オーベルヴィリエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Aubervilliers
Blason ville fr Aubervilliers.svg
Aubervilliers centre fr.png
行政
フランスの旗 フランス
地域圏Région イル=ド=フランス地域圏
département セーヌ=サン=ドニ県
arrondissement サン=ドニ郡
小郡canton 2小郡庁所在地
INSEEコード 93001
郵便番号 93300
市長任期 ジャック・サルヴァトル
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) Communauté d'agglomération Plaine-Commune
人口動態
人口 73,699人
2007年
人口密度 12 795人/km²
地理
座標 北緯48度54分47秒 東経2度22分59秒 / 北緯48.9131度 東経2.3831度 / 48.9131; 2.3831座標: 北緯48度54分47秒 東経2度22分59秒 / 北緯48.9131度 東経2.3831度 / 48.9131; 2.3831
標高 平均:?m
最低:33m
最高:46m
面積 5.76km² (576ha)
Aubervilliersの位置
Aubervilliers
テンプレートを表示

オーベルヴィリエAubervilliers)は、フランスイル・ド・フランス地域圏セーヌ=サン=ドニ県の都市。

目次

由来 [編集]

最も古い記録は、1059年のAlbertivillareという名称である。Villiersとはラテン語のヴィラから派生した言葉である。メロヴィング朝カロリング朝の間は農業地帯であったと推測される。ゲルマン語の人名AdalbertusがAlbertへ変化し、より一般的なAubertへ変わっていった。ゲルマン語は、ノルマン人の名からきたのではないかとされる。

歴史 [編集]

長い間、オーベルヴィリエは農民たちが暮らす土地であった。

1843年、パリ防衛の一環としてオーベルヴィリエ要塞が建設された。19世紀半ば、パリに隣接するオーベルヴィリエに産業革命の波がやってきた。ベルギー、アルザス、ロレーヌ、ブルターニュ、スペイン、イタリアから労働者がやってきた。70カ国以上の労働者たちは、郊外に混ざり合って暮らし、首都よりも低賃金で働いていた。オーベルヴィリエやパンタンは、ガラス工房で働いていたプロイセン人が多かったために『小プロイセン』と呼ばれていた。

1970年1月1日、暖房の不備で5人のアフリカ人労働者が酸欠で死亡した。この事件は高い衆目を集め、移民たちの住環境について議論が行われた。1月10日に行われた葬儀は私的であったにもかかわらず、アルジェリア生まれの作家カテブ・ヤシン、ジャン・ポール・サルトルミシェル・ロカールといった著名人や、ゴーシュ・プロレタリアンヌ(fr)の人々が参加した。2日後には、オーベルヴィリエのスラムをジャック・シャバン=デルマ首相が訪問した。

交通 [編集]

経済 [編集]

オーベルヴィリエにある企業の25%が中小企業である。一方で化学工業のロディア、サンゴバン、公営企業としてフランステレコム、DILA(fr)、ラ・ポストパリメトロがある。

オーベルヴィリエの失業率は高く、最悪で23.3%に達したことがある。年間所得が10,603ユーロという貧困層が多い、イル・ド・フランス地域圏有数の都市である[1]

姉妹都市 [編集]

脚注 [編集]

外部リンク [編集]