ジャン=ピエール・パパン

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ジャン=ピエール・パパン Football pictogram.svg
Jean-Pierre Papin, 2006.jpg
名前
愛称 高性能爆撃機、JPP
ラテン文字 Jean-Pierre PAPIN
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 1963年11月5日(50歳)
出身地 フランスの旗ブローニュ=シュル=メール
身長 177cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW
代表歴
1986-1995[1] フランスの旗 フランス 54 (30)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジャン=ピエール・パパンJean-Pierre Papin1963年11月5日 - )は、フランスブローニュ=シュル=メール出身の元同国代表サッカー選手サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。

略歴[編集]

地元の2部クラブ・ヴァランシエンヌFCに入団し、1985-1986シーズンにクラブ・ブルッヘへ移籍するとすぐさま活躍を見せてカップ戦優勝に貢献し、自身もリーグの得点王を獲得。1986年2月26日北アイルランド戦で代表デビューを果たし、同年のメキシコW杯にも出場し得点を挙げたが、ワールドカップ出場はフランスが1990年イタリアW杯1994年アメリカW杯の出場権を逃がしたこともあり、1回にとどまった。まだ現役選手であった地元開催の1998年大会では、本大会一次リーグのドロアーもつとめた。

翌シーズンにはオリンピック・マルセイユへ移籍を果たし、1987-1988シーズンから5年連続で得点王に輝くとともに、リーグでは4連覇を達成。1991年にはFIFA選出の最優秀選手に輝き、バロンドールを受賞するなど、ワールドクラスのストライカーに成長した。1992年から所属したACミランでは2度のリーグ優勝や欧州チャンピオンズカップ優勝などに貢献した。

身長は180に満たないが、快速で心臓も強く、特にオーバーヘッドキックは彼の十八番で、ボールへの入り方やジャンプのタイミングも正確で、大抵はボールの芯に当たって強烈なシュートとなってゴールにとんでいった。

1994-1995シーズンからはドイツ・ブンデスリーガバイエルン・ミュンヘンに所属。その後フランスに戻り、FCジロンダン・ボルドーEAギャンガンに在籍。1999年にプロサッカー選手としての生活に終止符を打った。

しかしながら、アマチュア選手としてはその後もプレーを続け、JSサン=ピエール(1999-2001)、JSキャップ=フェレ(2001-2004)の2チームに所属した。

2004年からはCFA2(フランスリーグ5部に相当)で監督としてのキャリアをスタートし、2006年からリーグ・ドゥ(2部)所属のRCストラスブールの監督を務める。2006-2007シーズンに1部昇格を果たした後、ストラスブールを退団した。2007-2008シーズン途中からRCランスの監督に就任したが、チームの降格を防ぐことができずシーズン終了後に解任された。

2009年にフランス地域リーグのASファクトゥール・ビガノでアマチュアの選手として短期間だが現役復帰した。同年12月29日、LBシャトールーの監督に就任するが、シーズン終了後に解任されている。

所属クラブ[編集]

指導歴[編集]

出典[編集]