クリスティアーノ・ロナウド

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クリスティアーノ・ロナウド Football pictogram.svg
Cristiano Ronaldo in Real Madrid 2.jpg
名前
本名 クリスティアーノ・ロナウド・ドス
・サントス・アヴェイロ
愛称 ロニー、クライベイビー、CR、CR7
ラテン文字 Cristiano Ronaldo
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 1985年2月5日(26歳)
出身地 フンシャル
身長 186cm
体重 84kg
選手情報
在籍チーム スペインの旗 レアル・マドリード
ポジション FW / MF
背番号 7
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
2001-2003
2003-2009
2009-
ポルトガルの旗 スポルティングCP
イングランドの旗 マンチェスター・U
スペインの旗 レアル・マドリード
025 (3)
196 (84)
82 (89)
代表歴 2
2003- ポルトガルの旗 ポルトガル 87 (32)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月6日現在。
2. 2011年12月31日現在。
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クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロ OIHCristiano Ronaldo dos Santos Aveiro OIH1985年2月5日 - )は、ポルトガル出身のサッカー選手レアル・マドリード所属。ポジションはWGCFSMF。なお「クリスティアーノ・ロナウド」は名前であり「ドス・サントス・アヴェイロ」が名字(うち「ドス・サントス」が母の名字、「アヴェイロ」が父の名字)である。

目次

[編集] 来歴

[編集] 幼少期

1985年2月5日、クリスティアーノ・ロナウド(フンシャルやリスボンの標準的発音では「ロナド」)は大西洋に浮かぶポルトガルのマデイラ島最大の街フンシャル(マデイラ自治領の首都)に自治体の庭師ジョゼ・ディニス・アヴェイロと調理師マリア・ドロレス・ドス・サントス・アヴェイロの間に生まれる。家族は両親と兄1人、姉2人、歳の離れた妹1人。ちなみに妹とは11歳離れている。ミドルネームの「ロナウド」は、父ディニスのお気に入りの俳優であったロナルド・レーガン元アメリカ合衆国大統領に因む。父ディニスは公務員として働く傍ら、地元のアンドリーニャというサッカークラブの管理を手伝っており、ロナウドはこのクラブで6歳の時にサッカーを始める。4年後の1995年にアンドリーニャに在籍していた人物が運営するCDナシオナルに入団。この頃からロナウドの名が注目されはじめ、一年後にスポルティングCPのスカウトを受けて、母親と共にリスボンへ移住(移住直後はマデイラ訛りをクラスメイトからからかわれ、激怒したロナウドが椅子を投げ付けて殴りかかったというエピソ-ドもある)。

[編集] クラブ

[編集] スポルティングCP

スポルティングCP入団後は急成長をみせてユースを駆け上がり、2001年9月29日のS STAR戦で16歳にしてプロデビュー。以降25試合に出場し、クラブ史上最年少ゴールも決めるがすぐさまリスボンを離れることになる。マンチェスター・ユナイテッドとの親善試合での活躍でアレックス・ファーガソンの注目を浴びると共に、ロイ・キーンルート・ファン・ニステルローイらがファーガソンに直接獲得を薦めるなどした[1]

[編集] マンチェスター・ユナイテッド

マンチェスター・ユナイテッドでアシスタントコーチを務めていたカルロス・ケイロスは、ロナウドがデビューした時から注目しており、ロナウドの獲得をいち早くアレックス・ファーガソン監督に進言していた。ロナウド獲得には当時リバプールも積極的に動いており、一時期リバプールへの移籍が本人のコメントからも予想されたが、プレミアリーグ03-04シーズン開幕3日前の8月10日に移籍金1,224万ポンド(当時の日本円にして約24億円)、5年契約でユナイテッドへの入団が決定。更にデビッド・ベッカムレアル・マドリードへ移籍したことで、空いた背番号7の着用が決まる。移籍当初はリスボンでつけていた28番を望んでいたが、ファーガソン監督から7番の着用を言い渡された[2]

プレミアリーグ03-04シーズン、オールド・トラッフォードボルトンを迎えての開幕戦に控えとしてメンバー入りし、後半16分からの途中出場でプレミアデビュー。以後、比較的先発で出場することが多くなるが、控えと先発を行き来するような状態で、ファーガソンが上手く振り分けて成長を促していたとされる[3]。また、2005年10月29日のミドルスブラ戦では、クラブのプレミアリーグ通算1000ゴール目となるメモリアルゴールを決めた[1]

2006-2007シーズンのC・ロナウド。

06-07シーズンは17ゴール14アシストと共に自己最多を記録し、チームの優勝に貢献。自身も1977年のアンディ・グレイ以来30年ぶり史上2人目となるPFA年間最優秀選手賞FWA年間最優秀選手賞をダブル受賞した。ファンの投票による年間最優秀選手賞にも選ばれ、史上初の三冠達成を果たした。また、2006年11、12月にプレミアリーグ月間MVPを2ヶ月連続で受賞。ロビー・ファウラーデニス・ベルカンプに続くプレミア史上10年ぶり3人目の快挙となった[4]バロンドールの投票ではカカに次ぐ2位となった。

07-08シーズンは開幕から驚異的なペースでゴールを量産し通算42得点を記録。リーグ31得点で得点王となり、チームのリーグ2連覇に欠かせない存在であった。PFA年間最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞を2シーズン連続で受賞。プレミアリーグの上位チームに対して目立った成績を残していないと揶揄する声があるが、実際には31得点中5点を3位から5位までのチームから奪っている。唯一2位チェルシーに対してのみ無得点だったが、後述するようにチャンピオンズリーグ決勝戦でチーム唯一のゴールを挙げている。また、2008年3月19日の対ボルトン戦では、初めてキャプテンマークを巻いて出場した。

チャンピオンズリーグ・2007-08シーズンでも8得点を挙げて得点王を受賞。ユナイテッドの9シーズンぶり3回目のチャンピオンズリーグ優勝の立役者となる。 2008年5月21日に行われた決勝戦では、チェルシーから先制ゴールを奪うも、チェルシーもフランク・ランパードが同点ゴールを決めて反撃。延長戦でも決着がつかずPK戦となり、ロナウドは3人目のキッカーを務めるもペトル・チェフにコースを読み切られて失敗。しかし、チェルシーも5人目のキッカーのジョン・テリーが雨でぬかるんだピッチに足を滑らせて痛恨のミスキックで失敗し、その後エトヴィン・ファン・デル・サールの好セーブによって、ユナイテッドの勝利が決定した。その瞬間、ロナウドはピッチに倒れこんで号泣し、ガリー・ネヴィルライアン・ギグス、ファーガソン監督らに助け起こされてようやく味方の歓喜の輪に加わった。

これらの活躍により、この年のバロンドールFIFA最優秀選手賞をダブル受賞。

2008年夏、かねてよりロナウド獲得を目指していたレアル・マドリードが、移籍成立は時間の問題とメディアを通じてアピールしたことによりロナウドをめぐる移籍騒動が勃発。正式なオファーを出さないまま一方的な発表を行った事に対してユナイテッド側が猛反発し、法的手段も辞さない構えを見せるなど話が大きくなる。ロナウド自身はこの騒動に関し公には沈黙を守っていたが、「子供の頃からの憧れのクラブであるレアル・マドリードへの移籍が実現するかもしれない」と気持ちが傾いていた事を残留宣言の中で認めている。最終的にファーガソン監督と話しあった結果、ロナウドは残留を決意し、ユナイテッド公式ホームページに残留宣言が掲載された[5]。その中で今回の移籍騒動については「(両クラブやその関係者にではなく)自分に責任がある」としている。

2008年11月15日のストーク・シティ戦ではフリーキックからクラブ100得点目を記録した。ちなみに同じ試合で再びフリーキックから101得点目も記録している[6]

2009年夏に退団希望を正式に表明。ユナイテッドも、フロレンティーノ・ペレス新会長のもと正式なオファーを出したレアル・マドリードとの移籍交渉を許可した。

[編集] レアル・マドリード

レアル・マドリードはジネディーヌ・ジダンの記録を上回る史上最高額の8000万ポンド(約128億円)の移籍金を一括でマンチェスター・ユナイテッドに支払い、7月1日付でロナウドは正式にレアル・マドリードの選手となった。 7月6日、レアル・マドリードの本拠地サンティアゴ・ベルナベウで入団発表が行なわれ、背番号は9と発表された。入団発表には8万人のファンが集まった。1984年にSSCナポリに加入したディエゴ・マラドーナの7万5000人を抜き、史上最多の人数がつめかけたお披露目式となった[7]。また、ロナウドのユニフォームはマドリード市内だけで120万枚を売り上げ、高額な移籍金を地元のユニフォーム売り上げのみで回収した[8]。 7月21日のシャムロック・ローヴァーズFC戦でデビュー。翌週のLDUキト戦ではPKから初得点を挙げた。8月29日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦でリーガ・エスパニョーラデビューを飾ると、PKで初得点も決めた。12月21日、マンチェスター・ユナイテッド所属時である同年4月15日のポルト戦で決めたミドルシュートで、その年最も美しかったゴールに贈られるプスカシュ賞を受賞した。また、同年のバロンドールでは自身2度目の2位となった。

移籍初年度は怪我で出遅れたにも関わらずリーグ3位の26得点を記録。UEFAチャンピオンズリーグではチームはベスト16に終わったものの、自身は6試合で7ゴールを挙げ得点ランキングで試合数が少ないにも関わらず2位タイとなった。10月には足首の怪我によりクラブでの試合のほかハンガリー代表との試合にも出場できなかった[9]。その怪我は、魔術師の呪術によるものであるとの報道も流れた[10]

翌年は、キャプテンであるラウル・ゴンサレスブンデスリーガシャルケ04への移籍により念願であった背番号7を背負うことになった。ポジションも中央からサイドに移って前シーズンを上回るペースで得点を量産。10月23日のラシン・サンタンデール戦ではキャリア初の1試合4得点を記録し[11]、その月は13得点を挙げて自身の月間最多得点記録も更新した[12]。 その後もレアル・マドリードで驚異的なペースで得点を量産し、クラブ史上最速での通算50得点を記録した[13]FCバルセロナとのコパ・デル・レイ決勝では、0-0で迎えた延長前半にアンヘル・ディ・マリアのクロスからヘディングで決勝ゴールを奪い、レアル・マドリードにとって18年ぶりとなる国王杯獲得に大きく貢献した。5月10日のヘタフェCF戦ではリーガ史上初となるシーズン6度目のハットトリックを達成[14]。シーズンの全大会での総得点数を47とし、1959-60シーズンにフェレンツ・プスカシュが記録したクラブ記録を更新した[14][15]。最終節のUDアルメリア戦でも2得点を挙げリーガ通算40得点とし[注釈 1]、1950-51シーズンのテルモ・サラ、1989-90シーズンのウーゴ・サンチェスの38得点を破るリーガシーズン最多得点記録を更新し得点王に輝いた[16][17]

[編集] 代表歴

ブラジル代表戦でプレイするロナウド
キャプテンマークを巻いてプレーするロナウド(2010年)

2003年8月20日に行われ、1-0で勝利したカザフスタン戦で代表デビュー[18]EURO2004のメンバーに選出され[19]、グループリーグ初戦のギリシャ戦は1-2で敗れたが、代表初ゴールを記録し[20]、2-1で勝利した準決勝のオランダ戦でもゴールを挙げた[21]。ロナウド自身は2ゴールにとどまったが、チームは準優勝し、大会のベストイレブンに選出された[22]。同年に開催されたアテネオリンピックにもポルトガル代表として出場した[23][24]

[編集] 2006 FIFAワールドカップ

ワールドカップ予選では、ヨーロッパ全体で2位となる7ゴールを記録し[22]ワールドカップでは、イラン戦でPKで大会唯一となるゴールを記録した[25]

7月1日に行われた準々決勝のイングランド戦では、ユナイテッドのチームメイトであったウェイン・ルーニーリカルド・カルバーリョを踏みつけたとして退場処分となったが、ルーニーの退場後にロナウドがポルトガルのベンチに向かってウインクする映像が映し出されたことにより、イギリスのメディアはロナウドの抗議がオラシオ・エリソンドの判断に影響を与えたのではないかと推測した。しかし、試合後にロナウドは、ルーニーは友人であるし、退場させるための行動は取っていないと話した[26]。7月4日にはエリソンドが、レッドカードはルーニーの反則に対してであって、ロナウドとルーニーの諍いに対して出したのではないと話した[27]

イギリスのメディアの反応に対し、ロナウドはユナイテッドを去ることを考え[28]、スペインのマルカ紙にレアル・マドリードに移籍したいと話したと伝えられた[29]。それに対しアレックス・ファーガソンは、ロナウドを説得し、ルーニーとの間のわだかまりを解消するためにカルロス・ケイロスに話をさせた[30][31]。ロナウドは残留し、2007年4月には契約を5年延長した[32]

ロナウドは準決勝のフランス戦ではブーイングを浴び[33]、イングランドのファンのインターネット上の行動により、ベスト・ヤング・プレイヤー賞の受賞を逃すことになった[34]。インターネットの投票は選手のノミネートに影響を与えるだけであったが、FIFAの技術委員会はルーカス・ポドルスキに賞を与え、ロナウドの試合中の振る舞いがその決定の理由の一因になったと話した[35]

[編集] ワールドカップ後

22歳の誕生日の2日後の2007年2月7日に行われたブラジルとの親善試合で初めてキャプテンを務めた[36]。これは、その試合の2日前に亡くなったポルトガルサッカー連盟のカルロス・シルヴァに追悼の意を示しての行動であった。これについてルイス・フェリペ・スコラーリは、「キャプテンを務めるには余りに若いが、今は亡きシルヴァ氏がロナウドをキャプテンにするように意思表示をしていた」と、話した[37][38]

EURO2008の予選ではエウゼビウシュ・スモラレクに次ぐ8ゴールを挙げたが、本大会では1ゴールに終わり、準々決勝でドイツに敗れた[39][40]。大会後にカルロス・ケイロスが監督に就任し[41]、新キャプテンに指名された[42]ワールドカップ予選では1ゴールも挙げられなかったが、チームはデンマークに次いで2位で終え、プレイオフ進出を果たした。ロナウドはハンガリー戦で負傷して以来戦列を離れていたが、ボスニア・ヘルツェコビナとのプレイオフのメンバーに招集された[43]。チームはワールドカップの出場権を獲得したが、ロナウドは最終的に怪我により2試合とも出場することは叶わなかった[44]

[編集] 2010 FIFAワールドカップ

キャプテンとして臨んだワールドカップでは、グループリーグ初戦のコートジボワール戦、第2戦の北朝鮮戦、第3戦のブラジル戦と3試合連続で大会選定のマンオブザマッチに選出された[45][46][47]。北朝鮮戦では代表では1年4ヶ月ぶり[48]、ワールドカップ2大会連続となる得点を挙げた。しかし、決勝トーナメント1回戦でスペインに1-0で敗れたため、同大会での得点はその1ゴールのみに終わった。

[編集] プレースタイル

フリーキックを蹴るC.ロナウド

引き技、シザーズ、切り返し、股抜きなどを組み合わせたドリブルを得意とし、縦へのスピードも持ち合わせる[49]。長身にも関わらずドリブルの重心が低く、ストライドが小さい分足の回転が速いのが特徴であり、スピードの緩急や方向転換などの能力も高い[50]。ドリブル突破からのクロスも質が高く、高いクロスよりも低くて速いクロスを送る傾向がある[50]。また、両足で同レベルのプレーをすることができる[51]。本人は、トリッキーなテクニックを織り交ぜることが自分のプレースタイルであると語っている[52]

切り込んでのシュートやヘディングも持ち味の一つで、高い得点力を誇る[49]。弾道の予測が不可能な無回転フリーキックを得意としていて、彼の代名詞となっている[53][54]

[編集] 評価

かつてレアル・マドリードでプレーしたジネディーヌ・ジダンはクリスティアーノ・ロナウドを「努力家」と称し、自身の現役時代よりも優れていると賞賛している[55][56]。 一方で非紳士的な態度や傲慢さに対する批判もあり「態度に関しては頭のネジが一本はずれている、大げさなジェスチャーと生意気な態度は、常にトラブルの原因となっている、結果的にはレアルマドリードが批判されるようになる」とCAオサスナワルテル・パンディアーニは述べている[57]

また、マンチェスター・ユナイテッドでのデビュー戦後、ジョージ・ベストは「ここ数年、第2のジョージ・ベストだと言われた選手は何人かいるが、私がそれを(私にとっての)ほめ言葉と感じたのは彼が初めてだ(There have been a few players described as the new George Best over the years, but this is the first time it's been a compliment to me.)」と語っている[58]

レアル・マドリードのOBであるイバン・サモラーノはロナウドを「ゴールによって違いを生み出せる正真正銘の怪物」と評した。以前よりも利他的となりチームに好影響を出していると分析し、また2011年11月6日のオサスナ戦でロナウドが挙げたヘディングでのゴールについては「現役時代の自分を思い出した」とヘディングの名手だった自分に重ねて賛辞を送った[59]

同年代に活躍しているリオネル・メッシらと共に、2000年代後半以降で世界最高の選手の一人とされ[52]、度々比較されている[51][60][61]。また、メッシとも互いの実力を認め合っており[62][63]、ロナウドはメッシをライバルとして意識している[64]

クリスティアーノ・ロナウドの「シザーズフェイント」について、大東文化大学スポーツ科学科准教授の川本竜史(スポーツバイオメカニクス )は、「体、足が一見、フェイントをかけた方向に大きくずれたように見えるが、実は身体の重心がほとんど動いていないこと。変動が小さいため、次の動きに素早く移れる。」「上半身はほとんど動かさず、へそ回りの重心を安定させながらボールを高速でまたいで、一瞬、相手の体が傾いたところを見て、反対方向に爆発的加速をして抜き去っている。」と指摘した[65]

[編集] エピソード

  • 少年時代のアイドルはディエゴ・マラドーナで、好きなチームはベンフィカ[66]。ベンフィカのライバルであるスポルティング・リスボンのユースに入団したのは、母親がスポルティングのファンで喜ばせたかったというのが理由の1つらしい。
  • スポルティング時代からコーチ陣揃って認めるほどの練習の虫で、現在でも居残り練習を積極的に行っている。また、フィジカルコンディションの維持のため、腹筋一日3000回を日課としている[67]
  • 2007年に来日した際、TBSスーパーサッカーのインタビューに出演する予定だったが、体調不良によりキャンセルしたためチームメイトのリオ・ファーディナンドが代理を務めた。ロナウド本人が拙い日本語で謝罪する映像も流れた。
  • 2008年にスイスとオーストリアで共同開催されたEURO2008で、LG電子が実施した欧州の女性1万2000人による最もハンサムな選手の人気投票で1位となる。特にイタリア、ドイツ、スウェーデンからの票が多かったとのこと。
  • 2009年、レアル・マドリードはロナウドの両足に9000万ポンド(約145億円)の保険をかけた。ロナウドにかかった驚異的な移籍金を無駄にしたくないとの思いから、ケガなど予測不能なリスクに備えるためだという。ちなみにロナウドは2008年7月に右足首を手術しており、他にも膝には慢性的な問題を抱えている[68]
  • 2010年2月21日のビジャレアルCF戦で直接フリーキックを決め先制点を挙げたが、ロナウドはこのゴールを当時豪雨に見舞われていた故郷のマデイラ島に捧げた[69]。この洪水で叔母(母の姉妹)が家を失い、3月にその叔母の息子(ロナウドの従兄)が交通事故で死亡した[70]
  • 2011年5月10日のヘタフェCF戦ではロナウドがクリアしたボールがスタンドの観客に直撃してしまった。観客に怪我はなかったものの、ロナウドは試合後に観客のもとへ行き謝罪し、ユニフォームをプレゼントした[71]

[編集] 女性関係

C.ロナウドはサッカー以外に関しても話題になることが頻繁にあり、特に女性関係でのゴシップは多い。

2005年10月、2人のフランス人女性から「性的暴行を受けた」と訴えられた。これは後に、彼女らをホテルに残して他の女性と遊びに行ったロナウドに対してのでっち上げであったことが分かっている。また、2007年10月には、アンデルソンナニら数人を自宅に招き、5人の娼婦らと行ったパーティの様子を撮影した写真や動画が流出したことで、騒動を起こした[72]

2008年には、当時の恋人であるモデルのネレイダ・ガジャルドがセルヒオ・ラモスと性的関係を持っていたことを暴露された[73]。翌2009年6月には、ロサンゼルスのクラブでパリス・ヒルトンとのキスを報じられた[74]

2010 FIFAワールドカップ敗退後の7月3日に、自身のtwitterとFacebookにて息子が誕生し父親となったことを発表したが、母親については彼女のプライベートを尊重して公表していない[75]。同じく、彼のエージェントも母親については答えていない(明かした7月の時点でロナウドと交際しているモデルの女性がいるが、彼女は母親ではない)。なおこの女性には口止め料として1200万ユーロが支払われたことが報じられ、また息子の面倒をみるのはロナウドの方であるとも発表している[76]。しかし、2009年オフにサンディエゴで代理母契約を結んだとも報道されており、口止め料ではなく、守秘義務と面会権の放棄のために1200万ユーロが支払われたとも報じられている[77]

2011年1月、姉であるカティアが、ロナウドの赤ちゃんを秘密裏に出産していた女性が死亡したとポルトガルのメディアに語り、「その子は我が家の血が流れている私たちのベビー。母のドロレスが24時間ベビーを見ている以上、赤ちゃんのママはうちの母です。他には存在しません」とコメントし死亡を強調した。

2011年9月、かねてより交際していたロシア人スーパーモデルのイリーナ・シェイクと翌年7月21日に挙式を挙げる予定であるとデイリー・ミラーに報じられた[78]

[編集] その他

  • 故郷フンシャルに自分のファッションブランド「CR7」の店を開いている。2人のが経営しており、08年10月にリスボンに2号店を開店している。下の姉カティアはポルトガルで歌手をしており「Ronalda」という芸名でCDデビューしている。
  • サッカーの次に好きなスポーツは卓球。その腕前は、ポルトガル時代にプロにスカウトされたほど[79]
  • 2009年1月8日午前、マンチェスター空港近くの道路でトンネルの壁に正面から衝突し、前方部分が大破する自動車事故を起こした。運転していたフェラーリ・599は前方部分が大破したものの、ロナウド本人に怪我はなかった。この事故でクラブからは罰金を科されている[80]

[編集] 所属クラブ

[編集] タイトル

[編集] クラブ

マンチェスター・ユナイテッド時代のC・ロナウド。

[編集] 個人

[編集] 個人成績

[編集] クラブ

クラブ シーズン 背番号 リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 期間通算
出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト
スポルティング-CP 2002-03 28 25 3 - 3 2 - 3 0 0 31 5 -
通算 25 3 - 3 2 - 3 0 0 31 5 -
マンチェスター・ユナイテッド 2003-04 7 29 4 4 6 2 0 5 0 0 40 6 4
2004-05 7 33 5 4 9 4 0 8 0 0 50 9 4
2005-06 7 33 9 6 6 2 1 8 1 0 47 12 7
2006-07 7 34 17 14 8 3 1 11 3 5 53 23 20
2007-08 7 34 31 8 3 3 11 8 1 48 42 9
2008-09 7 33 18 6 2 1 12 4 2 47 23 8
通算 196 84 42 34 15 2 55 23 8 285 115 42
レアル・マドリード 2009-10 9 29 26 0 0 6 7 35 33 -
2010-11 7 34 40 9 7 12 6 55 53 -
通算 63 66 - 9 7 - 18 13 - 90 86 -
総通算 284 153 42 46 24 2 76 36 8 406 213 42

[編集] 代表


ポルトガル代表 国際Aマッチ
出場 得点
2003 2 0
2004 16 7
2005 10 2
2006 14 6
2007 10 5
2008 8 1
2009 7 1
2010 11 3
2011 9 7
通算 87 32
ポルトガル代表での得点
# 日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1. 2004年6月12日 ポルトガルの旗 エスタディオ・ド・ドラゴンポルト ギリシャの旗 ギリシャ
1 – 2
1 – 2
UEFA欧州選手権2004
2. 2004年6月30日 ポルトガルの旗 エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデリスボン オランダの旗 オランダ
2 – 0
2 – 1
UEFA欧州選手権2004
3. 2004年9月4日 ラトビアの旗 スコント・スタディウムリガ ラトビアの旗 ラトビア
0 – 1
0 – 2
2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
4. 2004年9月8日 ポルトガルの旗 エスタディオ・ドクトル・マガリャエス・ペッソアレイリア エストニアの旗 エストニア
1 – 0
4 – 0
2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
5. 2004年10月13日 ポルトガルの旗 エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ、リスボン ロシアの旗 ロシア
2 – 0
7 – 1
2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
6.
4 – 0
7. 2004年11月7日 ルクセンブルクの旗 スタッド・ジョシー・バーテルルクセンブルク ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク
0 – 2
0 – 5
2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
8. 2005年6月4日 ポルトガルの旗 エスタディオ・ダ・ルス、リスボン スロバキアの旗 スロバキア
2 – 0
2 – 0
2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
9. 2005年6月8日 エストニアの旗 ア・ル・コック・アレーナタリン エストニアの旗 エストニア
0 – 1
0 – 1
2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
10. 2006年3月1日 ドイツの旗 エスプリ・アレーナデュッセルドルフ サウジアラビアの旗 サウジアラビア
0 – 1
0 – 3
親善試合
11.
0 – 3
12. 2006年6月17日 ドイツの旗 ヴァルトシュタディオンフランクフルト イランの旗 イラン
2 – 0
2 – 0
2006 FIFAワールドカップ
13. 2006年10月7日 ポルトガルの旗 エスタディオ・ド・ベッサ、ポルト アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
1 – 0
3 – 0
UEFA欧州選手権2008予選
14.
3 – 0
15. 2006年11月15日 ポルトガルの旗 エスタディオ・シダデ・デ・コインブラコインブラ カザフスタンの旗 カザフスタン
2 – 0
3 – 0
UEFA欧州選手権2008予選
16. 2007年3月24日 ポルトガルの旗 エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ、リスボン ベルギーの旗 ベルギー
2 – 0
4 – 0
UEFA欧州選手権2008予選
17.
4 – 0
18. 2007年8月22日 アルメニアの旗 ハンラペタカン・スタディウムエレバン アルメニアの旗 アルメニア
1 – 1
1 – 1
UEFA欧州選手権2008予選
19. 2007年9月8日 ポルトガルの旗 エスタディオ・ダ・ルス、リスボン ポーランドの旗 ポーランド
2 – 1
2 – 2
UEFA欧州選手権2008予選
20. 2007年10月17日 カザフスタンの旗 アルマトイ・セントラル・スタディウムアルマトイ カザフスタンの旗 カザフスタン
0 – 2
1 – 2
UEFA欧州選手権2008予選
21. 2008年6月11日 スイスの旗 スタッド・ドゥ・ジュネーヴジュネーヴ チェコの旗 チェコ
1 – 2
1 – 3
UEFA欧州選手権2008
22. 2009年2月11日 ポルトガルの旗 エスタディオ・アルガルヴェファル フィンランドの旗 フィンランド
1 – 0
1 – 0
親善試合
23. 2010年6月21日 南アフリカ共和国の旗 ケープタウン・スタジアム、ケープタウン 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
6 – 0
7 – 0
2010 FIFAワールドカップ
24. 2010年10月8日 ポルトガルの旗 エスタディオ・ド・ドラゴン、ポルト デンマークの旗 デンマーク
3 – 1
3 – 1
UEFA欧州選手権2012予選
25. 2010年10月12日 フィンランドの旗 ラウガウダルスヴォッリュルレイキャヴィーク フィンランドの旗 フィンランド
0 – 1
1 – 3
UEFA欧州選手権2012予選
26. 2011年2月9日 スイスの旗 スタッド・ドゥ・ジュネーヴ、ジュネーヴ アルゼンチンの旗 アルゼンチン
1 – 1
2 – 1
親善試合
27. 2011年8月10日 ポルトガルの旗 エスタディオ・アルガルヴェ、ファル ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク
2 – 0
5 – 0
親善試合
28. 2011年9月2日 キプロスの旗 GSPスタディウムニコシア キプロスの旗 キプロス
1 – 0
4 – 0
UEFA欧州選手権2012予選
29.
2 – 0
30. 2011年10月11日 デンマークの旗 パルケン・スタディオンコペンハーゲン デンマークの旗 デンマーク
2 – 1
2 – 1
UEFA欧州選手権2012予選
31. 2011年11月15日 ポルトガルの旗 エスタディオ・ダ・ルス、リスボン ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ
1 – 0
6 – 2
UEFA欧州選手権2012予選プレーオフ
32.
3 – 1

[編集] 栄典

[編集] 出演CM

[編集] 脚注

  1. ^ ピチーチ賞を主催するマルカ紙ではリーガ第2節のヘタフェCF戦でぺぺの得点をロナウドのゴールであるとしているため、41得点となっている(参考:意見が分かれるCR7の得点数Goal.com 2011年5月18日)

[編集] 出典

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  78. ^ 美男美女すぎる夫婦誕生、ロナウド選手が来年7月挙式へ livedoorスポーツ 2011年9月23日
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[編集] 外部リンク

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