マニー・パッキャオ
2010年8月26日、フィリピンのシリマン大学にて
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ |
| 通称 | Pacman(パックマン) Fighting Pride of the Philippines Mexican Killer(メキシカン・キラー) The Destroyer People's Champion Pound for Pound King |
| 階級 | ライトフライ級 - スーパーウェルター級 |
| 身長 | 169cm |
| リーチ | 170cm |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1978年12月17日(33歳) |
| 出身地 | フィリピンブキドノン州(現南コタバト州) ジェネラルサントス市ラバンガル |
| スタイル | サウスポー |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 59 |
| 勝ち | 54 |
| KO勝ち | 38 |
| 敗け | 3 |
| 引き分け | 2 |
マニー・パッキャオ(Manny Pacquiao、1978年12月17日 - )は、フィリピンのプロボクサー、政治家。男性。本名エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ (Emmanuel Dapidran Pacquiao)。ブキドノン州(現南コタバト州)ジェネラル・サントス市ラバンガル出身。パッキアオ、パキャオとも表記される。史上2人目の6階級制覇王者。現WBO世界ウェルター級スーパー王者。元WBC世界フライ級王者、IBF世界ジュニアフェザー級王者、WBC世界スーパーフェザー級王者、WBC世界ライト級王者、WBC世界スーパーウェルター級王者。
体重差を乗り越えて各階級の人気選手を片っ端から倒し続け、ボクシング史上最多タイ記録のメジャー団体6階級制覇を達成したプロボクサーであり、また「事実上の10階級制覇王者」という評価の呼び声も高く、「2000年代最優秀選手賞」にも選出されている[1]。
苗字を捩って『Pacman(パックマン)』「The destroyer(ザ・デストロイヤー、破壊者)」「Fighting Pride of the Philippines(フィリピンの戦う誇り)」「People's Champion (People's Champ)(人民の王者、庶民の王)」の愛称で知られる。
母国フィリピンでは絶対的な英雄であり、貧しく治安も悪い祖国を改善するために昔から政界を視野に入れた活動を積極的に行っており、2度目の出馬となった2010年の下院選挙では有力候補を抑えて当選し、プロボクサーと国会議員の二束の草鞋を履きながら活躍している。
目次 |
[編集] 概要
サウスポースタイルからの左ストレートを主武器に数々の豪快なKO勝ちや名勝負、番狂わせの勝利を連発。圧倒的なスピードや超人的スタミナに裏付けされた、極めて好戦的なファイトスタイルが特徴である。
ライトフライ級でデビュー以来、次々と階級を上げながらスーパーウェルター級までの11階級を渡り歩き、その過程で幾多の名王者を撃破してきた。アジア人初そしてボクシング史上二人目で史上最多タイ記録のメジャー世界タイトル6階級制覇王者である。 2008年12月6日のオスカー・デ・ラ・ホーヤ戦のフィリピンでのテレビ視聴率は45.6%を記録し[2]、アジア人史上最高額となる1試合2,000万ドル以上のファイトマネーを獲得した。現在、多くのボクシング専門誌・サイトのパウンド・フォー・パウンドランキングで1位となっている。
フィリピンの国会議員(下院議員)。
[編集] 評価
パッキャオが評価されている最大の理由はメジャー世界タイトル (WBA、WBC、IBF、WBO) 史上二人目である6階級制覇という数字よりも、世界王者の中でも超一流の選手を幾多の階級にわたって撃破(しかも、その多くは圧勝)してきた点にある。近年のボクシング界では自身が保持するメジャー世界タイトルを返上してでも他の強豪選手・人気選手とのビッグマッチを優先させる選手が多くなってきているが、その象徴的な選手がパッキャオである。複数階級制覇を狙うだけであれば、同じ6階級制覇のデ・ラ・ホーヤのように世界王者の中でも穴場の選手を選択していけばよいが、パッキャオはノンタイトル戦でマルコ・アントニオ・バレラに完勝してスターダムにのし上がったことをきっかけに世界タイトルを獲得することにこだわらなくなり、ビッグマッチを優先してあえて各階級の最強の選手と戦うようになった。つまり、階級やタイトルにこだわらず多くの超一流選手を撃破し続けた過程で、副産物のように「6階級制覇」と言う数字もついてきた形である。
パッキャオは上述のような経緯を経てフライ級、スーパーバンタム級、スーパーフェザー級、ライト級、ウェルター、スーパーウェルター級で計6階級のメジャー世界タイトルを獲得してきたが、その他にもフェザー級とスーパーライト級で最強と目された王者に圧勝しているため、これらの2階級を加えて海外メディアでは8階級制覇王者として評価・紹介されることが多い。さらに、パッキャオが獲得したメジャー世界タイトルはフライ級からスーパーウェルター級にまで及び、フライ級 - スーパーウェルター級間は10階級あるので、「パッキャオは事実上の10階級制覇王者」と評価するファンも少なくない。なお、パッキャオはライトフライ級で試合をしていた時期もあるため、実質11階級に渡って試合をしていることになる。
通常の選手であれば階級を上げるごとにスピードや相対的なパワーが目減りし、程なくしていわゆる「階級の壁」にぶち当たる。ところが、パッキャオは次々と階級を上げてもスピードや相対的パワーを維持してきた点が極めて特異であり、さらに階級アップを通じて技術的完成度を向上させ続けてきた。
近年は、現役ボクサーながら「オールタイムPFPランキングのどの位置に入るか?」が議論されるパッキャオだが、ボクシングの階級制を否定するような異例のキャリアから、団体分裂前でスーパー階級が無かった8階級の時代にフェザー級、ライト級、ウェルター級の3階級を同時に制覇(ミドル級王座にも挑戦し引き分け)したヘンリー・アームストロングと比較されることが多くなっている。
[編集] 来歴・人物
一日一食の日もあるほど貧しい野菜農家に生まれた。六年生の時に父が行方不明となったため、母を助けて路上で花やフィリピンのパン「パン・デ・サル」[3]、煙草のバラ売りをしていた。家計を助けるために12歳からボクシングを始め、14歳の時にマニラへ出て路上で寝泊まりしながらトレーニングを積んだ[4]。アマチュアではフィリピンのナショナルチーム入りを果たすなどして、16歳1か月でプロデビューした。サウスポースタイルからステップインをして放つ左ストレートが必殺技。また、ハードパンチャーでありながら手数の多さを兼ね備えている。スーパーフェザー級時代まではパワーと勢いを活かした猛烈なラッシュで勝ち続けていたが、ライト級以上の階級に上げてからは右リードジャブ、右フック、巧みなフットワークにも磨きがかかり、さらなる進化を遂げている。
2001年6月23日に王座挑戦者候補だった選手二人が故障で出場を辞退した際、トレーナーのフレディ・ローチに挑戦者に抜擢され、KO勝ちでIBF世界ジュニアフェザー級(現スーパーバンタム級)王座を奪取し、2階級制覇を達成したことが、一試合で2,000万ドル以上を稼ぐボクサーへの大きな一歩となった。また、フィリピン人ボクサーが米国で活躍する契機となり、軽量級のアジア人ボクサーへの注目と評価を高めることにも貢献した。アジア人として初めてHBOのPPV放送でメインイベントを務めた。
アメリカで名前が売れ始めたばかりだったホルヘ・エリセール・フリオ戦ではマイケル・バッファーに「The Destroyer(破壊者)」というニックネームでコールされた。しかし、その後、コンピュータゲームのパックマンにひっかけて「Pacman(パックマン)」というニックネームが定着した。これは、パッキャオの名前にひっかけていることと、ゲームのキャラクターさながらに大物ボクサー相手に次々と番狂わせの勝利を連発していることから付けられた。さらにパッキャオ本人がこのゲームのファンであり、The Destroyerというニックネームを気に入っていたトップランク社やバッファーを説得してパックマンとコールしてもらうように自ら要望した。また、メキシコの名ボクサー達を次々と倒して名を挙げたことから「Mexican Killer(メキシカン・キラー)」とも呼ばれる。本人は「今まで倒してきた多くの強豪がたまたまメキシコ人だっただけで、私はメキシコ人に何も恨みは無いのだからメキシカン・キラーと呼ばないで欲しい」とデラホーヤ戦の前日会見でコメントしている。
パッキャオが4階級制覇を達成した試合のフィリピンでのテレビ視聴率は63.8%を記録[5]。さらに「The DREAM MATCH」と銘打たれた2008年12月6日のオスカー・デ・ラ・ホーヤ戦は、フィリピンでのテレビ視聴率は45.6%を記録し、さらには世界金融危機の真っ只中だったにもかかわらず、HBOのPPV中継の売り上げは125万件を突破して興行収益は7,000万ドル以上となり、KO勝ちしたパッキャオはアジア人史上最高額となる2,000万ドル以上のファイトマネーを獲得。2009年5月2日のリッキー・ハットン戦でもフィリピンでの視聴率は43%を記録し[6]、パッキャオはKO勝ちしてファイトマネーとPPV売り上げにより1,200万ドルから2,000万ドル以上のファイトマネーを獲得した[7][8]。
また、『タイム』誌が選ぶ「The World's Most Influential People(世界で最も影響力のある人物100人)」の「Heroes & Icons(英雄と象徴)」部門の2009年版に選ばれ、元世界ヘビー級王者レノックス・ルイスに「パッキャオは世界最高のボクサーで、パウンド・フォー・パウンド最強だ。マニーはいずれフィリピンの大統領になるだろう。ボクシングにはマニーのような存在が必要だ」と紹介される[9]。
パウンド・フォー・パウンド最強候補の最大のライバルであるフロイド・メイウェザー・ジュニアとの夢の対決の実現が期待されている。2010年3月13日と11月13日にメイウェザー戦実現を目指して2度の期間に渡って交渉が行われてきたが、フライ級出身のパッキャオがウェルター級でも全く無駄な脂肪のない引き締まった肉体で大活躍するという前代未聞の快挙に対して「パッキャオはドーピングしているのではないか?」と疑問を抱いたメイウェザー側がパッキャオとの対戦の際に、オリンピックでも行われているWADA方式のランダムな日程で尿検査と血液検査の両方が行われるドーピング検査を実施することを要求した。パッキャオは宗教上の理由で血を抜かれることを嫌っていることに加え、ネバダ州アスレチック・コミッションなどが事前に指定した日付に実施している尿検査で陽性反応が出たことが一度も無いのにドーピング疑惑をかけられたことで一時期は名誉毀損による訴訟問題に発展。最終的にパッキャオは尿と血液の両方の検査、試合直後の検査は受け入れる姿勢だったが、試合前の早い段階での検査は拒否し、メイウェザーが譲歩しなかったため交渉は決裂した[10]。その後、メイウェザーが主張するドーピング検査をパッキャオが受け入れたため試合が実現するかと思われた。しかし、メイウェザーは突然2度目の引退を発表した。この不可解な行動により米国の関係者及びボクシングファンは「メイウェザーは逃げた」という見解で一致している。
[編集] プロモーターとして
現役トップボクサーとして活躍する一方で、自らもボクシングプロモーターとしてMPプロモーションを設立。自身が選手としてプロモート契約しているボブ・アラム率いるトップランク社と提携して、有望なフィリピン人ボクサーを自分の興行に出場させている。
[編集] 政治家として
パッキャオは祖国フィリピンで国民的英雄であり、貧しく治安も悪い祖国を救うために、政治活動を含めて様々な活動を行っている。グロリア・アロヨ元大統領とも仲が良い。2008年12月にはフィリピンのアティー・アチィエンサ環境天然資源相(出身ジムのあったマニラ首都圏小マニラ市の元市長で後援者)が2009年度予算の上院審議をすっぽかして、パッキャオの対デラホーヤ戦の応援に駆けつけた。アチィエンサは「パッキャオ選手の応援は予算と同じくらい重要だ」と答弁をして話題になった[11]。
[編集] 1度目の挑戦
パッキャオ自身は他のフィリピン人と同様にクリスチャンである。出身は離島のミンダナオ島南部である。
2007年5月に、下院選挙に出馬した。選挙区は同島南コタバト州。彼は、議員に当選したらボクシングを引退すると公言していた。そのため有権者は「パッキャオの政治を見たい」という期待より、「パッキャオのボクシングをもっと観ていたい/選挙に当選したら、もうパッキャオの試合が見られなくなる」という恐怖の念を抱かせてしまい、思惑とは反対に彼には投票しなかったため落選した。つまりあまりにも人気がありすぎたため落ちた。
[編集] 2度目の挑戦
2010年5月の下院選挙に再度挑戦。当選を果たした[12]。今回は議員に当選してもボクサーとして現役続行宣言したことも功を奏した。選挙区は同島サランガニ州で、対立候補はベテランの現職で富豪の実業家であった。
[編集] プロボクサー
アマチュアボクシングでナショナルチーム入りを果たすなど、64戦60勝4敗の戦績を残した後、1995年1月22日、16歳1か月にしてライトフライ級でプロデビュー。12戦目で初黒星を喫するまで、ライトフライ級とバンタム級の間を行ったり来たりしていた。この敗戦以降はフライ級に留まる。
1998年12月4日、27戦目でチャッチャイ・ダッチボーイジム(タイ)から8回KOでWBC世界フライ級王座を獲得。1999年9月17日、2度目の防衛戦でメッドグン・3Kバッテリー(タイ)に3回KO負けを喫した(※前日計量の体重超過で失格し試合前にタイトル剥奪)。
その後、スーパーバンタム級まで一気に3階級上げ、WBCインターナショナル王座を獲得。これを5度防衛し、2001年6月23日に、元王者のエンリケ・サンチェスの欠場で世界王座挑戦のチャンスを得て、IBF世界ジュニアフェザー級王者レーロホノロ・レドワバと対戦。パッキャオはレドワバから3度ダウンを奪い、一方的な6回TKO勝ちで2階級制覇を達成した。
IBF王座を4度防衛し、2003年11月15日に、メキシコのスーパースター、マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)と対戦。下馬評はバレラが圧倒的に有利だったが、左ストレートを武器にバレラのガードを破って3回と11回にダウンを奪い、11回TKO勝ちでリングマガジン世界フェザー級王者となった。この番狂わせで評価と注目を獲得した。
2004年5月8日、WBA・IBF統一世界フェザー級王者ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と対戦。この試合でパッキャオは1Rに3度もダウンを奪ったが、猛反撃を受けて、引き分けとなった。
2005年3月19日、階級をスーパーフェザー級に上げ、バレラにWBC世界スーパーフェザー級王座を明け渡したばかりの元3階級王者エリック・モラレスと対戦。善戦したが0-3で判定負けする。半年後のWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦で6回TKOで勝利すると、2006年1月21日にエリック・モラレスと再戦。10回TKO勝ちでリベンジを果たした。同年11月18日にモラレスとのラバーマッチは3回KO勝利し、ライバルとの決着をつけた。
2007年10月6日、マルコ・アントニオ・バレラとの再戦で12回判定勝ち(バレラは試合後に現役引退を表明)。
2008年3月15日、ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と4年半ぶりに再戦、3回にダウンを奪うがマルケスの猛反撃もあって初対決時を上回る激闘の末、2-1の判定勝ち。WBC・リングマガジン世界スーパーフェザー級王者となり、アジア人として初のメジャー王座3階級制覇を達成した。
2008年6月29日、デビッド・ディアス(米国)と対戦、初回から一方的に攻め続けて9回KO勝利、WBC世界ライト級王座を獲得すると共にアジア人として初のメジャー王座4階級制覇を達成した。
2008年12月6日、オスカー・デ・ラ・ホーヤとウェルター級ノンタイトルマッチで対戦。現役屈指の人気と実力を兼ね備えた両者の対決とあって「The DREAM MATCH(夢の対決)」と銘打たれていたが、ミドル級も制したデラホーヤに対してパッキャオはライトフライ級上がりということもあり、多くのボクシング関係者やファンが「試合自体が無謀で、勝負にならない。デラホーヤが勝つに決まっている」という見解を示し、両者との対戦を希望している近隣階級のボクサー達からは「2人とも大金に目が眩んだから、こんな馬鹿げた試合が決まったんだ」といった批判も多かった。しかし、試合が始まると、第1Rからパッキャオが主導権を握り、一方的な攻勢の末に8R終了時TKO勝ちを収めた。この試合は2008年のリングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤーに選出された。なお、この試合のフィリピンでの視聴率は、45.6%であった。
2008年末は表彰ラッシュとなり、フィリピンのSports man of the year 2008を受賞。さらに世界ボクシング評議会、Yahoo!スポーツ部門、Googleスポーツ部門、アメリカ最大の総合スポーツ雑誌「スポーツ・イラストレイテッド」と、これら全ての2008年最優秀選手賞を受賞した[7]。
2009年5月2日、ラスベガスにて「スーパーライト級現役最強」と評価されていたイングランドの国民的英雄リッキー・ハットンと対戦。戦前はデラホーヤ戦勝利の勢いがあるパッキャオに期待が高まる一方で、「パッキャオがデラホーヤに勝てたのはデラホーヤが不調だったからだ」という意見に加えて、スーパーライト級で全勝を誇るハットンのファイトスタイルがパワーと打たれ強さを活かしたスタイルであるため、下の階級から上げてきたパッキャオが不利と予想する専門家やファンも多かった。だが、試合は1Rからパッキャオが2度のダウンを奪い、2R終盤に左のカウンター一撃で痛烈なKO勝ちをし、IBO・リングマガジン世界ライトウェルター級王座を獲得した。この試合は2009年のリングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーに選出された。
2009年11月14日、ラスベガスMGMグランドガーデンにてプエルトリコのスーパースター、ミゲール・コットの持つWBO世界ウェルター級王座に挑戦。この試合の勝者はスーパー王者に昇格することをWBOが試合前から決定していた。パッキャオが3Rに右フックで、4Rに左アッパーで2回のダウンを奪うと試合は一方的になり、12Rにロープ際に詰められたコットにレフェリーがストップをかけた。こうして12RTKO勝ちを収め、5階級制覇を達成。WBO世界ウェルター級スーパー王座とWBCが新設したダイヤモンド王座を獲得した[13]。
2010年3月13日、テキサス州のカウボーイズ・スタジアムにてジョシュア・クロッティ(ガーナ)を相手にWBO世界ウェルター級スーパー王座の初防衛戦を行い、防御一辺倒の挑戦者を終始圧倒、フルマークが付く大差判定勝ちで初防衛に成功した[14]。
2010年11月13日、カウボーイズ・スタジアムでWBC世界スーパーウェルター級王座決定戦が行われ、アントニオ・マルガリート(メキシコ)と対戦。試合前は、5月の下院選挙で当選して以来、国会議員としての仕事も多忙となり、練習に集中できていない様子が盛んに報道されており[15]、加えてこの試合は両者の合意によりスーパーウェルター級リミットを3ポンド下回る151ポンドの契約体重で行なわれたが、パッキャオはウェルター級リミットをも下回る144.6ポンドで計量をクリアし、150ポンドで計量をクリアしたマルガリートとの体重差は5.4ポンドであり[16]、マルガリートとの圧倒的な体格差もあって不安視する声もあった。試合は6Rに強烈な左ボディをくらってグラついたものの、序盤から圧倒的なスピード差で打ち続け、終盤にKO寸前に追い込んだ末に3-0の大差判定勝ちを収め、史上2人目となるメジャー6階級制覇を達成した[17]。パッキャオは11Rに打ってる途中で何度かレフェリーの方を見たことについて「マルガリートの流血が酷かったし、フラフラになっていたから早く止めてほしかった。私も人を殺したくないから、最後の2ラウンドはあまりパンチを打たないようにした」と語る圧勝だった。マルガリートは眼窩底骨折し、病院に直行した。
2011年5月8日、米ラスベガス MGMグランドガーデンで挑戦者・3階級制覇チャンピオンシェーン・モズリー(アメリカ)を判定3-0で降し、WBO世界ウェルター級王座2度目の防衛に成功した。
2011年11月12日、米ラスベガスMGMグランドにて、WBA・WBOライト級スーパー統一王者ファン・マヌエル・マルケスと3度目の防衛戦を戦い、両者が序盤から激しく打ち合う壮絶な試合となり、フルラウンド戦った末に勝負は判定に持ち込まれた。判定の結果は2-0となり、パッキャオが王座防衛を果たした。
[編集] 戦績
- アマチュアボクシング:64戦 60勝 4敗
- プロボクシング:59戦 54勝 (38KO) 3敗 2分
| 戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1995年1月22日 | ☆ | 4R | 判定 | ティティング・イグナシオ | プロデビュー戦 | |
| 2 | 1995年3月18日 | ☆ | 4R | 判定 | ピノイ・モンテジョ | -- | |
| 3 | 1995年5月1日 | ☆ | 6R | 判定 | ロッキー・パルマ | -- | |
| 4 | 1995年7月1日 | ☆ | 2R | TKO | デール・ダシアート | -- | |
| 5 | 1995年8月3日 | ☆ | 6R | 判定 | フラッシュ・シンバジョン | -- | |
| 6 | 1995年9月16日 | ☆ | 3R | KO | アルマン・ロルシ | -- | |
| 7 | 1995年10月7日 | ☆ | 8R | 判定 | ロリト・ラロア | -- | |
| 8 | 1995年10月21日 | ☆ | 2R | TKO | レナト・メンドネス | -- | |
| 9 | 1995年11月11日 | ☆ | 3R | TKO | ロドルフォ・フェルナンデス | -- | |
| 10 | 1995年12月9日 | ☆ | 10R | 判定 | ローランド・ツユゴン | -- | |
| 11 | 1996年1月13日 | ☆ | 5R | TKO | リト・トレホス | -- | |
| 12 | 1996年2月9日 | ★ | 3R | KO | ルスティコ・トーレカンポ | -- | |
| 13 | 1996年4月27日 | ☆ | 10R | 判定 | マーロン・カリーリョ | -- | |
| 14 | 1996年5月20日 | ☆ | 4R | TKO | ジョン・メディナ | -- | |
| 15 | 1996年6月15日 | ☆ | 4R | TKO | バート・バティラー | -- | |
| 16 | 1996年7月27日 | ☆ | 2R | TKO | イッポ・ガラ | -- | |
| 17 | 1996年12月28日 | ☆ | 2R | TKO | イ・サンユル | -- | |
| 18 | 1997年3月8日 | ☆ | 1R | KO | マイケル・ルナ | -- | |
| 19 | 1997年4月24日 | ☆ | 1R | KO | 李旭基 | -- | |
| 20 | 1997年5月30日 | ☆ | 6R | TKO | アリエル・オーストリア | -- | |
| 21 | 1997年6月26日 | ☆ | 5R | KO | チョクチャイ・チョクビワット | OPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチ | |
| 22 | 1997年9月13日 | ☆ | 10R | 判定 | メルビン・マグラモ | -- | |
| 23 | 1997年12月6日 | ☆ | 1R 1:38 | KO | タノンディ・シンワンチャー | OPBF防衛1 | |
| 24 | 1998年5月18日 | ☆ | 1R 2:59 | TKO | 寺尾新 | -- | |
| 25 | 1998年12月4日 | ☆ | 8R | TKO | チャチャイ・ダッチボーイジム | WBC世界フライ級王座タイトルマッチ | |
| 26 | 1999年2月20日 | ☆ | 3R | TKO | トッド・マケリン | -- | |
| 27 | 1999年4月24日 | ☆ | 4R 2:45 | KO | ガブリエル・ミナ | WBC防衛1 | |
| 28 | 1999年9月17日 | ★ | 3R 1:32 | KO | メッドグン・3Kバッテリー | WBC世界フライ級王座陥落 | |
| 29 | 1999年12月18日 | ☆ | 2R | TKO | レイナンテ・ハミリ | WBCインターナショナルスーパーバンタム王座決定戦 | |
| 30 | 2000年3月4日 | ☆ | 4R | KO | アーネリル・バロテリオ | WBCインター防衛1 | |
| 31 | 2000年6月28日 | ☆ | 1R | TKO | 蔡昇坤 | WBCインター防衛2 | |
| 32 | 2000年10月14日 | ☆ | 10R 2:00 | TKO | ナデル・フセイン | WBCインター防衛3 | |
| 33 | 2001年2月24日 | ☆ | 5R | TKO | 千里馬哲虎 | WBCインター防衛4 | |
| 34 | 2001年4月28日 | ☆ | 6R | KO | クマンペット・キャットボラフォン | WBCインター防衛5 | |
| 35 | 2001年6月23日 | ☆ | 6R 0:59 | TKO | レーロホノロ・レドワバ | IBF世界ジュニアフェザー級タイトルマッチ/2階級制覇 | |
| 36 | 2001年11月10日 | 分 | 6R 1:12 | 負傷判定1-1 | アガピト・サンチェス | IBF・WBO世界ジュニアフェザー級タイトルマッチ/IBF防衛1 | |
| 37 | 2002年6月8日 | ☆ | 2R 1:09 | TKO | ホルヘ・エリセール・フリオ | IBF防衛2 | |
| 38 | 2002年10月26日 | ☆ | 1R 2:46 | TKO | ファーブラコム・ラキットジム | IBF防衛3 | |
| 39 | 2003年3月15日 | ☆ | 5R 1:52 | TKO | エリクザーン・イェシュマンベトフ | -- | |
| 40 | 2003年7月26日 | ☆ | 3R 0:48 | KO | エマヌエル・ルセロ | IBF防衛4 | |
| 41 | 2003年11月15日 | ☆ | 11R 2:56 | TKO | マルコ・アントニオ・バレラ | リングマガジン認定・世界フェザー級タイトルマッチ | |
| 42 | 2004年5月8日 | 分 | 12R | 判定1-1 | ファン・マヌエル・マルケス | IBF・WBA世界フェザー級タイトルマッチ | |
| 43 | 2004年12月11日 | ☆ | 4R 1:26 | TKO | ファーサン・3Kバッテリー | IBF世界フェザー級挑戦者決定戦 | |
| 44 | 2005年3月19日 | ★ | 12R | 判定0-3 | エリック・モラレス | WBCインターナショナル・IBA世界スーパーフェザー級王座決定戦 | |
| 45 | 2005年9月10日 | ☆ | 6R 2:59 | TKO | エクトール・ベラスケス | WBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦 | |
| 46 | 2006年1月21日 | ☆ | 10R 2:33 | TKO | エリック・モラレス | WBCインター防衛1 | |
| 47 | 2006年7月2日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | オスカー・ラリオス | WBCインター防衛2 | |
| 48 | 2006年11月18日 | ☆ | 3R 2:57 | TKO | エリック・モラレス | WBCインター防衛3 | |
| 49 | 2007年4月14日 | ☆ | 8R 1:16 | KO | ホルヘ・ソリス | WBCインター防衛4 | |
| 50 | 2007年10月6日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | マルコ・アントニオ・バレラ | WBCインター防衛5 | |
| 51 | 2008年3月15日 | ☆ | 12R | 判定2-1 | ファン・マヌエル・マルケス | WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチ/3階級制覇、リングマガジン認定・世界スーパーフェザー級王座決定戦 | |
| 52 | 2008年6月29日 | ☆ | 9R 2:24 | KO | デビッド・ディアス | WBC世界ライト級タイトルマッチ/4階級制覇 | |
| 53 | 2008年12月6日 | ☆ | 8R 3:00 | TKO | オスカー・デ・ラ・ホーヤ | -- | |
| 54 | 2009年5月2日 | ☆ | 2R 2:59 | KO | リッキー・ハットン | IBO・リングマガジン認定・世界ライトウェルター級タイトルマッチ | |
| 55 | 2009年11月14日 | ☆ | 12R 0:59 | TKO | ミゲール・コット | WBO世界ウェルター級タイトルマッチ/5階級制覇 | |
| 56 | 2010年3月13日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ジョシュア・クロッティ | WBO防衛1 | |
| 57 | 2010年11月13日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | アントニオ・マルガリート | WBC世界スーパーウェルター級王座決定戦/6階級制覇 | |
| 58 | 2011年5月8日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | シェーン・モズリー | WBO世界ウェルター級王座防衛2 | |
| 59 | 2011年11月12日 | ☆ | 12R | 判定2-0 | ファン・マヌエル・マルケス | WBO世界ウェルター級王座防衛3 |
[編集] 獲得タイトル
<メジャー団体世界王座>
- 第33代WBC世界フライ級王座(防衛1)
- 第11代IBF世界ジュニアフェザー級王座(防衛4=返上)
- 第28代WBC世界スーパーフェザー級王座(防衛0=返上)
- 第33代WBC世界ライト級王座(防衛0=返上)
- 第28代WBO世界ウェルター級王座(防衛2、スーパー王座認定)
- 第42代WBC世界スーパーウェルター級王座(防衛0=返上)
<地域王座>
- 第26代OPBF東洋太平洋フライ級王座(防衛1=返上)
<マイナー団体世界王座>
- IBO世界ライトウェルター級王座
- リングマガジン世界フェザー級王座
- リングマガジン世界スーパーフェザー級王座
- リングマガジン世界ライトウェルター級王座
<備考>
- WBCダイヤモンド王座
- WBCインターナショナルスーパーバンタム王座(防衛5)
- WBCインターナショナルスーパーフェザー級王座(防衛5)
[編集] 主な表彰
- フィリピンSports man of the year 2008
- WBC2008年最優秀選手賞
- Yahoo!スポーツ部門2008年最優秀選手賞
- Googleスポーツ部門2008年最優秀選手賞
- スポーツ・イラストレイテッド2008年最優秀選手賞 (2008 Sports Illustrated Boxer of the Year)
- TIME誌「The World's Most Influential People」Heroes & Icons部門2009年版100人入り
- BWAA(アメリカボクシング記者協会) 年間最優秀選手賞 (通算3度受賞)
- BWAA 2000年代最優秀選手賞
- WBC ファイター・オブ・ディケイド(過去10年間の最優秀選手) - 2010年度[18]
[編集] エピソード・その他
- 弟のボビー・パッキャオもプロボクサー。
- 1998年5月18日に日本のリングに上がり(ガッツファイティング、TBSで放映)ノンタイトル戦で寺尾新(八王子中屋)を1回TKOで下している。
- セレス小林は日本フライ級王者時代に同じクラスのWBC世界王者たるパッキャオとの対戦のオファーが届いたが、パッキャオの試合映像を見たセレスが「こんな怪物に勝てるわけがない」と言って拒否したため、実現しなかった。
- ボクサーとして成功する前は建設作業員をやっていた[19]。
- 北京オリンピックの開会式では、オリンピック不出場にもかかわらず、フィリピン選手団の旗手を務めた。
- ミンダナオ島ではフィリピン国軍とイスラーム反政府組織による紛争が起きているが、パッキャオの試合が行われる度に「皆でパッキャオを応援するべきだ」という理由で双方が戦闘を見合わせて、テレビの前でパッキャオを応援していることが話題になった[19][20]。
- 歌手デビューもしており、試合後の記者会見で「これから予約していた会場で祝勝コンサートをやる!絶対に8曲以上歌うぞ!」とコメントしたことがある。
- 社会福祉活動にも積極的で教育機関や医療機関への多大な寄付を惜しまず、学校に通えない貧しい子供たちを自分のお金で通わせたり、最新の医療設備を整えるために医療費を払っている。
- ビリヤードやバスケットボールが非常に好き。トレーナーのローチはパッキャオがバスケをやり過ぎて怪我をすることを危惧して制限するよう指示しているが、言うことを聞かずに仲間とのバスケを続けることもあった。
- フィリピンでのニックネームは「Bansang Kamao(バンサン・カマオ)」。「国の拳」という意味。
- ビリヤードの腕前はプロレベルで、ビリヤード専門誌CUE'S(キューズ)2010年4月号(Vol.128)の表紙にもなっている。自国ではビリヤード店の経営もしている。
[編集] 注釈
- ^ パッキャオ“2000年代のMVP”に スポーツニッポン 2010年2月2日閲覧
- ^ http://www.pep.ph/guide/3051/TV-Ratings-(Dec.-3-7):-Pacquiao-De-la-Hoya-boxing-match-a-knockout!
- ^ スペイン語で「塩のパン」。庶民の食べ物。
- ^ 『ボクシング中量級 黄金伝説 神々の拳』11ページ ベースボール・マガジン社
- ^ 『ボクシング・ワールド』2008年8月号より
- ^ http://www.pep.ph/news/21656/AGB-Mega-Manila-TV-Ratings-(April-28-May-3):-TV-coverage-of-Pacquiao-Hatton-match-scores-a-knockout!
- ^ a b 『ボクシング・マガジン』2009年7月号より
- ^ パックマンの年収は40億円 米経済誌長者番付で6位 「月刊ボクシングワールド」オフィシャルサイト 2009年6月19日閲覧
- ^ http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1894410_1894289_1894356,00.html
- ^ パッキャオ、ドーピング検査方式で対立/BOX サンケイスポーツ 2010年5月3日閲覧
- ^ <フィリピン>大臣が予算審議すっぽかし米でボクシング応援 毎日新聞 2008年12月12日
- ^ パッキアオ念願叶う。国会議員に当選 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年5月12日
- ^ パッキアオ、コットに圧勝 5階級制覇も達成 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年11月15日
- ^ パッキアオ一方的判定勝ち WBO王座V1 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年3月14日
- ^ 2010年最大のビッグマッチ!=世界プロボクシング “パウンド・フォー・パウンド”パッキャオ、6階級制覇に挑む! スポーツナビ 2010年11月12日
- ^ パッキャオ、史上2人目の6階級制覇に成功 ボクシング史に残る偉業達成 スポーツナビ 2010年11月15日
- ^ 強い!パッキアオ、マルガリートに大差勝利 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年11月14日
- ^ 2010年最優秀はマルティネス パッキアオは過去10年のMVP WBCが発表 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年1月4日
- ^ a b 日本経済新聞 2008年9月22日夕刊「駆ける魂」
- ^ http://www.gmanews.tv/largevideo/latest/40924/Mga-sundalo-at-dating-mga-MNLF-sama-samang-nanuood-ng-Pacquiao-Hatton-fight
[編集] 関連項目
- 男子ボクサー一覧
- 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧
- 国際ボクシング連盟(IBF)世界王者一覧
- 世界ボクシング機構(WBO)世界王者一覧
- 東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)王者一覧
- 複数階級制覇 (ボクシング)
- ボクシング現王者一覧
- リングマガジン ファイター・オブ・ザ・イヤー - 3度選出(2006年、2008年、2009年)
[編集] 外部リンク
- 公式サイト
- 国会内公式サイト(投票行動付き)
- 支援キャンペーンのサイト
- BoxRecによる戦績
- マニー・パッキャオ - Facebook
- マニー・パッキャオ (official_pacman) - Twitter
| 前王者 チョクチャイ・チョクビワット |
第26代OPBF東洋太平洋フライ級王者 1997年6月26日 - 1998年9月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 メルビン・マグラモ |
| 前王者 チャッチャイ・ダッチボーイジム |
第33代WBC世界フライ級王者 1998年12月4日 - 1999年9月17日(剥奪) |
空位 次タイトル獲得者 メッドグン・3Kバッテリー |
| 前王者 レーロホノロ・レドワバ |
第11代IBF世界スーパーバンタム級王者 2001年6月23日 - 2003年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 イスラエル・バスケス |
| 前王者 エリック・モラレス |
第28代WBCインターナショナルスーパーフェザー級王者 2005年9月10日 - 現在 |
次王者 N/A |
| 前王者 ファン・マヌエル・マルケス |
第28代WBC世界スーパーフェザー級王者 2008年3月15日 - 2008年6月16日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ウンベルト・ソト |
| 前王者 デビッド・ディアス |
第33代WBC世界ライト級王者 2008年6月28日 - 2009年2月24日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 エドウィン・バレロ |
| 前王者 ミゲール・コット |
第18代WBO世界ウェルター級王者 2009年11月14日 - 現在 |
次王者 N/A |
| 空位 前タイトル保持者 セルヒオ・マルチネス |
第42代WBC世界スーパーウェルター級王者 2010年11月13日 - 2011年2月(返上) |
次王者 サウル・アルバレス |