マニー・パッキャオ

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マニー・パッキャオ
Manny Pacquiao at 87th NCAA cropped.jpg
2011年7月2日、アラネタ・コロシアムにて
基本情報
本名 エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ
通称 Pacman(パックマン)
Fighting Pride of the Philippines
Mexican Killer(メキシカン・キラー)
The Destroyer(破壊者)
People's Champion
階級 ライトフライ級 - スーパーウェルター級
身長 168cm
リーチ 170cm
国籍 フィリピンの旗 フィリピン
誕生日 1978年12月17日(35歳)
出身地 フィリピンの旗 フィリピンブキドノン州キバウェ英語版
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 63
勝ち 56
KO勝ち 38
敗け 5
引き分け 2
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2008年12月26日、ロサンゼルスで催されたパッキャオのバースデイ・クリスマス・パーティーにてフレディ・ローチ(右)と

マニー・パッキャオManny Pacquiao1978年12月17日 - )は、フィリピンプロボクサー政治家。男性。本名エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ (Emmanuel Dapidran Pacquiao)。ブキドノン州キバウェ出身。パッキアオ、パキャオとも表記される。史上2人目の6階級制覇王者[1]。第33代WBC世界フライ級王者。第11代IBF世界スーパーバンタム級王者。第28代WBC世界スーパーフェザー級王者。第33代WBC世界ライト級王者。第14代・第16代WBO世界ウェルター級王者。第42代WBC世界スーパーウェルター級王者。

母国フィリピンでは英雄であり、1度目の選挙では落選したが2度目の出馬となった2010年の下院選挙では有力候補を抑え初当選、現在もプロボクサーと国会議員の二足の草鞋を履きながら活躍している。

目次

概要[編集]

サウスポースタイルで、鋭い踏み込みから繰り出す左ストレートを主武器に豪快なKO勝ちや名勝負、番狂わせの勝利を数多く作り出してきた。圧倒的なスピードと超人的スタミナに裏付けされた極めて好戦的なファイトスタイルが特徴で、ハードパンチャーでありながら手数の多さも兼ね備えている。スーパーフェザー級時代まではパワーと猛烈なラッシュに偏ったスタイルで勝ち続けていたが、階級をライト級に上げて以降は右リードジャブ、右フックに加えて、巧みなフットワークも身につけた。

ライトフライ級でデビュー以来、次々と階級を上げながらスーパーウェルター級までの11階級を渡り歩き、その過程で幾多の名王者・名選手を撃破、アジア人初そしてボクシング史上二人目となるメジャー世界タイトル6階級制覇王者である。 母国フィリピンでは英雄的存在で非常に人気が高く、4階級制覇を達成した2008年6月29日デビッド・ディアス戦のフィリピンでのテレビ視聴率が63.8%を記録[2]、2008年12月6日オスカー・デ・ラ・ホーヤ戦のフィリピンでのテレビ視聴率は45.6%を記録[3]した。 HBOPPV放送でメインイベントを務めた初のアジア人ボクサーであり、2009年11月14日のミゲール・コット戦でアジア人ボクサー史上最高額となる1試合2,000万ドル以上のファイトマネーを獲得した[4]

2010年に当選してから2期連続でフィリピンの国会議員(下院議員)を務めている。

評価[編集]

パッキャオが評価されている最大の理由はメジャー世界タイトル (WBA、WBC、IBF、WBO) 史上2人目である6階級制覇という数字よりも、世界王者の中でも超一流の選手を幾多の階級にわたって撃破(その多くは圧勝)してきた点にある。近年のボクシング界では、既に人気を確立したスター選手は世界タイトルを返上してでも、他の強豪選手・人気選手とのビッグマッチを優先させることが多くなってきているが、その象徴的な選手がパッキャオである。パッキャオは、ノンタイトル戦でスター選手のマルコ・アントニオ・バレラに完勝してスターダムに伸し上がったことをきっかけに、世界タイトルを獲得することにこだわらなくなり、ビッグマッチを優先して各階級の最強の選手と戦うようになった。

パッキャオは、上述のような経緯を経てフライ級、スーパーバンタム級、スーパーフェザー級、ライト級、ウェルター、スーパーウェルター級で計6階級のメジャー世界タイトルを獲得してきたが、その他にもフェザー級ではバレラ、スーパーライト級ではリッキー・ハットンという、メジャー4団体王座を保持していないながらも世界最強と目された王者に圧勝しているため、これらの2階級を加えて海外メディアでは8階級制覇王者として評価・紹介されることが多い。

ただし、ウェルター級世界王座とスーパーウェルター級世界王座を獲得した試合は規定階級による試合ではなくキャッチウェイト契約で行われたため、正規の体重ではないことから複数階級制覇記録を疑問視する声は世界的にあり、日本でもボクシング・マガジンボクシング・ビートといったボクシング専門誌が指摘している。

来歴・人物[編集]

1978年12月17日にフィリピン、ミンダナオ島中部のブキドノン州キバウェ英語版で母親と2度目の結婚相手との間に6人兄弟の4男として産まれる、一日一食の日もあるほど貧しい野菜農家であった。パッキャオが初等学校6年の時、父親が別の女性と同棲しているのを母親が見つけ両親が離婚[5]、母親が工場のパートタイムや野菜の路上販売で一家の家計を支えるようになる。パッキャオはミンダナオ島南部の南コタバト州ジェネラル・サントスの初等学校を卒業するが貧困のため中等学校を中退[6]、家計を助けるため路上で花やフィリピンのパン「パン・デ・サル」[7]や煙草のバラ売りをしていた。ボクサーとして成功する前は建設作業員として働いていたことがあり[8]、現在はジンキー夫人と結婚、3人の息子と2人の娘がいる[9]

2001年6月23日に王者に挑戦者予定だった選手二人が相次いで故障で出場を辞退した際、トレーナーのフレディ・ローチに挑戦者に抜擢され、KO勝ちでIBF世界ジュニアフェザー級(現スーパーバンタム級)王座を奪取し、2階級制覇を達成したことが、現在一試合で2,000万ドル以上を稼ぐような名ボクサーへの大きな一歩となった。また、フィリピン人ボクサーが米国で活躍する契機となり、軽量級のアジア人ボクサーへの注目と評価を高めることにも貢献した。アメリカで名前が売れ始めたばかりだったホルヘ・エリセール・フリオ戦ではマイケル・バッファーに「The Destroyer(破壊者)」というニックネームでコールされた。しかし、その後、コンピュータゲームパックマンにひっかけて「Pacman(パックマン)」というニックネームが定着した。これは、パッキャオの名前にひっかけていることと、ゲームのキャラクターさながらに大物ボクサー相手に次々と番狂わせの勝利を連発していることから付けられた。さらにパッキャオ本人がこのゲームのファンであり、The Destroyerというニックネームを気に入っていたトップランク社やバッファーを説得してパックマンとコールしてもらうように自ら要望した。[要出典]また、ラテン系のボクサー達を次々と倒したことから「The Mexicutioner(Mexico または Mexican と executioner を合わせた造語。メキシカンを処刑する者の意)」とも呼ばれた[10]。本人は「それは私だからということではない。私の階級にたまたまメキシコ人がたくさんいただけだ。そんなふうに呼ばないで欲しい」とデラホーヤ戦の前日会見でコメントしている[11]

タイム』誌の2009年版「The World's Most Influential People(世界で最も影響力のある人物100人)」の「Heroes & Icons(英雄と象徴)」部門に選出され、元世界ヘビー級王者レノックス・ルイスは「パッキャオは世界最高のボクサーで、パウンド・フォー・パウンド最強だ。いずれフィリピンの大統領になるだろう。」と紹介している[12]

アマチュアボクサー[編集]

8歳からボクシングのまねごとを始め、週末に広場で開かれる草ボクシングの試合に出場して少額のお金を稼ぐようになる[6]。14歳の時マニラへ出稼ぎに行き本格的にボクシングを始める、しばらくの間は路上で寝泊まりしながらトレーニングを積んでいた[6]、その後フィリピンナショナルアマチュアボクシングチーム入りを果たし政府から住居と食事の保証を受けるようになる。アマチュアボクシングでの戦績は64戦60勝4敗[13]

プロボクサー[編集]

1995年1月22日、16歳1か月でライトフライ級にてプロデビュー戦、パッキャオは体重がミニマム級の上限体重105ポンドにすら届かない98ポンドしか無かったためポケットに鉄の重りを忍ばせ106ポンドで計量をパスした[14]。デビュー戦のファイトマネーはわずか2ドル(100ペソ)であった[15]

1996年2月9日、12戦目となるルスティコ・トーレカンポ戦でパッキャオは3回KO負けで初敗北を喫する。パッキャオは減量を失敗、体重超過のハンディで重いグローブを着用し試合に挑んでいた[16]。この試合まではライトフライ級からバンタム級の間を行き来して試合を行っていたが、この敗戦以降はフライ級に留まる。

フライ級[編集]

1997年6月26日、21戦目でチョックチャイ・チョクビワット(タイ)からOPBF東洋太平洋フライ級王座を5回KOで獲得。パッキャオが獲得した初のタイトルは日本にも馴染みが深いOPBF王座であった。OPBF東洋太平洋フライ級王座は1度防衛後返上している。

1998年5月18日、24戦目は東京水道橋の後楽園ホールで八王子中屋ジムの日本ランカー寺尾新とノンタイトル戦を行い1回KOで下している。この試合はパッキャオが日本人と対戦をした唯一の試合で、深夜にテレビ放送され、解説の故白井義男は「パンチが重い」と、まだ無名だったパッキャオの実力を評価している。

1998年12月4日、27戦目で初となるメジャー団体世界タイトルへ挑戦、チャッチャイ・ダッチボーイジム(タイ)を8回KOで下しWBC世界フライ級王座を獲得。

1999年9月17日、メッドグン・3Kバッテリー(タイ)戦、WBCフライ級王座2度目の防衛戦になるはずであったが、パッキャオは前日計量で体重を超過、失格で王座を剥奪されてしまう、試合も3回KO負けを喫した。

スーパーバンタム級[編集]

メッドグン・3Kバッテリー戦の敗北後、スーパーバンタム級まで一気に3階級上げ、WBCインターナショナル王座を獲得、これを5度防衛。

2001年6月23日、ラスベガスMGMグランド・ガーデン・アリーナで行われたオスカー・デ・ラ・ホーヤの試合の前座にて、IBF世界スーパーバンタム級王者レーロホノロ・レドワバ(南アフリカ)と対戦、レドワバから3度ダウンを奪い、6回TKO勝ちで2階級制覇を達成した。この試合は当初、元王者エンリケ・サンチェスがレドワバと対戦予定だったが試合の2週間前に欠場が決まり、急遽代役としてパッキャオにチャンスが巡ってきた試合であった。また、この試合からトレーナー、フレディ・ローチの師事を受けはじめる。同王座を4度防衛。

フェザー級[編集]

パッキャオvsバレラ 第1戦[編集]

2003年11月15日、階級をフェザー級に上げテキサス州サンアントニオアラモドームにてメキシコのスーパースター、マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)と対戦。下馬評ではバレラが圧倒的に有利だったが、左ストレートを武器にバレラのガードを破り3回と11回にダウンを奪い、11回TKO勝ちでリングマガジン世界フェザー級王者となった。この番狂わせで評価と注目を獲得した。

パッキャオvsマルケス 第1戦[編集]

2004年5月8日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにてWBAフェザー級スーパー王座、IBFフェザー級王座統一王者のファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と対戦。パッキャオは1ラウンドに3度ダウンを奪ったが、1ラウンド以降ダウンのダメージからマルケスが回復、カウンター主体のマルケスに猛反撃を受け、ジャッジ三者三様の12回引き分け判定となった[17]。ジャッジ3人のスコアは、115-110でパッキャオ勝利が1人、115-110でマルケス勝利が1人、113-113で引き分けが1人であった、しかし試合後113-113をつけたジャッジが1ラウンドのスコアを10-6につけるところを誤って10-7とつけてしまったと認めている。もしその113-113をつけたジャッジが他の2人のジャッジと同じように1ラウンドを10-6とつけていた場合、2-1のスプリットデシジョンでパッキャオが勝っていた事になる[17]。試合の観衆は7,129人、マルケスは50万ドルのファイトマネーを獲得した[18]

スーパーフェザー級[編集]

パッキャオvsモラレス 第1戦[編集]

2005年3月19日、階級をスーパーフェザー級に上げ、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにて元3階級王者エリック・モラレス(メキシコ)と対戦。パッキャオは5回に偶然のバッティングで右目尻をカットしてしまう、その後も善戦するがジャッジ3者共に113-115でモラレスを支持、パッキャオは0-3で12回判定負けを喫する。この試合はPPVを35万件売り、1570万ドルの売上げ[19]、モラレスは275万ドル、パッキャオは175万ドルのファイトマネーを獲得した[20]

2005年9月10日、ロサンゼルスステイプルズ・センターにてWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦でヘクトール・ベラスケス(メキシコ)に6回TKOで勝利する。同日同会場で試合をしたエリック・モラレスがザヒール・ラヒームにまさかの12回大差判定負けを喫する。

パッキャオvsモラレス 第2戦[編集]

2006年1月21日、ラスベガスのトーマス&マック・センターにてエリック・モラレスと再戦、10回TKO勝ちでリベンジを果たす。この試合はPPVを36万件売り、1620万ドルの売上げ[19]、モラレスは175万ドル[21]、パッキャオは200万ドルのファイトマネーを獲得した[22]

2006年7月2日、フィリピン、ケソンアラネタ・コロシアムでWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座 の防衛戦、この試合のために階級を2階級上げた元スーパーバンタム級王者オスカー・ラリオス(メキシコ)と対戦、2度のダウンを奪ったパッキャオが3-0で12回大差判定勝利。この試合以降パッキャオはアメリカへ主戦場を完全に移したため、この試合がフィリピンでの最後の試合となっている。

パッキャオvsモラレス 第3戦[編集]

2006年11月18日、ラスベガスのトーマス&マック・センターにてエリック・モラレスとのラバーマッチ、終始モラレスを圧倒し続け3回KO勝利、ライバルとの決着をつけた。試合の観衆は18,276人。この試合はPPVを35万件売り、1750万ドルの売上げ[19]、ファイトマネーはモラレスが275万ドル、パッキャオが300万ドルを獲得した[23]

パッキャオvsバレラ 第2戦[編集]

2007年10月6日、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターにてマルコ・アントニオ・バレラとの再戦で3-0の12回大差判定勝ち。ジャッジのスコアは118-109が2人、115-112が1人。試合前からこの試合で現役引退することを表明していたバレラに引導を渡した(しかしバレラは13か月後に現役復帰).[24]

パッキャオvsマルケス 第2戦[編集]

2008年3月15日、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターにてファン・マヌエル・マルケスと4年半ぶりに再戦、3回にダウンを奪うがマルケスの猛反撃もあって初対決時を上回る激闘の末、2-1の12回判定勝ち。試合を通じてはマルケスのパンチヒット率が上回るなど非常に僅差の割れた判定となった、ジャッジのスコアは、115-112でパッキャオ勝利が1人、115-112でマルケス勝利が1人、114-113でパッキャオ勝利が1人。パッキャオはWBC・リングマガジン世界スーパーフェザー級王者となり、アジア人として初のメジャー王座3階級制覇を達成した。試合の観衆は11,061人、マルケスは150万ドル、パッキャオは300万ドルのファイトマネーを獲得した[25]

ライト級[編集]

パッキャオvsディアス[編集]

2008年6月29日、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターにてデビッド・ディアス(米国)と対戦、初回から一方的に攻め続けて9回KO勝利、WBC世界ライト級王座を獲得すると共にアジア人として初のメジャー王座4階級制覇を達成。この試合はPPVを25万件売り、1250万ドルの売上げ[26]、ディアスは85万ドル、パッキャオは300万ドルのファイトマネーをそれぞれ獲得[27]、試合の観衆は8,362人[28]、フィリピンでのテレビ視聴率は63.8%[2]であった。

ウェルター級[編集]

パッキャオvsデ・ラ・ホーヤ[編集]

2008年12月6日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにてオスカー・デ・ラ・ホーヤウェルター級ノンタイトルマッチで対戦。現役屈指の人気と実力を兼ね備えた選手同士、加えて両者の対格差から実現することは不可能と思われていた対決とあって「The DREAM MATCH(夢の対決)」と銘打たれていたが、ミドル級も制したデラホーヤに対してパッキャオはライトフライ級上がりということもあり、多くのボクシング関係者やファンが「試合自体が無謀で、勝負にならない。デラホーヤが勝つに決まっている」という見解を示し、両者との対戦を希望している近隣階級のボクサー達からは「2人とも大金に目が眩んだから、こんな馬鹿げた試合が決まったんだ」といった批判も多かった。[要出典]しかし、試合が始まると、第1Rからパッキャオが主導権を握り、一方的な攻勢の末に8R終了時TKO勝ちを収めた。パッキャオは1,100万ドル以上のファイトマネーを獲得[29]、フィリピンの視聴率は45.6%[3]を記録した。この試合は2008年のリングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤーに選出された。

2008年末は表彰ラッシュとなり、フィリピンの「 PSA Sportsman of the Year」を受賞。さらにWBC「Boxer of the Year」[30]Yahoo!スポーツ「Fighter of the Year」[31]スポーツ・イラストレイテッド「Boxer of the Year」[32]を受賞した。

スーパーライト級[編集]

パッキャオvsハットン[編集]

2009年5月2日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにてスーパーライト級現役最強と評価されていたイングランドのスーパースターリッキー・ハットンと対戦。戦前はデラホーヤ戦勝利の勢いがあるパッキャオに期待が高まる一方で、「パッキャオがデラホーヤに勝てたのはデラホーヤが不調だったからだ」という意見に加えて[要出典]、スーパーライト級で全勝を誇るハットンのファイトスタイルがパワーと打たれ強さを活かしたスタイルであるため、下の階級から上げてきたパッキャオが不利と予想する専門家やファンも多かった[要出典]。だが、試合は1Rからパッキャオが2度のダウンを奪い、2R終盤に左のカウンター一撃で痛烈なKO勝ちをし、IBO・リングマガジン世界ライトウェルター級王座を獲得した。パッキャオは1,200万ドルのファイトマネーを獲得[29]。この試合は2009年のリングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーに選出された。

ウェルター級[編集]

パッキャオvsコット[編集]

2009年11月14日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにてプエルトリコのスーパースター、ミゲール・コットの持つWBO世界ウェルター級王座に挑戦、試合はウェルター級の規定体重147ポンドでは無く145ポンドのキャッチウェイトで行われた[33]この試合の勝者はスーパー王者に昇格することをWBOが試合前から決定していた。[要出典]戦前の予想では、勢いにのるパッキャオが有利という声がある一方で、過去のコットの敗戦は、自分より体格で大きく勝るアントニオ・マルガリートの体格を利したプレッシャーを受け逆転されたのが唯一であり、パッキャオがコットより小さいことに加え、コットの大きな持ち味がディフェンスの鉄壁さであったため、下の階級からきたパッキャオがそう簡単に攻略できる相手ではないという声も多かった[要出典]。試合は、パッキャオが3Rに右フックで、4Rに左アッパーで2度のダウンを奪うとその後は一方的になり、12Rにコットがロープ際に詰められたところでレフェリーが試合をストップした。こうして12RTKO勝ちを収め、WBO世界ウェルター級スーパー王座とWBCが新設したダイヤモンド王座を獲得[34]、5階級制覇を達成した。試合ストップ時点のジャッジのスコアは、109-99、108-99、108-100[35]で3者共にパッキャオだった。この試合はPPVを125万件売り、7,000万ドル[4]の売上げ、試合の観衆は15,930人で8,847,550ドルのチケット売上げがあり、ファイトマネーはコットが1,200万ドル、パッキャオが2,200万ドル[4]を獲得した。

パッキャオvsクロッティ[編集]

2010年3月13日、テキサス州のカウボーイズ・スタジアムにてジョシュア・クロッティ(ガーナ)を相手にWBO世界ウェルター級王座の初防衛戦を行った。この試合でパッキャオは自己最高数となる合計1231発ものパンチを放つが、多くが防御に徹するクロッティの堅いガードに阻まれてしまい、届いたパンチは246発に留まった。クロッティは399発のパンチを放ち108発を命中させた[36]。手数で試合を支配したパッキャオがフルマークが付く12回大差判定勝ち、ジャッジのスコアは120-108、119-109、119-109で3者共にパッキャオであった[37][38]。試合後フィリピンに帰国したパッキャオは引退の可能性を口にした[39]。この試合はPPVを70万件売り、3,520万ドルの売上げ[40]、試合の観衆は当初50,994人[41]と発表されていたが、無料チケットで招待されたスポンサーやメディア関係者を含む41,843人と訂正された、その内チケット購入者は36,371人で6,359,985ドルのチケット売上げがあり[42]、クロッティは245万ドル[43]、パッキャオは1,500万ドルのファイトマネーを獲得した[40]

スーパーウェルター級[編集]

パッキャオvsマルガリート[編集]

2010年11月13日、カウボーイズ・スタジアムでWBC世界スーパーウェルター級王座決定戦が行われ、アントニオ・マルガリート(メキシコ)と対戦。試合はスーパーウェルター級の規定体重154ポンドを4ポンド下回る150ポンドのキャッチウェイトで行なわれた。当初、試合の開催予定地はネバダ州ラスベガス及びカリフォルニア州で検討されていたが、マルガリートが不正石膏バンテージ問題を理由にボクサーライセンス交付を拒否されてしまう。そのためライセンス交付が許可されたテキサス州での開催となった[44]。試合前には5月の下院選挙に当選して以来、国会議員としての仕事が多忙となり、練習に集中できていないパッキャオの様子が報道されていた[45]。両選手の体格差が注目された試合でもあった、試合前日の計量時でパッキャオの144.6ポンドに対しマルガリートは150ポンドで5.4ポンドの差、試合当日にはさらに差が広がりパッキャオの148ポンドに対しマルガリートは165ポンドと17ポンド(約8kg)もの体重差があった[46]、身長もパッキャオの168cmに対してマルガリートは180cmで12cm差[46]があり、両選手の体格差が大きいため試合前には心配する声も挙がっていた。試合は6Rと8Rに強烈なボディをもらいぐらつく場面があったが、パッキャオは序盤から試合を通してスタミナを切らすことなく圧倒的なスピード差でパンチを打ち続け、終盤にマルガリートをKO寸前に追い込んだ末3-0で12回大差判定勝ちを収め、史上2人目となるメジャー6階級制覇を達成した[47]。ジャッジのスコアは120-108、118-110、119-109で3者共にパッキャオ[48]だった。試合後には、一方的な試合となったのにも関わらず試合を止めなかったレフェリーとマルガリートのセコンドへの批判が噴出した、パッキャオは試合中にパンチを打ちながら何度もレフェリーのロレンス・コールの方を向き「マルガリートの目を見てくれ」、「マルガリートの傷を見てくれ」と試合をストップするよう促していたと話し[46]、「マルガリートは酷い状態だった、レフェリーに試合をストップして欲しかった、彼に一生回復不能なダメージを負わせたく無かった」と話した。フレディ・ローチも「マルガリートのセコンドは最悪だった、彼らが試合をストップしなかったのでマルガリートのボクシングキャリアは恐らくお終いだろう、彼は二度と試合が出来ないかもしれない、余計なパンチをもらい過ぎた」とマルガリートのセコンドが試合をストップしなかったことを批判した[46]。マルガリートの右目はパッキャオのパンチのダメージにより9Rまでにはほぼ塞がっており[46]、試合後記者会見に出席せず救急車で病院へ直行、右目の眼窩底骨折と白内障と診断された、眼窩底骨折は手術で回復したが、白内障は非常に重症で一時は引退も考慮された。その後、2度に渡る人工レンズ挿入手術やレーザー治療を受け一旦は引退の危機を回避したものの、この怪我が原因となりこのあと1試合をして引退した[44][49]。この試合はPPVを115万件売り、6,400万ドルの売上げ[50]、試合の観衆は無料チケットで招待されたスポンサーやメディア関係者を含め40,154人、その内チケット購入者は30,437人で5,404,760ドルのチケット売上げがあり[50]、マルガリートは300万ドル以上、パッキャオは1,500万ドル以上[48]のファイトマネーを獲得した。

また、試合直前のロッカールムでマルガリートのセコンドがマルガリートにHydroxycutを与えようとしていたのをローチの同僚のビリー・キーンが発見、Hydroxycutは禁止成分マオウを含む禁止薬物であったため、ローチはテキサス州ボクシング監査機関へ即時の尿検査実施を訴えた[51]。試合前の公開練習ではマルガリートとブランドン・リオスがフレディ・ローチのパーキンソン病をからかった事が問題[48](映像[映像 1])になるなど試合前後を通していくつかの騒動がみられた。

ウェルター級[編集]

パッキャオvsモズリー[編集]

2011年5月7日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで、1年前にフロイド・メイウェザー・ジュニアと対戦した元3階級制覇王者シェーン・モズリー(アメリカ)とWBO世界ウェルター級王座2度目の防衛戦。3回に得意の左ストレートでダウンを奪った後はモズリーがパッキャオの強打を恐れ逃げ続ける展開となり、3-0の12回大差判定勝ち、ジャッジのスコアは119-108、120-108、120-107で3者共にパッキャオであった[52][53]。10回にモズリーのプッシュでパッキャオがキャンパスへ尻餅をついたのをレフェリーの Kenny Bayless はダウンと誤審をしてしまいダウンカウントを取った[53]、しかし3人のジャッジはそれをダウンと見なさず10回のスコアもパッキャオにつけている、試合後そのシーンのリプレイを見直したKenny Baylessはローチへ謝罪している[53]。またローチは逃げ回るモズリーを追い切れなかった理由としてパッキャオが4回に足を負傷していたことをあげ、「モズリーは生き残ろうとしているだけで試合に勝つ気がなかった、そうなったらボクシングの辞め時だ」とモズリーの試合スタイルを批判している[53]。両選手が試合で放ったパンチ数はパッキャオの522発に対してモズリーは260発であった[53]。この試合でモズリーは500万ドル、パッキャオは2000万ドルのファイトマネーを獲得した[54]

パッキャオvsマルケス 第3戦[編集]

2011年11月12日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナでのWBO世界ウェルター級王座3度目の防衛戦、過去に接戦の末に1勝1分となっているWBA世界ライト級スーパー王者でWBO世界ライト級王者のファン・マヌエル・マルケスと144ポンド契約のキャッチウェイトで対戦。試合前の予想は、過去2戦は接戦だったものの、それ以降パッキャオが強豪相手にライト級からスーパーウェルター級までを制覇しているのに対して、マルケスはライト級を主戦場にしておりスーパーライト級以上の階級での試合経験は一度しかなく、その時もメイウェザーに一方的に敗れており、また年齢も38歳であったことなどから、パッキャオ圧倒的有利の下馬評であった。オッズもパッキャオが1対7[55]で有利と予想されていた。試合はマルケスの巧みなカウンターに大苦戦を強いられ、5回と9回に激しく打ち合う場面が見られたがお互い最後までダウンのない接戦の末、2-0(114-114、115-113、116-112)の僅差判定勝ちでパッキャオが辛くも王座防衛を果たした。しかし、判定が告げられると会場の観客からブーイングが起こり、リングへビンが投げられるなど判定に不満の声が多くあがり[55]、この試合を生中継したHBOの解説者も採点を116-112とつけマルケスの勝利を支持した[56]リングマガジン公式ウェブサイトの統計でも、リングサイドに陣取った20人のメジャー媒体の記者のうち12人がマルケス勝利、ドローが7人、パッキャオ勝利と付けたのはBoxing Digestの記者一人だけであった[57]。さらにリングサイドで見ていたフィリピン人ボクシングライターも「僅差ながらパッキャオの負けだった」と発言した[58]デイリーニューズの記者も116-112でマルケスの勝ちと採点し、「盲目なジャッジ或いは不正をしたジャッジによってマルケスの勝ちが盗まれた」と判定を批判した[59]。なお、試合を通しての当てたパンチの数は、マルケスが436発中138発命中、パッキャオは578発中176発命中とパッキャオが上回っている、また強打の数でも僅差ながらパッキャオが上回っており[55]、ESPNのマイケル・ウッズはパッキャオの勝利を支持している[60]。試合後マルケスは「対戦相手と一緒に3人のジャッジとも戦わなければならなかったのは厳しかった」と語っている[55]。この試合でマルケスは500万ドル、パッキャオは2200万ドルのファイトマネーを獲得した[55]。この試合は年末にリング・マガジン読者の投票により『年間最高”盗まれた”試合』に選ばれている[61]

パッキャオvsブラッドリー 第1戦[編集]

2012年6月9日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにて、WBO世界ウェルター級王座4度目の防衛戦で1階級下のWBO世界スーパーライト級王者ティモシー・ブラッドリー(アメリカ)の挑戦を受けた。試合前のオッズは1対5でパッキャオ有利と出ていた[62]。序盤はパンチのヒット率で上回るパッキャオが優勢に試合を進め、左ストレートを時折クリーンヒットさせるが決定的なダメージを与えられず試合終盤にはスタミナが切れ失速した。一方のブラッドリーも巧みなディフェンスを披露するものの、決定打を打てないまま試合を終えた。試合を通してのパンチの統計は、パッキャオが751発のパンチを放ち253発命中(ヒット率34%)、ブラッドリーが839発のパンチを放ち159発明中(ヒット率19%)、強いパンチの比較はパッキャオの190発に対してブラッドリーは108発であった[63]。試合結果は115-113でジャッジ1人がパッキャオを支持、113-115でジャッジ2人がブラッドリー支持[63]、1-2でパッキャオの12回僅差判定負けとなった。判定が告げられた瞬間、場内に大ブーイングが発生した、この不可解な判定に対する批判は多く、「ボクシング史上最悪な判定の一つ」と評する声もあり[64]、多くのボクシング関係媒体はパッキャオの大差~中差判定勝ちとスコアをつけた( スコアカード)。両者のプロモーターであるトップランク社のボブ・アラムは「ブラッドリーは讃えたいが、ボクシングに関わってこんな恥ずかしい思いをしたのは初めてだ。ジャッジは採点の仕方を知らないとしか言いようがない」[65]「今日の試合は接戦ではない(明白なパッキャオの勝ちだった)」と激怒した[66]。試合を放送したHBOの非公式ジャッジを務めたハロルド・レーダーマンとリングサイドに座ったESPN.comの記者はともに119-110でパッキャオの勝ちと採点。ブラッドリーのマネージャーであるキャメロン・ダンキンですらも116-112でパッキャオ勝利とつけ、リング上で採点が発表される前にブラッドリー本人からも「精一杯やったけど勝てなかった」[65]と告げられたとアラムは報道陣に話した。(しかし、この報道を見たブラッドリーは「絶対にそんなことは言わなかった、自分が勝ったと思ったのに、勝てなかったなんて言うわけ無いだろう」とアラムの話を否定[67]。キャメロン・ダンキンも「このような事は絶対に発言していない、僅差だが115-113でブラッドリーが勝っていた」と激怒してアラムに猛抗議した[68])なお、ブラッドリーが勝利した場合、11月10日に再戦を行うことが事前に契約で結ばれていたこともあり、ブラッドリーは試合前の記者会見において再戦をアピールするするために「俺が今回の試合で勝つことは間違いないから、もう第2戦に備えてこれを作ったよ」と言って「11月10日 会場: MGMグランド・ガーデン・アリーナ ブラッドリーvsパッキャオ 第2戦」と書かれた宣伝ポスターを独自に作成、さらに独自に作成した第2戦のリングサイド特大チケットを妻にプレゼントするなどのパフォーマンスを行っていた[69]。ライバルのフロイド・メイウェザーが6月1日に暴行罪で収監されたこともあり、パッキャオの今後の相手候補が枯渇し始めていたなかでこの試合を迎えたため、ESPN解説者のテディ・アトラスは「再戦をビッグビジネスとするために、ジャッジの誤り以外に別の意思が働いたのではあるまいか」とまで語っている[70]。ブラッドリーは試合後の記者会見に車イスで現れ、2ラウンドにレフェリーのロバート・バートの足を踏んだとき足首を負傷したと語っていたが[62]、その後レントゲン撮影で右足をねんざ、左足は骨折していたことが判明している[71]

2012年6月13日、WBOは9日のWBO世界ウェルター級王座の防衛戦でブラッドリーの2-1の判定勝ちとした判定について精査を行うと明らかにした[72]。WBOの国際ジャッジ5人によるビデオ検証の結果、5人全員がパッキャオ勝利を支持。しかし判定を覆すことはできないとして再戦を促した[73]

パッキャオvsマルケス 第4戦[編集]

2012年12月8日、MGMグランド・ガーデン・アリーナにて、ウェルター級契約で1階級下のWBO世界スーパーライト級王者ファン・マヌエル・マルケスと4度目の対戦。WBOはこの試合の勝者に特別なチャンピオンベルト「Champion of the Decade(過去10年間で最高の世界王者)」を授与することを発表した[74]、WBCも ダイヤモンド王座 を授与したいと申し出たが、マルケスは「チャンピオンシップがダイヤモンドであろうがゴールド、シルバーであろうが私にとって重要ではない」とダイヤモンド王座が懸けられることを拒否した[75]。試合は序盤からパッキャオが手数を出し積極的に攻めたが、3回にマルケスの右のロングフックが決まりダウンを取られる。5回には逆にマルケスから左ストレートのカウンターでダウンを奪い、そこから両者激しい打撃戦に突入。徐々にパッキャオがペースをつかみ始めるが、6回終了間際、マルケスの強烈なカウンターでダウンし6回2分59秒KO負けとなった。このダウンはパンチを食らった瞬間、前のめりに顔から崩れ落ち失神し痙攣するという壮絶なもので、それを目の当たりにした妻がショックのあまり取り乱して泣き叫ぶ姿が画面に映し出された。試合終了時のジャッジのスコアは47-46で3者共にパッキャオであった[76]。試合後、パッキャオは「私の不注意だった、マルケスは簡単な相手ではなかった」と語り[76]、試合から半年ほどたったインタビューでは「試合は私が支配していた、あれは単なるラッキーパンチだ」と答えた[77]。フレディ・ローチは最後の場面を、パッキャオがマルケスの足を誤って踏んでしまい、マルケスが足を引き抜いたためパッキャオがバランスを崩し、マルケスの右ストレートをモロに喰らうタイミングになってしまったと語っている[78]。この試合でマルケスは600万ドル、パッキャオは2600万ドルのファイトマネーを獲得[76]、フィリピンでのテレビ視聴率は37.8%[79]であった。

フィリピンへ帰国後、テレビ取材の時にパッキャオの手が震えていたことを理由に、フィリピンの医師からパーキンソン病の初期症状が見られると進言された[80]。その後パッキャオ陣営の抗議を受け、医師は見解が間違っている可能性もあると訂正した[81]。フレディ・ローチはこの件について、自身がパンチのダメージでパーキンソン病を患ってしまった経験から、パッキャオがトレーニングに復帰した際には、病気の初期症状が見られないか、特にフットーワーク時の足の震えについて注視したいとした[81]

この試合はマルケスのドーピング薬物使用が疑われた試合でもあった。昨今のスポーツ界及びボクシング界に蔓延するドーピング問題を背景に、試合前から、マルケスの39歳にして破格なほどビルドアップされた体、元ステロイドの売人であるアンヘル・ギレルモ・ヘレディアを陣営に迎えたことなどに疑惑の目が向けられ、試合後もマルケス勝利を称える報道と同等かそれ以上にマルケスのドーピング薬物使用疑惑がメジャーなマスメディア媒体等で報道された[82]。その後、両選手は共にネバダ州のドーピング薬物検査をクリアしたが[83]、プロモーターのボブ・アラムはパッキャオvsマルケスⅤが行われる場合、今回より厳しい抜き打ちによるドーピング薬物検査を 行いたい意向を示した[84]

パッキャオvsリオス[編集]

2013年11月23日、マカオザ・ベネチアン・マカオ内、コタイ・アリーナに観客13,101人を動員[85]してウェルター級契約で、元WBA世界ライト級王者のブランドン・リオスと対戦。 パッキャオがアメリカ国外で試合をするのは2006年以来7年ぶりとなるが、その大きな理由の1つとして、2013年初頭にアメリカで試合をする外国人選手に対しての税率が35%から39.6%へ引き上げられた事をあげた[86]。また34歳になったパッキャオの消耗を心配したフレディ・ローチは、1週間のトレーニング日を6日から5日に減らして試合に臨んだ[87]。アメリカの時間に合わせてスケジュールが組まれたことでPPVカードの第一試合はマカオ時間の朝10時に開始され[88]、試合は3-0(120-108、119-109、118-110)の大差判定勝ちを収め[89]、WBOが新たに設置したWBOインターナショナルウェルター級王座獲得に成功した。この試合でパッキャオに1100万ドルのファイトマネーとMPプロモーションに700万ドルが支払われた[90]

乱闘騒動[編集]

試合3日前の水曜日に起きたセコンド同士による乱闘騒動。試合開催地のマカオには練習場所が一ヶ所しかなく、パッキャオとリオスは同じ場所で練習していた。乱闘騒動があった当日、午前9時から午前11時までがリオスの練習時間に割り当てられており、午前11時から午後1時まではパッキャオの練習時間に割り当てられていた。パッキャオのトレーナーであるフレディ・ローチが午前11時に練習場所に到着すると、リオスはまだ練習をしており、リオスのトレーナーのロベルト・ガルシアはリングに腰をかけマスコミから取材を受けていた。ローチは練習場からすぐに出て行くようガルシアに求めるが、ガルシアは3分待って欲しいと返答、これに怒ったローチがいきなり汚い言葉を使ってしまったことで乱闘騒動に発展した。ローチと個人的ないざこざがあり、今回の試合前にパッキャオチームを解雇され[91]リオスチームへ移籍していたコンディションコーチのアレックス・アリーザはローチと口論になり、パーキンソン病を患うローチに「どもり野郎」や同性愛者差別用語を使って罵り、ローチの胸に蹴りを見舞った。ローチはリオスチームのアシスタントトレーナーであるドナルド・レアリーに向かってメキシコ人差別用語を浴びせ、レアリーが思わず殴りかかってしまうほど激怒させた。ローチは過去に確執があり現場に居合わせたレポーターに対してもユダヤ人差別用語を使っている[92](映像[映像 2][映像 3])。パッキャオがマルガリートと試合をしたとき、リオスがローチのパーキンソン病を馬鹿にするようなモノマネをし、それを見てロベルト・ガルシアが笑っていた事をローチが根に持っていたことが今回の騒動につながったと伝えられた[93]

パッキャオvsブラッドリー 第2戦[編集]

2014年4月12日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでWBO世界ウェルター級王者ティモシー・ブラッドリーと第2戦目となるリマッチを行い、3-0(118-110、116-112が2者)の判定勝ちを収め2年振りの王座返り咲きに成功した[94]。試合後、ブラッドリーは2ラウンドにふくらはぎを痛めたことで、足を止めて一か八か強打を振るうしかなかったことを明かした[95]。また、2009年にミゲール・コットを倒して以来、8試合KO・TKO勝利から遠ざかっているパッキャオはスーパーライト級へ階級を下げることを示唆した[96]

パッキャオvsアルギエリ[編集]

2014年11月22日、ザ・ベネチアン・マカオ内、コタイ・アリーナでWBO世界スーパーライト級王者クリス・アルギエリと対戦する予定[97]

プロモーターとして[編集]

現役トップボクサーとして活躍する一方で、自らもボクシングプロモーターとしてMPプロモーションを設立。自身が選手としてプロモート契約しているボブ・アラム率いるトップランク社と提携して、有望なフィリピン人ボクサーを自分の興行に出場させている。

戦績[編集]

  • アマチュアボクシング:64戦 60勝 4敗
  • プロボクシング:63戦 56勝 (38KO) 5敗 2分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1995年1月22日 4R 判定 ティティング・イグナシオ フィリピンの旗 フィリピン プロデビュー戦
2 1995年3月18日 4R 判定 ピノイ・モンテジョ フィリピンの旗 フィリピン --
3 1995年5月1日 6R 判定 ロッキー・パルマ フィリピンの旗 フィリピン --
4 1995年7月1日 2R TKO デール・ダシアート フィリピンの旗 フィリピン --
5 1995年8月3日 6R 判定 フラッシュ・シンバジョン フィリピンの旗 フィリピン --
6 1995年9月16日 3R KO アルマン・ロルシ フィリピンの旗 フィリピン --
7 1995年10月7日 8R 判定 ロリト・ラロア フィリピンの旗 フィリピン --
8 1995年10月21日 2R TKO レナト・メンドネス フィリピンの旗 フィリピン --
9 1995年11月11日 3R TKO ロドルフォ・フェルナンデス フィリピンの旗 フィリピン --
10 1995年12月9日 10R 判定 ローランド・ツユゴン フィリピンの旗 フィリピン --
11 1996年1月13日 5R TKO リト・トレホス フィリピンの旗 フィリピン --
12 1996年2月9日 3R KO ルスティコ・トーレカンポ フィリピンの旗 フィリピン --
13 1996年4月27日 10R 判定 マーロン・カリーリョ フィリピンの旗 フィリピン --
14 1996年5月20日 4R TKO ジョン・メディナ フィリピンの旗 フィリピン --
15 1996年6月15日 4R TKO バート・バティラー フィリピンの旗 フィリピン --
16 1996年7月27日 2R TKO イッポ・ガラ インドネシアの旗 インドネシア --
17 1996年12月28日 2R TKO イ・サンユル 韓国の旗 韓国 --
18 1997年3月8日 1R KO マイケル・ルナ フィリピンの旗 フィリピン --
19 1997年4月24日 1R KO 李旭基 韓国の旗 韓国 --
20 1997年5月30日 6R TKO アリエル・オーストリア フィリピンの旗 フィリピン --
21 1997年6月26日 5R KO チョクチャイ・チョクビワット タイ王国の旗 タイ OPBFフライ級タイトルマッチ
22 1997年9月13日 10R 判定 メルビン・マグラモ フィリピンの旗 フィリピン --
23 1997年12月6日 1R 1:38 KO タノンディ・シンワンチャー タイ王国の旗 タイ OPBF防衛1
24 1998年5月18日 1R 2:59 TKO 寺尾新 日本の旗 日本(八王子中屋) --
25 1998年12月4日 8R TKO チャチャイ・ダッチボーイジム タイ王国の旗 タイ WBC世界フライ級王座タイトルマッチ
26 1999年2月20日 3R TKO トッド・マケリン オーストラリアの旗 オーストラリア --
27 1999年4月24日 4R 2:45 KO ガブリエル・ミラ メキシコの旗 メキシコ WBC防衛1
28 1999年9月17日 3R 1:32 KO メッドグン・3Kバッテリー タイ王国の旗 タイ WBC世界フライ級王座陥落
29 1999年12月18日 2R TKO レイナンテ・ハミリ フィリピンの旗 フィリピン WBCインターナショナルスーパーバンタム級王座決定戦
30 2000年3月4日 4R KO アーネリル・バロテリオ フィリピンの旗 フィリピン WBCインターナショナル防衛1
31 2000年6月28日 1R TKO 蔡昇坤 韓国の旗 韓国 WBCインターナショナル防衛2
32 2000年10月14日 10R 2:00 TKO ナデル・フセイン オーストラリアの旗 オーストラリア WBCインターナショナル防衛3
33 2001年2月24日 5R TKO 千里馬哲虎 日本の旗 日本(千里馬神戸ジム) WBCインターナショナル防衛4
34 2001年4月28日 6R KO ウェタヤ・サクムアンクラン タイ王国の旗 タイ WBCインターナショナル防衛5
35 2001年6月23日 6R 0:59 TKO レーロホノロ・レドワバ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 IBF世界スーパーバンタム級タイトルマッチ/2階級制覇
36 2001年11月10日 6R 1:12 負傷判定1-1 アガピト・サンチェス ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国 IBF・WBO世界スーパーバンタム級王座統一戦/IBF防衛1
37 2002年6月8日 2R 1:09 TKO ホルヘ・エリセール・フリオ コロンビアの旗 コロンビア IBF防衛2
38 2002年10月26日 1R 2:46 TKO ファーブラコム・ラキットジム タイ王国の旗 タイ IBF防衛3
39 2003年3月15日 5R 1:52 TKO エリクザーン・イェシュマンベトフ カザフスタンの旗 カザフスタン --
40 2003年7月26日 3R 0:48 KO エマヌエル・ルセロ メキシコの旗 メキシコ IBF防衛4
41 2003年11月15日 11R 2:56 TKO マルコ・アントニオ・バレラ メキシコの旗 メキシコ リングマガジン認定・世界フェザー級タイトルマッチ
42 2004年5月8日 12R 判定1-1 ファン・マヌエル・マルケス メキシコの旗 メキシコ WBAIBF世界フェザー級タイトルマッチ
43 2004年12月11日 4R 1:26 TKO ファーサン・3Kバッテリー タイ王国の旗 タイ IBF世界フェザー級挑戦者決定戦
44 2005年3月19日 12R 判定0-3 エリック・モラレス メキシコの旗 メキシコ WBCインターナショナル・IBA世界スーパーフェザー級王座決定戦
45 2005年9月10日 6R 2:59 TKO ヘクトール・ベラスケス メキシコの旗 メキシコ WBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦
46 2006年1月21日 10R 2:33 TKO エリック・モラレス メキシコの旗 メキシコ WBCインターナショナル防衛1
47 2006年7月2日 12R 判定3-0 オスカー・ラリオス メキシコの旗 メキシコ WBCインターナショナル防衛2
48 2006年11月18日 3R 2:57 TKO エリック・モラレス メキシコの旗 メキシコ WBCインターナショナル防衛3
49 2007年4月14日 8R 1:16 KO ホルヘ・ソリス メキシコの旗 メキシコ WBCインターナショナル防衛4
50 2007年10月6日 12R 判定3-0 マルコ・アントニオ・バレラ メキシコの旗 メキシコ WBCインターナショナル防衛5
51 2008年3月15日 12R 判定2-1 ファン・マヌエル・マルケス メキシコの旗 メキシコ WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチ/3階級制覇、リングマガジン認定・世界スーパーフェザー級王座決定戦
52 2008年6月29日 9R 2:24 KO デビッド・ディアス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBC世界ライト級タイトルマッチ/4階級制覇
53 2008年12月6日 8R 3:00 TKO オスカー・デ・ラ・ホーヤ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 --
54 2009年5月2日 2R 2:59 KO リッキー・ハットン イギリスの旗 イギリス IBOリングマガジン認定・世界スーパーライト級タイトルマッチ
55 2009年11月14日 12R 0:59 TKO ミゲール・コット プエルトリコの旗 プエルトリコ WBO世界ウェルター級タイトルマッチ/5階級制覇
56 2010年3月13日 12R 判定3-0 ジョシュア・クロッティ ガーナの旗 ガーナ WBO防衛1
57 2010年11月13日 12R 判定3-0 アントニオ・マルガリート メキシコの旗 メキシコ WBC世界スーパーウェルター級王座決定戦/6階級制覇
58 2011年5月8日 12R 判定3-0 シェーン・モズリー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBO世界ウェルター級王座防衛2
59 2011年11月12日 12R 判定2-0 ファン・マヌエル・マルケス メキシコの旗 メキシコ WBO世界ウェルター級王座防衛3
60 2012年6月9日 12R 判定1-2 ティモシー・ブラッドリー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBO世界ウェルター級王座陥落
61 2012年12月8日 6R 2:59 KO ファン・マヌエル・マルケス メキシコの旗 メキシコ --
62 2013年11月23日 12R 判定3-0 ブランドン・リオス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBOインターナショナルウェルター級王座決定戦
63 2014年4月12日 12R 判定3-0 ティモシー・ブラッドリー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBO世界ウェルター級タイトルマッチ
64 2014年11月22日 - - - クリス・アルギエリ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 試合前

獲得タイトル[編集]

<メジャー団体世界王座>

<地域王座>

  • 第26代OPBFフライ級王座(防衛1=返上)

<マイナー団体世界王座>

<備考>

  • WBCダイヤモンド王座
  • WBCインターナショナルスーパーバンタム王座(防衛5)
  • WBCインターナショナルスーパーフェザー級王座(防衛5)
  • WBOインターナショナルウェルター級王座

幻のパッキャオvsメイウェザー[編集]

期待されながらドーピング検査方法や収益の分配方法で対立し実現に至っていないマニー・パッキャオvsフロイド・メイウェザー・ジュニアの経緯。

2009年12月4日、パッキャオvsメイウェザーについて微調整が必要でまだ契約書にサインはされていないが原則合意に達したと報道がある。メイウェザーと交渉していたボブ・アラムが『試合日は2010年3月13日で、ファイトマネーはそれぞれ最大で5000万ドル。ルイジアナ・スーパードーム、カウボーイズ・スタジアム、MGMグランド・ガーデン・アリーナ、ウィン・カジノの近くに建設予定の3万席のスタジアムなど複数の会場が候補に上がっている』等の具体的な詳細をマニラでパッキャオに説明し、パッキャオが地元テレビ局のGMATVで「3月13日で問題ない」と話したことが報じられる[98]

2009年12月25日、パッキャオのドーピング薬物使用を疑うメイウェザーがオリンピック水準のドーピング検査機関USADAによる抜き打ちドーピング薬物検査を要望するが、パッキャオは試合日に近い採血は体調を悪くする可能性があるとして試合前30日以内の採血を拒否。トレーナーのフレディ・ローチは試合前7日以内の採血は受け入れられないコメントした。この点が唯一の障害となり交渉が決裂、アラムが「It's over」と3月に向けての交渉は終了宣言をした[99]。メイウェザーの言い分:ネバダ州管轄の試合直前と試合後の尿検査だけではヒト成長ホルモンのような検出できないドーピング薬物があるので抜き打ちの血液検査が必要である[99]。パッキャオの言い分:USADAは(アメリカの検査機関なので)メイウェザー寄りの検査機関である。血液検査は受け入れるが試合直前の採血は体調に悪影響を及ぼすことが有りえるので試合前30日以内の採血は拒否する、ただし尿の抜き打ち検査はいつでも受け入れる[99][100]

2010年1月7日、両陣営はこの問題を解決するため元裁判官の調停で話し合うことになり、血液検査の期間をメイウェザーは14日前、パッキャオは24日前とお互い歩み寄りを見せるがこれ以上は妥協することできず再び交渉が決裂した[101]、ボブ・アラムは再び「試合は無くなった」と交渉終了宣言を出した[102]。 メイウェザーがパッキャオはドーピング薬物を使用していると繰り返し発言したため、パッキャオは名誉毀損で損害賠償請求を求めメイウェザー、メイウェザーの父親、メイウェザーの叔父、オスカー・デ・ラ・ホーヤらを訴えた[103]

クロッティに勝利後、パッキャオvsメイウェザーの交渉が再開される。アラムが2010年11月13日にMGMグランド・ガーデン・アリーナとカウボーイズ・スタジアムを仮予約。アラムは交渉をスムーズに進めるために、障壁となっているメイウェザーへの訴訟をパッキャオが取り下げる事、パッキャオへの血液検査要求をメイウェザーが断念する事を希望した[104]

2010年6月30日、アラムがパッキャオが試合当日までの血液検査に同意したこと及びメイウェザーが試合を行う条件として要請していた4000万ドル以上のファイトマネーを確保できたことで全ての問題が解決し、両陣営のマネージメントも試合を行うことに同意したので、あとはメイウェザー本人が契約書にサインをすれば契約が完了することを発表した。「11月13日に向け準備をしているが試合が実現するかについてはメイウェザーがこの試合を本当にやりたいかどうかに懸かっている。我々としてはいつまでも待つつもりはない、7月中旬までにどうするのか決めて欲しい。」としてメイウェザーに試合契約書にサインをするまでの猶予期間として7月15日までの2週間を与えた[105][106]

2010年7月15日、アラムはパッキャオ陣営がメイウェザーが試合の契約書にサインをするまでの期日を金曜日深夜まで延長したことを発表。同時にトップランク社のウェブサイトに金曜日深夜12時まで時を刻む『”マネー”タイム:メイウェザーの決断』と題されたカウントダウン時計が設置される[107]

2010年7月17日、アラムがメイウェザー陣営から何も返答がなかったこと及び11月13日にメイウェザーとの対戦が完全に無くなったことを発表。

2010年7月19日、メイウェザー陣営のトップであるレナード・エラーブがパッキャオvsメイウェザーの交渉が行われていたこと自体を否定、アラムはマスコミに嘘を付いているとした[108][109]。アラムはこれに対して、交渉があったからこの件に関しての報道規制を敷いていたんだと反論、同様に交渉があったことを否定していたゴールデンボーイプロモーションズのリチャード・シェファーとオスカー・デ・ラ・ホーヤを、デ・ラ・ホーヤが以前「試合の契約は本当に締結間近だよ」と発言していたことを引用して非難した。デ・ラ・ホーヤこのアラムの指摘に対して、パッキャオvsメイウェザーについて何度も同じ質問をされて飽き飽きして嫌気が差していたので、その時にそう発言してしまったのだと思うと話した上で、あらためて「交渉は終わっていた、交渉は無かった」とコメントした[110]

2010年7月26日、これまでコメントを求められても沈黙を守っていたHBOスポーツ社長(当時)ロス・グリーンバーグが「この試合が2010年に行われないのは嘆かわしいことです。私は5月2日から両陣営の代表者と慎重にこの試合をまとめようと交渉を重ねていました。上手くいけば、いつの日かこの試合は実現するでしょう。」と交渉があったことを認める声明を発表した[111]。この一連の騒動の後、メイウェザーはインタビューで60日前に試合をしたばかりなので現在は休息中であり何も急ぐ必要はないし今のところボクシングについて考えられないと話した[112]

2011年7月8日、騒動から約一年後、パッキャオ陣営の最高顧問マイケル・コンツが実際にはパッキャオは14日前までの血液検査に同意したのであって試合当日までの血液検査には同意していなかったことを認めた[113]

2012年1月19日、メイウェザーがパッキャオに直接電話をかけて「ファイトマネーを40万ドル用意するので試合をやろう」と提案するが、パッキャオは40万ドルでは足りない公平な50%-50%の分配でなければ対戦したくないとメイウェザーの提案を断る[114]

2013年2月、メイウェザーがアメリカのテレビ局ショウタイムと6試合の独占契約を締結。メイウェザーが、パッキャオと関係の深いテレビ局のHBOとライバル関係にあるショウタイムと契約を締結したことに加えて、両者のプロモーターであるトップランク社とゴールデンボーイプロモーションズが”冷戦”と呼ばれる深刻な対立関係に陥ったことで、より一層対戦実現が困難となった[115]

2013年11月、パッキャオが期間限定無しの抜き打ちドーピング薬物検査に始めて同意した。これはパッキャオvsリオスにおいて検査団体のVADAにより実施されたもので、フィリピンのキャンプ中に2回、マカオ入りしてから試合4日前に1回の合計3回抜き打ちドーピング薬物検査が実施されたことが確認されている[116]。これによりパッキャオvsメイウェザー実現に向けて大きな障害となっていた抜き打ちドーピング薬物検査の実施についてはクリアされたことになった。

2013年12月、メイウェザーが、過去に報酬未払いなどをめぐり裁判沙汰になってから犬猿の中であるボブ・アラムとパッキャオ戦ついて「パッキャオ戦が実現する唯一の道は、パッキャオがボブ・アラムの元を離れることだ。俺はもう2度とアラムと一緒にビジネスをするつもりはない」と断言する[115][117]

2014年5月、パッキャオがトップランク社と2年間の契約延長にサインをする。前述のようにメイウェザーがトップランク社のボブ・アラムと犬猿の仲であることや、両者が所属するテレビ局の関係から、契約延長したことで対戦の実現は非常に困難となった。この件に関して、アメリカYahooスポーツの記者は記事の中で「パッキャオが契約延長のサインをしたことは『パッキャオvsメイウェザーの死亡診断書』にサインをしたようなものだ」と対戦実現の絶望感を表現した[118]

キャンプ中のトレーニングメニュー[編集]

トレーニングは1日3~4時間ほどで、ウェイトトレーニングはフレディ・ローチがスピードが落ちると考えているため滅多に行わない。またスパーリングも健康を害するというローチの考えから、1週間で火曜日、木曜日、土曜日の週3日に抑えられている [119][120]

  • 午前6時からロードワークを約8km(スパーリングがある日は距離が短くなる)[121]
  • ストレングス&コンディショニングコーチの下でフィジカルトレーニング[120]
  • 午前8時までに自宅に戻り朝食を取った後に昼寝[120]
  • 午後1時にジムへ向かい、約3時間のジムワーク[120]
  • シャドーボクシング[121]
  • サンドバッグ:8ラウンド[121]
  • ダブル・エンド・バッグ:3ラウンド[121]
  • 縄跳び:3ラウンド[121]
  • スパーリング:最高6-8ラウンド[121]
  • ジムワークの最後に再びフィジカルトレーニング[120]
  • ジムの近所で昼食を取り自宅へ戻った後は映画を見るなどリラックスして過ごす[120]
  • 夕食を取った後に午後10時には就寝[120]

ペイ・パー・ビュー売上げ[編集]

日付 イベント 売上げ テレビ局
2014年4月12日 マニー・パッキャオ vs. ティモシー・ブラッドリー II 75万件[122] HBO
2013年11月23日 マニー・パッキャオ vs. ブランドン・リオス 47万件[123] HBO
2012年12月8日 マニー・パッキャオ vs. ファン・マヌエル・マルケス IV 98万件[124] HBO
2012年6月9日 マニー・パッキャオ vs. ティモシー・ブラッドリー 89万件[124] HBO
2011年11月8日 マニー・パッキャオ vs. ファン・マヌエル・マルケス III 125万件[124] HBO
2011年5月17日 マニー・パッキャオ vs. シェーン・モズリー 120万件[124] Showtime
2010年11月13日 マニー・パッキャオ vs. アントニオ・マルガリート 115万件[125] HBO
2010年3月13日 マニー・パッキャオ vs. ジョシュア・クロッティ 70万件[124] HBO
2009年11月14日 マニー・パッキャオ vs. ミゲール・コット 125万件[126] HBO
2009年5月2日 マニー・パッキャオ vs. リッキー・ハットン 80万件[124] HBO
2008年12月6日 マニー・パッキャオ vs. オスカー・デ・ラ・ホーヤ 125万件[127] HBO
2008年6月28日 マニー・パッキャオ vs. デビッド・ディアス 20万件[124] HBO
2008年3月15日 マニー・パッキャオ vs. ファン・マヌエル・マルケス II 40.7万件[128] HBO
2007年10月6日 マニー・パッキャオ vs. マルコ・アントニオ・バレラ II 36万件[124] HBO
2007年4月14日 マニー・パッキャオ vs. ホルヘ・ソリス 15万件[124] トップランク社
2006年11月18日 マニー・パッキャオ vs. エリック・モラレス III 36万件[124] HBO
2006年7月2日 マニー・パッキャオ vs. オスカー・ラリオス 12万件[124] トップランク社
2006年1月21日 マニー・パッキャオ vs. エリック・モラレス II 35.5万件 HBO
2005年3月19日 マニー・パッキャオ vs. エリック・モラレス 35万件[124] HBO

主な表彰[編集]

俳優としての経歴[編集]

パッキャオはフィリピンのテレビ局ABS-CBNの番組やフィリピン映画のエキストラとして俳優の経歴をスタートさせた。

2005年12月、初の主演映画「Licensed Fist」[130]が公開。

2008年、主演映画「Son of Commander」が公開、映画評論家に酷評され、商業的にも失敗した。

2009年12月25日、主演を務めたヒーローものコメディ映画「 Wapakman 」が公開、しかし前作同様、商業的には成功しなかった[131]

2012年5月18日、初のハリウッド映画「Brass Knuckles」[132]の撮影に入ることが報道される、パッキャオは悪役を演じ、格闘家の エクトル・エチャバリアリョート・マチダアンデウソン・シウバフランク・ミアらと共演予定[133]

政治家としての経歴[編集]

マニー・パッキャオ
Manny Pacquiao
Manny Pacquiao in Siliman.jpg
2010年8月26日、シリマン大学にて
所属政党 PDPラバン党 (2012–)
自由党(LP)(2007, 2010–12)
国民党 (2009–10)
KAMPI (2008)
PCM(2010–)
公式サイト www.congress.gov.ph

任期 2010年6月30日 -
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2007年の選挙[編集]

2007年2月12日、パッキャオが 2007年5月の統一選挙下院議員選 に自由党の候補者として南コタバト州地区 1区 から立候補することを正式に発表。 アロヨ 政権の支援者として知られていたパッキャオに、地元と中央政府をつなぐ橋渡し役になって欲しいと期待していたジェネラル・サントスの役人に説得された上での立候補だとパッキャオは出馬理由を語っている。しかしパッキャオは現職のDarlene Antonino-Custodioに大差で敗れ、Custodioは「人々はボクシングアイコンのパッキャオを失う準備が出来ていなかったのだと思います」と述べた[134]。敗因について、アロヨ大統領との親密さがかえってマイナスに働き、パッキャオがボクサーでいることを望んだファンがいためだと話す地元の政治通もいた[135]

候補者 得票
Darlene Antonino-Custodio 139,061票(得票率64.49%)
マニー・パッキャオ 75,908票(得票率35.51%)

2008年、KAMPIへ政党を鞍替え。

2010年の選挙[編集]

2009年11月21日、パッキャオは 2010年5月の統一選挙下院議員選 に再び立候補することを発表、今回は自身の政党を立ち上げ国民党と連立を組み、ジンキー夫人の地元 サランガニ州地区 へ鞍替えしての出馬となった[134]

2010年5月13日、経済的にも政治的にも強い基盤を持ち、30年以上この地区の政権を支配していたチオンビアン一族出身のロイ・チオンビアンに圧勝、サランガニ州地区の下院議員となった[136][137]

候補者 得票
マニー・パッキャオ 120,052票(得票率66.35%)
ロイ・チオンビアン 60,899票(得票率33.65%)

2010年6月19日、テレビの対談でベニグノ・アキノ3世の代弁人を務めるエドウィン氏にゼネラル・サントス市サラングガニの低価住宅建設計画を説明、ユニークな計画だとの回答を得たが、アキノ3世の在籍する自由党からパッキャオが離党したことにエドウィン氏は懸念を示した[138]。6月28日、パッキャオは国民党所属として当選していたが、選挙公約の事業を円滑に履行するため国民党を離党して自由党に入党したことを記者会見で発表した[139]

2013年の選挙[編集]

2012年4月16日、 2013年5月の統一選挙 に備え、自由党からPDPラバン党へ鞍替え[140]

2013年5月、対抗馬が出馬せず選挙区唯一の候補者となったパッキャオは2期目の当選を果たした。サランガニ州副知事選に出馬した妻のジンキーも当選を果たしたが、実弟のロヘリオは南コタバト州下院議員選で落選した[141]

候補者 得票
マニー・パッキャオ 144,926票
無効票/反対票 47,085票

2013年10月、兄弟のロヘリオがバランガイ議長として当選、兄弟のボビー・パッキャオが別の地区のバランガイ議員として当選、ボビーの妻のローレライはバランガイ議長として再選を果たした。しかしパッキャオの知名度を頼りに一族を次々に政治家へ転進させている動きに対して批判があがっている[142]

リング・マガジン編集長のナイジェル・コリンズはコラムでパッキャオは2010年の選挙で660万ドル、2013年の選挙で200万ドル以上の選挙対策費用をつかっており、また数多くの市民が常にパッキャオへ助けを求めて殺到しているため、政治活動はパッキャオにとって最も大きい出費の一つになっていると指摘している[141]

低い議会出席日数への批判[編集]

パッキャオは議会への出席率が低いため批判の声がある。2011年は59議会のうち出席日数はわずか27日で欠席日数は32日にもなった、全議員285人中、下から4番目に低い出席率であった[143]。2012年も61議会のうち出席が41日で欠席が20日と下から6番目に低い出席率となった[144]。2013年も69議会のうち出席が38日のみのと下から4番目に低い出席率となった[145]


エピソード・その他[編集]

  • ビリヤードの腕前はプロレベルで、ビリヤード専門誌CUE'S(キューズ)2010年4月号(Vol.128)の表紙にもなっている。自国ではビリヤード店の経営もしている
  • 2008年12月、アティー・アチィエンサ環境天然資源相が2009年度予算の上院審議をすっぽかして、ラスベガスへパッキャオ対デラホーヤの応援に駆けつけた。アチィエンサは「パッキャオ選手の応援は予算と同じくらい重要だ」と答弁をして話題になった[146]
  • 北京オリンピックの開会式では、オリンピック不出場にもかかわらず、フィリピン選手団の旗手を務めた。
  • 弟のボビー・パッキャオもプロボクサー。
  • セレス小林は日本フライ級王者時代に同じクラスのWBC世界王者たるパッキャオとの対戦のオファーが届いたが、パッキャオの試合映像を見たセレスが「こんな怪物に勝てるわけがない」と言って拒否したため、実現しなかった。
  • ミンダナオ島ではフィリピン国軍とイスラーム反政府組織による紛争が起きているが、パッキャオの試合が行われる度に「皆でパッキャオを応援するべきだ」という理由で双方が戦闘を見合わせて、テレビの前でパッキャオを応援していることが話題になった[8][147]
  • バスケットボールが非常に好きであるが、2013年11月23日のブランドン・リオス戦の2ヶ月前にはバスケットーボールのプレイ中に足首を負傷するなど怪我をすることがままある為、トレーナーのフレディ・ローチはパッキャオがバスケットボールをプレイすることに反対している[87]。2014年6月、フィリピンプロバスケットボールリーグの新チーム「KIA」のヘッドコーチに就任したことを発表した[148]
  • 歌手デビューもしている。
  • フィリピンでのニックネームは「Ang Pambansang Kamao(アン・パンバンサン・カマオ)略してBansang Kamao(バンサン・カマオ)」タガログ語Wikipedia 参照[149]。「国の拳」という意味。

トラブル[編集]

2011年頃からパッキャオの飲酒、浮気癖、ギャンブル癖が酷くなり、朝方まで酒を呑み遊び回っては起床が昼過ぎになることが多くなっていった。生活が荒んだのはフィリピンだけではなく、アメリカでの最終キャンプ用に借りていたロサンゼルスのアパートでも、多すぎる取り巻き達が飲酒に喫煙、ギャンブルに喧嘩と大学の男子寄宿舎のような状態で、とても練習に集中できる環境になかった。パッキャオ自身もギャンブルで大金を使い込みボブ・アラムに200万ドルものファイトマネーの前借りを頼み込むありさま。2011年11月のマルケスとの試合当日には、ついにパッキャオの浮気癖に堪忍袋の緒が切れたジンキー夫人がホテルの部屋に立てこもり、会場に来るよう説得しに来たパッキャオと言い争いになってしまう、そのため会場入りが1時間ほど遅れたパッキャオは着替えとフレディー・ローチとのウォームアップを10分ほどで終わらせリングに上がった。試合は無事に勝利したが、このままではいけないと考えたパッキャオは、複数台所有していた携帯電話を全て手放し、パスワードのかけられない携帯電話1台のみの所有にするなど、夫人に今までの許しを請い関係修復に務めた。夫人の勧めで聖書の勉強会へ頻繁に通うようになったパッキャオに心境の変化が現れるようになり、フィリピンに所有していたカジノ、ナイトクラブ、レストラン、ビリヤードバーを売却、ギャンブル用に飼っていた1000羽以上の闘鶏を友人に譲り、サランガニ州にあった広大な飼育農場も売却した。また取り巻きグループからギャンブラーと酒飲みを解雇、ロサンゼルスのアパートでパーティーが開かれる事は無くなった[150][151][152]

税金滞納問題[編集]

2005年4月、アメリカで税金の支払いを任せていた当時のプロモーター、ミュラッド・マホメットが税金を支払っていなかった上に横領していたとして、パッキャオはミュラッド・マホメットをアメリカの裁判所に告訴した[153]

2010年、税金や会計を監査してもらうために会計事務所を雇い入れるがトラブルとなり、報酬649,016ドルが未払いだとして会計事務所からパッキャオが訴えられる。会計事務所の代表は当初は監査は順調に進んでいたが、徐々にボブ・アラムの妨害が入るようになり要求した書類や質問の返答が滞るようになっていった。しかし目を通すことの出来た書類だけでも、不透明な収支が見つかった他に、パッキャオのマネージャーを担当しているマイケル・コンツへ多額の金銭が渡っている事、コンツが利益の反するトップ・ランクのためにも働いていた事が確認できたと証言した[153]

2012年3月7日、フィリピンの内国歳入庁(BIR)は、納税額が2008年の1億ペソ(約2億3千万円)から2009年に700万ペソ(約1600万円)へ激減したパッキャオに納税証明書類の提出を要請、書類の提出を拒否したパッキャオを脱税容疑で告訴した[154]

2013年11月28日、パッキャオが2008年と2009年の税金の支払いを金利を含め22億ペソ(50億円以上)滞納しているとして、フィリピンの内国歳入庁(BIR)はパッキャオが高級住宅地フォルベス・パーク内に所有する豪邸を差し押さえ、パッキャオの銀行22口座のうち、2口座を凍結したことを公表した。パッキャオはその年の税金はアメリカで支払ったと主張したが、内国歳入庁(BIR)はアメリカ国税庁(IRS)が発行する納税証明書の提出することで納税したことを証明するよう要求した[155]

2013年12月、アメリカ国税庁(IRS)がパッキャオがアメリカでも、2008年に2,862,437ドル、2009年に8,022,915ドルを含めた、2006年~2010年の間に総計1830万ドル(19億円以上)以上の税金を滞納していることを公表した[153][156]

日本での活動[編集]

平成24年6月より日本国内にて「一般社団法人マニー・パッキャオワールドスポーツ機構」[157]をスタートさせ自らも理事として参加。 団体はボクシングを通じて日本とフィリピンの人的交流を行うことにより、新たなる雇用の促進をするとともにフィリピン国内の貧困層の自立などの支援も目的としている。

関連項目[編集]

注釈[編集]

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外部リンク[編集]

前王者
チョクチャイ・チョクビワット
第26代OPBF東洋太平洋フライ級王者

1997年6月26日 - 1998年9月(返上)

空位
次タイトル獲得者
メルビン・マグラモ
前王者
チャッチャイ・ダッチボーイジム
第33代WBC世界フライ級王者

1998年12月4日 - 1999年9月17日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
メッドグン・3Kバッテリー
空位
前タイトル保持者
アーマド・ファンディ
第11代WBCインターナショナルスーパーバンタム級王者

1999年12月18日 - 2001年6月(返上)

空位
次タイトル獲得者
ナパーポン・キャッティサクチョーチャイ
前王者
レーロホノロ・レドワバ
第11代IBF世界スーパーバンタム級王者

2001年6月23日 - 2003年(返上)

空位
次タイトル獲得者
イスラエル・バスケス
空位
前タイトル保持者
エリック・モラレス
第20代WBCインターナショナルスーパーフェザー級王者

2005年9月10日 - 2008年4月(返上)

空位
次タイトル獲得者
ユリオルキス・ガンボア
前王者
ファン・マヌエル・マルケス
第28代WBC世界スーパーフェザー級王者

2008年3月15日 - 2008年6月16日(返上)

空位
次タイトル獲得者
ウンベルト・ソト
前王者
デビッド・ディアス
第33代WBC世界ライト級王者

2008年6月28日 - 2009年2月24日(返上)

空位
次タイトル獲得者
エドウィン・バレロ
前王者
ミゲール・コット
第14代WBO世界ウェルター級王者

2009年11月14日 - 2012年6月9日

次王者
ティモシー・ブラッドリー
空位
前タイトル保持者
セルヒオ・マルチネス
第42代WBC世界スーパーウェルター級王者

2010年11月13日 - 2011年2月(返上)

空位
次タイトル獲得者
サウル・アルバレス
前王者
ティモシー・ブラッドリー
第16代WBO世界ウェルター級王者

2014年4月12日 - 現在

次王者
N/A