日 | クレー | 7–5, 6–1 | ||
| 準優勝 | 9. | 2010年6月13日 | 芝 | 5–7, 1–6 | ||
| 準優勝 | 10. | 2010年8月1日 | ハード | 4–6, 1–6 | ||
| 準優勝 | 11. | 2010年8月15日 | ハード | 6–2, 6–7(4), 2–6 | ||
| 準優勝 | 12. | 2011年4月2日 | ハード | 1–6, 4–6 | ||
| 優勝 | 23. | 2011年5月15日 | クレー | 6–2, 6–4 | ||
| 準優勝 | 13. | 2011年7月2日 | 芝 | 3–6, 4–6 | ||
| 優勝 | 24. | 2011年8月22日 | ハード | 4–6, 7–6(7), 6–3 | ||
| 準優勝 | 14. | 2012年1月28日 | ハード | 3–6, 0–6 |
[編集] ダブルス: 4回 (3勝1敗)
| 結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 1. | 2003年9月29日 | ハード | 7–6(1), 6–0 | |||
| 優勝 | 2. | 2003年10月20日 | ハード | 6–1, 6–4 | |||
| 準優勝 | 1. | 2004年2月16日 | ハード | 4–6, 6–7(0) | |||
| 優勝 | 3. | 2004年6月7日 | 芝 | 6–2, 6–1 |
[編集] 4大大会優勝
| 年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
|---|---|---|---|
| 2004年 | ウィンブルドン | 6-1, 6-4 | |
| 2006年 | 全米オープン | 6-4, 6-4 | |
| 2008年 | 全豪オープン | 7-5, 6-3 |
[編集] 4大大会シングルス成績
- 略語の説明
| NH | 開催なし | A | 欠場 | LQ | 予選敗退 | #R | #回戦敗退 | QF | ベスト8 | SF | ベスト4 | F | 準優勝 | W | 優勝 |
| 大会 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 通算成績 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 全豪オープン | 1R | 3R | SF | SF | F | W | A | 1R | 4R | F | 34–8 |
| 全仏オープン | 1R | QF | QF | 4R | SF | 4R | QF | 3R | SF | 30–9 | |
| ウィンブルドン | 4R | W | SF | SF | 4R | 2R | 2R | 4R | F | 34–8 | |
| 全米オープン | 2R | 3R | SF | W | 3R | A | 3R | 4R | 3R | 24–7 |
[編集] 参考文献
- Bud Collins, “History of Tennis: An Authoritative Encyclopedia and Record Book” New Chapter Press, Washington D.C. (2008 Ed.) ISBN 978-0942257410 シャラポワのニックネーム「シベリアン・サイレン」について、本書の659ページで確認した。
[編集] 外部リンク
- マリア・シャラポワ公式サイト (英語)
- マリア・シャラポワ - WTAツアーのプロフィール (英語)
- マリア・シャラポワ - フェドカップのプロフィール (英語)
- マリア・シャラポワ - 国際テニス連盟のプロフィール (英語)
- マリア・シャラポワ - インターネット・ムービー・データベース(英語)
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