オーベルヴィリエ
| Aubervilliers | |
|---|---|
| 行政 | |
| 国 | |
| 地域圏(Région) | イル=ド=フランス地域圏 |
| 県(département) | セーヌ=サン=ドニ県 |
| 郡(arrondissement) | サン=ドニ郡 |
| 小郡(canton) | 2小郡庁所在地 |
| INSEEコード | 93001 |
| 郵便番号 | 93300 |
| 市長(任期) | ジャック・サルヴァトル (2008年 - 2014年) |
| 自治体間連合 (fr) | Communauté d'agglomération Plaine-Commune |
| 人口動態 | |
| 人口 | 73,699人 (2007年) |
| 人口密度 | 12 795人/km² |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯48度54分47秒 東経2度22分59秒 / 北緯48.9131度 東経2.3831度座標: 北緯48度54分47秒 東経2度22分59秒 / 北緯48.9131度 東経2.3831度 |
| 標高 | 平均:?m 最低:33m 最高:46m |
| 面積 | 5.76km² (576ha) |
オーベルヴィリエ (Aubervilliers)は、フランス、イル・ド・フランス地域圏、セーヌ=サン=ドニ県の都市。
目次 |
由来 [編集]
最も古い記録は、1059年のAlbertivillareという名称である。Villiersとはラテン語のヴィラから派生した言葉である。メロヴィング朝、カロリング朝の間は農業地帯であったと推測される。ゲルマン語の人名AdalbertusがAlbertへ変化し、より一般的なAubertへ変わっていった。ゲルマン語は、ノルマン人の名からきたのではないかとされる。
歴史 [編集]
長い間、オーベルヴィリエは農民たちが暮らす土地であった。
1843年、パリ防衛の一環としてオーベルヴィリエ要塞が建設された。19世紀半ば、パリに隣接するオーベルヴィリエに産業革命の波がやってきた。ベルギー、アルザス、ロレーヌ、ブルターニュ、スペイン、イタリアから労働者がやってきた。70カ国以上の労働者たちは、郊外に混ざり合って暮らし、首都よりも低賃金で働いていた。オーベルヴィリエやパンタンは、ガラス工房で働いていたプロイセン人が多かったために『小プロイセン』と呼ばれていた。
1970年1月1日、暖房の不備で5人のアフリカ人労働者が酸欠で死亡した。この事件は高い衆目を集め、移民たちの住環境について議論が行われた。1月10日に行われた葬儀は私的であったにもかかわらず、アルジェリア生まれの作家カテブ・ヤシン、ジャン・ポール・サルトル、ミシェル・ロカールといった著名人や、ゴーシュ・プロレタリアンヌ(fr)の人々が参加した。2日後には、オーベルヴィリエのスラムをジャック・シャバン=デルマ首相が訪問した。
交通 [編集]
経済 [編集]
オーベルヴィリエにある企業の25%が中小企業である。一方で化学工業のロディア、サンゴバン、公営企業としてフランステレコム、DILA(fr)、ラ・ポスト、パリメトロがある。
オーベルヴィリエの失業率は高く、最悪で23.3%に達したことがある。年間所得が10,603ユーロという貧困層が多い、イル・ド・フランス地域圏有数の都市である[1]。