マニー・パッキャオ
2010年8月26日、フィリピンのシリマン大学にて
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ |
| 通称 | Pacman(パックマン) Fighting Pride of the Philippines Mexican Killer(メキシカン・キラー) The Destroyer People's Champion Pound for Pound King |
| 階級 | ライトフライ級 - スーパーウェルター級 |
| 身長 | 168cm |
| リーチ | 170cm |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1978年12月17日(34歳) |
| 出身地 | フィリピンブキドノン州キバウェ |
| スタイル | サウスポー |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 61 |
| 勝ち | 54 |
| KO勝ち | 38 |
| 敗け | 5 |
| 引き分け | 2 |
マニー・パッキャオ(Manny Pacquiao、1978年12月17日 - )は、フィリピンのプロボクサー、政治家。男性。本名エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ (Emmanuel Dapidran Pacquiao)。ブキドノン州キバウェ出身。パッキアオ、パキャオとも表記される。史上2人目の6階級制覇王者。元WBC世界フライ級王者。元IBF世界スーパーバンタム級王者。元WBC世界スーパーフェザー級王者。元WBC世界ライト級王者。元WBO世界ウェルター級王者。元WBC世界スーパーウェルター級王者。
母国フィリピンでは英雄であり、貧しく治安も悪い祖国を改善するために昔から政界を視野に入れた活動を積極的に行っており[要出典]、2度目の出馬となった2010年の下院選挙では有力候補を抑え初当選、現在もプロボクサーと国会議員の二足の草鞋を履きながら活躍している。
目次 |
概要[編集]
サウスポースタイルからの左ストレートを主武器に数々の豪快なKO勝ちや名勝負、番狂わせの勝利を連発。圧倒的なスピードや超人的スタミナに裏付けされた、極めて好戦的なファイトスタイルが特徴である。
ライトフライ級でデビュー以来、次々と階級を上げながらスーパーウェルター級までの11階級を渡り歩き、その過程で幾多の名王者・名選手を撃破、アジア人初そしてボクシング史上二人目となる史上最多タイ記録のメジャー世界タイトル6階級制覇王者である。 母国フィリピンでは英雄的存在で非常に人気が高く、4階級制覇を達成した2008年6月29日デビッド・ディアス戦のフィリピンでのテレビ視聴率が63.8%を記録[1]、2008年12月6日オスカー・デ・ラ・ホーヤ戦のフィリピンでのテレビ視聴率は45.6%を記録[2]した。 HBOの PPV放送でメインイベントを務めた初のアジア人ボクサーであり、2009年11月14日のミゲール・コット戦でアジア人ボクサー史上最高額となる1試合2,000万ドル以上のファイトマネーを獲得した[3]。
フィリピンの国会議員(下院議員)でもある。
評価[編集]
パッキャオが評価されている最大の理由はメジャー世界タイトル (WBA、WBC、IBF、WBO) 史上2人目である6階級制覇という数字よりも、世界王者の中でも超一流の選手を幾多の階級にわたって撃破(しかも、その多くは圧勝)してきた点にある。近年のボクシング界では、既に人気を確立したスター選手は世界タイトルを返上してでも、他の強豪選手・人気選手とのビッグマッチを優先させることが多くなってきているが、その象徴的な選手がパッキャオである。パッキャオは、ノンタイトル戦でスター選手のマルコ・アントニオ・バレラに完勝してスターダムに伸し上がったことをきっかけに、世界タイトルを獲得することにこだわらなくなり、ビッグマッチを優先してあえて各階級の最強の選手と戦うようになった。つまり、階級やタイトルにこだわらず多くの超一流選手を撃破し続けた過程で、副産物のように「6階級制覇」と言う数字もついてきた形である。
パッキャオは、上述のような経緯を経てフライ級、スーパーバンタム級、スーパーフェザー級、ライト級、ウェルター、スーパーウェルター級で計6階級のメジャー世界タイトルを獲得してきたが、その他にもフェザー級ではバレラ、スーパーライト級ではリッキー・ハットンという、メジャー4団体王座を保持していないながらも世界最強と目された王者に圧勝しているため、これらの2階級を加えて海外メディアでは8階級制覇王者として評価・紹介されることが多い。ただし、ウェルター級世界王座とスーパーウェルター級世界王座を獲得した試合は正規の階級による試合ではなく、プライベート契約としてキャッチウェイトの契約で行われたため、正規の契約体重ではないことから複数階級制覇記録を疑問視する声も日本のボクシング・マガジンやボクシング・ビート誌でも指摘されている。
通常の選手であれば、階級を上げるごとにスピードや相対的なパワーが目減りし、程なくしていわゆる「階級の壁」にぶち当たる。ところが、パッキャオは次々と階級を上げてもスピードや相対的パワーを維持してきた点が極めて特異であり、さらに階級アップを通じて技術的完成度を向上させ続けてきた。
来歴・人物[編集]
1978年12月17日にフィリピン、ミンダナオ島中部のブキドノン州キバウェで母親と2度目の結婚相手との間に6人兄弟の4男として産まれる、一日一食の日もあるほど貧しい野菜農家であった。パッキャオが初等学校6年の時、父親が別の女性と同棲しているのを母親が見つけ両親が離婚[4]、母親が工場のアルバイトや野菜の路上販売で一家の家計を支えるようになる。パッキャオはミンダナオ島南部の南コタバト州ジェネラル・サントスの初等学校を卒業するが貧困のため中等学校を中退[5]、家計を助けるため路上で花やフィリピンのパン「パン・デ・サル」[6]や煙草のバラ売りをしていた。ボクサーとして成功する前は建設作業員として働いていたことがあり[7]、現在はジンキー夫人と結婚、4人の子供がいる。
サウスポースタイルからステップインをして放つ左ストレートが必殺技。また、ハードパンチャーでありながら手数の多さを兼ね備えている。スーパーフェザー級時代まではパワーと勢いを活かした猛烈なラッシュで勝ち続けていたが、ライト級以上の階級に上げてからは右リードジャブ、右フック、巧みなフットワークにも磨きがかかり、さらなる進化を遂げている。
2001年6月23日に王座挑戦者候補だった選手二人が故障で出場を辞退した際、トレーナーのフレディ・ローチに挑戦者に抜擢され、KO勝ちでIBF世界ジュニアフェザー級(現スーパーバンタム級)王座を奪取し、2階級制覇を達成したことが、一試合で2,000万ドル以上を稼ぐボクサーへの大きな一歩となった。また、フィリピン人ボクサーが米国で活躍する契機となり、軽量級のアジア人ボクサーへの注目と評価を高めることにも貢献した。アメリカで名前が売れ始めたばかりだったホルヘ・エリセール・フリオ戦ではマイケル・バッファーに「The Destroyer(破壊者)」というニックネームでコールされた。しかし、その後、コンピュータゲームのパックマンにひっかけて「Pacman(パックマン)」というニックネームが定着した。これは、パッキャオの名前にひっかけていることと、ゲームのキャラクターさながらに大物ボクサー相手に次々と番狂わせの勝利を連発していることから付けられた。さらにパッキャオ本人がこのゲームのファンであり、The Destroyerというニックネームを気に入っていたトップランク社やバッファーを説得してパックマンとコールしてもらうように自ら要望した。[要出典]また、ラテン系のボクサー達を次々と倒したことから「The Mexicutioner(Mexico または Mexican と executioner を合わせた造語。メキシカンを処刑する者の意)」とも呼ばれた[8]。本人は「それは私だからということではない。私の階級にたまたまメキシコ人がたくさんいただけだ。そんなふうに呼ばないで欲しい」とデラホーヤ戦の前日会見でコメントしている[9]。
『タイム』誌の2009年版「The World's Most Influential People(世界で最も影響力のある人物100人)」の「Heroes & Icons(英雄と象徴)」部門に選出され、元世界ヘビー級王者レノックス・ルイスは「パッキャオは世界最高のボクサーで、パウンド・フォー・パウンド最強だ。マニーはいずれフィリピンの大統領になるだろう。」と紹介している。[10]。
パウンド・フォー・パウンド最強候補の最大のライバルであるフロイド・メイウェザー・ジュニアとの夢の対決の実現が期待されている。2010年3月13日と11月13日にメイウェザー戦実現を目指して2度の期間に渡って交渉が行われてきたが、フライ級出身のパッキャオがウェルター級でも全く無駄な脂肪のない引き締まった肉体で大活躍するという前代未聞の快挙に対して「パッキャオはドーピングしているのではないか?」と疑問を抱いたメイウェザー側がパッキャオとの対戦の際に、オリンピックでも行われているWADA方式のランダムな日程で尿検査と血液検査の両方が行われるドーピング検査を実施することを要求した。パッキャオはネバダ州アスレチック・コミッションなどが事前に指定した日付に実施している尿検査で陽性反応が出たことが一度も無いのにドーピング疑惑をかけられたことで一時期は名誉毀損による訴訟問題に発展。最終的にパッキャオは尿と血液の両方の検査、試合直後の検査は受け入れる姿勢だったが、試合前の早い段階での検査は拒否し、メイウェザーが譲歩しなかったため交渉は決裂した[11]。その後、メイウェザーが主張するドーピング検査をパッキャオが受け入れたため試合が実現するかと思われたがメイウェザーは休養を発表したため実現しなかった。2011年のマルケス戦の後にメイウェザーからパッキャオへ5月5日にMGMグランド・ガーデン・アリーナでの挑戦を表明し両者の対戦が決まるかと思われたが、パッキャオ陣営は「パッキャオはマルケス戦でカットしており5月5日の試合は出来ない」と返事をする。またその後カットだけでなく「会場が小さいため興行収入が少なくなり両者のギャラを満足に払えない」とメイウェザーとの試合が出来ない理由を説明した。最終的にはメイウェザーが50-50のギャラ配分を断わったため試合は成立しなかったとパッキャオ陣営は発表した。[要出典]
アマチュアボクサー[編集]
8歳からボクシングのまねごとを始め、週末に広場で開かれる草ボクシングの試合に出場して少額のお金を稼ぐようになる[5]。14歳の時マニラへ出稼ぎに行き本格的にボクシングを始める、しばらくの間は路上で寝泊まりしながらトレーニングを積んでいた[5]、その後フィリピンナショナルアマチュアボクシングチーム入りを果たし政府から住居と食事の保証を受けるようになる。アマチュアボクシングでの戦績は64戦60勝4敗[12]。
プロボクサー[編集]
1995年1月22日、16歳1か月でライトフライ級にてプロデビュー戦、パッキャオは体重がミニマム級の上限体重105ポンドにすら届かない98ポンドしか無かったためポケットに鉄の重りを忍ばせ106ポンドで計量をパスした[13]。
1996年2月9日、12戦目となるルスティコ・トーレカンポ戦でパッキャオは3回KO負けで初敗北を喫する。パッキャオは減量を失敗、体重超過のハンディで重いグローブを着用し試合に挑んでいた[14]。この試合まではライトフライ級からバンタム級の間を行き来して試合を行っていたが、この敗戦以降はフライ級に留まる。
フライ級[編集]
1997年6月26日、21戦目でチョックチャイ・チョクビワット(タイ)からOPBFフライ級王座を5回KOで獲得。パッキャオが獲得した初のタイトルは日本にも馴染みが深いOPBFのタイトルであった。OPBFフライ級王座は1度防衛後返上している。
1998年5月18日、24戦目は東京水道橋の後楽園ホールで八王子中屋ジムの日本ランカー寺尾新とノンタイトル戦を行い1回KOで下している。この試合はパッキャオが日本人と対戦をした唯一の試合で、深夜にテレビ放送され、解説の故白井義男氏は「パンチが重い」と、まだ無名だったパッキャオの実力を評価している。
1998年12月4日、27戦目で初となるメジャー団体世界タイトルへ挑戦、チャッチャイ・ダッチボーイジム(タイ)を8回KOで下しWBC世界フライ級王座を獲得。
1999年9月17日、メッドグン・3Kバッテリー(タイ)戦、WBCフライ級王座2度目の防衛戦になるはずであったが、パッキャオは前日計量で体重を超過、失格で王座を剥奪されてしまう、試合も3回KO負けを喫した。
スーパーバンタム級[編集]
メッドグン・3Kバッテリー戦の敗北後、スーパーバンタム級まで一気に3階級上げ、WBCインターナショナル王座を獲得、これを5度防衛。
2001年6月23日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで行われたオスカー・デ・ラ・ホーヤの試合の前座にて、IBF世界スーパーバンタム級王者レーロホノロ・レドワバ(南アフリカ)と対戦、レドワバから3度ダウンを奪い、6回TKO勝ちで2階級制覇を達成した。この試合は当初、元王者エンリケ・サンチェスがレドワバと対戦予定だったが試合の2週間前に欠場が決まり、急遽代役としてパッキャオにチャンスが巡ってきた試合であった。また、この試合からトレーナー、フレディ・ローチの師事を受けはじめる。同王座を4度防衛。
フェザー級[編集]
パッキャオvsバレラ 第1戦[編集]
2003年11月15日、階級をフェザー級に上げテキサス州サンアントニオのアラモドームにてメキシコのスーパースター、マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)と対戦。下馬評ではバレラが圧倒的に有利だったが、左ストレートを武器にバレラのガードを破り3回と11回にダウンを奪い、11回TKO勝ちでリングマガジン世界フェザー級王者となった。この番狂わせで評価と注目を獲得した。
パッキャオvsマルケス 第1戦[編集]
2004年5月8日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにてWBAフェザー級スーパー王座、IBFフェザー級王座統一王者のファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と対戦。パッキャオは1ラウンドに3度ダウンを奪ったが、1ラウンド以降ダウンのダメージからマルケスが回復、カウンター主体のマルケスに猛反撃を受け、ジャッジ三者三様の12回引き分け判定となった[15]。ジャッジ3人のスコアは、115-110でパッキャオ勝利が1人、115-110でマルケス勝利が1人、113-113で引き分けが1人であった、しかし試合後113-113をつけたジャッジが1ラウンドのスコアを10-6につけるところを誤って10-7とつけてしまったと認めている。もしその113-113をつけたジャッジが他の2人のジャッジと同じように1ラウンドを10-6とつけていた場合、2-1のスプリットデシジョンでパッキャオが勝っていた事になる[15]。試合の観衆は7,129人、マルケスは50万ドルのファイトマネーを獲得した[16]。
スーパーフェザー級[編集]
パッキャオvsモラレス 第1戦[編集]
2005年3月19日、階級をスーパーフェザー級に上げ、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにて元3階級王者エリック・モラレス(メキシコ)と対戦。パッキャオは5回に偶然のバッティングで右目尻をカットしてしまう、その後も善戦するがジャッジ3者共に113-115でモラレスを支持、パッキャオは0-3で12回判定負けを喫する。この試合はPPVを35万件売り、1570万ドルの売上げ[17]、モラレスは275万ドル、パッキャオは175万ドルのファイトマネーを獲得した[18]。
2005年9月10日、ロサンゼルスのステイプルズ・センターにてWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦でヘクトール・ベラスケス(メキシコ)に6回TKOで勝利する。同日同会場で試合をしたエリック・モラレスがザヒール・ラヒームにまさかの12回大差判定負けを喫する。
パッキャオvsモラレス 第2戦[編集]
2006年1月21日、ラスベガスのトーマス&マック・センターにてエリック・モラレスと再戦、10回TKO勝ちでリベンジを果たす。この試合はPPVを36万件売り、1620万ドルの売上げ[17]、モラレスは175万ドル[19]、パッキャオは200万ドルのファイトマネーを獲得した[20]。
2006年7月2日、フィリピン、ケソンのアラネタ・コロシアムでWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座 の防衛戦、この試合のために階級を2階級上げた元スーパーバンタム級王者オスカー・ラリオス(メキシコ)と対戦、2度のダウンを奪ったパッキャオが3-0で12回大差判定勝利。この試合以降パッキャオはアメリカへ主戦場を完全に移したため、この試合がフィリピンでの最後の試合となっている。
パッキャオvsモラレス 第3戦[編集]
2006年11月18日、ラスベガスのトーマス&マック・センターにてエリック・モラレスとのラバーマッチ、終始モラレスを圧倒し続け3回KO勝利、ライバルとの決着をつけた。試合の観衆は18,276人。この試合はPPVを35万件売り、1750万ドルの売上げ[17]、ファイトマネーはモラレスが275万ドル、パッキャオが300万ドルを獲得した[21]。
パッキャオvsバレラ 第2戦[編集]
2007年10月6日、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターにてマルコ・アントニオ・バレラとの再戦で3-0の12回大差判定勝ち。ジャッジのスコアは118-109が2人、115-112が1人。試合前からこの試合で現役引退することを表明していたバレラに引導を渡した(しかしバレラは13か月後に現役復帰).[22]。
パッキャオvsマルケス 第2戦[編集]
2008年3月15日、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターにてファン・マヌエル・マルケスと4年半ぶりに再戦、3回にダウンを奪うがマルケスの猛反撃もあって初対決時を上回る激闘の末、2-1の12回判定勝ち。試合を通じてはマルケスのパンチヒット率が上回るなど非常に僅差の割れた判定となった、ジャッジのスコアは、115-112でパッキャオ勝利が1人、115-112でマルケス勝利が1人、114-113でパッキャオ勝利が1人。パッキャオはWBC・リングマガジン世界スーパーフェザー級王者となり、アジア人として初のメジャー王座3階級制覇を達成した。試合の観衆は11,061人、マルケスは150万ドル、パッキャオは300万ドルのファイトマネーを獲得した[23]。
ライト級[編集]
パッキャオvsディアス[編集]
2008年6月29日、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターにてデビッド・ディアス(米国)と対戦、初回から一方的に攻め続けて9回KO勝利、WBC世界ライト級王座を獲得すると共にアジア人として初のメジャー王座4階級制覇を達成。この試合はPPVを25万件売り、1250万ドルの売上げ[24]、ディアスは85万ドル、パッキャオは300万ドルのファイトマネーをそれぞれ獲得[25]、試合の観衆は8,362人[26]、フィリピンでのテレビ視聴率は63.8%[1]であった。
ウェルター級[編集]
パッキャオvsデ・ラ・ホーヤ[編集]
2008年12月6日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにてオスカー・デ・ラ・ホーヤとウェルター級ノンタイトルマッチで対戦。現役屈指の人気と実力を兼ね備えた選手同士、加えて両者の対格差から実現することは不可能と思われていた対決とあって「The DREAM MATCH(夢の対決)」と銘打たれていたが、ミドル級も制したデラホーヤに対してパッキャオはライトフライ級上がりということもあり、多くのボクシング関係者やファンが「試合自体が無謀で、勝負にならない。デラホーヤが勝つに決まっている」という見解を示し、両者との対戦を希望している近隣階級のボクサー達からは「2人とも大金に目が眩んだから、こんな馬鹿げた試合が決まったんだ」といった批判も多かった。[要出典]しかし、試合が始まると、第1Rからパッキャオが主導権を握り、一方的な攻勢の末に8R終了時TKO勝ちを収めた。パッキャオは1,100万ドル以上のファイトマネーを獲得[27]、フィリピンの視聴率は45.6%[2]を記録した。この試合は2008年のリングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤーに選出された。
2008年末は表彰ラッシュとなり、フィリピンの「 PSA Sportsman of the Year」を受賞。さらにWBC「Boxer of the Year」[28]、Yahoo!スポーツ「Fighter of the Year」[29]、Googleスポーツ部門[要出典]、アメリカ最大の総合スポーツ雑誌スポーツ・イラストレイテッド「Boxer of the Year」[30]を受賞した。
スーパーライト級[編集]
パッキャオvsハットン[編集]
2009年5月2日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにてスーパーライト級現役最強と評価されていたイングランドのスーパースターリッキー・ハットンと対戦。戦前はデラホーヤ戦勝利の勢いがあるパッキャオに期待が高まる一方で、「パッキャオがデラホーヤに勝てたのはデラホーヤが不調だったからだ」という意見に加えて[要出典]、スーパーライト級で全勝を誇るハットンのファイトスタイルがパワーと打たれ強さを活かしたスタイルであるため、下の階級から上げてきたパッキャオが不利と予想する専門家やファンも多かった[要出典]。だが、試合は1Rからパッキャオが2度のダウンを奪い、2R終盤に左のカウンター一撃で痛烈なKO勝ちをし、IBO・リングマガジン世界ライトウェルター級王座を獲得した。パッキャオは1,200万ドルのファイトマネーを獲得[27]。この試合は2009年のリングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーに選出された。
ウェルター級[編集]
パッキャオvsコット[編集]
2009年11月14日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにてプエルトリコのスーパースター、ミゲール・コットの持つWBO世界ウェルター級王座に挑戦、試合はウェルター級の規定体重147ポンドでは無く145ポンドのキャッチウェイトで行われた[31]。この試合の勝者はスーパー王者に昇格することをWBOが試合前から決定していた。[要出典]戦前の予想では、勢いにのるパッキャオが有利という声がある一方で、過去のコットの敗戦は、自分より体格で大きく勝るアントニオ・マルガリートの体格を利したプレッシャーを受け逆転されたのが唯一であり、パッキャオがコットより小さいことに加え、コットの大きな持ち味がディフェンスの鉄壁さであったため、下の階級からきたパッキャオがそう簡単に攻略できる相手ではないという声も多かった[要出典]。試合は、パッキャオが3Rに右フックで、4Rに左アッパーで2度のダウンを奪うとその後は一方的になり、12Rにコットがロープ際に詰められたところでレフェリーが試合をストップした。こうして12RTKO勝ちを収め、WBO世界ウェルター級スーパー王座とWBCが新設したダイヤモンド王座を獲得[32]、5階級制覇を達成した。試合ストップ時点のジャッジのスコアは、109-99、108-99、108-100[33]で3者共にパッキャオだった。この試合はPPVを125万件売り、7,000万ドル[3]の売上げ、試合の観衆は15,930人で8,847,550ドルのチケット売上げがあり、ファイトマネーはコットが1,200万ドル、パッキャオが2,200万ドル[3]を獲得した。
パッキャオvsクロッティ[編集]
2010年3月13日、テキサス州のカウボーイズ・スタジアムにてジョシュア・クロッティ(ガーナ)を相手にWBO世界ウェルター級王座の初防衛戦を行った。この試合でパッキャオは自己最高数となる合計1231発ものパンチを放つが、多くが防御に徹するクロッティの堅いガードに阻まれてしまい、届いたパンチは246発に留まった。クロッティは399発のパンチを放ち108発を命中させた[34]。手数で試合を支配したパッキャオがフルマークが付く12回大差判定勝ち、ジャッジのスコアは120-108、119-109、119-109で3者共にパッキャオであった[35][36]。試合後フィリピンに帰国したパッキャオは引退の可能性を口にした[37]。この試合はPPVを70万件売り、3,520万ドルの売上げ[38]、試合の観衆は当初50,994人[39]と発表されていたが、無料チケットで招待されたスポンサーやメディア関係者を含む41,843人と訂正された、その内チケット購入者は36,371人で6,359,985ドルのチケット売上げがあり[40]、クロッティは245万ドル[41]、パッキャオは1,500万ドルのファイトマネーを獲得した[38]。
スーパーウェルター級[編集]
パッキャオvsマルガリート[編集]
2010年11月13日、カウボーイズ・スタジアムでWBC世界スーパーウェルター級王座決定戦が行われ、アントニオ・マルガリート(メキシコ)と対戦。試合はスーパーウェルター級の規定体重154ポンドを4ポンド下回る150ポンドのキャッチウェイトで行なわれた。当初、試合の開催予定地はネバダ州ラスベガス及びカリフォルニア州で検討されていたが、マルガリートの石膏バンテージ問題を理由にボクサーライセンス交付を拒否されてしまう。そのためライセンス交付が許可されたテキサス州での開催となった[42]。試合前には5月の下院選挙に当選して以来、国会議員としての仕事が多忙となり、練習に集中できていないパッキャオの様子が報道されていた[43]。両選手の体格差が注目された試合でもあった、試合前日の計量時でパッキャオの144.6ポンドに対しマルガリートは150ポンドで5.4ポンドの差、試合当日にはさらに差が広がりパッキャオの148ポンドに対しマルガリートは165ポンドと17ポンド(約8kg)もの体重差があった[44]、身長もパッキャオの168cmに対してマルガリートは180cmで12cm差[44]があり、両選手の体格差が大きいため試合前には心配する声も挙がっていた。試合は6Rと8Rに強烈なボディをもらいぐらつく場面があったが、パッキャオは序盤から試合を通してスタミナを切らすことなく圧倒的なスピード差でパンチを打ち続け、終盤にマルガリートをKO寸前に追い込んだ末3-0で12回大差判定勝ちを収め、史上2人目となるメジャー6階級制覇を達成した[45]。ジャッジのスコアは120-108、118-110、119-109で3者共にパッキャオ[46]だった。試合後には、一方的な試合となったのにも関わらず試合を止めなかったレフェリーとマルガリートのセコンドへの批判が噴出した、パッキャオは試合中にパンチを打ちながら何度もレフェリーのロレンス・コールの方を向き「マルガリートの目を見てくれ」、「マルガリートの傷を見てくれ」と試合をストップするよう促していたと話し[44]、「マルガリートは酷い状態だった、レフェリーに試合をストップして欲しかった、彼に一生回復不能なダメージを負わせたく無かった」と話した。フレディ・ローチも「マルガリートのセコンドは最悪だった、彼らが試合をストップしなかったのでマルガリートのボクシングキャリアは恐らくお終いだろう、彼は二度と試合が出来ないかもしれない、余計なパンチをもらい過ぎた」とマルガリートのセコンドが試合をストップしなかったことを批判した[44]。マルガリートの右目はパッキャオのパンチのダメージにより9Rまでにはほぼ塞がっており[44]、試合後記者会見に出席せず救急車で病院へ直行、右目の眼窩底骨折と白内障と診断された、眼窩底骨折は手術で回復したが、白内障は非常に重症で一時は引退も考慮された。その後、2度に渡る人工レンズ挿入手術やレーザー治療を受け引退の危機を回避した[42][47]。この試合はPPVを115万件売り、6,400万ドルの売上げ[48]、試合の観衆は無料チケットで招待されたスポンサーやメディア関係者を含め40,154人、その内チケット購入者は30,437人で5,404,760ドルのチケット売上げがあり[48]、マルガリートは300万ドル以上、パッキャオは1,500万ドル以上[46]のファイトマネーを獲得した。
また、試合直前のロッカールムでマルガリートのセコンドがマルガリートにHydroxycutを与えようとしていたのをローチの同僚のビリー・キーンが発見、Hydroxycutは禁止成分マオウを含む禁止薬物であったため、ローチはテキサス州ボクシング監査機関へ即時の尿検査実施を訴えた[49]。試合前にはマルガリートがフレディ・ローチのパーキンソン病をからかった事が問題[46]になるなど試合前後を通していくつかの騒動がみられた。
ウェルター級[編集]
パッキャオvsモズリー[編集]
2011年5月7日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで、1年前にフロイド・メイウェザー・ジュニアと対戦した元3階級制覇王者シェーン・モズリー(アメリカ)とWBO世界ウェルター級王座2度目の防衛戦。3回に得意の左ストレートでダウンを奪った後はモズリーがパッキャオの強打を恐れ逃げ続ける展開となり、3-0の12回大差判定勝ち、ジャッジのスコアは119-108、120-108、120-107で3者共にパッキャオであった[50][51]。10回にモズリーのプッシュでパッキャオがキャンパスへ尻餅をついたのをレフェリーの Kenny Bayless はダウンと誤審をしてしまいダウンカウントを取った[51]、しかし3人のジャッジはそれをダウンと見なさず10回のスコアもパッキャオにつけている、試合後そのシーンのリプレイを見直したKenny Baylessはローチへ謝罪している[51]。またローチは逃げ回るモズリーを追い切れなかった理由としてパッキャオが4回に足を負傷していたことをあげ、「モズリーはは生き残ろうとしているだけで試合に勝つ気がなかった、そうなったらボクシングの辞め時だ」とモズリーの試合スタイルを批判している[51]。両選手が試合で放ったパンチ数はパッキャオの522発に対してモズリーは260発であった[51]。この試合でモズリーは500万ドル、パッキャオは2000万ドルのファイトマネーを獲得した[52]。
パッキャオvsマルケス 第3戦[編集]
2011年11月12日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナでのWBO世界ウェルター級王座3度目の防衛戦、過去に接戦の末に1勝1分となっている2階級下のWBA世界ライト級スーパー王座、WBO世界ライト級王座の統一世界王者ファン・マヌエル・マルケスと144ポンド契約のキャッチウェイトで対戦。試合前の予想は、過去2戦は接戦だったものの、それ以降パッキャオが強豪相手にライト級からスーパーウェルター級までを制覇しているのに対して、マルケスはライト級を主戦場にしておりスーパーライト級以上の階級での試合経験は一度しかなく、その時もメイウェザーに一方的に敗れており、また年齢も38歳であったことなどから、パッキャオ圧倒的有利の下馬評であった。オッズもパッキャオが1対7[53]で有利と予想されていた。試合はマルケスの巧みなカウンターに大苦戦を強いられ、5回と9回に激しく打ち合う場面が見られたがお互い最後までダウンのない接戦の末、ジャッジのスコア114-114、115-113、116-112の2-0で辛くもパッキャオが12回僅差判定勝ちで王座防衛を果たした。しかし、判定が告げられると会場の観客からブーイングが起こり、リングへビンが投げられるなど判定に不満の声が多くあがり[53]、この試合を生中継したHBOの解説者も採点を116-112とつけマルケスの勝利を支持した[54]。リングマガジン公式ウェブサイトの統計でも、リングサイドに陣取った20人のメジャー媒体の記者のうち12人がマルケス勝利、ドローが7人、パッキャオ勝利と付けたのはBoxing Digestの記者一人だけであった[55]。さらにリングサイドで見ていたフィリピン人ボクシングライターも「僅差ながらパッキャオの負けだった」と発言した[56]、デイリーニューズの記者も116-112でマルケスの勝ちと採点し、「盲目なジャッジ或いは不正をしたジャッジによってマルケスの勝ちが盗まれた」と判定を批判した[57]。なお、試合を通しての当てたパンチの数は、マルケスが436発中138発命中、パッキャオは578発中176発命中とパッキャオが上回っている、また強打の数でも僅差ながらパッキャオが上回っており[53]、ESPNのマイケル・ウッズはパッキャオの勝利を支持している[58]。試合後マルケスは「対戦相手と一緒に3人のジャッジとも戦わなければならなかったのは厳しかった」と語っている[53]。この試合でマルケスは500万ドル、パッキャオは2200万ドルのファイトマネーを獲得した[53]。
パッキャオvsブラッドリー[編集]
2012年6月9日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナにて、WBO世界ウェルター級王座4度目の防衛戦で1階級下のWBO世界スーパーライト級王者ティモシー・ブラッドリー(アメリカ)の挑戦を受けた。試合前のオッズは1対5でパッキャオ有利と出ていた[59]。序盤はパンチのヒット率で上回るパッキャオが優勢に試合を進め、左ストレートを時折クリーンヒットさせるが決定的なダメージを与えられず試合終盤にはスタミナが切れ失速した。一方のブラッドリーも巧みなディフェンスを披露するものの、決定打を打てないまま試合を終えた。試合を通してのパンチの統計は、パッキャオが751発のパンチを放ち253発命中(ヒット率34%)、ブラッドリーが839発のパンチを放ち159発明中(ヒット率19%)、強いパンチの比較はパッキャオの190発に対してブラッドリーは108発であった[60]。試合結果は115-113でジャッジ1人がパッキャオを支持、113-115でジャッジ2人がブラッドリー支持[60]、1-2でパッキャオの12回僅差判定負けとなった。判定が告げられた瞬間、場内に大ブーイングが発生した、この不可解な判定に対する批判は多く、「ボクシング史上最悪な判定の一つ」と評する声もあり[61]、多くのボクシング関係媒体はパッキャオの大差~中差判定勝ちとスコアをつけた( スコアカード)。両者のプロモーターであるトップランク社のボブ・アラムは「ブラッドリーは讃えたいが、ボクシングに関わってこんな恥ずかしい思いをしたのは初めてだ。ジャッジは採点の仕方を知らないとしか言いようがない」[62]「今日の試合は接戦ではない(明白なパッキャオの勝ちだった)」と激怒した[63]。試合を放送したHBOの非公式ジャッジを務めたハロルド・レーダーマンとリングサイドに座ったESPN.comの記者はともに119-110でパッキャオの勝ちと採点。ブラッドリーのマネージャーであるキャメロン・ダンキンですらも116-112でパッキャオ勝利とつけ、リング上で採点が発表される前にブラッドリー本人からも「精一杯やったけど勝てなかった」[62]と告げられたとアラムは報道陣に話した。(しかし、この報道を見たブラッドリーは「絶対にそんなことは言わなかった、自分が勝ったと思ったのに、勝てなかったなんて言うわけ無いだろう」とアラムの話を否定[64]。キャメロン・ダンキンも「このような事は絶対に発言していない、僅差だが115-113でブラッドリーが勝っていた」と激怒してアラムを猛批判した[65])なお、ブラッドリーが勝利した場合、11月10日に再戦を行うことが事前に契約で結ばれていたこともあり、ブラッドリーは試合前の記者会見において再戦をアピールするするために「俺が今回の試合で勝つことは間違いないから、もう第2戦に備えてこれを作ったよ」と言って「11月10日 会場: MGMグランド・ガーデン・アリーナ ブラッドリーvsパッキャオ 第2戦」と書かれた宣伝ポスターを独自に作成、さらに独自に作成した第2戦のリングサイド特大チケットを妻にプレゼントするなどのパフォーマンスを行っていた[66]。ライバルのフロイド・メイウェザーが6月1日に暴行罪で収監されたこともあり、パッキャオの今後の相手候補が枯渇し始めていたなかでこの試合を迎えたため、ESPN解説者のテディ・アトラスは「再戦をビッグビジネスとするために、ジャッジの誤り以外に別の意思が働いたのではあるまいか」とまで語っている[67]。ブラッドリーは試合後の記者会見に車イスで現れ、2ラウンドにレフェリーのロバート・バートの足を踏んだとき足首を負傷したと語っていたが[59]、その後レントゲン撮影で右足をねんざ、左足は骨折していたことが判明している[68]。試合後のインタビューで両者ともに再戦への意欲を見せていた。
2012年6月13日、WBOは9日のWBO世界ウェルター級王座の防衛戦でブラッドリーの2-1の判定勝ちとした判定について精査を行うと明らかにした[69]。WBOの国際ジャッジ5人によるビデオ検証の結果、5人全員がパッキャオ勝利を支持。しかし判定を覆すことはできないとして再戦を促した[70]。
パッキャオvsマルケス 第4戦[編集]
2012年12月8日、MGMグランド・ガーデン・アリーナにて、ウェルター級契約で1階級下のWBO世界スーパーライト級王者ファン・マヌエル・マルケスと4度目の対戦。WBOはこの試合の勝者に特別なチャンピオンベルト「Champion of the Decade(過去10年間で最高の世界王者)」を授与することを発表した[71]、WBCも ダイヤモンド王座 を授与したいと申し出たが、マルケスは「チャンピオンシップがダイヤモンドであろうがゴールド、シルバーであろうが私にとって重要ではない」とダイヤモンド王座が懸けられることを拒否した[72]。試合は序盤からパッキャオが手数を出し積極的に攻めたが、3回にマルケスの右のロングフックが決まりダウンを取られる。5回には逆にマルケスから左ストレートのカウンターでダウンを奪い、そこから両者激しい打撃戦に突入。徐々にパッキャオがペースをつかみ始めるが、6回終了間際、マルケスの強烈なカウンターでダウンし6回2分59秒KO負けとなった。このダウンはパンチを食らった瞬間、前のめりに顔から崩れ落ち失神し痙攣するという壮絶なもので、それを目の当たりにした妻がショックのあまり取り乱して泣き叫ぶ姿が画面に映し出された。試合終了時のジャッジのスコアは47-46で3者共にパッキャオであった[73]。試合後、パッキャオは「私の不注意だった、マルケスは簡単な相手ではなかった」と語っている[73]。フレディ・ローチは最後の場面を、パッキャオがマルケスの足を誤って踏んでしまい、マルケスが足を引き抜いたためパッキャオがバランスを崩し、マルケスの右ストレートをモロに喰らうタイミングになってしまったと語っている[74]。この試合でマルケスは600万ドル、パッキャオは2600万ドルのファイトマネーを獲得[73]、フィリピンでのテレビ視聴率は37.8%[75]であった。
フィリピンへ帰国後、テレビ取材の時にパッキャオの手が震えていたことを理由に、フィリピンの医師からパーキンソン病の初期症状が見られると進言された[76]。その後パッキャオ陣営の抗議を受け、医師は見解が間違っている可能性もあると訂正した[77]。フレディ・ローチはこの件について、自身がパンチのダメージでパーキンソン病を患ってしまった経験から、パッキャオがトレーニングに復帰した際には、病気の初期症状が見られないか、特にフットーワーク時の足の震えについて注視したいとした[77]。
この試合はマルケスのドーピング薬物使用が疑われた試合でもあった。昨今のスポーツ界及びボクシング界に蔓延するドーピング問題を背景に、試合前から、マルケスの39歳にして破格なほどビルドアップされた体、元ステロイドの売人であるアンヘル・ギレルモ・ヘレディアを陣営に迎えたことなどに疑惑の目が向けられ、試合後もマルケス勝利を称える報道と同等かそれ以上にマルケスのドーピング薬物使用疑惑がメジャーなマスメディア媒体等で報道された[78]。その後、両選手は共にネバダ州のドーピング薬物検査をクリアしたが[79]、プロモーターのボブ・アラムはパッキャオvsマルケスⅤが行われる場合、今回より厳しい抜き打ちによるドーピング薬物検査を 行いたい意向を示した[80]。
パッキャオVSリオス[編集]
2013年11月23日、マカオ、ザ・ベネチアン・マカオにてウェルター級契約で、元WBA世界ライト級王者のブランドン・リオスと対戦することが決まった。 パッキャオがアメリカ国外で試合をするのは2006年以来7年ぶりとなるが、その大きな理由の1つとして2013年初頭に、アメリカで試合をする外国人選手に対しての税率が35%から39.6%へ引き上げられた事をあげた[81]。
プロモーターとして[編集]
現役トップボクサーとして活躍する一方で、自らもボクシングプロモーターとしてMPプロモーションを設立。自身が選手としてプロモート契約しているボブ・アラム率いるトップランク社と提携して、有望なフィリピン人ボクサーを自分の興行に出場させている。
戦績[編集]
- アマチュアボクシング:64戦 60勝 4敗
- プロボクシング:61戦 54勝 (38KO) 5敗 2分
| 戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1995年1月22日 | ☆ | 4R | 判定 | ティティング・イグナシオ | プロデビュー戦 | |
| 2 | 1995年3月18日 | ☆ | 4R | 判定 | ピノイ・モンテジョ | -- | |
| 3 | 1995年5月1日 | ☆ | 6R | 判定 | ロッキー・パルマ | -- | |
| 4 | 1995年7月1日 | ☆ | 2R | TKO | デール・ダシアート | -- | |
| 5 | 1995年8月3日 | ☆ | 6R | 判定 | フラッシュ・シンバジョン | -- | |
| 6 | 1995年9月16日 | ☆ | 3R | KO | アルマン・ロルシ | -- | |
| 7 | 1995年10月7日 | ☆ | 8R | 判定 | ロリト・ラロア | -- | |
| 8 | 1995年10月21日 | ☆ | 2R | TKO | レナト・メンドネス | -- | |
| 9 | 1995年11月11日 | ☆ | 3R | TKO | ロドルフォ・フェルナンデス | -- | |
| 10 | 1995年12月9日 | ☆ | 10R | 判定 | ローランド・ツユゴン | -- | |
| 11 | 1996年1月13日 | ☆ | 5R | TKO | リト・トレホス | -- | |
| 12 | 1996年2月9日 | ★ | 3R | KO | ルスティコ・トーレカンポ | -- | |
| 13 | 1996年4月27日 | ☆ | 10R | 判定 | マーロン・カリーリョ | -- | |
| 14 | 1996年5月20日 | ☆ | 4R | TKO | ジョン・メディナ | -- | |
| 15 | 1996年6月15日 | ☆ | 4R | TKO | バート・バティラー | -- | |
| 16 | 1996年7月27日 | ☆ | 2R | TKO | イッポ・ガラ | -- | |
| 17 | 1996年12月28日 | ☆ | 2R | TKO | イ・サンユル | -- | |
| 18 | 1997年3月8日 | ☆ | 1R | KO | マイケル・ルナ | -- | |
| 19 | 1997年4月24日 | ☆ | 1R | KO | 李旭基 | -- | |
| 20 | 1997年5月30日 | ☆ | 6R | TKO | アリエル・オーストリア | -- | |
| 21 | 1997年6月26日 | ☆ | 5R | KO | チョクチャイ・チョクビワット | OPBFフライ級タイトルマッチ | |
| 22 | 1997年9月13日 | ☆ | 10R | 判定 | メルビン・マグラモ | -- | |
| 23 | 1997年12月6日 | ☆ | 1R 1:38 | KO | タノンディ・シンワンチャー | OPBF防衛1 | |
| 24 | 1998年5月18日 | ☆ | 1R 2:59 | TKO | 寺尾新 | -- | |
| 25 | 1998年12月4日 | ☆ | 8R | TKO | チャチャイ・ダッチボーイジム | WBC世界フライ級王座タイトルマッチ | |
| 26 | 1999年2月20日 | ☆ | 3R | TKO | トッド・マケリン | -- | |
| 27 | 1999年4月24日 | ☆ | 4R 2:45 | KO | ガブリエル・ミラ | WBC防衛1 | |
| 28 | 1999年9月17日 | ★ | 3R 1:32 | KO | メッドグン・3Kバッテリー | WBC世界フライ級王座陥落 | |
| 29 | 1999年12月18日 | ☆ | 2R | TKO | レイナンテ・ハミリ | WBCインターナショナルスーパーバンタム級王座決定戦 | |
| 30 | 2000年3月4日 | ☆ | 4R | KO | アーネリル・バロテリオ | WBCインターナショナル防衛1 | |
| 31 | 2000年6月28日 | ☆ | 1R | TKO | 蔡昇坤 | WBCインターナショナル防衛2 | |
| 32 | 2000年10月14日 | ☆ | 10R 2:00 | TKO | ナデル・フセイン | WBCインターナショナル防衛3 | |
| 33 | 2001年2月24日 | ☆ | 5R | TKO | 千里馬哲虎 | WBCインターナショナル防衛4 | |
| 34 | 2001年4月28日 | ☆ | 6R | KO | クマンペット・キャットボラフォン | WBCインターナショナル防衛5 | |
| 35 | 2001年6月23日 | ☆ | 6R 0:59 | TKO | レーロホノロ・レドワバ | IBF世界スーパーバンタム級タイトルマッチ/2階級制覇 | |
| 36 | 2001年11月10日 | 分 | 6R 1:12 | 負傷判定1-1 | アガピト・サンチェス | IBF・WBO世界スーパーバンタム級王座統一戦/IBF防衛1 | |
| 37 | 2002年6月8日 | ☆ | 2R 1:09 | TKO | ホルヘ・エリセール・フリオ | IBF防衛2 | |
| 38 | 2002年10月26日 | ☆ | 1R 2:46 | TKO | ファーブラコム・ラキットジム | IBF防衛3 | |
| 39 | 2003年3月15日 | ☆ | 5R 1:52 | TKO | エリクザーン・イェシュマンベトフ | -- | |
| 40 | 2003年7月26日 | ☆ | 3R 0:48 | KO | エマヌエル・ルセロ | IBF防衛4 | |
| 41 | 2003年11月15日 | ☆ | 11R 2:56 | TKO | マルコ・アントニオ・バレラ | リングマガジン認定・世界フェザー級タイトルマッチ | |
| 42 | 2004年5月8日 | 分 | 12R | 判定1-1 | ファン・マヌエル・マルケス | WBA・IBF世界フェザー級タイトルマッチ | |
| 43 | 2004年12月11日 | ☆ | 4R 1:26 | TKO | ファーサン・3Kバッテリー | IBF世界フェザー級挑戦者決定戦 | |
| 44 | 2005年3月19日 | ★ | 12R | 判定0-3 | エリック・モラレス | WBCインターナショナル・IBA世界スーパーフェザー級王座決定戦 | |
| 45 | 2005年9月10日 | ☆ | 6R 2:59 | TKO | ヘクトール・ベラスケス | WBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦 | |
| 46 | 2006年1月21日 | ☆ | 10R 2:33 | TKO | エリック・モラレス | WBCインターナショナル防衛1 | |
| 47 | 2006年7月2日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | オスカー・ラリオス | WBCインターナショナル防衛2 | |
| 48 | 2006年11月18日 | ☆ | 3R 2:57 | TKO | エリック・モラレス | WBCインターナショナル防衛3 | |
| 49 | 2007年4月14日 | ☆ | 8R 1:16 | KO | ホルヘ・ソリス | WBCインターナショナル防衛4 | |
| 50 | 2007年10月6日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | マルコ・アントニオ・バレラ | WBCインターナショナル防衛5 | |
| 51 | 2008年3月15日 | ☆ | 12R | 判定2-1 | ファン・マヌエル・マルケス | WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチ/3階級制覇、リングマガジン認定・世界スーパーフェザー級王座決定戦 | |
| 52 | 2008年6月29日 | ☆ | 9R 2:24 | KO | デビッド・ディアス | WBC世界ライト級タイトルマッチ/4階級制覇 | |
| 53 | 2008年12月6日 | ☆ | 8R 3:00 | TKO | オスカー・デ・ラ・ホーヤ | -- | |
| 54 | 2009年5月2日 | ☆ | 2R 2:59 | KO | リッキー・ハットン | IBO・リングマガジン認定・世界スーパーライト級タイトルマッチ | |
| 55 | 2009年11月14日 | ☆ | 12R 0:59 | TKO | ミゲール・コット | WBO世界ウェルター級タイトルマッチ/5階級制覇 | |
| 56 | 2010年3月13日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ジョシュア・クロッティ | WBO防衛1 | |
| 57 | 2010年11月13日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | アントニオ・マルガリート | WBC世界スーパーウェルター級王座決定戦/6階級制覇 | |
| 58 | 2011年5月8日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | シェーン・モズリー | WBO世界ウェルター級王座防衛2 | |
| 59 | 2011年11月12日 | ☆ | 12R | 判定2-0 | ファン・マヌエル・マルケス | WBO世界ウェルター級王座防衛3 | |
| 60 | 2012年6月9日 | ★ | 12R | 判定1-2 | ティモシー・ブラッドリー | WBO世界ウェルター級王座陥落 | |
| 61 | 2012年12月8日 | ★ | 6R 2:59 | KO | ファン・マヌエル・マルケス | -- |
獲得タイトル[編集]
<メジャー団体世界王座>
- 第33代WBC世界フライ級王座(防衛1)
- 第11代IBF世界スーパーバンタム級王座(防衛4=返上)
- 第28代WBC世界スーパーフェザー級王座(防衛0=返上)
- 第33代WBC世界ライト級王座(防衛0=返上)
- 第28代WBO世界ウェルター級王座(防衛3、スーパー王座認定)
- 第42代WBC世界スーパーウェルター級王座(防衛0=返上)
<地域王座>
- 第26代OPBFフライ級王座(防衛1=返上)
<マイナー団体世界王座>
<備考>
- WBCダイヤモンド王座
- WBCインターナショナルスーパーバンタム王座(防衛5)
- WBCインターナショナルスーパーフェザー級王座(防衛5)
主な表彰[編集]
- WBC「ファイター・オブ・ディケイド」(過去10年間の最優秀選手) - 2010年度[82]
- WBC「Boxer of the Year」2008年[28]
- リングマガジン 「 ファイター・オブ・ザ・イヤー」 2006年、2008年、2009年(通算3度受賞)
- Yahoo!スポーツ「Fighter of the Year」2008年[29]
- スポーツ・イラストレイテッド「Boxer of the Year」2008年[30]
- BWAA (アメリカボクシング記者協会)「 2000年代最優秀選手賞 」
- BWAA 「 年間最優秀選手賞」 2006年、2008年、2009年(通算3度受賞)
- フィリピン「PSA Sportsman of the Year」 2008年
- TIME誌「The World's Most Influential People」Heroes & Icons部門2009年版100人入り
- Googleスポーツ部門2008年最優秀選手賞[要出典]
俳優としての経歴[編集]
パッキャオはフィリピンのテレビ局ABS-CBNの番組やフィリピン映画のエキストラとして俳優の経歴をスタートさせた。
2005年12月、初の主演映画「Licensed Fist」[83]が公開。
2008年、主演映画「Son of Commander」が公開、映画評論家に酷評され、商業的にも失敗した。
2009年12月25日、主演を務めたヒーローものコメディ映画「 Wapakman 」が公開、しかし前作同様、商業的には成功しなかった[84]。
2012年5月18日、初のハリウッド映画「Brass Knuckles」[85]の撮影に入ることが報道される、パッキャオは悪役を演じ、格闘家の エクトル・エチャバリア 、リョート・マチダ、アンデウソン・シウバ、フランク・ミアらと共演予定[86]。
政治家としての経歴[編集]
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マニー・パッキャオ
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| 現職 | |
| 就任 2010年6月30日 |
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| 前任者 | Erwin L. Chiongbian |
|---|---|
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| 政党 | PDPラバン党 (2012–) 自由党(LP)(2007, 2010–12) 国民党 (2009–10) KAMPI (2008) PCM(2010–) |
| 居住地 | サランガニ州 Kiamba |
| 専業 | プロボクサー、俳優 |
| 信仰 | 福音派ローマカトリック |
| ウェブ サイト |
www.congress.gov.ph |
2007年の選挙[編集]
2007年2月12日、パッキャオが 2007年5月の統一選挙 で 下院議員選 に自由党の候補者として南コタバト州地区 1区 から立候補することを正式に発表。 アロヨ 政権の支援者として知られていたパッキャオに、地元と中央政府をつなぐ橋渡し役になって欲しいと期待していたジェネラル・サントスの役人に説得された上での立候補だとパッキャオは出馬理由を語っている。しかしパッキャオは現職のDarlene Antonino-Custodioに大差で敗れ、Custodioは「人々はボクシングアイコンのパッキャオを失う準備が出来ていなかったのだと思います」と述べた[87]。敗因について、アロヨ大統領との親密さがかえってマイナスに働き、パッキャオがボクサーでいることを望んだファンがいためだと話す地元の政治通もいた[88]。
- Darlene Antonino-Custodio 139,061票(得票率64.49%)
- マニー・パッキャオ 75,908票(得票率35.51%)
2008年、KAMPIへ政党を鞍替え。
2010年の選挙[編集]
2009年11月21日、パッキャオは 2010年5月の統一選挙 で 下院議員選 に再び立候補することを発表、今回は自身の政党を立ち上げ国民党と連立を組み、ジンキー夫人の地元 サランガニ州地区 へ鞍替えしての出馬となった[87]。
2010年5月13日、経済的にも政治的にも強い基盤を持ち、30年以上この地区の政権を支配していたチオンビアン一族出身のロイ・チオンビアンに圧勝、サランガニ州地区の下院議員となった[89][90]。
- マニー・パッキャオ 120,052票(得票率66.35%)
- ロイ・チオンビアン 60,899票(得票率33.65%)
2010年6月19日、テレビの対談でベニグノ・アキノ3世の代弁人を務めるエドウィン氏にゼネラル・サントス市サラングガニの低価住宅建設計画を説明、ユニークな計画だとの回答を得たが、アキノ3世の在籍する自由党からパッキャオが離党したことにエドウィン氏は懸念を示した[91]。6月28日、パッキャオは国民党所属として当選していたが、選挙公約の事業を円滑に履行するため国民党を離党して自由党に入党したことを記者会見で発表した[92]。
2013年の選挙[編集]
2012年4月16日、 2013年5月の統一選挙 に備え、自由党からPDPラバン党へ鞍替え[93]。
2013年5月、対抗馬が出馬せず選挙区唯一の候補者となったパッキャオは2期目の当選を果たした。サランガニ州副知事選に出馬した妻のジンキーも当選を果たしたが、実弟のロヘリオは南コタバト州下院議員選で落選した[94]。
前リング・マガジン編集長のナイジェル・コリンズはコラムでパッキャオは2010年の選挙で660万ドル、2013年の選挙で200万ドル以上の選挙対策費用をつかっており、また数多くの市民が常にパッキャオへ助けを求めて殺到しているため、政治活動はパッキャオにとって最も大きい出費の一つになっていると指摘している[94]。
低い議会出席日数への批判[編集]
パッキャオは議会への出席率が低いため批判の声がある。2011年は59議会のうち出席日数はわずか27日で欠席日数は32日にもなった、全議員285人中、下から4番目に低い出席率[95]であり、2012年も61議会のうち出席が41日で欠席が20日と下から6番目に低い出席率となった[96]。
エピソード・その他[編集]
- ビリヤードの腕前はプロレベルで、ビリヤード専門誌CUE'S(キューズ)2010年4月号(Vol.128)の表紙にもなっている。自国ではビリヤード店の経営もしている
- 2008年12月、アティー・アチィエンサ環境天然資源相が2009年度予算の上院審議をすっぽかして、ラスベガスへパッキャオ対デラホーヤの応援に駆けつけた。アチィエンサは「パッキャオ選手の応援は予算と同じくらい重要だ」と答弁をして話題になった[97]
- 北京オリンピックの開会式では、オリンピック不出場にもかかわらず、フィリピン選手団の旗手を務めた。
- 弟のボビー・パッキャオもプロボクサー。
- セレス小林は日本フライ級王者時代に同じクラスのWBC世界王者たるパッキャオとの対戦のオファーが届いたが、パッキャオの試合映像を見たセレスが「こんな怪物に勝てるわけがない」と言って拒否したため、実現しなかった。
- ミンダナオ島ではフィリピン国軍とイスラーム反政府組織による紛争が起きているが、パッキャオの試合が行われる度に「皆でパッキャオを応援するべきだ」という理由で双方が戦闘を見合わせて、テレビの前でパッキャオを応援していることが話題になった[7][98]。
- 歌手デビューもしており、試合後の記者会見で「これから予約していた会場で祝勝コンサートをやる!絶対に8曲以上歌うぞ!」とコメントしたことがある[要出典]。
- 社会福祉活動にも積極的で教育機関や医療機関への多大な寄付を惜しまず、学校に通えない貧しい子供たちを自分のお金で通わせたり、最新の医療設備を整えるために医療費を払っている[要出典]。
- ビリヤードやバスケットボールが非常に好き。トレーナーのローチはパッキャオがバスケをやり過ぎて怪我をすることを危惧して制限するよう指示しているが、言うことを聞かずに仲間とのバスケを続けることもあった[要出典]。
- フィリピンでのニックネームは「Ang Pambansang Kamao(アン・パンバンサン・カマオ)略してBansang Kamao(バンサン・カマオ)」タガログ語Wikipedia 参照[99]。「国の拳」という意味。
トラブル[編集]
2011年頃からパッキャオの飲酒、浮気癖、ギャンブル癖が酷くなり、朝方まで酒を呑み遊び回っては起床が昼過ぎになることが多くなっていった。生活が荒んだのはフィリピンだけではなく、アメリカでの最終キャンプ用に借りていたロサンゼルスのアパートでも、多すぎる取り巻き達が、飲酒に喫煙、ギャンブルに喧嘩と大学の男子寄宿舎状態で、とても練習に集中できる環境になかった、パッキャオ自身もギャンブルで大金を使い込みボブ・アラムに200万ドルものファイトマネーの前借りを頼み込むありさま。2011年11月のマルケスとの試合当日には、ついにパッキャオの浮気癖に堪忍袋の緒が切れたジンキー夫人がホテルの部屋に立てこもり、会場に来るよう説得しに来たパッキャオと言い争いになってしまう、そのため会場入りが1時間ほど遅れたパッキャオは着替えとフレディー・ローチとのウォームアップを10分ほどで終わらせリングに上がった。このままではいけないと考えたパッキャオは、複数台所有していた携帯電話を全て手放し、パスワードのかけられない携帯電話1台のみの所有にするなど、夫人に今までの許しを請い関係修復に務めた。夫人の勧めで聖書の勉強会へ頻繁に通うようになったパッキャオに心境の変化が現れるようになり、フィリピンに所有していたカジノ、ナイトクラブ、レストラン、ビリヤードバーを売却、ギャンブル用に飼っていた1000羽以上の闘鶏を友人に譲り、サランガニ州にあった広大な飼育農場も売却した。また取り巻きグループからギャンブラーと酒飲みを解雇、ロサンゼルスのアパートでセレブパーティーが開かれる事はなくなり、代わりに牧師を呼んで聖書の勉強会が開かれるようになった[100][101][102]。
2012年3月7日、フィリピンの内国歳入庁(BIR)は、納税額が2008年の1億ペソから2009年に700万ペソへ激減したパッキャオに納税額証明書類の提出を要請、書類の提出を拒否したパッキャオを脱税容疑で告訴した[103]。
日本での活動[編集]
平成24年6月より日本国内にて「一般社団法人マニー・パッキャオワールドスポーツ機構」[104]をスタートさせ自らも理事として参加。 団体はボクシングを通じて日本とフィリピンの人的交流を行うことにより、新たなる雇用の促進をするとともにフィリピン国内の貧困層の自立などの支援も目的としている。
注釈[編集]
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- ^ 一般社団法人マニー・パッキャオワールドスポーツ機構CANPAN内・団体情報
関連項目[編集]
- 男子ボクサー一覧
- 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧
- 国際ボクシング連盟(IBF)世界王者一覧
- 世界ボクシング機構(WBO)世界王者一覧
- 東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)王者一覧
- 複数階級制覇 (ボクシング)
- リングマガジン ファイター・オブ・ザ・イヤー - 3度選出(2006年、2008年、2009年)
外部リンク[編集]
- フィリピン国会内公式ページ(投票行動付き)
- マニー・パッキャオ - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- "世界最強"伝説ラスベガス 世紀の一戦(NHKスペシャル2013年1月27放送日)
- マニー・パッキャオワールドスポーツ機構フェイスブックページ
- マニー・パッキャオ - Facebook
- マニー・パッキャオ (MannyPacquiao) - Twitter
- マニー・パッキャオの戦績 by BoxRec
| 前王者 チョクチャイ・チョクビワット |
第26代OPBFフライ級王者 1997年6月26日 - 1998年9月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 メルビン・マグラモ |
| 前王者 チャッチャイ・ダッチボーイジム |
第33代WBC世界フライ級王者 1998年12月4日 - 1999年9月17日(剥奪) |
空位 次タイトル獲得者 メッドグン・3Kバッテリー |
| 空位 前タイトル保持者 アーマド・ファンディ |
第11代WBCインターナショナルスーパーバンタム級王者 1999年12月18日 - 2001年6月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ナパーポン・キャッティサクチョーチャイ |
| 前王者 レーロホノロ・レドワバ |
第11代IBF世界スーパーバンタム級王者 2001年6月23日 - 2003年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 イスラエル・バスケス |
| 空位 前タイトル保持者 エリック・モラレス |
第20代WBCインターナショナルスーパーフェザー級王者 2005年9月10日 - 2008年4月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ユリオルキス・ガンボア |
| 前王者 ファン・マヌエル・マルケス |
第28代WBC世界スーパーフェザー級王者 2008年3月15日 - 2008年6月16日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ウンベルト・ソト |
| 前王者 デビッド・ディアス |
第33代WBC世界ライト級王者 2008年6月28日 - 2009年2月24日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 エドウィン・バレロ |
| 前王者 ミゲール・コット |
第14代WBO世界ウェルター級王者 2009年11月14日 - 2012年6月9日 |
次王者 ティモシー・ブラッドリー |
| 空位 前タイトル保持者 セルヒオ・マルチネス |
第42代WBC世界スーパーウェルター級王者 2010年11月13日 - 2011年2月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 サウル・アルバレス |