1986-1987シーズンのNBA

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1986-1987シーズン
期間 1986年10月25日-1987年6月8日
TV 放送 CBS, TBS
観客動員数 12,065,351人
サラリーキャップ 490万ドル
平均サラリー 43.1万ドル
レギュラーシーズン
勝率首位 ロサンゼルス・レイカーズ
最優秀選手 マジック・ジョンソン
得点王 マイケル・ジョーダン
チーム平均得点 109.9得点
プレーオフ
イースタン決勝 ボストン・セルティックス
  デトロイト・ピストンズ
ウエスタン決勝 ロサンゼルス・レイカーズ
  シアトル・スーパーソニックス
ファイナル
優勝 ロサンゼルス・レイカーズ
ファイナルMVP マジック・ジョンソン

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1986-1987シーズンのNBAは、NBAの41回目のシーズンである。

悲喜こもごものドラフト[編集]

ドラフトではブラッド・ドーアティクリーブランド・キャバリアーズから全体1位指名を受けている。

この年のドラフト候補生達は薬物問題でリーグを悩ませた。特にボストン・セルティックスから全体2位指名を受けたレン・バイアスは、指名を受けた二日後に薬物濫用が原因で死亡してしまった。さらに3位指名のクリス・ウォッシュバーン、6位指名のウィリアム・ベッドフォード、7位指名のロイ・タープリーらはいずれも薬物問題で、そのキャリアに大きな傷を負っている。一方彼らが薬物問題に足を取られたことで、スターへの扉は下位指名者に対して開かれた。マーク・プライスデニス・ロッドマンケヴィン・ダックワースジェフ・ホーナセックドラゼン・ペトロビッチら後にオールスター出場、あるいは殿堂入りする選手は、ドーアティーを除いては皆2巡目以降の指名だった。

この年に指名を受けた選手の中で、後にヘッドコーチとなった選手にネイト・マクミランスコット・スカイルズが居る。また前季のドラフトに続き、この年もアメリカ国外から優秀なバスケットボール選手2人がNBA入りしたが、しかし彼らのキャリアは様々な困難に突き当たった。3巡目60位指名を受けたクロアチア出身のドラゼン・ペトロビッチは優秀なシューターとしてニュージャージー・ネッツなどで活躍したが、1993年に交通事故に遭い急逝。僅か4年のNBAキャリアに幕を閉じた。ソ連出身のアルビダス・サボニスは1巡目24位指名を受けたが、冷戦下にあった当時、サボニスは渡米を許されなかった。その後サボニスはソウル五輪ソ連代表として出場し、決勝でアメリカ代表に歴史的な敗北を味わわせている。サボニスがようやくNBA入りを果たしたのが、選手としてのピークが過ぎた1995年だった。

シーズン[編集]

オールスター[編集]

イースタン・カンファレンス[編集]

アトランティック・デビジョン
Team W L PCT. GB
ボストン・セルティックス 59 23 .720 -
フィラデルフィア・76ers 45 37 .549 14
ワシントン・ブレッツ 42 40 .512 17
ニュージャージー・ネッツ 24 58 .293 35
ニューヨーク・ニックス 24 58 .293 35
セントラル・デビジョン
Team W L PCT. GB
アトランタ・ホークス 57 25 .695 -
デトロイト・ピストンズ 52 30 .634 5
ミルウォーキー・バックス 50 32 .610 7
インディアナ・ペイサーズ 41 41 .500 16
シカゴ・ブルズ 40 42 .488 17
クリーブランド・キャバリアーズ 31 51 .378 26

ウエスタン・カンファレンス[編集]

ミッドウエスト・デビジョン
Team W L PCT. GB
ダラス・マーベリックス 55 27 .671 -
ユタ・ジャズ 44 38 .537 11
ヒューストン・ロケッツ 42 40 .512 13
デンバー・ナゲッツ 37 45 .451 18
サクラメント・キングス 29 53 .354 26
サンアントニオ・スパーズ 28 54 .341 27
パシフィック・デビジョン
Team W L PCT. GB
ロサンゼルス・レイカーズ 65 17 .793 -
ポートランド・トレイルブレイザーズ 49 33 .598 16
ゴールデンステート・ウォリアーズ 42 40 .512 23
シアトル・スーパーソニックス 39 43 .476 26
フェニックス・サンズ 36 46 .439 29
ロサンゼルス・クリッパーズ 12 70 .146 53

スタッツリーダー[編集]

部門 選手 チーム AVG
得点 マイケル・ジョーダン シカゴ・ブルズ 37.1
リバウンド チャールズ・バークレー フィラデルフィア・76ers 14.6
アシスト マジック・ジョンソン ロサンゼルス・レイカーズ 12.2
スティール アルヴィン・ロバートソン サンアントニオ・スパーズ 3.2
ブロック マーク・イートン ユタ・ジャズ 4.1
FG% ケビン・マクヘイル ボストン・セルティックス 60.4
FT% ラリー・バード ボストン・セルティックス 91.0
3FG% キキ・ヴァンダウェイ ポートランド・トレイルブレイザーズ 48.1

各賞[編集]

Golden Era[編集]

1986-87シーズンはNBAの"Golden Era"(黄金時代)と呼ばれている。カリーム・アブドゥル=ジャバーは老いてなお盛んであり、マジック・ジョンソンラリー・バードらは絶頂期、またマイケル・ジョーダンアキーム・オラジュワンら将来のリーグを担う選手たちも、リーグのスーパースターとしての地位を固めつつあったシーズンだった。このシーズンでプレイした選手のうち、マジック・ジョンソン、カリーム・アブドゥル=ジャバー、ジェームス・ウォージー、ラリー・バード、ケビン・マクヘイルロバート・パリッシュモーゼス・マローンジュリアス・アービングアイザイア・トーマスドミニク・ウィルキンスチャールズ・バークレー、アキーム・オラジュワン、クライド・ドレクスラーカール・マローンジョン・ストックトンアレックス・イングリッシュパトリック・ユーイングエイドリアン・ダントリージョー・デュマースは、将来殿堂入りを果たす、あるいは確実視されている。

東部戦線異常あり[編集]

1980年代以降のイースタン・カンファレンスはボストン・セルティックスフィラデルフィア・76ersミルウォーキー・バックスによる三強時代となっていた。しかし新世代のチームがいよいよ彼らの間に割って入り、イースタンの上位に大きな変動が起きた。前季チャンピオンチームのセルティックスはビル・ウォルトンがシーズンの大半を欠場したもののこのシーズンも59勝23敗の好成績を維持したが、セルティックスとイースタンの覇を競い合った76ersとバックスが、世代交代の波に飲まれ始めたのである。

1983年の優勝チームである76ersはモーゼス・マローンがシーズン前にチームを離れ、ジュリアス・アービングはキャリア末期を迎えていた。チーム内ではチャールズ・バークレーが台頭を見せたが、チームの衰えを止めることは出来ず、このシーズンは11年ぶりに勝率6割を下回った。セントラル・デビジョンの覇者バックスはドン・ネルソン指揮の下7シーズン連続で地区優勝を飾ったが、このシーズンにはアトランタ・ホークスに首位の座を奪われ、デトロイト・ピストンズにも後れを取った。80年代前半はリーグでも屈指の強豪チームだったバックスも、結局プレーオフではセルティックスと76ersの壁を破れないまま、ついに衰退期を迎えてしまったのである。シーズン終了後にはドン・ネルソンがヘッドコーチを退き、以後数シーズンは中堅チームとして過ごすものの、カンファレンス決勝に進むことはできなかった。

ドミニク・ウィルキンスケビン・ウィリスドック・リバースらが主力を固めるアトランタ・ホークスは当時リーグ屈指のディフェンス力を誇り、このシーズンにはチーム史上最高勝率となる57勝を記録。6年ぶりに地区優勝も果たし、80年代後半から90年代前半のイーストを代表する強豪へと成長した。

デトロイト・ピストンズは前年にジョー・デュマースをドラフトで指名し、オフにはユタ・ジャズからエイドリアン・ダンドリーを獲得、ドラフトではデニス・ロッドマンを指名。アイザイア・トーマスビル・レインビアヴィニー・ジョンソンに彼らが加わり、後に"バッドボーイズ"としてリーグを震え上がらせる陣容がいよいよ完成した。このシーズンは13年ぶりに50勝以上を達成し、虎視眈々と王座を狙う存在となった。

シーズン概要[編集]

プレーオフファイナル[編集]

  1回戦 カンファレンス準決勝 カンファレンス決勝 ファイナル
                                     
1  レイカーズ 3  
8  ナゲッツ 0  
  1  レイカーズ 4  
  5  ウォリアーズ 1  
4  ジャズ 2
5  ウォリアーズ 3  
  1  レイカーズ 4  
Western Conference
  7  スーパーソニックス 0  
3  トレイルブレイザーズ 1  
6  ロケッツ 3  
  6  ロケッツ 2
  7  スーパーソニックス 4  
2  マーベリックス 1
7  スーパーソニックス 3  
  W1  レイカーズ 4
  E1  セルティックス 2
1  セルティックス 3  
8  ブルズ 0  
  1  セルティックス 4
  4  バックス 3  
4  バックス 3
5  76ers 2  
  1  セルティックス 4
Eastern Conference
  3  ピストンズ 3  
3  ピストンズ 3  
6  ブレッツ 0  
  3  ピストンズ 4
  2  ホークス 1  
2  ホークス 3
7  ペイサーズ 1  

ベビーフック[編集]

マジック・ジョンソンラリー・バードが衝撃のNBAデビューを果たして早8年目を迎えたこの年。リーグに新たな風が広がる中、ファイナルではロサンゼルス・レイカーズボストン・セルティックスの、80年代最後の対決が行われた。

NBA史上屈指の名チームとされる両チームも、高齢化の波には逆らえなかった。レイカーズはカリーム・アブドゥル=ジャバーはまもなく40歳を迎えようとしており、パット・ライリーHCはチーム内の比重を変える必要に迫られていた。そのライリーからあらゆる点でチームの中心になることを求められたマジックは、ヘッドコーチの期待に見事に応え、キャリアハイとなる23.9得点を記録し、4度目のアシスト王にも輝いた。またジャバーから手ほどきを受け、新たな武器となるフックシュートも身に着けている。若手のバイロン・スコットA.C.グリーンはチームに欠かせない存在となり、ベテランのマイケル・クーパーは未だリーグ屈指の好ディフェンダーだった。またシーズン中に獲得したベテランセンターのマイカル・トンプソンは、セルティックスに比べやや貧弱だったインサイド陣の補強に大きく貢献した。レイカーズは高齢化という問題をベテランと若手をバランスよく配置することで見事に克服し、80年代に入って最高勝率となる65勝を記録。リーグ全体でもセルティックスを抑えて1位となった。

一方セルティックスは高齢化という綻びが少しずつチームを蝕み始めていた。先発5人の平均年齢はレイカーズよりも2歳以上高く、さらにビル・ウォルトンは交通事故に遭って72試合を欠場、スコット・ウェドマンは踵の故障でシーズンをほぼ全休するなど、ベテラン選手が次々と離脱する不幸がセルティックスを襲った。極めつけはドラフトで全体2位指名したレン・アイバスの急逝であった。急激にベンチの層が薄くなったセルティックスは先発5人でシーズンを戦い抜かなければならず、バード、ロバート・パリッシュケビン・マクヘイルデニス・ジョンソンダニー・エインジの全員が平均35分以上(30歳を迎えたバードは40.6分)の出場を強いられた。リーグ屈指の先発陣を誇るセルティックスは59勝を記録し、カンファレンストップの成績を収めるも、プレーオフに入る頃には皆疲弊し切っていた。バード、パリッシュ、エインジは故障を抱えるようになり、マクヘイルはシーズン後半に舟状骨の骨折と靭帯を傷つける怪我を負うも、なおもコートに立ち続けた。

レイカーズはプレーオフを11勝1敗と圧倒的な強さで勝ち上がった。一方疲労困憊のセルティックスは2年連続で同じ組み合わせとなったシカゴ・ブルズを全勝で降すも、続くミルウォーキー・バックス戦では第7戦にまで持ち込まれる辛勝となった。さらにカンファレンス決勝でも新興チームのデトロイト・ピストンズに苦戦し、2勝2敗のタイで迎えた第5戦では、試合終盤の残り5秒で106-107の1点ビハインド、おまけにピストンズボールとセルティックスは窮地に立たされた。しかしアイザイア・トーマスのインバウンドパスにバードが値千金のスティールを決め、そのままデニス・ジョンソンにアシストを送り、逆転勝利を果たした。シリーズはまたもや第7戦までもつれた末にセルティックスが勝利したため、バードのスティール、そしてトーマスのパスミスはシリーズの行方を左右した重要なプレイとなった。セルティックスは4年連続でファイナルに勝ちあがり、2年ぶり、80年代に入って3度目、そして80年代最後のレイカーズ対セルティックスの対決が実現した。

第1戦[編集]

このファイナルは80年代の直接対決では唯一レイカーズがホームコートアドバンテージを持ったシリーズとなった。多くの著名人が訪れたグレート・ウェスタン・フォーラムで始まった第1戦、疲労困憊のセルティックスにレイカーズの"ショータイム"オフェンスが襲い掛かった。レイカーズは前半だけで速攻による得点を35点も記録し、21点リードで前半を折り返した。その後もセルティックスは追いつくことができず、126-113でレイカーズが勝利した。マジック・ジョンソンは29得点8リバウンド13アシスト、ジェームス・ウォージーは33得点9リバウンドを記録した。

第2戦[編集]

セルティックスのK.C.ジョーンズHCはマジックを止めることこそ勝利への道とし、ダニー・エインジにマジックの徹底マークを命じた。最初この指示は功を奏したかに見えたが、しかしマジックへの集中マークはマイケル・クーパーを自由にすることを意味していた。レイカーズが7点リードで第2Qに入ると、ここからクーパーを中心にレイカーズの猛攻が始まり、セルティックスが10得点をあげる間にレイカーズは20得点を記録。普段ディフェンスで活躍するクーパーは、この20得点全てにシュートないしアシストで絡む活躍を見せ、また放ったスリーポイントシュート7本のうち6本を決め、スリーポイントシュート成功数のプレーオフ新記録を作った。さらにマジックは第2Qだけで8アシストを決め、1クォーターにおけるアシストのファイナル記録を更新した。マジックは22得点20アシスト、カリーム・アブドゥル=ジャバーは23得点を記録し、144-122でレイカーズがセルティックスを粉砕した。

第3戦[編集]

ファイナル第3戦目を前にシリーズの流れは早くもレイカーズに傾いているかに見えたが、"魔物"が棲むと言われるボストン・ガーデンで、レイカーズはセルティックスから手痛いカウンターパンチを浴びる羽目となる。

マジックとジャバーに襲い掛かった魔物とは、グレッグ・カイトという聞き慣れない選手だった。レギュラーシーズンの平均出場が10分強の彼は、ロバート・パリッシュがファウルトラブルに陥った第1Q後半から試合に参加し、20分間プレイした。この間カイトは9つのリバウンドを奪い、さらにマジックのレイアップをブロック、ジャバーに対しても激しいディフェンスで応じ、見事に封じ込めて見せた。得点こそなかったがこの日はバードが30得点、デニス・ジョンソンが26得点を記録していたため、カイトはディフェンスだけでも十分にセルティックスに貢献した形となった。カイトが出場した時間帯の第2QにセルティックスはFG17/21の猛攻を加え、前半のうちに試合を決めてしまった。また第2戦でパリッシュの足の上に着地したことにより、痛めていた足首をさらに悪化させてしまったケビン・マクヘイルは、足を引き摺りながらもコートに立ち続け、21得点10リバウンドを記録し、さらにディフェンスではレイカーズのウォージーを13得点3リバウンドに抑えるなど、攻守両面で活躍。チーム全体が疲弊し切った状態の中で一致団結したセルティックスが109-103でレイカーズを降し、シリーズ初勝利をあげた。

第4戦[編集]

第3戦を勝利した後、バードは「この試合はシリーズの中で最も重要な試合だった。もし負けていたら第4戦前に立ち直れなかったかもしれない。今後は楽になるだろう」と彼にしては珍しく楽観的なコメントを残した。

第4戦はバードの予測通りセルティックスペースで進み、前半を終わってセルティックスが16点のリードを奪っていた。しかし後半になるとレイカーズがじわじわと追い上げを見せ、第4Q残り1分30秒にはマイケル・クーパーのスリーポイントシュート、さらにはウォージーが1on1からマクヘイルとパリッシュのダブルチームを受けながらもジャンプショットを沈め、ついに103-102のその差1点にまで迫った。タイムアウト明け後のバードのシュートは外れ、レイカーズに逆転のチャンスが訪れた。ボールを運ぶマジックはクーパーにポストプレイの指示を出したが、これはフェイクでクーパーはすぐにジャバーのスクリーンに回り、フリーになったジャバーにマジックの絶妙なパスが通った。ジャバーの右手でバスケットに叩き込まれたアリウープダンクはついにレイカーズに逆転をもたらし、残り29秒の土壇場で104-103とレイカーズが1点のリードを奪った。しかしバードも黙ってはおらず、タイムアウト後のオフェンスでウォージーのディフェンスを振り切った上で見事にスリーポイントシュートを決め、残り12秒で106-104と再びリードを奪い返した。歓喜に沸く館内でレイカーズは伝家の宝刀、ジャバーのスカイフックで同点を狙った。ボールは無情にもリムに弾かれたが、マクヘイルのファウルがあり、ジャバーに2本のフリースローが与えられた。セルティックスファンの懸命な妨害の中でもジャバーは1本目のフリースローを沈め、点差の1点を着実に縮めた。次を決めれば同点に並ぶが、しかしジャバーは2投目をミス。弾かれたボールを巡ってマクヘイル、パリッシュ、そしてレイカーズのマイカル・トンプソンが争ったが、ボールは彼らの手の上を泳いだ上でラインを割った。ボールの行方一つで試合とシリーズの行方が変わる時間帯、マクヘイルはトンプソンのファウルがあったと必死でアピールしたが、審判の判断はセルティックスによるアウト・オブ・バウンズだった。ウォージーからのインバウンドパスを受け取ったのはマジック。スリーポイントラインでマクヘイルと対峙したマジックは、トップに向かってドライブを開始。マジックの前に立ちはだかったのは"史上最高のフロントライン"とまで呼ばれたマクヘイルとパリッシュ、そしてバード。彼らに囲まれる直前に床から飛び上がったマジックは、パリッシュとマクヘイルの腕を掻い潜ってシュートを放った。それはジャバーから教えを受けた彼の新しい武器であるフックシュートだった。マジックの手から離れたボールは綺麗な弧を描いてボールに吸い込まれ、107-105とレイカーズが逆転。再度の逆転を狙ったバードのスリーポイントシュートは外れ、レイカーズが劇的な逆転勝利を果たした。

試合後、記者のインタビューを受けるバードは「スカイフックで負けることはあっても、マジックのフックシュートで負けるとは思っても見なかった」とコメントしている。一方のマジックは勝利の余韻に浸るロッカールームで、彼が決めたフックシュートを「マイ・ジュニア・ジュニア・ジュニア・スカイフック」と名づけていたが、やや長すぎるため、ベビーフックという名で、マジックの生涯最高のシュートとして世に知られるようになる。

第5戦[編集]

試合前、すでに氷で冷やされたシャンパンを用意しているレイカーズを前に、バードは「彼らが祝いたくても、寄木細工の上では絶対に祝わせない」とチームメイトの前で誓った。このバードの言葉に奮起したダニー・エインジは、セルティックスベンチからの「お前のスリーは必要ない」という声にも耳を貸さずにスリーポイントシュートを打ち続け、6本中5本のスリーポイントシュートを成功させ、"Ainge range"の異名を与えられた。レイカーズはマジックが29得点8リバウンド12アシストと活躍するも援護を得られず、セルティックスが123-108で快勝し、崖っぷちで踏みとどまった。しかしこの試合が、80年代セルティックスにとって最後のファイナルでの勝利となった。

第6戦[編集]

フォーラムに戻った第6戦。後がないセルティックスは序盤からペースを握り、前半を56-51と5点リードして折り返した。前半のマジックは僅か4得点に終わり、一方この日ゲームハイの33得点を記録するデニス・ジョンソンは、前半だけで18得点をあげていた。

この日レイカーズにはある外見的な大きな変化があった。まもなく40歳を迎えるジャバーが、薄くなっていた頭髪を丸め、スキンヘッドで現れたのである。そして後半のレイカーズは、ジャバーの汗で濡れた頭部のように輝いた。後半開始から攻勢に出たレイカーズは一気に点差を詰めると、マクヘイルのパスアウトに敏感に反応したウォージーがカット。さらにラインを越えようとするボールに向かってダイブし、すでに走り出していたマジックにボールを押し戻した。マジックは誰の妨害も受けることなくセルティックスのゴールに達し、マジックとウォージーにしか反応できない、ショータイム・バスケットの真骨頂と言える速攻をダンクで締めくくった。このダンクでレイカーズが57-56と逆転を果たしが、さらにこの速攻がセルティックスに引導を渡したといえる。以後レイカーズは一度も追い付かれることなく、106-103で勝利し、1年ぶり10回目の優勝を決めたのである。

ジャバーは32得点6リバウンド4ブロック、ウォージーは22得点、マイカル・トンプソンは15得点9リバウンドを記録。そして第4戦でベビーフックを決め、この日も16得点8リバウンド19アシストという堂々たる数字を残したマジック・ジョンソンが、自身3度目となるファイナルMVPに選ばれた。

80年代に入って4度目の優勝を果たし、仇敵セルティックスにもこれで80年代はファイナル2勝1敗と勝ち越し、我が世の春を謳歌していたレイカーズだが、しかしパット・ライリーHCには大きな野望があった。恒例のシャンパンファイトも終わり、ほろ酔い状態で記者会見に臨んだライリーは、記者の前でファイナル連覇を宣言してしまったのである。酒の席の後ということもあり、まだ「酔った後の勢い」で許された発言だったが、後日の凱旋パレードのセレモニーでも、しらふのライリーはまたもや連覇宣言をしてしまった。最後にNBAで連覇を果たしたのは1969年のセルティックス。以後70年代からこの年にかけて、連覇をやってのけたチームはおらず、いつしかNBAでは連覇を果たすのは不可能とさえ言われるようになっていた。"ショータイム"レイカーズにとって、この優勝は新たな挑戦への始まりだった。

結果[編集]

ロサンゼルス・レイカーズ 4-2 ボストン・セルティックス ファイナルMVP:マジック・ジョンソン

  • 第1戦 @ ロサンゼルスレイカーズ 126, セルティックス 113
  • 第2戦 @ ロサンゼルス: レイカーズ 141, セルティックス 122
  • 第3戦 @ ボストンセルティックス 109, レイカーズ 103
  • 第4戦 @ ボストン: レイカーズ 107, セルティックス 106
  • 第5戦 @ ボストン: セルティックス 123, レイカーズ 108
  • 第6戦 @ ロサンゼルス: レイカーズ 106, セルティックス 93

バード&マジック時代の終焉[編集]

このファイナルがラリー・バードのセルティックスと、マジック・ジョンソンのレイカーズが直接対決した最後のファイナルとなっている。セルティックスとレイカーズが再びファイナルの舞台で対決するのは、21年後の2008年のことである。レイカーズが連覇という新たな挑戦に挑み始める傍ら、平均年齢で上回るセルティックスはレイカーズよりも早く衰退期に入り始め、多くの選手が故障を抱えるようになった。バード自身持病である背中の痛みに耐えながらもプレーを続け、レギュラーシーズンの勝率こそ維持するもののプレーオフでは徐々にデトロイト・ピストンズなどの新興勢力の台頭に飲まれるようになる。

NBAを70年代の危機的状況から救い、80年代には幾多の名勝負を繰り広げてNBAを大いに盛り上げたバードとマジックの時代も、いよいよ終わりを迎えようとしていた。そして彼らが築き上げたレールの上を、次世代のスーパースーターであるマイケル・ジョーダンが走ることによって、NBAはかつてない高みへと上り始める。

ラストシーズン[編集]

外部リンク[編集]